光市母子殺害 残虐性を重く見た最高裁判決

朝日新聞 2012年02月22日

母子殺害事件 この先も考え続けたい

山口県光市の母子殺害事件で、犯行当時18歳1カ月だった被告の死刑が確定する。

何とも重い結末である。

すんなり導き出された結論ではない。少年法は「罪を犯したときに18歳未満の者には死刑を科さない」と定める。人間として成熟しておらず、だからこそ立ち直りの可能性が大きい少年の特性を考えたものだ。

一、二審は、この法の趣旨も踏まえて無期懲役を言い渡したが、6年前、最高裁は審理をやり直すよう広島高裁に命じた。

そのときの「18歳になって間もない少年だったことは、死刑を避ける決定的な事情であるとまではいえない」との判断は大きな論議を呼んだ。

この事件などを機に人々が目を向けるようになった被害者の思いや、社会の不安にこたえたと評価する声。逆に、死刑の適用基準をゆるめるもので、廃絶にむかう世界の流れに反するとの批判もあった。

高裁の死刑判決を経た今回、最高裁の4人の裁判官のうち1人は、さらに審理を尽くすべきだと反対意見を述べた。全員一致でないまま極刑が確定するのは異例で、問題の難しさを浮きぼりにしている。

死刑を前提とする法制度のもと、悩み抜いて出された判決を厳粛に受け止めたい。

だがこの結果だけをとらえ、凶悪な犯罪者に更生を期待しても限界があると決めつけたり、厳罰主義に走ったりすることには慎重であるべきだろう。国民が刑事裁判に参加する時代にあっては、なおさらだ。

死刑か無期かにかかわらず、どんな罰を科すのが適当かとの判断は、あくまでもその事件、その被告の事情を突きつめて考えた先にある。被害状況や被告の年齢、育ち方などで画一的な処理ができるものではないし、してはならないからだ。

裁判はこれで決着となるが、事件が投げかけた多くの問題に、社会全体でこの先も向き合っていく必要がある。

例えば、こうした事件はいまは裁判員裁判で審理される。長期の審理が困難ななか、更生の可能性を裁判員が見きわめられるよう、専門家にはいっそうの工夫と努力が求められる。

刑事裁判や少年法の世界だけではない。

大人と子どもの線をどこに引き、どんな権利や責任を分かち合い、成長の過程にある年代をどうサポートするか。

それは、教育や福祉をはじめ様々な分野で、考えていかなければならない課題だ。視野を広げて議論を深めたい。

毎日新聞 2012年02月21日

光事件元少年死刑 判決が投げかけた意味

99年に起きた山口県光市の母子殺害事件で、最高裁が殺人や強姦(ごうかん)致死罪などに問われた元少年の上告を棄却し、死刑が確定する。

排水管検査を装って訪問した家で、母親を殺害後に強姦し、傍らの11カ月の乳児の首を絞めて殺害したとされる事件だ。最高裁は「冷酷、残虐で非人間的だ。死刑は是認せざるを得ない」と結論づけた。

裁判は大きく変遷した。

検察側の死刑求刑に対し、1審・山口地裁は無期懲役とし、2審・広島高裁も無期懲役を支持した。しかし、06年の最高裁判決は「無期懲役の量刑は不当で正義に反する」として、審理を広島高裁に差し戻した。

その後、差し戻し控訴審で08年、広島高裁が死刑を言い渡していた。差し戻し審で元少年は殺意を明確に否定する新供述を展開したが、「不自然不合理」と退けられた。

事件当時、元少年は18歳になって間がなかった。死刑を回避するか否か--。裁く側がこれほど厳しい判断を迫られる例はあまりない。

父親の家庭内暴力にさらされたり、母親を自殺で亡くしたりするなど家庭環境も不遇だった。とはいえ、あまりにむごい状況を見れば、死刑は当然と思う人も少なくあるまい。

今同様の事件が起これば裁判員が裁く。何が極刑選択を左右するのか。判決が投げかけた意味は重大だ。

結果的に死刑の結論を支持した最高裁判決は、少年事件における厳罰化の流れを決定づけるだろう。

最高裁は83年、死刑適用の指標として、いわゆる「永山基準」を示した。被害者の人数や殺害方法の残虐性、被告の年齢など9項目を挙げ、総合的に考慮してもやむを得ない場合に死刑の選択が許されるとした。

特に重視されてきたのが被害者の人数だ。83年以後、少年による「2人殺害」で死刑が確定するのは今回が初めてになる。少年事件では更生可能性にも重きがおかれてきたが、その様相も変わるだろう。

ただし、最高裁が厳罰化の方向だけを打ち出したと見るべきではない。今回、宮川光治裁判官が反対意見を述べたことに注目したい。死刑の選択に当たって、最高裁の中で意見が割れるのは極めて異例だ。

宮川裁判官は、差し戻し控訴審で出された2人の専門家の鑑定書などを基に、元少年の精神的な成熟度が18歳を相当程度下回っていた可能性に触れ「その場合、死刑判断を回避する事情が存在するとみるのが相当だ」と主張し、さらなる高裁での審理を求めたのだ。

凶悪事件を起こした少年に対して社会がどう臨むのか。死刑制度の議論と併せ、国民一人一人が難しい問題に向き合う時代がきている。

読売新聞 2012年02月21日

光市母子殺害 残虐性を重く見た最高裁判決

犯行時、18歳になったばかりの少年に死刑を適用すべきかどうか。最高裁の最終判断は「死刑」だった。

山口県光市で1999年に起きた母子殺害事件の差し戻し後の上告審で、最高裁は殺人、強姦(ごうかん)致死罪などに問われた被告の上告を棄却する判決を言い渡した。被告の死刑が確定する。

配水管検査を装って上がり込んだアパートの一室で、23歳の主婦を絞殺した。傍らで泣きじゃくる生後11か月の女児も殺害した。

こうした被告の犯行を、判決は「冷酷、残虐、非人間的な所業」と指弾した。18歳1か月という犯行時の年齢や、更生の可能性などを考慮しても、「刑事責任は余りに重大だ」と死刑を選択した。

残虐極まりない犯行には、年齢を過度に重視せず、極刑で臨む姿勢を明確にしたと言えよう。

争点は量刑だった。未成年の健全育成や保護を主眼とする少年法は、18歳未満の少年に死刑を適用することを禁じている。

18~19歳の「年長少年」についても、一般的に裁判官は、未成年であることを重視し、刑を軽くする傾向がある。

この事件の1、2審判決はその典型だろう。「被告に立ち直りの可能性がないとは言い難い」と判断し、無期懲役とした。

だが、最高裁は審理を広島高裁に差し戻した。被告の年齢について、「死刑を回避すべき決定的な事情とまではいえない」という理由からだった。

差し戻し審で広島高裁は死刑を言い渡し、最高裁が今回、それを支持した。厳罰により、少年の凶悪事件に歯止めをかけたいという最高裁の意向がうかがえる。

選挙権年齢の18歳への引き下げが検討課題となるなど、年長少年を「大人」と見る風潮は強まっている。社会状況の変化も、最高裁の判断の背景にはあるだろう。

殺害された主婦の夫は一貫して死刑を求めてきた。

一方、被告は、最初の上告審で死刑廃止派の弁護士らに交代して以降、「甘えたい気持ちから抱きついた」と殺意否認に転じた。

この点を差し戻し審は「うその弁解は更生の可能性を大きく減らした」と批判した。最高裁も「不合理な弁解」と断じている。弁護方針に問題はなかったろうか。

裁判員制度が導入された現在、この事件も裁判員裁判の対象となる。無期懲役と死刑の狭間(はざま)で裁判所の量刑判断も揺れるような難事件を、市民はどう裁くか。裁判員の視点で考える契機としたい。

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