原発議事録 「検証」阻む政権の怠慢

朝日新聞 2012年01月26日

原発議事録 「検証」阻む政権の怠慢

信じられない。政権の怠慢である。

福島第一原発事故に対応する政府の原子力災害対策本部が、昨年末まで計23回開いた会議の議事録をまったく作っていなかったことがわかった。

未曽有の危機に際し、どのような情報に基づき、どんな検討を経て、判断したのか。一連の過程を克明に記録しておくことは、振り返って事故を検証し、二度と同じ過ちを繰り返さないために欠かせない作業だ。

緊急対応に追われた事故直後だけならまだしも、昨年5月に議事録の不備が明らかになったあとも、今日まで放置してきたとは、どういうことか。

自分たちの失策が後で露見しないよう、あえて記録しなかったと勘ぐられても、申し開きできまい。

「事故の教訓を国際社会と共有したい」と、首相らが繰り返してきた言葉もむなしく響く。

実務的には、対策本部の事務局を務める経済産業省原子力安全・保安院に責任がある。しかし、記録づくりを徹底させなかった政治の側の責任はさらに重い。内閣全体の問題として、深刻に受け止めるべきである。

政府や国会の事故調査委員会による検証作業にも、大きな支障となるに違いない。今からでも出席者のメモを集めるなど、できる限り、記録の復元に努めなければならない。

原発事故の対策本部だけでなく、東日本大震災の緊急災害対策本部でも、議事録は作られていない疑いが濃厚だという。

公文書を残す意義と目的が、政府内で共有されていない実態は、ひどすぎる。

昨年4月に施行された公文書管理法は、国の活動の記録を「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」と位置づけ、行政機関の職員に公文書の作成を義務づけている。

政治家や官僚の誤りを、後からあげつらうのが目的ではない。将来、より適切な判断ができるよう、教訓をくみ取ることが最も重要なのだ。

野党時代、民主党は文書管理と情報公開に熱心だったはずだ。それが政権をとったら、この体たらくとは情けない。

閣僚同士の議論や政務三役会議の記録を残すことで、政治家が模範を示すべきだ。常に歴史の検証にさらされているという緊張感も生まれるだろう。

政治家や官僚の意識改革だけでなく、システムも整えよう。

たとえば、首相官邸の主な会議室には録音装置を設けて、原則、すべてのやりとりを記録しておくのが当然だ。

毎日新聞 2012年01月29日

議事録作成せず 怠慢で済まぬ背信行為

東日本大震災に関する政府の重要会議の議事録が軒並み作られていなかったことが分かった。

岡田克也副総理によると、「緊急災害対策本部」など10の会議に上り、関係閣僚に再発防止と、来月中をめどに議事概要を作成するよう指示した。野田佳彦首相も国会で遺憾の意を表明したが、「今から作ればいい」では、もちろん済まされない。なぜ、こういうことが起きたのか。公文書管理のイロハを踏みにじった行為の原因について政府は調査と検証を尽くすべきだ。

中でも、福島第1原発事故直後に設置された政府の「原子力災害対策本部」の議事録が作成されていなかったのは深刻だ。当時の菅直人首相を本部長にスタートした対策本部は、事故対応を含め、避難区域の設定など重要事項を決める中枢機関である。その議論や意思決定のプロセスを記録した公文書は、事故検証の基礎資料となるからだ。

各省庁の寄りあい所帯だった会議も多かっただろう。だが、地震・津波や原発事故直後の混乱を過ぎた後も、議事録作成の声は上がらなかったのだろうか。

昨年4月に公文書管理法が施行された。同法では重要会議の決定やその経緯について文書作成を義務づけている。各省庁には公文書の管理担当者も置かれていたはずだ。

実は、担当者のメモなどで議事録に類したものを作成しながら、表に出したくないため内部でこっそり保管していたのではないか。そう勘ぐられても仕方ない。

いずれにしろ、公文書の適切な管理に対しての認識が政治家・官僚を問わず甘すぎる。

公文書管理法1条は「歴史的事実の記録である公文書は、健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」と位置づけている。また、国はそれを現在及び将来の国民に説明する責務があるとする。

公文書の管理は、情報公開と併せ、国民の「知る権利」を実質的に担保するものだ。府省全体の公文書管理の司令塔は内閣府である。一連の「議事録未作成」について、内閣府は経緯の調査と併せ、研修などを通じて法の趣旨の徹底を図ってもらいたい。

政府は今国会で「秘密保全」のための法案提出を準備している。国にとって特に重要な情報(特別秘密)の漏えいを防ぐことを目的に罰則などを強化する法案だ。

だが、これまでの方向性では特別秘密指定を決める権限が行政機関に委ねられるため、情報隠しの「隠れみの」となる疑念が指摘されている。こうした疑念が「故なし」ではないことが今回さらけ出された。政府はそう肝に銘じるべきだ。

読売新聞 2012年01月27日

原発事故議事録 「作成せず」は民主党の悪弊だ

意図的に記録を残さなかったと疑われても仕方あるまい。民主党政権の重大な失態である。

東京電力福島第一原子力発電所事故で、政府の原子力災害対策本部(原災本部)の議事録が一切作成されていなかった。

原災本部は、原子力災害対策特別措置法に基づき昨年3月11日に設置された。首相を本部長に全閣僚が出席し、年末までに計23回開かれている。事故の拡大防止策や避難範囲の設定などの重要事項を検討し、決定してきた。

議事録がないことは、昨年5月に問題化した。当時の枝野官房長官は、危機対応に追われたためなどと説明し、改善を約束した。だが、その後も放置されていた。

政策決定の経緯が不明では、事後の検証ができず、政策の信頼性にも疑念が生じかねない。

事故対応を指揮した菅前首相は8月、退任の記者会見で「私の活動を歴史がどう評価するかは後世の人々の判断に委ねたい」と述べた。しかし、記録がなければ「判断」も難しいだろう。

野田首相は、当時のメモなどを基に改めて議事録を作成する方針を表明した。作成されなかった原因も徹底的に究明すべきだ。

深刻なのは、東日本大震災の緊急災害対策本部、電力需給の検討会合などでも議事録が作成されていない疑いがあることだ。

重要会議の議事録を作成しないのは、誤った「政治主導」と「官僚性悪説」に起因する民主党政権の体質の問題でもある。

政権交代後、民主党は事務次官会議を廃止する一方、関係閣僚会議や政務三役会議を創設した。

多くの会議で出席者を政治家に限定し、発言を記録する官僚さえ排除した。特に菅前首相は、官僚を敵視する傾向が強かった。

議事録がないため、政治家の議論が蓄積されない。堂々巡りで結論が出ず、だれも責任をとらない。これでは政策決定が迷走するのは当然だ。民主党は、この悪弊を抜本的に改める必要がある。

正式な議事録を作る人的、時間的余裕がないのなら、録音で発言の記録を残すだけでもよい。早急に改善策を講じるべきだ。

公文書管理法は、閣僚らが出席する会議などについて、記録文書の作成を義務づけている。

2007年に年金記録のずさんな管理が明らかとなったのを機に法制化された。

当時の野党だった民主党は、政府の管理責任を追及する立場だった。猛省してもらいたい。

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