視点・オウムの教訓 今後に生かしたい

朝日新聞 2012年01月05日

オウム事件 終わらぬ闇を解けるか

一連の刑事裁判が終結し、オウム真理教事件は、暦とともに少しずつ、苦い歴史になってゆくのかと思われた。

大みそかの夜、公証役場事務長の拉致・致死事件で特別手配されていた平田信(まこと)容疑者(46)が警視庁に出頭、逮捕された。

いや、事件は終わっていないんだと、私たちは不意打ちで突きつけられたかのようだ。

逃亡生活17年。

なぜ、いま、現れたのか。

平田容疑者は、1995年3月の警察庁長官銃撃事件でも一時、捜査線上に浮かんでいた。弁護士には「長官事件が時効となり、間違った逮捕はなくなったので早く出てきたかった」と話したという。だが時効の成立は、一昨年春のことだ。

教団元代表の松本智津夫死刑囚らの刑執行を、遅らせるための出頭ではないか、との見方もある。が、平田容疑者は「死刑執行は当然。オウムは信仰していない」と否定した。

ならば、どうして逃亡中のことに口を閉ざすのか。教団関係者との接触や支援はなかったのか。公安当局はオウムの派生団体が今も千人超の信徒を擁し、松本死刑囚の刑執行に関心を寄せている、とみる。

公証役場事務長はなぜ死に至ったのか、遺族は真相の解明に期待を寄せる。長官銃撃事件については、本当に何も知らないのだろうか。地下鉄サリン事件で特別手配されているほかの2容疑者とは、足取りは交わらなかったのか。

多くの「?」を解く作業が今後の捜査に委ねられる。闇を少しでも、こじあけてほしい。

改めて、オウム事件とは何だったか。豊かな時代に高学歴の若者たちが、あれだけの暴走をした理由について、私たちは答えを探しあぐねている。

平田容疑者は、東日本大震災の不条理を見聞きしたことが、出頭のきっかけになったとも語った。マインドコントロールが本当に解けたのだとしたら、この17年、社会の変転を感じつつどう省みてきたのか。そのことも聞いてみたい。

警察は、出頭を見逃しかねない失態を犯した。

容疑者が最初に名乗り出た警視庁の本庁舎では、機動隊員が取り合わなかったという。一人ひとりの緊張感や、この間の情報収集態勢に、問題ありと言わざるをえない。縦割りで連携がまずい巨大組織の弊が、またも出たのだろうか。

最近は、特別手配者の写真を見ても名が浮かばない新人警官が増えているという。風化の兆しは、ここにまで及んでいる。

毎日新聞 2012年01月05日

平田容疑者逮捕 逃亡の実態解明が必要

大みそか、突然の出頭だった。特別手配されていた元オウム真理教幹部、平田信容疑者が1日未明、警視庁に逮捕された。

公証役場事務長だった仮谷清志さんに対する逮捕監禁致死事件などにかかわったとして、警察庁が平田容疑者を特別手配したのは95年9月だ。同年5月に最初に指名手配された時から逃亡は17年近くにわたる。

地下鉄サリン事件などが起きた同年3月ごろ、平田容疑者は教団幹部から数百万円の逃走資金を受け取り逃げたとされる。96年2月以降、足取りは途絶えた。

どこに潜伏していたのか。支援者はいたのか。支援者がいたとすれば、犯人隠避などの罪に問われる可能性も出てくる。逃亡生活の実態を把握することが捜査のポイントの一つになるだろう。

平田容疑者が逃亡している間、教団の松本智津夫元代表ら幹部は次々と逮捕・起訴され、その裁判も昨年末に終結。最終的に元代表を含め13人の死刑判決が確定した。

平田容疑者はなぜ今になって現れたのか。出頭は、松本死刑囚の死刑執行を遅らせるためではないかとの見方も出ている。

一方で、接見した弁護士によると、平田容疑者は「教祖の死刑執行は当然と考えている」と話し、教団や松本死刑囚に帰依している様子は見せないという。昨年3月の東日本大震災が出頭の契機になったという趣旨の説明もしている。出頭決断の理由も掘り下げてほしい。

平田容疑者は一時、国松孝次・警察庁長官狙撃事件への関与も取りざたされた。だが、事件は既に時効となり、警察当局も最終的に平田容疑者の関与はなかったと結論づけた。

今後は仮谷さんの事件と、95年3月、宗教学者の島田裕巳さんの自宅があった東京都杉並区のマンションで時限式爆発物が爆発した事件への関与とその度合いが焦点となる。起訴された場合、オウム事件で初めて裁判員裁判になる可能性もある。そのためにも事件の背景を含めて捜査を尽くすことが求められる。

それにしても、警察の対応は緊張感に欠けていた。平田容疑者が警視庁に出向いた際、警備の機動隊員はいたずらと判断し、門前払いしたというのだ。平田容疑者は、情報提供のフリーダイヤルに10回近く電話したが、つながらなかったとも話したという。経緯の検証が必要だ。

特別手配は、社会に及ぼす危険性が高い犯罪の場合、組織的に捜査するため指定し、国民にも広く協力を呼びかけるものだ。平田容疑者の取り調べも踏まえ、特別手配中の捜査の問題点を洗い出し、今後の教訓とすべきだろう。

読売新聞 2012年01月06日

平田容疑者逮捕 依然「オウム」の警戒は怠れぬ

大みそかの深夜、突然の出頭だった。

オウム真理教による目黒公証役場事務長拉致・致死事件で、警察庁に特別手配されていた平田信容疑者が逮捕された。逃亡生活は17年近くに及んだ。

昨年11月、公判開始から16年余を経て、すべてのオウム事件の刑事裁判が終結したばかりだった。新たな容疑者逮捕は、オウム事件が全容解明にはほど遠い状況にあることを、改めて社会に思い知らせたと言えるだろう。

それにしても、なぜこの時期の出頭だったのか。

平田容疑者は一時期、捜査当局から国松孝次・元警察庁長官銃撃事件への関与を疑われていた。事件が一昨年3月、公訴時効になったことで、「間違って逮捕されることはないと思った」と、出頭を決意した理由を述べている。

だが、その後も「なかなか踏ん切りがつかず」、結局大みそかの出頭となったという。

この説明には疑問が残る。平田容疑者の逮捕が、教団元代表の松本智津夫死刑囚ら13人の死刑確定者の執行スケジュールに影響を与える可能性があるためだ。

共犯者が公判中の場合、法務省は原則、死刑確定者の執行を見送る運用をしている。捜査関係者は「松本死刑囚らの執行を遅らせる作戦だろう」と指摘している。出頭の真の動機解明が急務だ。

逃亡中の足取りや、協力者の有無の徹底捜査も欠かせない。オウム関係者らが、組織的に逃亡を助けていたのではないか。地下鉄サリン事件で特別手配中の2容疑者との接触はなかったのか。

公証役場事務長の遺族は、裁判での真相解明に期待をかけている。オウムとの決別を強調する平田容疑者には、知る限りの真実を法廷で述べてもらいたい。

容疑者出頭時の警察対応のまずさは、強く批判されて当然だ。

最初に名乗り出た警視庁本部では、警備の機動隊員がとりあわず、近くの警察署へ行くよう指示していた。現場に緊張感が欠けていたのではないか。片桐裕・警察庁長官は5日の記者会見で、「対応は適切でなかった」と認めた。

6000人を超す被害者を出したオウム事件に「風化」などあり得ない。経緯を検証し、今後の捜査に生かす必要があろう。

教団は現在も「アレフ」「ひかりの輪」を中心に約1500人の信者を抱えている。施設周辺の住民らは不安を訴え続けている。

警察、公安調査庁は捜査と監視を緩めてはならない。

毎日新聞 2011年12月30日

視点・オウムの教訓 今後に生かしたい

今年はオウム真理教をめぐる刑事裁判がすべて終結した年だった。重い教訓を生かしたいが、信者たちがなぜ、深刻な犯罪に走ってしまったのか、解明するのはこれからの課題だ。

大部な研究書「情報時代のオウム真理教」(宗教情報リサーチセンター編、春秋社)が今夏に刊行された。若手からベテランまで18人の研究者たちが膨大な1次資料を分析している。その記述で、オウムが情報発信能力にたけていたうえ、メディアが結果としてうまく使われていたことが印象的だった。

何種類ものビデオやアニメ、説法テープ、出版物、歌、ロシアからのラジオ放送が布教のために駆使された。音楽では、一般の人に対するもの、信者の信仰を深めるためのもの、出家信者のみを対象に「敵」への明確な意思を示したものの3種類があり、3層構造によって、代表者への絶対忠誠が深められていったという。

また、テレビのワイドショーやバラエティー番組はオウムを「ネタ」として消費し続けた。この本の責任編集者である宗教社会学者の井上順孝・国学院大教授は、オウムを不特定多数につなぐ役割を果たしたのではないかと指摘する。

地下鉄サリン事件から16年がたち、若者たちの宗教意識からは事件の風化が見て取れる。事件直後は宗教教団への強い不信があったのに、2000年代半ばごろから確実に宗教への関心が高まっているというのだ。

たとえば、「宗教と社会」学会などの昨年の意識調査では、大学生4311人中、11・9%が「信仰を持っている」、38・2%が「宗教に関心がある」と答えた。いずれの数字もこの10年間、増え続けている。

さらに二つの要因が気になる。一つはインターネットの発達で、社会の情報化が飛躍的に深まっていることだ。不特定の人が情報を通して宗教に触れる機会は多くなっている。

また、東日本大震災や原発事故がもたらす影響も注目される。多くの日本人が死に直面したり、文明のあり様を疑ったりした経験は宗教意識にも、変化を及ぼすのではないか。

自分が生きる意味は何なのか、死後をどう考えるのかなど、宗教的な問いかけは人間本来のものだろう。宗教への関心が深まることには、肯定的な側面もあるかもしれない。でも、オウムのようにそれを悪用する集団が出ないとも限らない。

そんな中で教訓をどう生かすのか。既成の宗教はもちろん、私たちメディアのあり方も問われている。

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