毎日新聞 2011年12月07日
日米開戦70年 歴史から学ぶ政治を
太平洋戦争の口火を切った旧日本軍の真珠湾攻撃から8日で70年。3年8カ月にわたるこの戦争は国民300万人の犠牲を出し、アジアをはじめ各国にも多大な惨禍をもたらした。二度と繰り返してはならない歴史から、私たちは何を学んだのか。この節目に考えてみたい。
敗戦は、日本という国の構造や座標軸を一変させた。戦後日本は敵国だった米国と安全保障条約を結び、その軍事的庇護(ひご)の下で軽武装・高度経済成長路線をひた走って豊かさを享受してきた。だが、東西冷戦構造の崩壊やグローバリゼーションの進展、新興国の勃興などを経て、国際社会における日本の立ち位置は、再び不透明さを増している。
こうした中、旧ソ連との対峙(たいじ)や欧州の安定、中東への関与を重視してきた米国が、ここにきて「太平洋国家」回帰を宣言した意味は大きい。海洋国家としての米国の権益が中国の台頭で脅かされつつある、という現状認識が、米国の変化を促した。世界の歴史の軸がアジア太平洋地域に移動してきたのである。
太平洋戦争は、中国や東南アジアの市場や資源を巡る日米両国の対立が背景にあった。その教訓を踏まえれば、日米中やインドなど力を持つ国が開かれた貿易体制を作り、どの国も孤立させないことが、平和で安定したアジア太平洋を維持するカギであるのは論をまたない。
すなわち、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)からアジア太平洋自由貿易圏(FTAAP)へとつなげていく努力は、この地域で再び狭い国益と国益が激突することを防ぐためにも重要なのである。政治はそうした歴史の大局に立って、前向きな議論を進めてほしい。
日米開戦はまた、戦後日本の安全保障にも決定的な影響を与えた。沖縄は米軍によって占領され、72年の返還後も、米軍基地の島として過重な負担を強いられてきた。普天間飛行場に象徴される沖縄米軍基地問題の原点は、70年前の真珠湾攻撃までさかのぼることができる。
沖縄は太平洋戦争末期に激しい地上戦が行われ、民間人9万人以上が命を落とした。島が焦土と化す中、現地司令官だった大田実海軍中将は「沖縄県民斯(か)ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」との電文を残し自決した。戦後の日本が、この言葉を胸に刻みながら沖縄と向きあってきたとは言えない。
95年の少女暴行事件を持ち出すまでもなく、沖縄の戦中戦後史を知らずに米軍基地問題に取り組むなら、地元の理解は得られないだろう。野田佳彦政権の閣僚だけではなく、すべての政治家がいま改めて、歴史を振り返るべきではないか。
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