オウム公判終結 過去の事件にするな

朝日新聞 2011年11月22日

オウム事件 この過ちを伝えてゆく

オウム真理教をめぐる一連の刑事裁判がすべて終わった。

教団暴走の原点ともいうべき坂本弁護士一家殺害事件から22年。教祖の逮捕・起訴からも、16年の月日が流れた。

地下鉄にサリンがまかれたあの日。自分が何をしていたか、覚えている人は多いだろう。一方で、ある年齢より下の若者の目には、遠い世界の出来事と映っているのではないか。

事件を風化させるな。いつも語られる言葉だが、日本だけでなく世界に及ぼした衝撃を思うと、その感はいっそう深い。

豊かで安全と思っていた社会に、殺人を正当化する集団が生まれ、その中で多くの青年が自分を見失って、破滅の道を歩んだ。明日を担う層にこの事実を伝え、過ちを繰り返させない。オウムと同じ時代を生きた世代の務めといえる。

入信の動機や犯行のいきさつなど、これまでの審理で分かったこともあれば、なお霧の中のものもある。個々の信徒の刑事責任を追及する裁判にはおのずと限界がある。裁判の成果を引き継ぎつつ、「オウム」について考え続ける環境を整えていくことが大切だ。

学者やメディアなど「民」の取り組みが中心になろうが、たとえば国会が、関係者からの聞き取りや記録の収集・分析を研究チームに委託し、その結果をみんなで共有する。そんな作業も必要ではないか。

「これからも当時の自分に向き合って、考えを深めていきたい」と話す元信徒は多いという。社会の側もその答えや思いを受けとめ、意見を交換する。地道な営みが、再発の防止につながることを願いたい。

オウム事件は日本の姿を大きく変えた。刑事司法の分野を見ても、長すぎる裁判をなくすことや、犯罪被害者の権利の確立を目的に、法律や制度の見直しが進んだ。一方で組織的な犯罪に立ち向かう体制づくりは、世界標準に照らして、なお遅れているとの指摘がある。

いきすぎた捜査・摘発に歯止めをかけつつ、人びとが安心して暮らせる世の中をどうやって築くか。合意に向けた議論を、これからも丁寧に積み重ねていかなければならない。

もうひとつ見逃せないのは、死刑に対する抵抗感が社会全体から薄れたことだ。世論が厳罰を求め、それを受けた司法の判断が世論をさらに強固にする。少なくとも国際的な潮流と異なる方向に日本は進んできた。

このままでいいのか。これもまた、オウムが私たちに突きつけた重く厳しい課題である。

毎日新聞 2011年11月22日

オウム公判終結 過去の事件にするな

オウム真理教をめぐる刑事裁判が終結した。坂本堤弁護士一家殺害、松本サリン、地下鉄サリンなど一連のオウム事件では計27人が亡くなり、6500人以上が負傷した。

1歳2カ月の子供まで手にかけた陰惨な一家殺害や、国内外を震撼(しんかん)させた毒ガスによる連続テロはなぜ、どんな狙いで起こされたのか。

首謀者とされる教団元代表の松本智津夫死刑囚の公判は、06年に2審の審理が行われぬまま事実上打ち切られた。松本死刑囚は、謝罪も弁解もないまま現在に至る。

刑事責任を問われた多くの教団元幹部らは反省し、松本元代表とも決別した。だが、必ずしもすべてを語っていないと被害者や遺族らは感じている。13人に死刑が言い渡されたが、公判で全容が明らかにされたとは到底言えないだろう。

事件を過去のものとしてはならない。地下鉄サリン事件などにかかわったとされる元信者3人は特別手配中だ。オウムの後継教団は、二つに分裂しながら約1500人の信者が32施設で活動中とされる。特に主流派のアレフは、松本死刑囚の肖像写真を施設の祭壇に飾るなど崇拝傾向が強いと公安調査庁はみる。

同庁の施設立ち入りなどを認めた団体規制法に基づく観察処分は、3年ごとに更新され継続中だ。周辺住民の不安を解消するためにも、法律に基づいた上で適切に動向を探り、情報提供を続ける必要がある。

また、08年にオウム事件の被害者救済法が施行され、被害に応じて給付金が支払われた。それとは別に、二つの後継団体から被害賠償の支払いが続くが、順当に進んでいるとは言えない。しっかり賠償を続けることが最低限の社会的責任だろう。

改めて当時の時代背景にも目を向けたい。松本死刑囚にカリスマ性があったとしても、最高レベルの教育を受けた若者たちが、なぜテロに駆り立てられたのか。

オウム真理教が勢力を伸ばした80年代後半から90年代前半は、バブル景気の時期と重なる。そして、バブル崩壊。95年、阪神大震災の2カ月後に地下鉄サリン事件が起きた。

若者の就職難、格差社会、貧困など日本社会の閉塞(へいそく)感が強まる中、3月に東日本大震災が襲った。スピリチュアルやパワースポットがブームという。学生の宗教への関心が高いとする意識調査結果もある。こういう時代ゆえ、オウム事件のさらなる検証と、若い世代に教訓を語り継ぐことが求められるのではないか。

坂本弁護士の母さちよさんは「被害が二度と起きないためにどうしたらよいかこれからも考えていただければと思います」とコメントした。胸に刻みたいと思う。

読売新聞 2011年11月23日

オウム裁判終結 事件教訓に教団監視を怠るな

16年余りに及んだオウム真理教を巡る刑事裁判が終結を迎えた。

最高裁は、1995年の地下鉄サリン事件などに関わり、1、2審で死刑判決を受けた教団元幹部、遠藤誠一被告の上告を棄却する判決を言い渡した。これですべての被告の判決が確定する。

判決は遠藤被告の犯行について、「法治国家に対する挑戦」「反社会的で、人命軽視も甚だしい」と指弾した。オウム事件すべてに同じことが言えよう。

坂本堤弁護士一家殺害事件(89年)、松本サリン事件(94年)、地下鉄サリン事件――。高学歴の若者も多かったオウム信者が引き起こした凶悪事件や無差別テロでは、29人の命が奪われた。負傷者は6000人を超えた。

起訴された教団関係者は189人に上る。教祖として犯行を主導した松本智津夫死刑囚ら13人が死刑、5人が無期懲役となった。

それにしても裁判に時間がかかりすぎた。その象徴が松本死刑囚の公判だ。1審だけで96年4月の初公判から8年近くも要した。

最大の要因は、弁護団の露骨な引き延ばし戦術だった。争点と関係のない尋問を延々と続けた。松本死刑囚も不規則発言で度々、退廷命令を受けた。

この反省から、初公判前に争点を絞り込む手続きが導入された。裁判員制度が行われている現在、裁判の迅速化は、司法界全体で取り組むべき課題である。

今後、法務省は松本死刑囚らの刑執行の検討を迫られよう。共犯者の公判が継続している間は執行を見送るのが通例だが、裁判終結により、執行の環境が整ったとも言えるからだ。

死刑は昨年7月以来、執行されていない。未執行の死刑囚は過去最多の125人に上っている。刑事訴訟法は死刑確定から6か月以内の執行を定めているものの、形骸化している。

平岡法相は22日、死刑執行について、「慎重に判断をしていかなければならない」と語った。だが、判断の無用な先延ばしは、法相の職責放棄にほかならない。

教団は「アレフ」「ひかりの輪」と名称を変えて存続している。両団体は計32もの拠点を構え、信者は1200人を超える。公安調査庁は団体規制法に基づき、立ち入り検査を実施している。

事件に関わった3容疑者が逃亡していることも懸念される。

教団の監視を怠ってはならない。それも教団の暴走を止められなかったオウム事件の教訓だ。

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