ミャンマー改革 民主化加速が促す中国離れ

朝日新聞 2011年11月21日

動くミャンマー アジアに民主化の風を

ミャンマー(ビルマ)をめぐる情勢が大きく動いている。

東南アジア諸国連合(ASEAN)は、同国の求めに応じて14年の議長国就任を認めた。

米国はクリントン国務長官を派遣する。野田首相は途上国援助(ODA)再開を表明した。

民主化勢力の国民民主連盟は政党登録して政治に再び参加することを決めた。書記長アウン・サン・スー・チーさんの補欠選挙立候補が取りざたされる。

昨年、20年ぶりに総選挙を実施して、軍事独裁から「民政移管」を宣言した新政権が7月以降、民主化勢力との対話やメディア、集会規制の緩和、住民が反対するダム建設の凍結といった施策を相次いで打ち出した。

国際社会はこうした動きに一定の評価を与え、民主化勢力も新政権の誘いに乗った形だ。

議長国は1年交代の輪番制でミャンマーは06年が順番だった。ところが軍事政権による人権弾圧に反発する国々の圧力で辞退に追い込まれていた。

議長国になれば、軍政が強引に遷都した新首都ネピドーに、経済制裁を科す米国の大統領ら主要国の首脳が東アジアサミットなどで集うことになる。

多くの関連会議があり、対話と調整が重ねられる。外国報道機関を拒むこともできない。国をひらく意味で悪くはない。

ASEANはこれまで「内政不干渉」を盾に軍政に積極的な働きかけをしてこなかった。

議長国就任が決まったから国内融和はもう必要ないといった対応を新政権にとらせないよう、ASEANは民主化の定着を連帯保証する立場にある。

民主化が進んだと言っても、10月の恩赦で釈放された政治犯は約200人に過ぎず、500人以上がまだ牢獄につながれている。対立が続く少数民族との和解交渉は始まってもいない。

なにより国会議席の8割は軍人と元軍人が占め、軍制定の憲法を事実上改定できない仕組みはそのままだ。軍が国家を支配する構造に変化がないことに、留意を続ける必要がある。

15年の経済統合をめざすASEANにとって、経済や財政に透明性がなく最貧国にとどまるミャンマーは重荷でもあった。

ASEANには他にもベトナム、ラオスといった一党独裁を続ける国や人権問題を指摘される国が多い。今回の決定が他の加盟国も含めた全体の民主化につながる契機になって欲しい。

日本は援助が民主化のさらなる促進につながるよう進捗(しんちょく)を見守らなければならない。それが人権を踏みにじられてきた人々や納税者に対する責任である。

毎日新聞 2011年11月19日

ミャンマー議長国 民主化を軌道に乗せよ

東南アジア諸国連合(ASEAN)は、ミャンマーが2014年の議長国に就任することに合意した。このところ加速している改革路線を評価しての決定だ。ミャンマーに対しては、米国がクリントン国務長官の来月訪問を発表するなど、経済制裁を科して厳しい対応を取ってきた欧米諸国も政策を見直し始めた。ミャンマー政府は国際社会の期待を裏切ることなく、民主的国家への歩みを軌道に乗せなければならない。

ASEAN議長国は加盟10カ国の輪番制で、日中韓や米露も参加する東アジアサミット(18カ国)や、アジア太平洋の安全保障問題を協議するASEAN地域フォーラム(27カ国・機構)の議長も兼ねる。1年間にわたって地域協力の協議でリーダーシップが求められる。

ミャンマーは06年が議長国の順番だったが、国内の人権侵害に対する国際社会の批判を受けて、辞退に追い込まれた。その後、昨年11月の総選挙と今年3月の民政移管によって長年の軍事独裁体制から脱した。

政府は8月以降、民主化運動指導者のアウンサンスーチーさんとの対話や政治犯の一部釈放、検閲の大幅緩和などの改革を進めてきた。ASEANは議長国就任決定が改革を後押しすると判断した。

ミャンマーにとって議長国就任は大きな意味を持つ。民主化努力をASEANから公認されたことによって、「独裁国家」「閉ざされた国」という汚名を返上し、国際社会に本格復帰する転機となる。

ただし、改革は緒に就いたばかりだ。国民の支持が高いスーチーさんの政治参加や、残る500人以上の政治犯の釈放、政府と対立が続く少数民族組織との和解などを早急に進めなければならない。

ASEANは2015年に「ASEAN共同体」を構築する予定で、人口約6億人の大市場が誕生する。欧米の批判にさらされてきたミャンマーの民主化が進展すれば、ASEANの国際的信用も高まる。一方、改革が停滞して再び国際社会の批判を浴びる事態となれば、共同体計画も頓挫しかねない。

ミャンマーは中国とインドの間という地理的に重要な位置にあり、石油や天然ガスなど資源も豊富だ。開放が進めば、これまで後ろ盾的存在だった中国の存在感が低下し、アジア太平洋地域を重視し始めた米国の影響力が強まるなど、パワーバランスの変化にもつながる。

日本は長年凍結してきたミャンマーへの政府開発援助(ODA)の再開を決めた。援助を改革支援に有効に使うとともに、国際社会と協力して地域の安定維持に積極的な役割を果たしていく必要がある。

読売新聞 2011年11月19日

ミャンマー改革 民主化加速が促す中国離れ

インドネシアで開かれていた東南アジア諸国連合(ASEAN)首脳会議で、2014年の議長国をミャンマーが務めることが決まった。

軍政から民政移管したミャンマーでは、テイン・セイン大統領が、民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんとの対話や政治犯釈放、外資導入など政治と経済の改革を進めている。

そうした民主化路線がひとまず評価されたのだろう。

ASEAN議長国は1年ごとの輪番制で、05年当時、ミャンマーは翌年の議長国になる予定だった。だが、軍政の人権侵害に欧米やASEAN内部に反発が起き、辞退に追い込まれていた。

議長国は米露などが参加する東アジア首脳会議も主宰する。ミャンマーは本格的な国際社会復帰への足がかりを得たことになる。

軍政下で経済が停滞したミャンマーは、ASEANで最貧国だ。議長国就任決定を契機に、欧米の経済制裁の緩和・解除や、外資導入につなげることで、経済を立て直す必要があろう。

欧米の制裁が続いている間、経済支援をテコにミャンマーに勢力を伸ばしたのが隣国の中国だ。ミャンマーの豊富な資源の獲得を狙っているとみられる。

これに対して、テイン・セイン大統領は9月末、中国が進める巨大な水力発電用ダムの建設を中止すると表明した。10月には就任後初めてインドを訪れ、ミャンマーのインフラ整備支援で合意するなど、中国離れを模索している。

オバマ米政権も、ミャンマーの変化を戦略的に重要と判断し、クリントン国務長官を12月に派遣するなど、制裁の緩和を視野に関係改善に乗り出した。

ミャンマーを巡って、米中両国などの駆け引きの活発化を注視しなければならない。

野田首相がテイン・セイン大統領と会談し、一連の改革を評価した上で、一層の民主化を促したのは妥当だ。日本は再開を決めた政府開発援助(ODA)の実施を急ぐべきだ。

一方、日本が今回、ASEANとの首脳会議で8年ぶりに共同宣言をまとめ、防災協力や、インドシナ半島の交通網整備など総事業費2兆円規模のインフラ支援を表明した意義も大きい。

東日本大震災で支援を受けた日本としては当然の貢献だ。タイの大洪水被害も続き、防災協力の重要性は高まっている。親日的なASEANとの協力強化は、相互信頼を一層高めるはずだ。

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