イレッサ判決 情報開示の徹底は国の責務だ

朝日新聞 2011年11月17日

イレッサ判決 薬の安全高める責任

肺がん治療薬イレッサをめぐる裁判で、東京高裁は患者側の賠償請求をすべて退けた。

一審の東京地裁は、薬の副作用で死亡するおそれがあるとわかっていたのに、添付文書にその事実を目立つように表示しなかったとして、製薬企業と国の双方の責任を認めていた。

これに対し高裁は、イレッサの承認時に、薬と死亡との因果関係は明らかでなかったと判断した。そのうえで、文書には重い肺炎になる可能性が書かれており、専門医が読めば危険を認識できたとして、記載に問題はなかったと結論づけた。

さまざまな症状を引き起こしながら進行し、死因の特定が難しい肺がんの特性を踏まえた判断といえる。だが、釈然としない点もいくつかある。

医薬品については、科学的証明が不十分でも、最悪の事態を想定して安全対策にあたる「予防原則」の考えが定着してきている。そのことと、賠償責任の有無は区別して考えるべきだというのが判決の立場だ。

結果として、安全への配慮がおろそかになる心配はないだろうか。因果関係や法的責任を厳格にとらえた今回の判決がひとり歩きして、企業や行政がやすきに流れてはならない。

繰り返された薬害の歴史を思うと、開発や販売、審査にあたる人はもちろん、社会全体で考えを新たにする必要がある。

「専門医は認識できた」との判断も論議を呼ぶだろう。裁判で争った患者は専門医にかかっていたが、イレッサは「効果が高く、副作用が少ない」と評判になり、深い知識のない医師も処方していた。十分な経験をもつ医師に使用を限るとの記載が添付文書に加わったのは、被害が広がった後だった。

一審判決は、「一般の医師」に文書がどう読まれたかを検討し、危険性は伝わらなかったと判断している。添付文書は、薬の情報を医療現場に届ける最も重要な手段だ。患者側の上告を受けて、最高裁がどんな判断を示すか注目したい。

新薬の早い承認を待つ患者の期待に応えつつ、安全性の確保に万全を期す。被害の償いや責任の解明に努めるものの、それによって医師が萎縮したり、国民の負担が過大になったりしないようにする――。

相反する要請を両立させることの難しさを、イレッサ問題は投げかけている。司法判断の揺れはその表れともいえよう。

生命・健康の尊重という基本を常に忘れずに、多くの人が納得できるバランスを求めて、歩みを続けていくよりない。

毎日新聞 2011年11月20日

イレッサ高裁判決 安全対策に逆行する

薬の副作用と因果関係がある可能性ないし疑いはあるが、完全には断定できないので法的な不法行為はない--。そう言われたら訴訟など起こせなくなると薬害被害者は思うに違いない。イレッサ訴訟東京高裁の判決はそういう内容だった。

副作用と健康被害の因果関係を立証するのは簡単ではない。しかし、因果関係が必ずしも確定していなくても被害防止を優先する方向性で薬事行政の改革は進められてきた。数々の薬害の犠牲を踏まえて獲得されてきた成果とも言える。そうした薬の安全対策の歴史を押し戻すかのような判決だったのだ。

イレッサは「副作用の少ない夢の新薬」などと宣伝され、申請からわずか5カ月で承認された新しいタイプの肺がん治療薬だ。ところが、副作用の間質性肺炎を発症して死亡する人が半年で180人に上った。死亡した患者の遺族らが国と販売元のアストラゼネカ社を提訴した損害賠償請求訴訟は1審の大阪地裁、東京地裁とも原告側の主張を大筋認め、同社に対する賠償を命じた。

一転して原告敗訴となった東京高裁判決を弁護団はこう批判する。「承認当時の国と製薬会社が薬事法で求められている義務を尽くしたかどうかが問われている訴訟なのに、薬事法や添付文書の記載要領が求める基準とまったく異なる基準を採用した判断で、このようなことは被告側の国や製薬会社ですら主張しておらず、裁判の争点でもない」

そもそも1審の主な争点は、承認当時のイレッサの添付文書には副作用の間質性肺炎が目立たない所に記載されていたことの妥当性についてだった。国に対する賠償請求を棄却した大阪地裁判決ですら「添付文書の重大な副作用欄の最初に間質性肺炎を記載すべきであり、そのような注意喚起が図られないまま販売されたイレッサは抗がん剤として通常有すべき安全性を欠いていたと言わざるを得ない」と指摘した。

ところが、東京高裁は目立たない所でも記載されていれば妥当とする判断を示した上、「目に訴える表示方法を違法性の判断基準とするならば、それはがん専門医の読解力、理解力、判断力を著しく低く見ていることを意味するのであり、真摯(しんし)に医療に取り組む医師の尊厳を害し相当とは言えない」と断じた。現実には専門医らの処方によってイレッサ販売後に多数の患者が間質性肺炎で死亡しているのにである。しかも販売当初の添付文書には、専門医に使用を限定するとの記述はなかった。

たった2回の審理で結審した結果がこれだ。弁護団でなくとも、東京高裁判決はどうなっているのかと思えてくる。

読売新聞 2011年11月16日

イレッサ判決 情報開示の徹底は国の責務だ

肺がん治療薬「イレッサ」の副作用死を巡る訴訟で、東京高裁は遺族の訴えを全面的に退ける判決を言い渡した。

高裁は、国や製薬会社によるイレッサの副作用の注意喚起について、「欠陥があったとはいえない」と結論付けた。原告側の逆転敗訴である。

遺族にとっては、納得できない判決だろう。イレッサの副作用で死亡した可能性のある人は、800人以上に上る。

一方で、イレッサの服用が大きな治療効果をもたらした肺がん患者も少なくない。

厚生労働省や製薬会社に求められるのは、副作用情報の提供の在り方が問われたイレッサの教訓を生かし、情報開示を徹底していくことである。

イレッサは、服用しやすい錠剤で、副作用の少ない「夢の新薬」とされた。厚労省は2002年7月、世界に先駆けて承認し、現在も医療現場で使われている。

訴訟は、イレッサを服用し、致死性の間質性肺炎を発症した患者の遺族が国と輸入販売元の製薬会社に損害賠償を求めたものだ。

承認時、国と製薬会社は副作用死の危険性をどの程度、認識していたか。「重大な副作用」欄の4番目に間質性肺炎を記載したイレッサの添付文書は、注意喚起上、適切だったか――。これらが主な争点となった。

1審の東京地裁は、「適切な注意喚起を怠った」として、国と製薬会社双方に賠償を命じた。同じ内容の訴訟で、大阪地裁は国の対応について、「万全でないが、違法とまではいえない」として、製薬会社にのみ賠償を命じた。

今回の東京高裁判決は、臨床試験などでの死亡例を検討し、承認時はイレッサとの因果関係は明確でなかったとの見方を示した。

因果関係がはっきりしない以上、「重大な副作用」の記載については、専門知識のある医師向けであることも踏まえ、4番目でも問題はなかった、と判断した。

期待される医薬品を、一刻も早く患者に投与できる環境の整備は必要だ。新薬にすがりたいがん患者の思いに応えることも、医療の役割である。

その際、忘れてならないのは、副作用情報の医療現場への周知徹底である。医師は副作用の危険性などを患者に十分説明して投与する義務がある。

厚労省は、新薬のPRに走りがちな製薬会社に、副作用というマイナス情報も隠さず開示するよう、指導を徹底すべきだ。

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