朝日新聞 2011年09月19日
バブルの決算 歴史を裁くためには
バブル崩壊が極まった90年代後半、銀行や証券会社が相次いで破綻(はたん)した。「日本発の世界恐慌」を防ぐため40兆円を超す公的資金が投入され、約10兆円が損失穴埋めに消えた。そして責任追及のため、当時の経営者たちが刑事被告人になった。
いくつも起こされた「バブル裁判」の最後となる旧日本債券信用銀行の粉飾決算事件で、破綻当時の会長、頭取、副頭取の無罪が確定した。
この事件では、甘い不良債権処理を認めてきた旧大蔵省が方針転換して会計基準を厳格化するなか、経営が悪化した取引先への同行の融資継続が妥当だったかが問われた。すでに無罪が確定していた旧日本長期信用銀行事件とほぼ同じ構図だった。
今回の東京高裁判決は、経営の裁量権を大きく認め、回収が期待できるなら融資の継続は違法といえない、と判断した。
判決の明快さからは、むしろ裁かれなかった責任の大きさが浮かび上がる。
刑事責任を追及されたのは公訴時効にかからない破綻当時の経営者たちで、バブル期に経営を暴走させた真の責任者の多くは司直の手を逃れた。護送船団行政を続け、損失処理の先送りを容認してきた旧大蔵省の責任も不問とされた。
官民一体で問題を先送りした結果、日本経済への打撃が巨大化したことを思うと、釈然としない人も多いだろう。
政官業の癒着構造のもとで、都合の悪い情報が隠されたり、課題解決が遅れたりして、破局を招く事例はほかでもある。刑事事件になるかどうかはさておき、東京電力福島第一原発の事故をめぐっても、災害への十分な備えを怠った国と電力業界に対する責任追及には、バブル総括と似た難しさがつきまとう。
そもそも刑事事件で裁けるのは、歴史の一断面に過ぎない。民事訴訟の活用は無論のこと、国会などを舞台に責任の所在を解明し、問題の本質を明らかにする仕組みが必要だ。
さらに大切なことは、問題の拡大を未然に防ぎ、小さな段階で芽を摘む取り組みだ。情報公開や公益通報などの制度を駆使して、政官業のもたれ合いで矛盾が蓄積しないよう、知恵を絞り、目を光らせたい。
一連のバブル事件は「国策捜査」と呼ばれた。「国民の血税で破綻処理した以上、刑事責任の追及は当然」との世論が当局の背中を押し、メディアもそれを求めた。
捜査当局への過剰な期待を和らげるためにも、歴史を裁く多様な仕組みを整えたい。
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毎日新聞 2011年09月19日
日債銀逆転無罪 徹底的な検証が必要だ
バブル崩壊後の不良債権処理を巡り、証券取引法違反に問われていた旧日本債券信用銀行(現あおぞら銀行)の元頭取ら3人が、最終的に無罪となった。逮捕・起訴から丸12年。1、2審での有罪判決を覆しての終結だ。旧日本長期信用銀行経営陣に対する同様の訴訟でも、被告の無罪が確定している。これらの法廷闘争は一体、何だったのか。歳月は何のために費やされたのか--。そう問わずにはいられない。
問題とされたのは、日債銀が破綻、国有化される直前の98年3月期決算で、損失を過少計上したとして経営首脳3人の刑事責任が問われた。
だが当時は、大蔵省の金融行政が「一行もつぶさない」を前提とした護送船団体制から大転換しようという過渡期だった。大蔵省は97年、不良債権の査定基準を厳格化し、問題の日債銀決算がその基準に沿っていなかったことが「粉飾」と見なされたわけだが、大蔵省自身、日債銀が厳格化前の古い基準で査定するのを容認していたことが、国会での質疑で明らかになっている。
破綻処理の枠組みが整う前に、日債銀が債務超過に陥れば、「国内の金融市場が壊滅状態になるばかりか日本発の金融危機が避けられない」(元大蔵省銀行局長の国会答弁)。官民一体の延命策の背景には、そんな判断があった。
起訴された3人は、バブル期の乱脈融資に関与していない。窪田弘元会長は大蔵省出身、東郷重興元頭取は日銀出身で、いずれも日債銀が経営危機に陥った後、同行の信用力を上げるため送り込まれた。東郷氏が日債銀に移ったのは96年、頭取就任は国有化の16カ月前だ。
銀行批判が渦巻く中、公的資金を使って破綻処理する以上、誰かに刑事責任を負わせないではいられない空気はあっただろう。だが、経営上の責任はあっても、3人に刑事責任を問うことが妥当だったのか。検察には厳格な検証を求めたい。裁判所も、これだけの年月を費やした末、有罪判決が無罪となったことを重く受け止める必要があろう。
何より釈然としないのは、大手銀行が相次ぎ破綻に至った経緯、本質的な責任の所在などについて、いまだに十分な解明がなされていないことである。刑事責任を追及した訴訟が10年以上に及んだのに対し、法廷外の検証作業は不十分で、多くの疑問が残されたままだ。
訴訟が終わった今こそ、独立調査委員会のようなものを設置するなどして、徹底的な再検証に着手すべきだ。それが公的資金の負担や、いまだに続くデフレなど甚大な損害を被らされた国民に対する、政府や立法府の責任だろう。
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