毎日新聞 2011年09月09日
9・11から10年 テロ抑止へ初心に帰れ
この10年を振り返ると、いささか重い気分になる。テロ抑止の願いは実ったか、世界はより安全になっただろうか--。
「流れ落ちる建物は、巨大なこぶしでつぶされる砂の城のように、石と鉄がおびただしい滝となって細かくたてにこぼれだした」。作家のリービ英雄氏は、ニューヨークの世界貿易センタービルが崩れるさまをそう表現した(「千々にくだけて」)。ワシントン郊外の米国防総省も「巨大なこぶし」に殴られたように、えぐれた側壁から炎と煙が噴きだした。01年9月11日。超大国の経済と軍事を象徴する建物に、ハイジャックされた旅客機が突っ込み、約3000人が死亡した日だ。
世界の激動が始まった震源地、グラウンド・ゼロである。「テロとの戦争」を叫ぶ米ブッシュ政権は翌月からアフガニスタンで、03年からはイラクで戦争を始め、両国の政権を倒した。脅威は先手を打って解消する(先制攻撃論)、米国に敵対する政権は力で倒す(レジームチェンジ)という武断的な姿勢を超大国があらわにしたのだ。
イラクのフセイン元大統領は06年に処刑され、9・11テロを実行した国際テロ組織アルカイダの指導者ウサマ・ビンラディン容疑者も今年5月、米特殊部隊に射殺された。だが、国際社会には、91年の湾岸戦争で米軍がイラク軍をクウェートから追い出した時のような米国賛美の声がわき起こらない。アフガンやイラクからの米軍撤退が始まっても、兵士たちは凱旋(がいせん)とはほど遠い雰囲気だ。
冒頭の問いの答えは明らかだろう。世界は決して「より安全」にはなっていないのだ。
アフガンではイスラム原理主義勢力タリバンの攻勢が続き、かつて大英帝国とソ連の軍勢が撤退した国で、米国も敗北の恐怖に直面している。米軍の軍事介入はベトナムへの介入を超えて最長になり、年間9兆円に迫るアフガン戦費が超大国を消耗させる。だが、米国にも意地があろう。ビンラディン容疑者を殺したからといって、さっさと引き揚げるのは無責任というものだ。
「イラク戦争のパラドックス」も手つかずで残っている。フセイン政権崩壊後、イラクではシーア派イスラム教徒が権力を握り、同じシーア派主導のイランやシリアとの関係が強まった。イラク指導部の中には、イランやシリアに亡命してフセイン政権との戦い(テロ)を続けた人が少なくない。イラク新政権がイランに接近するのは当然だ。つまりイラク戦争で得をしたのは反米最右翼のイランという解釈が成り立つ。
今後の中東情勢は不透明だが、確かに言えるのは、湾岸戦争を遂行した父親(ブッシュ元大統領)に比べてブッシュ前大統領が中東に関する知見を欠いていたことだ。ビンラディン容疑者とフセイン元大統領を強引に結び付け、「大量破壊兵器の脅威」を大義名分としてイラク戦争に突入したのは、返す返すも短慮だったと言うしかない。
だが、米国の責任を問うだけでは十分ではない。イエメンやソマリアではアルカイダ系のイスラム武装勢力が根を張り、破綻国家の趣だ。近年は欧米に生まれ育ったイスラム教徒による「ホームグロウン・テロ」が急増し、イスラム教徒を嫌悪するキリスト教徒らのテロも目立つ。ノルウェーで7月、極右青年がイスラム系移民の増加に反発して連続テロを実行したのは、その一例だ。
さまざまな形態の過激主義が台頭している。民衆運動「アラブの春」は、ビンラディン的過激主義が魅力的でなくなった証拠という見方もあるが、手放しで美化するのは危険だ。民衆運動が過激化した例も多い。
だが、国際秩序が流動化する中、欧米も日本も、初心に帰ってテロ抑止の方策を再検討すべきである。ブッシュ政権下で超党派の要人らが提案した中東和平への取り組みも大切だ。ビンラディン容疑者が「キリスト教国家+イスラエル」と「イスラム教徒」の対立構造で世界を語ることには同調できない。しかし、イスラエルに対する米国の「無条件の支持」がイスラム教徒の目にどう映るか、考えてみることは大切だ。
対話を通して過激主義の芽を摘むことが肝要である。その点、米国では来年の大統領選に向けて、茶会運動などの内向きで急進的な勢力が台頭し、異文化との対話に前向きなオバマ政権への「弱腰批判」が強まっているのは気になる。ブッシュ政権の、力を頼むユニラテラリズム(単独行動主義)が米国を孤立させたことを忘れてはなるまい。
この10年、日本には複雑な思いもある。世界の目がアフガンとイラクに向く中、北朝鮮は2度の核実験を行った。米国に「テロ支援国家」のレッテルも外させた。チェイニー前副大統領は近著でライス前国務長官の北朝鮮への対応を批判し、ライス氏は反論を用意しているそうだが、日本人にはやりきれない話だ。
だが、日本政府としても、イラク戦争や北朝鮮への対応も含めて真剣な反省と総括が必要だ。世界を安全にするために何が必要か。日本の主体的な関与が求められている。
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読売新聞 2011年09月09日
9・11から10年 米国になお続く苦渋の時代
2001年9月11日の米同時テロで崩落したニューヨークの世界貿易センタービルの跡地で、復興のツチ音が響く。
追悼記念公園の隣に、完成すれば全米一となる高層ビルが威容を見せている。
悲劇の記憶を新たにしつつ、未来への歩みは止めていない。米国の力強さを感じさせる光景だ。
同時テロは、米国と世界に大きな衝撃を与えた。冷戦後、比類なき力を誇っていた唯一の超大国は、19人のテロリストが乗っ取った民間航空機で攻撃された。約3000人もの犠牲者を出した事件を忘れることはできない。
国際テロ組織アル・カーイダの奇襲に対し、ブッシュ前政権が、「対テロ戦争」で反撃を開始したのも無理はなかった。
あれから10年。アフガニスタンで始めた戦争はまだ続いている。長い追跡の末に同時テロの首謀者ビンラーディンは殺害されたが、テロ掃討の戦場はパキスタンへと広がっている。
欧州との亀裂の末に突入したイラク戦争では、開戦理由の肝心の大量破壊兵器が見つからず、米国の威信に大きな傷がついた。武力行使に苦い教訓を残した。
米国内では、テロ対策で空港の保安検査は厳重になり、イスラム教徒や移民への偏見も広がった。かつてのような自由や寛容さは社会から失われたように見える。
戦争で、米軍には6000人を超す死者が出た。1・3兆ドル(約100兆円)の戦費は財政危機を悪化させ、金融危機も重なった。米国には苦渋の時代だった。
米国では、失業率が高止まりし、消費は低迷している。米国民の関心は、景気や税金、雇用など経済や生活に集中している。
オバマ大統領が「国の再建に注力するときだ」と内向き志向を強めたのも、米国の力の“衰退”に強い危機感があるからだ。
疲弊する米国とは対照的に、新興国がちょうどこの時期、高度経済成長を遂げた。なかでも台頭が著しいのは中国だ。日本を抜いて世界第2の経済大国となり、軍事力も盛んに増強している。
世界の多極化は進むだろう。だが、国際秩序を破壊する国際テロなどの脅威に対処していくうえで、中心的な役割を担える国は米国のほかにはない。世界の安全保障の要として、米国は揺るがず責任を果たしていく必要がある。
日本にとっては、屈指の成長拠点であるアジア地域の安定を図るために、日米同盟を深化させていくことが極めて重要である。
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