菅首相退陣 また短命で終わった罪

朝日新聞 2011年08月27日

首相退陣、代表選へ 民主党は一から出直せ

菅首相がきのう、「やるべきことはやった」と述べて正式に退陣を表明した。

歴史的な政権交代から2年。あっという間に2人の首相が行き詰まり、去っていく。これは明らかな失政である。

原因は何なのか。

菅氏が掲げた政策の方向性が間違っていたわけではない。

原発事故のあと、脱原発に踏みだそうとしたのは、菅氏の功績といえる。消費増税を含む税と社会保障の一体改革という不人気な政策づくりに取り組んだことも評価する。

けれど、政治は合意を取りつけなければ前に進まない。菅氏は合意づくりの術がつたなく、時に閣内の根回しさえ怠った。方針を唱えるだけでは、思いつきの政治だと批判されても当然だった。

だが、あえて問う。もっと視野が広く調整能力のある首相なら、長期政権になったのか。首をかしげざるを得ないほど、民主党は混乱している。

菅氏が苦しんだのは、衆参のねじれとともに、党内の足の引っ張り合いだった。

めざした消費増税やマニフェストの見直しなどに、小沢一郎元代表が率いるグループを中心に反対意見が渦巻き、党としての意思決定がままならず、政権は失速していった。

対立が最も先鋭化したのが、6月の野党提出の内閣不信任案に、小沢グループが賛成する構えを見せたときだ。

あそこで採決による決着を避けたために、菅氏は辞任への道を歩み始めた。その際に、鳩山前首相と交わした覚書の第1項目に「民主党を壊さない」とあったことが、民主党の現実と限界を象徴していた。

もともと民主党は政策も政治手法も、水と油ほど違う勢力が一緒になった。衆院小選挙区で勝つために、「非自民」勢力を幅広く抱え込んだ結果だった。要するに、小選挙区制が生んだ「選挙互助会」だったのだ。

野党のころは「政権交代」の一点で共闘できた。しかし、成し遂げた途端に共通の目標を見失う。そして内紛を繰り返す現状は、政党と呼ぶには未熟過ぎるように見える。

このままでは、次の政権も同じ愚を繰り返すに違いない。

「選挙互助会」から政党に脱皮できるかどうか。きょう告示される党代表選は、民主党の存廃をかけた正念場になる。

前哨戦では、盛んに「挙党態勢」「党内融和」という言葉が聞かれた。震災後も繰り広げられた党内抗争は、いい加減にやめようという響きもあって、一定の説得力を持つ。

だが、「挙党一致」に込められた意味が、政策の違いには目をつむろうということなら、あまりにも無責任な対応だ。

まして、小沢グループにカネと公認権を握るポストを譲るというのなら、有権者の支持をさらに失っていくのは避けられないだろう。

代表選でやるべきことは、はっきりしている。党の立ち位置を定め直すことだ。

第一に、政権交代時に掲げたマニフェストへの対応を各候補者が明確にすることだ。見直すのか貫くのか。順守するなら、どの予算を削って財源を調達するのか。「歳出削減で賄う」という表現はこの2年で「願望」と同義語になっているのだ。

第二に、選挙後は勝者の方針のもとに結集し、政策の実現に協力することだ。それに沿ったマニフェストの質向上も要る。同意できない議員は党を割って出るしかなかろう。

民主党のみならず、自民党も幅広い勢力を抱えており、政策を軸に再編する余地はある。

有権者にとっても「自民党がだめだから民主党」といった否定形の選択の代わりに、政策本位で政権を選ぶ道が開ける。

最悪なのは、各候補者が「票目当て」に、あいまいな政策を掲げることだ。代表選は乗り切れても、対立の種は残り、政治が前に進まない。

代表選では、政治手法や政権運営の方法も問われるべきだ。私たちは「数の力」で与野党が激突するばかりの政治を終わらせるべきだと考える。

民主党は小沢代表のとき、参院第1党の力を使い、徹底して自公政権を揺さぶった。日銀総裁を空席にするなどして政府を追い込み、早期の衆院解散、政権交代を迫った。確かに政権交代を果たしたが、今度は民主党が報復を受け続けている。

小沢氏は「財源はなんぼでもできる」と言い、子ども手当は月額2万6千円出すと公約を上積みさせた。こうした政治手法の根っこにあるのは、権力奪取を第一とする発想だ。

こんな政治からは卒業して、与野党が政策本位で合意点を探す政治に変えよう。それが、ねじれが常態化する時代の政治を動かす道だと、この2年の経験から学ぶべきである。

毎日新聞 2011年08月27日

菅首相退陣 また短命で終わった罪

またもや短命政権に終わった。菅直人首相が26日正式に退陣を表明、1年単位での首相交代劇は、5回連続という不名誉な記録を更新した。政権担当能力を発揮しきれなかった菅首相の個人的な資質もあるが、衆参のねじれによる構造的な問題が背景に横たわっている。乱戦模様の民主党代表選は27日告示されるが、新体制がこの構造問題をどう克服するのか。日本政治の危機はなお続く。

1年3カ月続いた菅政権は、何よりも3月11日の東日本大震災という、地震、津波、原発事故が重なる未曽有の複合災害の対応に追われた。昨年7月の参院選敗北から始まったねじれは、最後まで政権の手足を縛り、マニフェスト後退を余儀なくされた。本来政府を支えるべき与党との一体化にもつまずき、結果的にそれが政権の寿命を縮めることになった。まさに、満身創痍(そうい)の退陣だ。

東日本大震災に対しては、対応の遅れに批判が集中した。がれき撤去や仮設住宅の建設も遅々として進まなかった。第一義的に災害対応を担う行政権力をうまく使い切れなかった。中央での省庁間の情報の共有が遅れ、被災自治体との情報収集、物資補給パイプもまた、スムーズに働かなかった。看板の政治主導が機能不全だった、といえる。

一方で、自衛隊派遣の決断は速かった。発生2日後に首相自ら派遣を10万人まで増強するように指示、交通・通信網が寸断され早期復旧が望めない中、この自己完結的能力を持った部隊が、人命救助から被災者支援まで一手に引き受けた。

原発対応はどうだったか。安全性が懸念されていた中部電力浜岡原発を停止させたことは評価したい。原発の再稼働問題に関連し、全原発を対象にする安全評価(ストレステスト)を義務づけ、原発依存度の低減を掲げエネルギー政策の白紙からの見直しも決めた。安全規制については、原子力安全・保安院を経済産業省から分離し原子力安全委員会と統合、原子力安全庁(仮称)として環境省外局に新設する方針も決めた。

ただし、事後対策で最も肝要な周辺住民を被ばくから守る手立てについては、放射能汚染の情報開示と対応が遅れ、とても万全とは言えなかった。メルトダウンや水素爆発に至った初期段階における政権としての危機管理の検証もこれからだ。

3・11対応以外ではどうだったのか。政権発足当初、財政・経済政策では「強い経済、強い財政、強い社会保障」をぶち上げたが、その中核的手段である消費税率上げに対する姿勢のぶれから参院選で敗北、看板政策は棚上げされた。政権終盤になってから税と社会保障の一体改革の中で「2010年代半ばに10%」と書き込むのが精いっぱいだった。成長戦略としては、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)への参加に積極姿勢を示したが、事実上言いっ放しに終わった。新しい政策に飛びつくものの実現への道筋が描けないことの繰り返しには、自分探しに終始した政権との批判も生んだ。

一方で、09年衆院選のマニフェストで約束した主要政策については、ねじれ国会における野党の攻勢で惨めなほど後退した。その象徴としての子ども手当は、バラマキ批判に有効な反論ができずに、従来の児童手当の復活・拡充という変更を迫られた。高速道路無料化の方針もいつの間にか立ち消え、財源捻出の見通しの甘さが最後まで響いた。

外交安保はさらに厳しい評価が下されよう。特に尖閣諸島での海上保安庁巡視船に対する中国漁船の衝突問題では、ミスを重ねた。漁船船長の逮捕、勾留延長という強硬手段を取りながら途中で中国の圧力に屈したかのような印象を与える局面があった。衝突の証拠ビデオの管理も漏えいを防げなかった。普天間移設問題も全く進まなかった。震災以降は外交空白状態が続き国益を損ねた。

政局運営は稚拙だった。3・11は、ある意味では菅政権が求心力を回復するチャンスだった。にもかかわらず、ねじれ対応が後手後手となり、支持率の低下によりますます野党から足元を見られるという悪循環を局面転換できなかった。党内対応も小沢一郎元代表の扱いに最後まで苦慮、挙党態勢作りができず、内閣不信任案騒動でもろさを露呈した。ねじれと小沢問題に外と内から最後まで揺さぶられた形だ。「イラ菅」と呼ばれる攻撃的な首相の人格、政治手法への反発も背景にあった。

2世でも3世でもないサラリーマン家庭に生まれ育った市民派首相の誕生と失敗をどう評価するか。市民目線から硫黄島の遺骨帰還、諫早湾の開門、B型肝炎訴訟の基本合意、NPOの寄付税制改革といった仕事を残した。一方で、国家観や国家経営という観点が薄く、首相の責務には荷が重すぎたきらいもある。

民主党政権は、党の創業者的存在である鳩山由紀夫、菅直人という2人の人物を首相として支え続けることに失敗した。その意味で今回の代表選は政権与党としては背水の陣と心得るべきだろう。小沢元代表の数の影響力だけが目立つ事態を国民は望んでいない。政策とねじれ克服策を徹底的に競い合ってほしい。

読売新聞 2011年08月27日

菅首相退陣へ 国政停滞を招いた野党的体質

1年3か月足らずの菅「奇兵隊内閣」がもたらしたのは結局、国政の停滞と混乱ではないか。

菅首相が退陣を正式表明し、民主党代表選の27日告示―29日投開票が確定した。30日にも新首相が選出される。

鳩山、菅両内閣が2代続けて迷走の末に短命に終わったことで、民主党の政権担当能力に重大な疑問符がついた。代表選の各候補は、民主党が今、瀬戸際にあるという危機感を持ち、過去の失政を総括して代表選に臨むべきだ。

菅首相は記者会見で「厳しい環境の下で私自身はやるべきことはやった。一定の達成感がある」と自賛した。多くの国民の評価と大きな乖離(かいり)があるのは明らかだ。

首相は、消費税率引き上げ、環太平洋経済連携協定(TPP)参加などの重要政策を場当たり的に打ち上げ、実現への戦略も覚悟もないまま、先送りを繰り返した。唐突に「脱原発」を打ち出し、エネルギー政策を混乱させた。

衆参ねじれ国会で野党の協力を得ようと、財源不足で破綻した政権公約(マニフェスト)の見直しに着手したが、子ども手当など一部の修正にとどまった。野党との連携は道半ばにある。

外交面でも、米軍普天間飛行場の移設問題で指導力を何も発揮しなかった。国家主権への意識に乏しく、尖閣諸島や北方領土の問題で中露につけ込まれた。

政官関係にも問題が多い。

首相は、官僚を基本的に信用せずに敵対相手とするという野党的体質を権力の中枢に持ち込み、行政を混乱させた。原発事故で民間人を内閣官房参与に次々に登用したことが、その象徴である。

無論、官僚にも前例踏襲、保身などの悪弊がある。だが、誤った「政治主導」で、官僚を思考停止に陥らせ、サボタージュを横行させる悪循環を招いた。これでは迅速な震災復興は望めない。

政治家が責任を取らない。議論の記録を残さない。政策実現に向けたカレンダーも持たない――。こうした民主党の未熟な政治文化が政権の混迷に拍車をかけた。

菅首相が6月の退陣表明後、3か月近く「死に体」のまま居座ったことも、内政・外交の重要案件をすべて先送りするという政治空白を生んだ。その罪は重い。

民主党代表選は、小沢一郎元代表が海江田経済産業相への支持を表明するなど、党内の駆け引きが活発化している。官僚や野党との関係を再構築するための具体策を真剣に論じなければ、政権党の再生はおぼつかない。

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