「脱原発」表明 目指す方向は評価する

朝日新聞 2011年07月14日

脱原発 政治全体で取り組もう

菅直人首相がきのう記者会見し、「脱原発」をめざす方針を明確にした。「将来は原発がない社会を実現する」と初めて言い切った。

国策として進めてきた原発を計画的、段階的になくしていくという政策の大転換である。

私たちは13日付の社説特集で、20~30年後をめどに「原発ゼロ社会」をつくろうと呼びかけた。首相は目標年次こそ示さなかったが方向性は同じだ。首相の方針を歓迎し、支持する。

退陣を表明した首相が、国の根幹となり、社会のあり方を決めるエネルギー政策の今後を方向づけていいのかという意見はあろう。

確かに最終目標として原発全廃に踏み切れるのか、何年かけて実現するのかといった点は、そう簡単に国民的な合意は得られまい。

だが、自然エネルギーを飛躍的に普及させ、原発への依存を減らしていく方針への異論は少ないはずだ。誰が首相であっても進めなければならない、焦眉(しょうび)の政治課題なのだ。

ただ、首相の今回の方針も、例によって内閣や民主党内の論議を積み重ねたものではない。脱原発の具体策を示したわけでもない。そのぶん、発言の唐突さは否めない。

民主党はかつて原子力を「過渡的エネルギー」としていたが、政権をとった一昨年の衆院選で原子力利用に「着実に取り組む」と方針を転換している。菅首相も原発依存を高める計画を閣議決定し、原発の海外輸出を成長戦略に位置づけていた。

こうした経緯を総括し、まず民主党としての考え方を明確にしなければ、首相発言は絵空事になりかねない。

自民党は過去の原子力政策を検証する特命委員会を設けて議論を始めている。電力業界や経済産業省とともに経済性を重視し、安全性を犠牲にしてこなかったか。真摯(しんし)な反省が不可欠だ。それなくして、新しい政策は説得力を持たないだろう。

エネルギー政策の転換を探る超党派の議員による勉強会も発足した。脱原発への機運は確実に高まっている。

だからこそ首相が交代した後も、この流れが変わらぬような道筋をつけてほしい。

最悪の原発事故が現実のものとなった以上、もはやスローガンを唱えるだけでなく、脱原発への具体的な手法と政策を真剣に検討しなければならない。

いまこそ、与野党を問わず、政治全体として脱原発という大目標を共有して、具体化へ走り出そう。

毎日新聞 2011年07月17日

論調観測 「脱原発」首相表明 個人の考えとはいうが

本欄で原発絡みの社説論調を比較するのは3週連続だが、取り上げざるを得ないだろう。13日、菅直人首相が「原発に依存しない社会を目指すべきだと考えるに至った」と、脱原発依存を進める考えを示したのだ。

安全評価(ストレステスト)の政府統一見解公表に続き、首相がエネルギー政策の抜本的な転換を打ち出した格好だ。

代替エネルギーの方策と電力供給の見通しなどを踏まえ評価するのが本来の姿だろう。だが、そうならないのが現内閣だ。

発表に先立つ民主党内の合意形成手続きはどうなのか。そもそも退陣表明した首相が将来的な重要課題について表明することに正当性があるのかも論評のポイントになった。

まず、首相発言は具体性に欠け説明不足だと各紙が指摘したことを押さえておきたい。

その上で、原発への依存を減らすべきだと指摘してきた毎日は「基本的に支持し、評価したい」と述べた。だが、首相の言いっぱなしで終わる心配があるとして「政権与党の責任として民主党の考えをまとめることが必要だ」とくぎを刺した。

朝日も「首相の方針を歓迎し、支持する」と前向きの評価だ。ただし、「民主党としての考え方を明確にしなければ、首相発言は絵空事になりかねない」との懸念をやはり示した。

玄海原発の再稼働には、毎日、朝日と同様に疑問を投げかけた東京も「方向性には同意する」とした。だが、首相に政策実現力が残されていないとし「政権延命のために、国民の人気取りに走っているだけとの誹(そし)りは免れない」と手厳しい。

一方、「安全確保を徹底しつつ、原発利用を続けることが、経済の衰退を防ぐためには欠かせない」との立場が読売だ。それゆえ、「深刻な電力不足が予想される中で、脱原子力発電の“看板”だけを掲げるのは無責任だ」と批判した。

日経も「政府・与党で十分な議論をしないまま政策の大転換を口にした」などと指摘し、「首相の発言は無責任である」と結論づけた。

産経は、電力不足などを理由に玄海原発再開問題では、いち早く歓迎の意を示していた。首相説明については「内容は全く不十分で、無定見ですらある」と批判し、返す刀で「一刻も早い退陣こそ求めたい」と進退に言及した。

一方、政府・与党内で首相発言の独走を批判する声が相次いだことを受け、首相は15日、私個人の考えだ、と説明するに至った。【論説委員・伊藤正志】

読売新聞 2011年07月16日

首相の「脱原発」 総合的なエネルギー政策を示せ

◆「個人の考え」では混乱が広がる◆

国の浮沈にかかわるエネルギー政策を、一体どう考えているのか。

菅首相は、記者会見で「脱原発依存」を声高に主張しておきながら、批判を浴びるや、個人的な考えだと修正した。首相の迷走が与野党や経済界、原発立地自治体などに混乱を広げている。

政府の方針ではないと閣僚懇談会で確認された以上、首相の理想論に振り回される必要はない。政府と与野党は、東日本大震災後のエネルギー政策について地に足のついた議論を始めるべきだ。

そもそも、退陣を前にした菅首相が、日本の行方を左右するエネルギー政策を、ほぼ独断で明らかにしたこと自体、問題である。閣僚や与党からさえ、反発の声が一斉に噴き出したのは、当然だ。

首相は、東京電力福島第一原子力発電所の事故を踏まえ、脱原発にカジを切ることで歴史に名を残そうとしたのだろう。

だが、その発言は、脱原発への具体的な方策や道筋を示さず、あまりに無責任だった。

首相は、消費税率引き上げや、環太平洋経済連携協定(TPP)への参加などを掲げ、実現が危ぶまれると旗を降ろしてきた。同様の手法のようだが、今回は明らかに暴走している。

◆電力の危機を直視せよ◆

首相は、原発の再稼働について、安全評価が不十分とし、ストレステスト(耐性検査)を条件に加えた。最終的には首相、経済産業相ら4閣僚で判断するという。

法律や制度を軽視し、思いつきで新たなルールを持ち出す。民間の東電主体で被害救済を進める法案を国会に提出する一方、それとは矛盾する「原発事業の国有化」の検討を示唆する。

「政治主導」をはき違えた、浅慮そのものと言っていい。

首相発言で最も問題なのは、当面の電力不足への危機感が決定的に欠けていることだ。首相は「国民や企業の理解と協力」で対応可能と言うが、理解に苦しむ。

東電と東北電力はすでに15%の電力使用制限を実施し、一般家庭には節電を呼びかけている。

それに加えて、8月末までに全国で5基の原発が定期検査で停止し、500万キロ・ワットの供給力が失われる。原発を再稼働させないと来春までに全原発が停止する。

首相は、当座の電力源として企業の自家発電など「埋蔵電力」を当て込んでいるらしい。だが、電力不足の穴埋めに使えるのは原発1~2基分に過ぎないという。

全54基の原発が止まるとどうなるか。民間調査機関には「国内総生産(GDP)が14兆円以上減少」「50万人が失職」「発電コストは4兆円増加」との予測もある。

企業は工場を海外に移転し、産業の空洞化が加速するだろう。

原発の再稼働を急がないと、懸念はやがて現実となる。首相は、脱原発への、夢のような構想を語っている場合ではない。

中長期的なエネルギー政策の見直しも急務だ。原発事故に対する国民の不安、原発への不信感を考えれば、原発増設は従来の計画通りには進められまい。経済成長に必要なエネルギーをどう確保するのか、専門家を交えた議論を深め、新たな戦略を練る必要がある。

首相は太陽光や風力など再生可能エネルギーを有望視している。だが、水力を除けば総発電量の約1%しかない自然エネルギーに過大な期待は抱けない。

太陽光パネルや発電用風車を置く適地の確保やコストなど難題が山積している。

自然エネルギーによる発電が普及することは望ましい。だが、電気料金が上がり、国民や企業に重い負担がかかる懸念もある。火力発電も含め、電力供給の望ましい組み合わせを模索すべきだ。

◆安全性の向上にも責任◆

原発事故後も、多くの国は原発の安全性を高めた上で活用する方針だ。中国やインドなど新興国は増設を計画している。日本には、世界の原発の安全性向上に寄与する責任がある。

脱原発に向かえば、原子力技術が衰退し、科学技術立国もままならなくなる。日本は「原子力の平和利用」を通じて、核拡散防止条約(NPT)体制の強化に努めてきたが、国際的な発言力も大きく低下するだろう。

ドイツやイタリアのように近隣国から電気を買えない日本が、脱原発でやっていけるのか。世界では、新興国経済の拡大で、石油などの資源争奪が激化している。エネルギー安全保障の観点も見落としてはならない。

冷静に現実を直視し、多角的な視点から日本のエネルギー政策を再構築すべきである。

毎日新聞 2011年07月14日

「脱原発」表明 目指す方向は評価する

菅直人首相が13日、記者会見し、原発への依存度を今後、計画的、段階的に下げていき、将来的には原発がなくてもやっていける社会の実現を目指すと表明した。国のエネルギー政策を抜本的に見直す「脱原発」表明である。

原発への依存を減らしていくこと、そして現実的にもそうした方向にならざるを得ないことは、私たちもこれまで何度も指摘してきたところだ。その考え方については基本的に支持し、評価したい。

しかし、首相のこの日の会見ではあまりに具体性が乏しい。将来とは一体、いつごろを考えているのか。代替エネルギーをどうやって促進していくのか。何より、菅首相が「私自身の考えを明確にしたい」と前置きしたように、これは内閣、あるいは民主党も含めた政権としての方針なのか、はなはだ心もとない。

いずれ遠くない時期に退陣するであろう首相だ。まず、政府・与党としての考えをまとめる作業を急いでもらいたい。

菅内閣では九州電力玄海原発の再稼働問題をめぐり、首相と海江田万里経済産業相との間で「不一致」が問題になったばかりだ。一連の経過に対し、首相は会見で「私の指示が遅れ迷惑をかけた」と改めて陳謝したが、今回の「脱原発」表明についても、早くも「どこまで閣内で議論をしているのか」という疑問の声が出ている。

もちろん、首相のリーダーシップで進めていくことは必要だ。しかし、民主党の執行部でさえ菅首相と距離を置き始め、絶えず退陣時期が焦点となっている現状を考えれば、個人的な意見の言いっぱなしで終わる心配がある。

一方、菅首相は、企業や各家庭の節電の努力の結果、今年の夏から冬にかけては「十分に必要な電力供給は可能」と明言したが、もっと具体的な数字を挙げて説明しないと説得力を欠く。

さらに来年夏以降に関しては、天然ガスを使う火力発電所の活用などを挙げたが、「計画を立てていきたい」と語るだけだった。これでは、ただでさえ方針が二転三転する菅内閣に不信感を強めている産業界などは納得しない。

国民の安全と暮らし、経済活動をどう保っていくか。確かに首相がいうように国民が選択すべき政治課題である。いずれは総選挙の大きな争点ともなるだろう。だからこそ、政権与党の責任として民主党の考えをまとめることが必要だ。

首相はこの日も退陣時期を明確にしなかったが、まさか「脱原発」を自らの延命の材料にするつもりはなかろう。次期代表を決める代表選でもきちんと論議すべきである。

読売新聞 2011年07月14日

脱原発宣言 看板だけ掲げるのは無責任だ

深刻な電力不足が予想される中で、脱原子力発電の“看板”だけを掲げるのは無責任だ。

菅首相は13日の記者会見で、「原発に依存しない社会を目指すべきだ。計画的、段階的に依存度を下げ、将来は原発がなくてもやっていける社会を実現する」と述べた。

日本のエネルギー政策を大転換する方針を示したものだが、原発をどのように減らしていくのか、肝心の具体策は示さなかった。

原子力発電を補う代替エネルギーの確保策が、不透明なままだったことも問題である。

首相は、太陽光や風力などの自然エネルギーを「ポスト原発」の有力候補と考えているようだ。

自然エネルギーの普及は促進すべきだが、現時点では総電力の1%にとどまり、発電量は天候などで変動する。コストも高い。

量と価格の両面で難題を抱えており、近い将来、原発に代わる基幹電力の役割を担えるほど見通しは甘くない。

火力発電で急場をしのげても、燃料費がかさんで電力料金が上がれば、産業の競争力低下を招く。工場の海外移転による空洞化も加速して、日本経済は窮地に立たされかねない。

安全確保を徹底しつつ、原発利用を続けることが、経済の衰退を防ぐためには欠かせない。

首相はまた、当面の電力不足について、節電などで「この夏と冬に必要な電力供給は可能だ」との見通しを述べたが、その根拠についての言及はなかった。

企業の自家発電など「埋蔵電力」も活用できると見ているようだが、どの程度の供給余力があるのか、手探りの状態にある。

代替電力の展望もないまま原発からの脱却ばかりを強調するのは、あまりにも非現実的だ。

原発のストレステスト(耐性検査)を巡る閣内不一致によって、九州電力玄海原発など、定期検査で停止している原発の再稼働に見通しが立たなくなっている。

首相が、ストレステストの判断が妥当なら「再稼働を認めることは十分にある」と述べたのは、当然のことである。

ただし、脱原発を掲げる政府が運転再開を求めても、地元自治体は戸惑うだろう。

首相には、福島第一原発の事故に伴う国民の不安に乗じ、脱原発を唱えることで、政権延命を図る思惑もあったのではないか。場当たり的言動が、多くの混乱を引き起こしている。首相は、そのことを自覚すべきだ。

この記事へのコメントはありません。

この社説へのコメントをどうぞ。
お名前
URL
コメント

この記事へのトラックバックはありません。

トラックバックはこちら
http://shasetsu.ps.land.to/trackback.cgi/event/776/