原発事故賠償 東電温存にこだわるな

朝日新聞 2011年05月14日

原発事故賠償 株主や貸手も責任を

これでは、とうてい納得できない。東京電力福島第一原発の事故を受けて、菅政権が13日に決めた賠償策のことだ。

電力10社の出資で「機構」をつくり、東電の資金繰りを支援する。政府も公的資金を投じるが、最終的には東電と他の電力各社が弁済するため「国民負担は生じない」という。

だが、賠償金の支払いや電力の安定供給を名目に、生かさず殺さずで東電を存続させる今回の案は、責任の所在をあいまいにしたまま、電力業界を守り続ける枠組みになりかねない。

まず、株主や金融機関に負担を求めないのはなぜなのか。

確かに、株価下落や無配転落で株主は一定の損を被る。金融機関についても、政府は債権放棄がなければ公的支援はしないとの揺さぶりをかけ、協力を引き出す構えだ。

だが、実質的に経営破綻(はたん)の企業を公的に救済する以上、必要な減資や債権放棄は枠組みの中できちんと位置づけるべきだ。

東電に対する責任の負わせ方も、小手先にとどまっている。

政府は、第三者委員会を設けて東電の資産や経費を洗い出し、極力賠償にあてるというが、今浮上している人件費の圧縮や5千億円程度の株式・不動産の売却では焼け石に水だ。

賄い切れない分は東電の収益から返済させるのだが、事故処理費用などで赤字経営は必至の中、電気料金の値上げも認めず、となれば弁済を繰り延べるしかない。そのぶん、不健全な公的管理が長引くことになる。

むしろ東電の事業形態そのものを見直し、保有する発電所など電力関連施設売却も俎上(そじょう)に載せるべきだ。新規参入を促し、電力自由化を進めることは国民負担の軽減にもなるし、経済の活性化にもつながる。

そもそも、なぜ他の電力会社までが東電の事故賠償の資金を負担しなければならないのか。国の負担を減らすためだとすれば、市場ルールを曲げる混乱要因を政府みずから作り出していることになる。各電力会社に、地域独占体制の温存を事実上約束する形にもなりかねない。今後の原発事故に備える仕組みが必要なら、賠償策とは切り離して構築すべきだ。

12日の与党の会合では、電力労組などの後押しを受ける議員らから国の責任割合を高めよとの声が出たという。東電の負担軽減が狙いとすれば、なんと国民感覚からずれた話だろう。

改めて言う。東電を守らないと、賠償が進まないわけでも電力供給が滞るわけでもない。法案提出までに再考すべきだ。

毎日新聞 2011年05月12日

原発事故賠償 責任追及が不十分だ

東京電力福島第1原子力発電所の事故の被害者に対する損害賠償に関し、政府の支援策の枠組みが固まった。被害の全容が確定できない中でも、被害者への支払いは急がなければならない。支援策づくりは急務だった。しかし、それにしても責任回避の姿勢が目立つ。公的資金を利用するにもかかわらず、東電への責任追及は十分とはいえず、原発政策を進めてきた政府の責任も曖昧なままだ。支援策が走り出しても、残された課題は多い。

固まった枠組みでは、東電をはじめ、原発を保有する電力会社が負担金を出し合って、支援のための新機構を設立する。機構は電力各社の負担金のほか、いつでも現金化できる特別な国債である「交付国債」を政府から受け、財源を賄う。

東電は、原子力損害賠償法に基づく保険金(原発1カ所当たり1200億円)や資産売却などで賠償の資金をつくるが、まったく足りないため、不足分を機構から調達する。一方で、機構が政府から受ける公的な資金は、東電が年間の利益から長期間かけて返済する。

ポイントは、電気料金の値上げや財政負担による「国民負担」の回避を目指すことにあるようだ。しかし、原発事故に関する責任の所在を曖昧にし、幕引きする免罪符にしてはならない。

実際、電気料金は原燃料などのコストに一定の利益を上乗せして設定している。利用者の負担で利益が出る仕組みだ。東電の賠償責任に上限を設けないといっても、その利益の中から、国への借金を返済していくのであれば、結局は「国民負担」ではないか。使われる公的資金も、もとは国民の税金だ。今回の支援策は、国民負担をオブラートに包んだ枠組みともいえる。

国民の理解を得るためには、まず東電への徹底した責任追及が必要だ。利益を求めて東電株などに投資していた株主らに相当の負担を求めることも必要だろう。さらに、役員報酬を含めた人件費の抑制、資産売却などリストラの徹底も不可欠である。政府は、東電の経営を監視するため、第三者委員会を設けるが、実効ある体制作りを求めたい。

菅直人首相は「原発政策を国策として進めてきた政府にも大きな責任がある」と認めている。ところが、今回の支援策は、原発を抱えた民間会社としての東電存続を前提にすることで、全国10電力体制のあり方や原発政策の見直しには触れずに済む仕掛けにもなっている。

そうした課題を先送りすることなく議論を重ね、原発震災後の電力政策を打ち出すことが、「政府の責任」といえるだろう。

朝日新聞 2011年05月11日

原発事故賠償 東電温存にこだわるな

東京電力福島第一原発事故の賠償策をめぐり、政府内での検討が大詰めを迎えている。だが、伝えられる中身は腑(ふ)に落ちないことばかりだ。

被害の全容がつかめないなかで、東電の負担に上限を設けるかどうかといった関係者の利害調整ばかりに焦点があたった。

政府は東電に対して厳しいリストラ策を求めてはいるが、上場企業としてこれまでどおりの経営を続けることが大前提になっているかのようだ。

繰り返すが、賠償策を考えるにあたり、政府が急ぐべきは、被害者に対する支払いが迅速かつ十分に行われるようにすることと、管内への電力供給が滞らないようにすることに尽きる。

決して東電を「守る」ことではないし、今の事業形態が維持できなければ、賠償や電力供給が実現できないわけでもない。「東電にしっかり支払いを履行させる」という国の関与さえ明確にしておけば、工夫の余地はいくらでもある。

そもそも東電問題は、わが国の電力・エネルギー政策と不可分な関係にある。もっと大きな構図の中に位置づけて論じられるべきだろう。

地域独占に守られながら政治や行政と強く結びついてきた電力産業をこのままにしていいのか。今後も原子力発電を続けるのか。その場合、今までどおり各電力会社に運用を委ねるのか。それとも切り離すか。使用済み核燃料を再利用する核燃サイクル事業に投じてきた資金は使えないのか――。

こうした論点を整理し、方向性を打ち出すことで、東電の具体的な負担能力が見えてくるはずだ。事業収益や資産売却で、どの程度の支払い余力が見込めるのか。具体的な根拠に基づいた判断が求められる。

その過程では、当然ながら株主の責任も問われるだろう。金融機関についても、震災後の緊急対応融資を除く一般債権について、何らかの負担を求めていくことになる。

それでも最終的に賄い切れなければ、電力料金の値上げなどを通じて国民負担となる場合もある。そのためにも、丁寧な手順が必要だ。

菅直人首相は10日の記者会見で、エネルギー基本計画を白紙に戻し、自然エネルギーの開発に力を入れていく考えを表明した。今の10電力体制のあり方も議論の対象にすべきだ。

電力改革は過去、何度か試みられては挫折してきた。今回のような未曽有の危機は、大胆な改革のメスを入れるチャンスでもある。

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