ウィニー無罪判決 守る側のソフト開発も

朝日新聞 2009年10月09日

ウィニー無罪 開発者の尊重は妥当だ

新技術のソフトウエアが開発された。だが、それを悪用する著作権侵害事件が起こった。このとき、開発者にまで刑事責任が及ぶのかどうか。

ファイル交換ソフトの「ウィニー」をつくって公開したことで著作権法違反幇助(ほうじょ)の罪に問われた元東京大助手に対し、大阪高裁は一審の有罪判決を破棄、逆転無罪を言い渡した。妥当な判決だ。

ウィニーを使うと映画や音楽をインターネットを通じてやりとりできる。数多くのパソコンを経由してバケツリレーのように情報が伝わっていく。

ソフト開発では利用者に意見を寄せてもらい、改良していく方法も広まっている。元助手はウィニーの開発を02年春にネット上で宣言し、自らのホームページで無料公開した。効率よくファイルを検索できる独自の技術は評判を呼んだ。

元助手が問われた罪は、そのソフトを使って男性2人が無許可で映画などをネット上に流した著作権法違反を手助けしたというものだ。裁判では開発者に刑事責任が及ぶ範囲が大きな争点になった。

一審の京都地裁判決はソフト公開の時点で不特定多数の人々に悪用されるという認識があれば「有罪」とした。

これに対し、高裁判決は、幇助罪に問えるのは「開発者がネット上で違法行為を勧めてソフトを提供した場合」とする基準を示した。そのうえでソフト公開にあたって、元助手が違法なファイルのやりとりをしないように注意を繰り返していたことなどを挙げて、無罪とした。

違法行為に加担した事実がなければ刑事責任は問えないという判断だ。一審のようなあいまいな基準で処罰すれば、技術者の開発意欲は萎縮(いしゅく)してしまう。幇助の範囲を限定的にとらえ、開発者を尊重した判断ともいえる。

見逃せないのは、ウィニーを「著作権侵害の技術」と断定し、元助手を摘発した捜査機関の対応だ。高裁判決は一審の判断を踏まえて「ウィニーにはさまざまな用途があり、価値中立的なソフト」と指摘した。悪用の恐れもあるが、賢明な使い方もあるということだ。捜査機関は、この判断を重く受け止め、技術開発をめぐる捜査には慎重でなければならない。

ただ、こうしたソフトに著作権侵害の危険性がつきまとうのも事実だ。ネット上の著作権保護の新法づくりを一つの選択肢として、悪用を防ぎながらネットの長所を生かす道を探りたい。

深刻なのは、ウィニーを狙ったウイルスによってパソコンから個人情報の流出が続いていることだ。元助手が摘発されたことでソフトの改良ができなくなり、ウイルス対策もとまっている。無罪判決をきっかけに、この対策も考えるべきではないか。

毎日新聞 2009年10月09日

ウィニー無罪判決 守る側のソフト開発も

ファイル交換ソフトの「Winny(ウィニー)」をめぐり著作権法違反のほう助罪に問われた元東大助手に対し大阪高裁は、無罪の判決を言い渡した。「犯罪に利用される可能性を認識しているだけではほう助と評価することはできない」というのが逆転無罪の理由だ。

1審の京都地裁は、「利用者の多くが著作権を侵害することを明確に認識、認容しながら公開を継続した」として有罪と判断した。しかし、ウィニーについては、「応用可能で有意義な技術」と指摘していた。

控訴審判決でも、ウィニーについて「通信の秘密を保持しつつ多様な情報交換を可能にするとともに、著作権の侵害にも使える価値中立なソフト」と認定し、元助手に対しては「被告は著作権侵害をする者が出る可能性を認識し、認容していたが、それ以上に違法行為を勧めたとはいえない」と結論付けた。

京都府警が5年前に元助手を逮捕した際、逮捕の是非が大きな論議となった。複写機で本や雑誌など著作物をコピーした場合、複写機のメーカーが、著作権侵害を手助けしたとして罪に問われることがあるのだろうか。殺人犯が使った刃物をつくった人が殺人ほう助になるのか、といったような疑問が示された。

また、ファイル交換ソフトは他にも数多く存在し、ウィニーの開発者を摘発したとしても、著作権侵害をめぐる状況の改善にはつながらないといった点や、ファイル交換の仕組みを使った新しいビジネスの可能性が追求されている中で、あいまいな基準での逮捕は日本の開発者の意欲を萎縮(いしゅく)させることにつながりかねないといった指摘もあった。

逮捕後の捜査当局の対応にも疑問が残る。元助手にウィニーの改良を禁じ欠陥を修正できなくしたことから、自衛隊や裁判所、刑務所、病院といった公的機関の情報が大量に漏れ出し、回収不能になってしまった。その中には警察の捜査情報も含まれていた。

そうした観点からすると、無罪という大阪高裁の判決は、妥当な判断と言えるだろう。

著作権の保護は重要だ。ただし、著作権をめぐる状況はインターネットの普及によって大きく変化した。技術が先に進み、法制度が想定していない世界が誕生した時に捜査当局はどう対応すべきかも、この裁判で問われていることだろう。

元助手の行為については最高裁の判断を求めることになるのかもしれないが、司法の判断とは別に、著作者の権利を保護するための新しい仕組みをどうつくっていくのかといった点にも、ソフトの開発者には力を注いでもらいたい。

読売新聞 2009年10月11日

ウィニー無罪 それでも大切な技術者の良心

どんな技術も使い方次第だ。だが、悪用されないよう努めるのが技術者の良心ではないか。

インターネットを経由して映像などのファイルを交換するソフト「ウィニー」を開発した元東京大大学院助手が著作権法違反のほう助罪に問われた事件の控訴審で、大阪高裁は逆転無罪の判決を言い渡した。

1審の京都地裁は、ウィニー利用者の多くが違法コピー映像などを交換することを知りながら、ウィニーをネット上に公開したことがほう助に当たるとした。

高裁は、ほう助の範囲を限定した。1審のように悪用を知りながら提供しただけでは足りず、悪用することを「勧めて」ソフトを提供した場合に限るとした。

ネットを介した不特定多数へのソフト提供は、高裁判決が述べた通り「新しいほう助犯の類型」だろう。どこまで罪を問うべきか判断が分かれたのは致し方ない。

1審判決に沿うと、ウィニーの悪用が続く限り、元助手が無限にほう助罪に問われかねないとの高裁の指摘ももっともだ。

ただ、結果は逆転無罪でも、元助手に社会的、道義的責任がないと言えるだろうか。

ウィニーも他の技術と同じく二面性がある。情報交換に役立つと同時に違法コピーの流通にも悪用できるため、両判決とも「価値中立のソフト」と認めている。

だが、特徴である「匿名性」ゆえに、悪用されると違法な利用者にたどり着くのが難しい。このため違法コピー流通や、規制強化が求められている児童ポルノの交換にも依然、使われている。

1審判決も、匿名性が悪用を促すと指摘している。元助手は悪用を控えるよう呼びかけたこともあるが、これほど悪用されると予想はしなかったのだろうか。

ウィニーを狙ったウイルスソフトも蔓延(まんえん)している。感染したパソコンから、公的情報や個人情報が漏れる事件もなくならない。

絶対に安全な技術はない。技術者は、むしろ謙虚に、より安心して使える仕組みを工夫するというモラルがあって当然だろう。

ネットは世界中につながっている。子どもから大人まで多様な利用者がいる。悪用されたときの影響の大きさを考えれば、技術者のモラルは一層重い。

政府も、違法なネット利用の監視と取り締まり体制を強化することが求められる。安全なネット利用につながる技術開発も後押しすべきだ。必要な法制度の検討も進めていかねばならない。

産経新聞 2009年10月12日

ウィニー判決 時代見据えた法整備必要

ファイル共有ソフトWinny(ウィニー)の開発者が、違法なデータ交換を助長したとして著作権法違反幇助(ほうじょ)の罪に問われた裁判で、大阪高裁は1審の京都地裁判決を取り消し、逆転無罪を言い渡した。

違法コピーの横行や重要情報流出の元凶ともされてきたウィニーだが、厳しい社会的批判もあって利用者は減少傾向だという。1審と控訴審で百八十度異なった司法判断は、この間の状況変化を反映しているともいえる。

しかし、ウィニーに代わる同種ソフトが次々と登場し、トラブルの根本は変わっていないのも事実だ。司法判断の揺れは、むしろ急速なネット社会の進展に法の整備が追いついていない現状を浮き彫りにしている。

判決文を読む限り、控訴審判断は基本的な事実関係の認識で1審判断と大きな違いは見られない。いずれもウィニーのソフトとしての有用性は評価しつつ、被告側には公開すれば違法行為に使われるとの認識が明らかにあったとしているからである。

判断が分かれたのは、犯意の認定についてだ。違法行為を招くとの認識があるだけで罪に問われるとした1審に対し、控訴審は、積極的な「勧め」行為の有無が判断の基準になるとした。

しかし、この新基準も明確とは言い難い。開発者に明白な悪意があっても、「勧め」がない限り責任はないことになるからだ。そもそも匿名性が強いネット社会では違法行為の特定は難しい。

過去の経緯からも検察側は上告する可能性が強いが、その場合、最高裁は、より明確で普遍性のある基準を示さねばなるまい。

今回の裁判を機に、違法ファイルのダウンロードを禁じる著作権法改正も行われた。だが罰則規定がないなど不備も目立つ。ソフト開発に関する法整備に至っては全く手つかずだ。時代の要請を踏まえた総合的な法体系づくりに専門家の知恵を集める必要がある。

裁判をめぐっては、日本のソフト開発にブレーキをかけるものだとする批判も聞かれた。被告がカリスマ的開発者の一人だったことも批判を加速したようだ。

ソフト開発にも社会ルールの順守が求められるのは当然だが、開発者が予期せぬ形で悪用されることはありうる。法の整備は、自由な創造意欲を後押しするものでなくては意味がない。

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