イレッサ訴訟 副作用の警告を重んじた判決

朝日新聞 2011年02月26日

イレッサ判決 情報はなぜ届かなかった

肺がん治療薬イレッサの副作用被害をめぐる裁判で、大阪地裁は製薬企業に賠償を命じる判決を言い渡した。国については、副作用情報を明らかにするよう企業に一定の指導をしていたことなどを踏まえ、責任を否定した。

同地裁は先月、和解を勧告し、原告と被告に話し合いを促していた。

全体の解決を図る和解と、法律上の争いに黒白をつける判決とで裁判所のもの言いが異なるのは珍しくないが、そのとき示された所見には「国には救済を図る責任がある」とも書かれていた。患者らが落胆するのは無理はない。同種の訴訟は東京地裁でも審理されており、来月の判決に注目したい。

多岐にわたる論点のなかで最も注目されたのは、薬には副作用が避けられないことを前提に、その危険情報をいかに適切に医療現場に伝えるか、という問題だった。

イレッサの添付文書には当初、「重大な副作用」として四つの症状が記載された。「重度の下痢」が最初で、多数の死者を出した間質性肺炎は最後だった。企業と国は「順番は問題ではない」とし、被害を招いた責任は薬の特性を理解しないまま処方した医師にあるというような主張をしてきた。

果たしてそうだろうか。

死亡例が相次いだことを受けて、承認の3カ月後に緊急安全性情報が出た。添付文書の冒頭に「警告」として目立つ形で間質性肺炎の危険を書くと、被害は減った。

文書のあり方が問われたのはこれが初めてではない。厚生省(当時)はイレッサ承認の5年前、重要事項を前の方に記載することなどを求めた局長通達を出している。企業はなぜこれを守らなかったのか。国も、なぜもう一歩踏み込んで、企業に働きかけなかったのか。釈然としない思いが残る。

「読むのは専門家なのだから」という言い分もあるだろう。だが当時、医学雑誌などを通じて、イレッサには副作用が少ない良薬とのイメージが広がっていた。判決が「平均的な医師」像を前提に、治療に必要な情報の提供義務を企業に課したのは当然であり、国民の思いに沿うものといえよう。

インフォームド・コンセント(説明と同意)という言葉は定着したが、それを実効あるものにするには、医師が正しい知識を持ったうえで、患者に正面から向き合うことが不可欠だ。

わらにもすがる気持ちで新薬を待つ患者がいる。その期待に応えつつ、安全に万全を期す。二つの課題を両立させることの重要性を、イレッサ問題は改めて社会に示したといえよう。

それはひとり製薬企業だけの責務ではない。法的責任は免れたとはいえ、判決で「必ずしも万全の対応であったとは言い難い」と指摘された厚生行政もまた、くむべき教訓は多い。

毎日新聞 2011年02月27日

イレッサ判決 国に責任はないのか

肺がん治療薬イレッサの副作用で死亡した患者の遺族らが起こした損害賠償請求訴訟で、大阪地裁は販売元のアストラゼネカ社の責任を認め計6050万円の損害賠償を支払うよう命じた。どんなに画期的な薬でも、きちんと副作用情報を伝えなければならず、そのために多数の犠牲者を出した責任は取らなければならない、と判決は明確に示した。

イレッサの添付文書には間質性肺炎という重大な副作用が記載されてはいたが、一番後ろの目立たない場所だった。それが十分な情報提供と言えるのかどうかが訴訟の焦点の一つだった。判決は「添付文書の重大な副作用欄の最初に間質性肺炎を記載すべきであり、そのような注意喚起が図られないまま販売されたイレッサは抗がん剤として通常有すべき安全性を欠いていたと言わざるを得ない」と指摘。同社に対して製造物責任法上の指示・警告上の欠陥があったことを認めた。

イレッサは販売前から副作用の少ない「夢の新薬」と宣伝され、他に治療法のない肺がん患者らは期待を膨らませた。そうした状況も考えて副作用情報は提供されるべきだったのだ。販売後2年半で557人もの間質性肺炎による死者が出たのは、本来使用すべきでない患者にまで幅広く使われたためと言われる。「平均的な医師等が理解することができる程度に危険情報を提供しなければならない」と判決は指摘する。

一方、国については「死亡を含む副作用の危険を高度の蓋然(がいぜん)性をもって認識することができなかった。国の措置は許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠くとは認められない」として賠償請求を棄却した。行政指導に法的な拘束力はなく、同社が間質性肺炎を添付文書に記載することに消極的な態度を示していたため被害を防ぐことはできなかったというのだ。

しかし、判決に先立って裁判所が出した和解所見では国の救済責任について認めていた。判決でも国の行った行政指導が「必ずしも万全な規制権限の行使であったとは言い難い」とも指摘している。国家賠償法の違法性を認めるまでには至らないが、国の行政指導に問題があったことを認めたと読み取るべきだろう。

製薬会社が自社の製品にマイナスの情報を出したがらないのは過去の薬害でも繰り返されてきたことだ。だから国は適切な監督権限を行使するよう求められているのではないか。国がもっと踏み込んで指導していればイレッサの副作用被害はここまで広がらなかったに違いない。

来月には東京地裁で判決が出る。国は重い教訓と受け止め、新薬の安全確保策を強化すべきである。

読売新聞 2011年02月26日

イレッサ訴訟 副作用の警告を重んじた判決

致死的な肺炎を起こす副作用の可能性を製薬会社は警告し、注意喚起を図るべきだった――。

肺がんの治療薬「イレッサ」の副作用で死亡した患者の遺族らが損害賠償を求めた訴訟で、大阪地裁は製薬会社「アストラゼネカ」に賠償を命じる判決を言い渡した。

その一方で、イレッサを承認した国の対応については、「著しく不合理とは言えない」として賠償責任を否定した。

副作用死が相次ぐことを予想するのは難しく、対応に著しい誤りはなかったとの判断からだ。

大阪地裁は、1月に示した和解勧告の所見で、国にも被害者の救済責任があるとしていた。

それだけに、原告にとっては、今回の判決に納得できない部分もあるだろう。

世界に先駆けてイレッサが日本で承認された2002年当時、ア社は、副作用が少ないことをホームページなどで強調する一方、間質性肺炎を発症する危険性は公表していなかった。

発売時の添付文書でも、間質性肺炎は「重大な副作用」欄の4番目に記載されているだけで、「致死的」という説明もなかった。

判決は、「注意喚起が図られないまま販売されたイレッサには、製造物責任法上の欠陥があった」と断じている。

イレッサは、医師や患者の間では、副作用の少ない「夢の新薬」との期待が広がっていた。

判決が指摘するように、イレッサは化学療法の知識・経験が乏しい医師も使用する可能性があった。しかも患者が自宅で服用できる飲み薬のため、副作用への警戒が薄いまま広く用いられた。

そうした状況であったのなら、ア社はなおさら、詳しい副作用情報を提供すべきだったろう。

抗がん剤の多くは、副作用を伴う。製薬会社には、新薬の長所ばかりでなく、負の情報である副作用についても、医師や患者に十分に開示する責任がある。そう指摘した判決は、製薬業界への重い警鐘となろう。

判決は国の対応に“お墨付き”を与えたものではない。副作用情報の記載に関する厚生労働省の行政指導については、「必ずしも万全な規制権限を行使したとは言い難い」と批判している。

重い病と闘う患者は最先端の薬の登場を待ち望んでいる。

安全性をおろそかにすることなく、いかに迅速な新薬承認を実現するか。イレッサの教訓を生かさなくてはならない。

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