浪速の街に本場所の始まりを告げる小気味いい触れ太鼓が、この春は響かない。大相撲の三月場所が中止されることになった。
日本相撲協会は八百長問題の解明に時間を要することなどから、場所を開くことは困難と判断した。
角界は本場所を最も大事にし、戦時中も途絶えさせず、土俵を守り抜いてきた。不祥事による中止は初めてだ。
大相撲の歴史に汚点を残す、未曽有の事態である。
協会の特別調査委員会は3日間かけて、関与が疑われる力士ら14人に聴取をした。だが、八百長の深い闇に光を当てるのは容易ではなかった。
協会幹部が描いていた青写真は「力士らの処分を発表した上で春場所は開催する」だった。まず春場所開催ありき、の思惑である。
だが、その認識は甘すぎた。
放駒理事長はきのうの記者会見で「謝っても謝り切れない」と謝罪した上で、こう話した。「ウミを完全に出し切るまでは土俵上で相撲をお見せすることはできないと考えている」
調査委は14人に携帯電話や過去の通信記録、預金通帳の提出も求めた。きょうからは十両以上の力士全員への聴取を始める。納得できる調査内容を公表しない限り、五月場所の開催さえおぼつかないだろう。
八百長は昔からあった――。今、そうした声が多く聞かれる。しかし、相撲のすべてをおとしめてはならない。
大相撲は神事として始まった。その歴史から、様式美を含めた伝統芸能的な要素も愛されてきた。
相手が勝ち越せるかどうかといった瀬戸際にあるとき、手を緩めることを「人情相撲」と呼ぶなど、一種独特な角界の「空気」も含めて大相撲だと受け止めてきた向きがあった。人情相撲を題材にした落語や歌舞伎もある。
だが歴史的な経緯とは別に、アマ相撲が純然たる競技として発展し、学生や社会人のトップが挑む最高峰として大相撲が存在するようになった。
伝統芸能とスポーツの要素を併せ持つ特異な存在が大相撲と言えるが、相撲競技の頂点でもあるのだから、やはり八百長は許されない。「そんなものさ」と切り捨てて済む話ではない。欧州などからの力士も多数おり、日本情緒豊かな競技として海外でも人気があることも忘れてはならない。
八百長への関与を認めた竹縄親方は囃子(はやし)歌「相撲甚句」の名手として知られた。相撲のよき伝統の一つを担いながら、一方で土俵を汚していたという事実が、何とも寒々しい。
大相撲は存亡の危機にある。伝統のあしき部分をぬぐい去り、最高峰の舞台としての誇りをどう取り戻すか。
角界にかかわるすべての人々に今、そのことが問われている。
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