北アフリカのチュニジアで23年間、政権を率いていたベンアリ大統領が、政府批判デモの中、国外に脱出した。
政変と言っても、民主化の指導者がいるわけでも、市民の代表がいるわけでもない。しかし、強権支配に対する民衆の怒りが噴き出した。
発足する新政権の第一の任務は、強権支配の清算と、民主主義の実現である。できるだけ早い時期に、すべての政治勢力が力をあわせて総選挙をし、民意を問う必要がある。
そうしなければ、事態は収まらないだろう。求められているのは、民意にたった再出発である。緊急事態を引き継いだ首相も暫定大統領も、そのことを明確に認識する必要がある。
チュニジアは地中海を背景にした世界的なカルタゴの遺跡が有名で、紛争やテロがはびこる中東では、政治的にも安定している国と見られてきた。
イスラム教徒が大半の国でありながら、一夫多妻制を廃止し、女性の社会進出を進めるなど、欧米寄りの近代化政策をとった。
ところが、1月になって失業対策や政権の腐敗に抗議する市民のデモに警官隊が発砲し、多くの死者がでた。穏健な外面の裏に隠されていた警察国家の顔が、市民の怒りを引き出した。
人権を抑圧してきた実態は、これまでもアムネスティ・インターナショナルなど国際的な人権団体から繰り返し指摘されてきたことだった。
議会は大統領の与党が牛耳って、批判勢力は排除されていた。秘密警察を操り、とくに2001年の米同時多発テロの後は「反テロ法」を作って、野党政治家や人権活動家、ジャーナリストらを拘束してきた。
都市と農村の格差は広がり、失業率は15%に迫った。なかでも大卒者の失業は20%を超えた。それなのに大統領の一族は優遇され、手広くビジネスをしているという批判が強かった。
唐突ともいえる政権崩壊は、近代化の裏で民主化を無視し、強引な支配を続けた政府への国民の不満と怒りが燃え上がったものだ。
チュニジア政変の教訓は、長年、この国の体制を支えてきた欧米、日本にも反省を迫っている。
日本政府は80年代から定期的に二国間の合同委員会を開催し、経済協力などを協議してきた。友好国として、人権や民主化について賢い忠告をすることはできなかったのだろうか。
強権体制は、中東・北アフリカ諸国に広がり、さらには世界中にある。
今回の政変ではデモに参加した市民がインターネットで情報を交換して、大きなうねりが生まれたとされる。
反政府勢力や指導者を権力で排除して政治を思い通りにできた時代は、終わりが見えてきた。大衆を侮らない政治が求められている。
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