チュニジア情勢 中東の変化、見守りたい

朝日新聞 2011年01月18日

チュニジア政変 強権支配、市民が倒した

北アフリカのチュニジアで23年間、政権を率いていたベンアリ大統領が、政府批判デモの中、国外に脱出した。

政変と言っても、民主化の指導者がいるわけでも、市民の代表がいるわけでもない。しかし、強権支配に対する民衆の怒りが噴き出した。

発足する新政権の第一の任務は、強権支配の清算と、民主主義の実現である。できるだけ早い時期に、すべての政治勢力が力をあわせて総選挙をし、民意を問う必要がある。

そうしなければ、事態は収まらないだろう。求められているのは、民意にたった再出発である。緊急事態を引き継いだ首相も暫定大統領も、そのことを明確に認識する必要がある。

チュニジアは地中海を背景にした世界的なカルタゴの遺跡が有名で、紛争やテロがはびこる中東では、政治的にも安定している国と見られてきた。

イスラム教徒が大半の国でありながら、一夫多妻制を廃止し、女性の社会進出を進めるなど、欧米寄りの近代化政策をとった。

ところが、1月になって失業対策や政権の腐敗に抗議する市民のデモに警官隊が発砲し、多くの死者がでた。穏健な外面の裏に隠されていた警察国家の顔が、市民の怒りを引き出した。

人権を抑圧してきた実態は、これまでもアムネスティ・インターナショナルなど国際的な人権団体から繰り返し指摘されてきたことだった。

議会は大統領の与党が牛耳って、批判勢力は排除されていた。秘密警察を操り、とくに2001年の米同時多発テロの後は「反テロ法」を作って、野党政治家や人権活動家、ジャーナリストらを拘束してきた。

都市と農村の格差は広がり、失業率は15%に迫った。なかでも大卒者の失業は20%を超えた。それなのに大統領の一族は優遇され、手広くビジネスをしているという批判が強かった。

唐突ともいえる政権崩壊は、近代化の裏で民主化を無視し、強引な支配を続けた政府への国民の不満と怒りが燃え上がったものだ。

チュニジア政変の教訓は、長年、この国の体制を支えてきた欧米、日本にも反省を迫っている。

日本政府は80年代から定期的に二国間の合同委員会を開催し、経済協力などを協議してきた。友好国として、人権や民主化について賢い忠告をすることはできなかったのだろうか。

強権体制は、中東・北アフリカ諸国に広がり、さらには世界中にある。

今回の政変ではデモに参加した市民がインターネットで情報を交換して、大きなうねりが生まれたとされる。

反政府勢力や指導者を権力で排除して政治を思い通りにできた時代は、終わりが見えてきた。大衆を侮らない政治が求められている。

毎日新聞 2011年01月18日

チュニジア情勢 中東の変化、見守りたい

パーレビ国王を国外退去に追い込んだ79年のイラン革命では、国外にいるホメイニ師(後の最高指導者)の説教を録音テープで聞いた民衆が次々に決起した。先週、ベンアリ前大統領が国外に逃亡した北アフリカ・チュニジアの政変では、ネットを通じた呼びかけで反政府デモが盛り上がったという。

ウィキリークスが暴露した米外交公電によって、ベンアリ氏と家族らの腐敗や政治の私物化が明らかになり、国民の怒りの火に油を注いだ面もある。民衆の決起により指導者が国外に逃亡するのは中東では極めて異例だ。しかも、あれよあれよという間の政権崩壊は、情報が瞬時に伝わって人々を動かすネット時代ならではの現象として注目したい。

今回の政変は、チュニジアを代表する花にちなんで「ジャスミン革命」と呼ばれる。抗議行動の発端は昨年12月、野菜などを売って生計を立てていた青年が当局に販売を禁止され、抗議の焼身自殺を企てたことだという。治安当局の強圧的なデモ鎮圧などで多くの市民が死亡したのは痛ましいと言うしかない。

情勢はなお不透明ながら、メバザア暫定大統領(前下院議長)の下で近く挙国一致内閣が発足するというのは、国家の安定に関して歓迎すべきである。生活難にあえぐ国民の意を酌み、新政権は生活再建に努めてほしい。新大統領を選ぶ選挙も速やかに行うべきだろう。

多くの観光名所があるチュニジアは、外見的には穏やかな親米国家だった。その国で起きた政変は、他の中東諸国にとって、決して「対岸の火事」ではない。ベンアリ氏は23年も最高権力者として君臨したが、近隣のリビアではカダフィ大佐が69年から約40年権力を握り、エジプトでは81年から約30年、ムバラク大統領による政治が続いている。

「強権政治」とは、ベンアリ氏だけに向けられる批判ではあるまい。米ブッシュ政権の「中東民主化」構想には、イラク戦争を正当化する口実の色彩が濃厚だったが、中東諸国の民主化自体は必要だ。ベンアリ氏が逃げ込んだサウジアラビアにしても、サウド家による少数支配が続き、明確な憲法や政党はないし女性の権利も厳しく制限されている。

だが、中東での民主化はしばしばイスラム原理主義への揺り返しを生む。90年代に自由選挙を行った隣国アルジェリアでは原理主義政党が圧勝し、選挙結果が取り消されたため流血の混乱が続いた。チュニジアにも原理主義勢力「アンナハダ」が根を張っており、選挙を通じてイスラム色が強まる可能性もある。新政権がどんな政策を打ち出すか、情勢を注意深く見守りたい。

読売新聞 2011年01月19日

チュニジア政変 独裁体制崩した国民の不満

北アフリカのチュニジアで、23年に及ぶベンアリ大統領の独裁体制が崩壊し、次期大統領選までの暫定政権が発足した。

アラブ諸国では安定しているとみられていた体制の、あっけない幕切れである。

大統領は国外に逃亡したが、首都では銃撃戦がまだ散発的に起きている。暫定政権にはまず、速やかな治安の回復が求められる。

体制崩壊の口火となったのは、道端での野菜売りを警官に禁じられた青年が抗議の焼身自殺を図ったことだった。事件は携帯メールなどを通じて瞬時に広まった。

仕事にもつけず、食料品の高騰に不満を抱く若者らが抗議デモを行い、これに警官が発砲して多数の死傷者が出たため、国民のさらに強い反発を招いた。

インターネットで大統領一族の贅沢(ぜいたく)な生活ぶりや利権(あさ)りが暴露されていたことも、火に油を注いだ。ネット時代特有の情報伝達が独裁を倒したともいえよう。

地中海沿岸のチュニジアは人口1000万余の小国ながら、カルタゴ時代の遺跡など観光資源が豊富で、欧米や日本の観光客をひきつけてきた。欧州連合(EU)と自由貿易協定を結び、資本誘致にもある程度成功していた。

ベンアリ政権は、欧米の価値観と相()れないイスラム原理主義勢力も強権で抑え込み、欧米諸国からは「アラブの優等生」とみなされてきた。しかし、言論の自由や反体制活動は認めず、複数政党制も選挙も形だけのものだった。

暫定大統領には下院議長が就任し、60日以内に大統領選が実施されることになっている。暫定内閣には野党からも入閣し、挙国一致の体裁が一応整えられた。首相は言論統制機関だった情報省の廃止や政治犯の釈放を約束した。

だが、主要閣僚はベンアリ政権の与党が占めたままだ。暫定内閣に不満を抱く国民はなお多い。

長年の独裁で国内には形ばかりの野党勢力しか育っていない。民主的な体制を築くには、それなりの時間も必要になる。

アラブ世界では、民衆の抗議行動が引き金となって政権が崩壊した例は、過去にはなかった。

王制と共和制の違いを問わず、アラブ諸国には長期独裁政権が多い。政権の腐敗も進んでいる。それだけに、指導者たちは今回の政変の波及を恐れ、神経をとがらせていると言われる。

民衆の反乱を避けるためには、言論統制の撤廃、汚職の追放、貧困者対策など、指導者自らが改革に着手するしかないだろう。

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