阪神大震災16年 確かな備えで「減災」を

朝日新聞 2012年01月16日

ふたつの震災 ボランティア年を再び

阪神大震災から明日で17年がたつ。あの年、1995年はボランティア元年と呼ばれた。

1年で137万人の市民らが被災地に足を運び、支援の力になった。活動の広がりがNPO法の制定にもつながった。

それを上回る広域の大災害となった東日本大震災では、さらに多くのボランティアが駆けつけると期待された。

ところが、震災後の2カ月間に東北を訪れた人数は、阪神の半数にも届かなかった。10カ月後のいまでも総数で下回る。

県外からのボランティアを一時制限したことが、出だしのつまずきにつながった。

被災地の社会福祉協議会の受け入れ態勢が一部で整わなかったからだ。迷惑をかけてはいけないという風潮が広がり、救援の動きにブレーキがかかった。

社協は自治体ごとに設置される社会福祉法人だ。地域の福祉事業の拠点であり、ボランティア活動の支援も手がける。

阪神の後に新たな仕組みができた。活動を希望する人は、社協が立ち上げる災害ボランティアセンターに登録しコーディネーターの指示で動く段取りだ。

初心者にとっては、支援先も紹介してくれて心強い。半面、公共性を重視する社協の対応は柔軟さに欠けるきらいがある。

たとえば支援ニーズを把握するにも、被災者から申請を受けつける原則を重視する。申し込みを待ち、何百人ものボランティアが待機することもあった。

災害発生直後は、被害の大きい地域ほど声をあげる余裕がないため、支援が遅れがちだ。

被災者のもとに出向き、何が必要かを聞き取る工夫が肝心だ。センターを運営する社協職員は多くの業務に追われる。ならば外部の手を借りればいい。

実績のあるNPOに加わってもらえば、救援のノウハウを生かすこともできる。

厳しい冬を過ごす東北の被災地では、ボランティアの姿がめっきりと少なくなり、ピーク時の10分の1にまで減っている。

この時期に何ができるのかと躊躇(ちゅうちょ)している人もいるはずだ。

だれでもできる足湯ボランティアに参加してはどうだろう。

足が温まると心もほぐれるのか、ぽつりぽつりと胸のうちを明かしてくれることもある。何げない一言から悩みにふれることがあるかもしれない。

そばにいて「つぶやき」にじっと耳を傾けるだけでもいい。問題解決への手がかりが見つかればなおさらだ。

「あなたを忘れていない」。そんなメッセージを伝えることが大切なのだ。

毎日新聞 2012年03月12日

震災1年/8 世界と日本 手を差し伸べる国家に

東日本大震災から1年がたった昨日、東北だけでなく全国で、震災の犠牲者を悼む行事があった。そして世界各地からも、改めて追悼のメッセージが届けられた。

未曽有の悲劇だったが、あの日以降、国際社会が寄せてくれたさまざまな支援に私たちがどれほど助けられ、勇気づけられたことか。そのことを思い起こし、この相互依存の世界の中で日本がどう振る舞っていけばいいのかを、もう一度考えてみたい。なぜなら、私たちが体験した大震災は、世界が二つの意味でつながっていること、国際社会が抱える危機は一国だけの問題ではないことを教えてくれたからだ。

つながっていることの一つは、国境を超えた助け合いの絆だ。地震や津波といった自然災害は、いつどこを襲うかわからない。災害を人ごとだと考えず、他国の苦難に積極的に支援の手を差し伸べるたくさんの国や人々がいるからこそ、被災国は立ち直ることができる。

もう一つは、危機の連鎖である。原発事故は国境を超えて放射能を拡散させる。また、一つの国で大きな事故や災害が起きれば、世界の経済は一時的にせよマヒしかねない。日本の震災しかり、タイの洪水しかりである。危機を一国の中に封じ込めることはむずかしい。

ならば、私たちがすべきことはまず、自然災害や貧困に苦しむ途上国への支援のネットワークをこれまで以上に厚くし、不条理な死を少しでも少なくすること、国づくりの手助けをすることだろう。

助け合いの絆を考える時、私たちは日本という国の特殊性を頭に置いておきたい。日本は世界第3位の経済大国であり、世界一の長寿国家であり、暮らしの利便性では世界有数の豊かな国だ。一方で、火山列島に1億人が住む日本ほど、地震や津波などの自然災害のリスクにさらされている先進国はない。

防災白書によれば、78年から02年までの25年間に自然災害で死亡した人の9割以上が途上国に集中する。災害が貧しい国にもたらす被害は甚大で、04年にハリケーンに襲われたカリブ海のグレナダの経済被害は国内総生産(GDP)の2倍、同年のインド洋大津波でのモルディブの被害額はGDPの60%を超えた。またある統計では、80年から00年までの自然災害の年間平均死者数で一番多いのは、エチオピアの1万4000人余りとされる。東日本大震災の死者数はこれを上回る。

経済大国であり、かつ途上国と同様に自然災害の悲劇に見舞われる日本は、途上国の苦難をわがことと受けとめる感性と支援する能力を、先進国の中で最も持った国だと言えるのではないだろうか。

東日本大震災では、年間750ドル(6万円)以下で暮らす最貧国のうち、25カ国から支援を受けた。感謝を胸に、私たちは今度はまた救う側の国として、世界で重きをなす国になりたい。「人間の安全保障」という考え方に血を通わせ、肉づけをする。それはあの震災の教訓を踏まえた日本だから可能な、共感される国家理念になるはずだ。

そのためにも、政府開発援助(ODA)に「国家予算の1%」という目標を掲げてはどうだろう。現在のODAは5612億円(12年度予算案)で、ピーク時の半分だ。これを予算の1%(約9000億円)ぐらいに増やすのである。

ODAの「1%目標」は、途上国の貧困や格差解消の役に立つだけでなく、世界と日本の連帯を深め、友人を増やすだろう。

災害は貧困を加速させ、貧困は地域紛争やテロなどの温床にもなる。その根を絶ち、途上国が少しでも豊かになるよう協力することは、回り回って世界が豊かになり、安定することにつながる。それは、エネルギー資源のない通商国家・日本にとって、すぐれて現実的な生存戦略、安全保障でもあるのだ。

危機の連鎖への対応は、原発事故でも重要だ。事故の実態を世界に説明し、再び大事故を起こさないため努力することは、ヒロシマ、ナガサキに続きフクシマという放射能の悲劇を経験した日本の、国際社会に対する貢献にもなろう。

今月下旬にはソウルで第2回の核安全保障サミットが開かれ、野田佳彦首相も出席するという。核サミットでは、テロを想定した原発の安全確保の問題が大きなテーマになる見通しだ。原発テロは予防の視点で議論されることが多いが、攻撃されたあとの被害を最小限にとどめ、どうやって施設の復旧を急ぐかも併せて議論する必要がある。

日本は、原発事故の原因と対策だけでなく、事故のあと何が起きたのか、東京電力や政府の対応のどこに問題があったかも含め、可能な限り情報を公開し、広く海外の知見を求めるべきである。事故の情報伝達の遅れ、指揮命令系統の混乱、危機管理体制の不備も隠さず明らかにし、改善策について率直に議論する姿勢を示すことが必要だ。あれだけの大事故を起こした以上、失敗についても世界と教訓を共有することが、政府の責任ではないか。

読売新聞 2012年01月16日

阪神大震災17年 二つの重い教訓を次の備えに

阪神大震災の惨禍からあすで17年。被災地は鎮魂の日を迎える。

人々の祈りには、被災から10か月たった東日本大震災の犠牲者への深い哀悼と、確かな復興の願いも込められることだろう。

「1・17」の教訓は「3・11」に生かされているのだろうか。

大地震に不意打ちされたのが阪神大震災だった。「関西に大地震は来ない」という安心ムードがあり、備えは十分でなかった。

古い木造住宅などの耐震化は進んでおらず、死者6000人余の8割以上は家屋倒壊や家具の転倒による圧死だった。密集市街地の放置は火災の拡大を招いた。

兵庫県は3年前、復旧・復興過程を検証して100の教訓にまとめた『伝える 阪神・淡路大震災の教訓』を出版した。

災害初期には、地域住民が消防や警察と連携して救助に当たったり、高齢者ら「要援護者」の安否確認や避難を優先的に行ったりすることが重要だとしている。

復興過程では、産官学連携による新産業創出の必要性、企業の早期再開が雇用確保につながることなどが指摘されている。

私有財産である住宅に、公的補助を可能にした被災者生活再建支援法が、震災の3年後に成立したことで、難題だった住宅再建が容易になったとも述べている。

これらは東日本大震災にも共通する課題だ。全国各地の自治体が防災計画や復旧・復興対応を検討する際の参考にもなろう。

阪神大震災では、自衛隊の災害派遣要請まで4時間を要した。東日本大震災では発生6分後から地元知事の要請が始まっている。ここでは教訓が生かされた。

東日本大震災は、地震の規模も津波の高さも予測をはるかに超えたものだった。過去の津波災害の経験から、耐震化やハザードマップ作りが進み、防災訓練も繰り返し行われていたが、「想定外」の事態には対応できなかった。

例えば、津波に運ばれた車両や建物が炎上した「津波火災」、広範囲に及んだ液状化などの二次被害が発生した。全電源喪失による原子力発電所事故も起きた。

日本列島は地震の活動期に入ったとされる。首都直下型や東海・東南海・南海の連動型巨大地震も確実にやってくる。

被害を極小化するために、二つの震災から()むべき教訓は多い。「想定外」を想定し、防災体制の改良を続けるべきだ。国民一人ひとりも、災害の多い列島に住まう自覚を新たにする必要がある。

産経新聞 2011年01月16日

阪神大震災16年 「いつか」に広域で備えよ

阪神淡路大震災から17日で16年がたつ。6434人が犠牲となった戦後最大の自然災害は、われわれ世代には空前のことであったが、決して絶後ではない。必ずやってくる大地震に備えを忘れてはいけない。

歴史上、日本列島の太平洋側ではマグニチュード(M)8以上の東海、東南海、南海の大地震が90年から150年の周期で繰り返し発生している。しかも3つの地震は同時に、もしくは連続して起きる傾向があり、極めて広範囲に甚大な被害をもたらしてきた。

記録に残る近い事例では、安政元年(1854年)11月、東海地震(M8・4)と南海地震(M8・4)が、わずか32時間おいて連続発生している。その安政の地震からすでに150年が過ぎた。東南海地震を含め、いつ起きてもおかしくない。

内閣府中央防災会議は、3つの地震が同時発生すると、最悪で死者2万4700人、建物全壊94万棟、経済的被害は81兆円に達すると想定している。被害は首都圏から九州までの27都府県に及ぶ。

いうまでもなく、自然災害は地図上の府県境などおかまいなしに襲ってくる。ならば備えも自治体ごとの地域防災ではなく、広域で構えなければならない。

注目されるのは、昨年12月に7府県が参加して発足した関西広域連合の取り組みだ。

医療、環境保全、観光・文化振興など7分野で府県を超えて行う広域事務のうち、防災分野は阪神淡路大震災を経験した兵庫県が担当する。平成23年度中に「関西広域防災計画」を策定するほか、災害時の広域応援体制、合同防災訓練、救援物資の備蓄などについて検討が進められている。

大地震発生時には幹線道路が消防車や救急車などの緊急交通路として通行止めになり、東京都ではなまずのイラストの標識で周知されているが、大阪などは標識が目立たずほとんど知られていない。防災標識は規格統一すべきだ。

また、災害時に交通機関がストップして帰宅できない「帰宅難民」の支援ステーションとして、コンビニやファミリーレストランなどと支援協定が結ばれているが、こうした民間との連携も強化する必要がある。

大地震は、いつ、どこで起きるかわからない。それは今日、明日かもしれない。

朝日新聞 2011年02月24日

NZ大地震 一人でも多く救いたい

美しい街が壊れた。日本の若者を含む多くの人々が、がれきの中に取り残され、救助を待っている。

ニュージーランド第3の都市、クライストチャーチをおととい、マグニチュード6.3の地震が襲った。16年前の阪神大震災を思い起こした人も少なくないだろう。近代都市を直撃した直下型地震の破壊力を、改めて思い知らされる。震源の浅さも、被害を大きくしたとみられる。

日本からこの街に、大勢の語学留学生や観光客が訪れていた。語学学校が入った6階建てのビルが、ねじれるように崩れてしまったことが、多くの日本人が巻き込まれる不運となった。

「じしんおきた」。6文字のメールが家族に届いた。暗闇に閉じこめられながら、引率の先生が「落ち着いて」と声をかけ、仲間が「みんなで生きて帰ろう」と励まし合う。若者たちが携帯電話やメールで救助要請や安否を伝え合ったことも、目を引く。他方、かえって来ない返信には不安が募る。

人間の強さを信じ、祈りたい。

だが、なんとももどかしい。

崩壊した語学学校の現場では、捜索が一時中断された。近くのビルが倒壊の恐れあり、との情報も流れた。生き埋めになっても、72時間までは生還可能性は高い。日本時間ならあす朝。余震も続き、状況は予断を許さない。

被災地全体では、数百人規模で行方不明者が出ているという。要請を受けた日本政府はきのう、国際緊急援助隊を派遣した。地震発生から1日余りで出発できたことは、評価していい。日本のレスキュー技術は高い。被災者の国籍を問わず、全力を尽くさねばならないのはもちろんだが、日本人救助にもその力を発揮できないか。

それにしても、日本と似た火山の島国で、地震の経験を持つ国だ。備えは万全だっただろうか。

現地入りした五十嵐大介記者は「まだら状に被害が広がっている」と報告している。ニュージーランドは耐震技術の先進地とされるが、れんが造りの歴史的建造物や、耐震補強がされていなかった建物に、特に被害が集中した様子がうかがえる。

日本でも学校校舎など、耐震基準を満たさない建物は少なくない。財政難で補強や改修はなかなか進まない。都市部の活断層を正確に把握し、揺れを予測し、十分な対策をとる重要さを、痛感させられる。

救助、医療から被災者保護、心のケア、生活再建、地震に強い都市の復興へと、神戸同様、現地ではこの先、長い災害後プロセスが始まる。日本が積み重ねてきた知恵で、応援できることも多いはずだ。

いまは一人でも多くの命を救うために力を注ぎつつ、同じ地震国として学び合うことを、考えてゆきたい。

毎日新聞 2012年03月11日

震災1年/7 未来のために 「NPO革命」を進めよう

東日本大震災の発生から、きょうで1年を迎えた。改めて多くの犠牲者の冥福を祈るとともに東北、そして日本の復興を誓う日としたい。

国の政治がもたつきながらも、どうにかしのいできたのは被災者のみなさんの忍耐強さと地元自治体の努力があったからだ。さらにもう一つ見逃せない点がある。全国からかつてない巨額の寄付が寄せられる一方、今もさまざまな支援活動が続いていることだ。私たちはそれをもっと誇っていい。

「ボランティア元年」と言われた阪神大震災から今年で17年。被災地でがれき処理を手伝ったり、食料や衣料を配るだけでなく、活動範囲の広がりは目を見張るほどだ。

その重要な担い手がNPOだ。

例えば、原発事故の影響を今も受ける福島県の子供を夏休みと冬休みの長期間、北海道など各地で受け入れて林間学校を開いた「ふくしまキッズ」。夏は518人、冬も190人の小中学生が親元を離れて参加し、今は近く始まる春休みの準備が進む。多くのNPOと企業、自治体が協力し、これまで集まった寄付金は約8000万円にもなる。

子供の世話をするのは主に学生ボランティアだ。春の活動にも瞬く間に約200人が応募。大学生だけでなく補習授業の合間に手伝いに来る高校生もいる。発起人の一人、NPO「教育支援協会」の吉田博彦代表理事(59)は、00年の三宅島噴火の時も同じ試みをしながら長続きしなかった苦い経験を持つ。それだけに「5年は続ける。誰かに文句を言うだけではいけない。福島の未来を担う子供を育てたい」と話す。

20代、30代の若者が運営するNPO「カタリバ」は、津波で壊滅的被害を受けた宮城県女川町で昨夏、無料の学習塾「女川向学館」を始めた。小学校の空き教室を利用し、震災で職を失った塾講師を雇用する一方、休職して首都圏から駆けつけた同町出身の会社員やボランティア大学生らが町の小中学生全体の3分の1に当たる約200人を教える。

女川町役場、そして従来、塾とは競合してきた地元教育委員会と学校が全面的にNPOとコラボ(協同)しているのがミソだ。最近は親たちも「何かできることはないか」と協力を申し出るようになった。

東京を離れ、月の大半を現地で暮らすカタリバの今村久美代表理事(32)は「震災の試練を経験した子供たちは、もしそれを乗り越えたなら誰よりも強く優しくなれるはず。私たちの役目はそのための学習機会を作ってあげること」という。昨年12月には岩手県大槌町に2校目も開校した。役所や学校任せにしない新しい学びの形が生まれつつある。

愛知県半田市の社会福祉法人「むそう」の戸枝陽基理事長(43)と北海道当別町のNPO「ゆうゆう」の大原裕介理事長(32)は震災直後、「自閉症児らが避難所で苦労している」と聞き、学生らを連れて岩手県田野畑村に駆けつけた。障害児や家族を支援する児童デイサービスを始めようとしたが、当初、県の担当者は「県全体でも5人しか希望者がいない」と渋ったという。

ところが戸枝さんらが自主的に活動を始めると人口約4000人の同村だけでも20人以上が利用。障害特性に合った活動が評判を呼び、同県宮古市で始めた事業も20人以上が利用する。地元では「こんなサービスがあるとは知らなかった」と多くの人がいう。今では行政も協力し、近く正式に役所の事業となる予定だ。

今まで行政側には「NPOは下請け」の意識があったのは事実だ。だが、こうして「民」が「官」をリードする動きも広がっている。

昨年の法改正でNPO法人に寄付をすれば最大で国や自治体から寄付額の5割近い税金が戻ってくるようになった。これも大きな前進だ。

税金を徴収し、使い道を決めるのは従来、政府や自治体の仕事だった。だが、公共を担うのは官だけではない。教育や福祉などNPOの活動は拡大し定着してきている。そんな中、国民それぞれが「役所より、このNPOを応援したい」と寄付をし、減税される。それは一部とはいえ税金の使い道を国民自らが選択できる時代になったことを意味する。

国の一般会計予算は約90兆円。仮に寄付金が年に10兆円に上り、役所の縦割りや地域、世代の壁を超えてNPOが活躍する社会を想像してみよう。行政は一気にスリム化され、国会もおのずと変容するはずだ。

私たちはこれを「NPO革命」と呼んでみたい。もちろん震災支援を継続させるには、今後ますます国民の後押しが必要だ。しかし政治が立ち止まっているのなら、一人一人が自分のできることから動き始めるしかない。この数年、特に若い世代の間に「他人の幸せになることが自分の幸せになる」という機運が広がっている。「革命」の土壌はある。

日本中が悲しみに包まれ、「原発安全神話」をはじめ、これまでの価値観が崩れ去ったあの日を私たちは忘れない。そして、これからはまったく新しい「公共社会」を日本が実現させて世界をリードする。そんな未来を思い描こう。

読売新聞 2011年03月19日

震災1週間 医薬品供給と診療充実を急げ

東日本巨大地震から1週間。犠牲者は、18日までに確認されただけでも6500人を超え、阪神大震災を上回る戦後最悪の災害となった。

地震発生時刻の午後2時46分には、各地で黙とうが行われた。亡くなられた方にはお悔やみを、被災者にはお見舞いを、心から申し上げたい。

福島県では、入院中の病院などから避難所に移った高齢者21人が亡くなった。他の避難所でも、過酷な生活に体調を崩し、亡くなるケースが生じている。

避難所でこれ以上の犠牲者を出してはならない。医療支援を充実させ、重症患者や重度の要介護高齢者を、ただちに被災地の外の病院や施設に移すことが急務だ。

被災地の医療機関や避難所の医薬品不足は深刻だ。透析患者に必須の水や器材なども足りない。

医薬品は全国から被災地に急送されているという。しかし、必要な場所に必要なものを届ける調整機能が十分ではないようだ。

被災地では、行政機能を失っている市町村も多い。医薬品の流通を円滑にするために、国と県が早急に態勢を整えるべきだ。

インフルエンザが流行する事態も避けたい。防止には大量のマスクや消毒用アルコールを調達する必要がある。

トイレットペーパー、生理用品なども不足している。こうした衛生用品も早く十分に届くよう、被災地以外の人は買いだめを控え、支援に協力してもらいたい。

被災地には地震直後、阪神大震災を教訓に整備された約200組のDMAT(災害派遣医療チーム)が全国から急行し、救命救急医療にあたってきた。

いま、現地の医療の優先順位は、救命救急の段階から、慢性疾患を抱える患者などの病状悪化をいかに食い止め、被災者全体の健康をどう守るかに移っている。

我慢強い人ほど体調不良を訴えない。高齢者には自覚症状のない肺炎も多い。健康診断を頻繁に行うことで予防を徹底すべきだ。

日本医師会や看護協会、介護福祉士会などが、被災地に医療・介護スタッフを送り込み、日常の診療や介護を取り戻す態勢を準備している。政府が中心となり、迅速かつ計画的に配置してほしい。

被災時のショックや避難生活のストレスなどから生じる、心の問題のケアにあたる専門職も送り込む必要があろう。

朝日新聞 2011年01月17日

震災疎開 「第二の故郷」をつくろう

きょうで16年を迎える阪神大震災で家を失った被災者のうち、約12万人は県外に避難し、住み慣れた土地から離れて暮らした。

そうした震災による疎開では、行政の支援策や住宅募集の情報が疎開先に届かず、ふるさとに戻るきっかけを失った人も少なくない。

直下型の地震が首都を襲えば、事態はより深刻だ。最も大きな被害想定によると、85万棟が全壊する。

身寄りを頼って疎開する人は91万人と見込まれる。一方で、被災地にとどまって避難所に身を寄せる人は、地震の1カ月後でも270万人にのぼるとみられる。

国の中央防災会議は、避難所で暮らす人たちが疎開できる態勢づくりを提言している。避難所暮らしが長引けば、疲労とストレスで体調を崩しかねず、救援物資の不足も心配なためだ。

しかし、疎開先のあてがない人も多いだろう。突然知らない土地で暮らすのは不安だ。とすれば疎開を受け入れてくれる地域とふだんから交流し、顔のみえる関係を築いておけば心強い。

52年前の伊勢湾台風では学校区ごとに住民がまとまって疎開し、コミュニティーの分断を防いだという。そんな過去の被災体験を生かしたい。

災害時に被災者を受け入れる施策を準備する地域も出てきている。

鳥取県の山間のまち、智頭町は来月から「疎開保険」を募集する。掛け金は1人年1万円。災害時には疎開地として1週間の宿泊先と食事を提供する。災害がなければ、農作物など町の特産品を加入者に届ける。

ガイドが森を案内し、森林セラピーを体験してもらう疎開ツアーを町は企画している。交流が生まれたら地域経済も潤い、都会っ子には自然に触れるよい機会になる。

中越地震で大きな被害を受けた新潟県は、首都圏から100万人の被災者を受け入れる「防災グリーンツーリズム」を進めている。都会の人たちに農村を体験してもらうことで交流を深め、大地震が起きれば「第二の故郷」としてその人たちに来てもらう。

疎開した人に被災自治体からの支援策が確実に伝わる窓口をつくり、態勢づくりのモデルにしてほしい。

震度7の激震に見舞われた旧川口町の荒谷集落は、中越地震から3年後の2007年に東京都墨田区の京島地区と交流を始めた。東京で最も建物倒壊の危険度が高い木造住宅密集地域だ。

その京島の住民らが山菜採りに荒谷を訪ね、荒谷からは農作物をもって京島の文化祭にやってきた。

荒谷集落の宮日出男さん(70)は「復興でお世話になった都会の人たちに恩返しをしたい。東京で地震が起きたら、疎開してきてほしい」と話す。

絆を培い、大地震に備えたい。

毎日新聞 2012年03月10日

震災1年/6 首都直下地震 世界一のリスク克服を

東日本大震災後、首都圏での大規模地震発生へ懸念が強まっている。地殻にかかる力が変化し、地震が発生しやすくなっていると専門家は指摘する。人口が密集し、政治や経済の中枢が集中する首都の大地震への備えは喫緊の重大課題だ。

国の中央防災会議は、首都直下地震として震源を異にするマグニチュード(M)7級の地震18通りを想定。うち東京湾北部を震源とするM7・3、震度6強の地震が起きた場合の被害を予想している。

冬の午後6時、秒速15メートルの強風が吹いた場合、火災が広がり85万棟が全壊・焼失し、死者は1万1000人に上る。経済的な被害は112兆円とされる。国内外に与える影響は極めて甚大だ。

文部科学省の研究チームが先日、震度7の揺れも想定されるとの研究成果を公表したことも見逃せない。

03年にドイツの再保険会社が公表した「世界大都市の自然災害リスク指数」によると、東京・横浜は主要50都市の中で格段にリスクが高い。地震発生の可能性は別として、指標の中には、住宅の構造や都市の安全対策水準など適切な施策によって向上可能なものもある。国際社会の信頼を得るためにも、首都圏の減災対策は欠かせない。

大規模災害発生時は、政府が災害の全体像を迅速に把握し、的確な状況判断の下で救助・救援活動を展開することが求められる。首都を震災が襲った場合、国家の中枢機能の維持がまず求められるのは当然だ。

中央防災会議が05年に決定した「首都直下地震対策大綱」でも、首都機能の継続性確保を第1の柱として挙げた。災害発生から3日程度の応急対策時も業務を続けられる態勢を整えようというのが目標だ。

そのために各省庁が作っているのが業務継続計画(BCP)だ。停電に備えた自家発電カバー率や、緊急対応の職員数、時間ごとの参集可能人数、食料の備蓄や安否確認の方法の整備など多岐にわたる。

だが、内閣府が昨年12月に各省庁などを対象に調査したところ、ほころびが明らかになった。

勤務時間外に地震が発生した時、参集可能な職員数の予測を時間の経過に沿ってしていなかったり、停電に備えた自家発電設備をコンセントに全て配電していないなど、多くの省庁で備えの甘さが露見したのだ。

BCPは、インフラ企業や大企業などでも策定が進む。政府機関より詳細にシミュレーションしている例も少なくない。行政の心臓部が機能不全に陥らないよう早急なチェックが必要だ。

また、超党派の国会議員からは、緊急時に首都機能を補う施設を大阪などに設置すべきだとの意見も出ている。東日本大震災復興構想会議も昨年6月にまとめた提言で「首都直下地震の可能性などを考慮し、各種機能のバックアップのあり方など広域的な国土政策の検討が必要である」と指摘した。

こうした施設の配置や分散も含め、中長期的な課題についても具体的に検討を進めるべきだろう。

東日本大震災の教訓も踏まえ、想定される甚大な人的・物的な被害をどう軽減させていくのかも、首都直下地震対策の大きな柱になる。

建物の耐震化や、想定される死者の死亡原因の過半数を占めるとみられる火災を広げないための対策、ライフラインの耐震化、多重化をどう進めるかがまず問われる。

都心部を取り巻く幹線道路沿いには、老朽化した木造住宅の密集地が多い。東京都は建て替え時の耐火構造化を促進するため、助成や税金の減免なども検討している。だが、高齢化や複雑な権利関係が壁になり容易ではないとみられる。

大災害時は、「公助」だけでなく、「共助」や「自助」も含め社会全体で減災を図らなければならない。自宅の耐震化や家具の固定などできることはしておく姿勢が身を助けることを自覚したい。

東日本大震災の際、首都圏で約515万人の帰宅困難者が生まれ、夜間まで幹線道路の歩道は帰宅する人たちであふれた。首都直下地震で同じことが起これば、火災などに巻き込まれる2次被害が頻発するのは必至だろう。国や東京都、企業などで設置した対策協議会が今議論しているが、「むやみな帰宅の抑制」を目指す方向性は当然だ。

そのために企業に3日分の食料や水の備蓄を義務づける都条例も制定の予定である。大規模訓練も始まっている。官民の協力態勢を一層、進めていきたい。

また、帰宅困難者を含め、被災して自宅に戻れない住民の避難先も数十万人の単位で足りないとの試算が出ている。公共施設だけでなく、商業施設や企業なども受け入れを検討してほしい。主要駅直下にある地下街など巨大な地下スペースの活用も課題になりそうだ。

海岸に近い場所では津波や地盤の液状化対策が必要だ。また、ビルの高層階では長周期地震動による激しい揺れへの対策の必要性が東日本大震災で浮き彫りになった。多角的な視点で、減災策を模索したい。

読売新聞 2011年03月12日

東日本巨大地震 被災者の救助と支援に全力を

マグニチュード8・8と、国内観測史上最大の巨大地震が東日本一帯を襲った。

東北地方を中心に、猛烈な揺れが何度も続き、大津波が沿岸に押し寄せた。建物も崩壊し、夜までに70人以上の死者が確認された。けが人や行方不明者も大勢いる。

政府は菅首相を本部長とする緊急災害対策本部を設置、被災者の救助と救援に全力を挙げるよう全閣僚に指示した。気象庁はこの地震を「東北地方太平洋沖地震」と名付けた。

迅速な初動体制が肝要だ。自衛隊や警察、消防などを総動員し、関係自治体とも協力して、万全の対応をとってもらいたい。

被災地の模様を伝えるテレビ映像は、言葉を失うほどの惨状を映し出した。

大津波が住宅やビル、自動車などを次々と巻き込みながら、陸地をなめ尽くすように内陸部へと押し寄せた。

遠く離れた東京、千葉など関東圏でも、住宅やマンション、ビルが損傷、火災も発生した。交通網も広域でマヒし、多数の“帰宅難民”が出ている。

東北地方には、東京電力、東北電力などの原子力発電所が多数設置されている。運転中の原子炉は揺れで自動停止した。

東電の福島第1発電所では、自動停止後、緊急時に原子炉を冷やすための非常用電源が働かない状態が続いている。

外部への影響は確認されていないが、政府は原子力緊急事態を宣言し、「念のため」として周辺半径3キロ・メートルの住民に避難を指示した。早急な安全確認が必要だ。

◆「阪神」の教訓を生かせ◆

余震が続いている。津波は今後も到来する可能性がある。しばらくは油断禁物だ。

テレビやラジオなどで、地震や津波に関する情報に注意し、一人ひとりが警戒を緩めないようにしてほしい。

被災地の人的、物的被害の状況は、ほとんどわかっていない。政府や関係自治体は、まず状況把握に全力を挙げねばならない。

6400人以上の犠牲者が出た1995年1月の阪神大震災でも、なかなか被災状況が判明せず、救助と救援が後手に回った。災害の規模が大きいほど、全体状況の把握は困難さを増す。

電気やガス、水道などのインフラが止まった地域も多い。電話やインターネットなどの通信網も、つながりにくい状態だ。パニックに陥らず、冷静に行動することが大切だ。

被災地の寒さも懸念される。

会社や学校、地域で助け合うことも重要だ。阪神大震災やその後の大きな地震では、地域の人たちの救出・救援活動が、被害を最小限に抑えるのに貢献した。

◆有数の津波危険地域◆

三陸沿岸は、津波災害の危険に常にさらされてきた地域だ。

地球を覆う岩板(プレート)のうち、太平洋プレートと陸地側のプレートが三陸沖の海底で衝突しており、周期的に大きな地震が発生している。

しかも、沿岸は湾が複雑に入り組んだ「リアス式」と呼ばれる形をしており、押し寄せた津波がさらに増幅される。

世界屈指の津波危険地域とも言われ、1896年の明治三陸大津波では、2万2000人もの犠牲者が出た。

この時と同じく、今回も各地で津波が高さ4メートル以上に達したと伝えられる。早く高いところへ逃げることが身を守るための唯一の手段だが、津波の速度はすさまじかった。被害が心配だ。

今回の地震で、被害が広い範囲に及んでいる原因として、複数の地震が連動したことも指摘されている。大きな地震が隣接地域の地震を引き起こして大規模な被害をもたらした例は、日本でも過去に何度もある。

今回も、最初に発生した最大規模の地震が引き金になり、震源を変えて3回以上、大きな地震が続いたとみられている。

◆与野党協力で対応急げ◆

政府の緊急災害対策本部長の菅首相は、被災地の人々に向けて「落ち着いて行動してほしい」と呼びかけた。

今回の地震を、首相は日本の最大級の危機と認識すべきだ。

人命救助と被災地の支援に強いリーダーシップを発揮しなければならない。

与野党は当面、政治休戦して、地震対応に全力を傾注すべきだ。衆院解散・総選挙を要求していた自民、公明両党を含め野党全党が地震後すぐ、政府に全面協力を約束した。当然の対応である。

大規模な補正予算も編成する必要がある。

与野党は協力して、政府が遅滞なく救援や復興作業に取り組めるようにすべきである。

毎日新聞 2012年03月05日

震災1年/3 多難な復興の歩み 再生へ壁を超えよう

東日本大震災で被災地を襲った津波の傷痕は、今も各地に残る。

宮城県石巻市。北上川流域の市街地が津波にのみ込まれ、死者・行方不明者は被災自治体最大の3900人に上った。住宅約2万2000戸が津波にさらわれ、残ったがれきは推計約610万トン。通常同市で処理する106年分に相当する。

市内の仮置き場は23カ所。2月下旬に訪れた仮置き場のがれきの山は4層に積み重ねられ、高さは10メートルを超える。その上で数台の大型重機が作業をしていた。真冬にもかかわらず、すえたにおいが鼻をつく。

「夏にはハエが発生します。においとほこりで高校生はマスクをしないと運動もできません」。市の担当者が嘆いた。

1日1500トンを処理する県の焼却・リサイクル施設が5月にも稼働する。だが、4割程度を県外で広域処理しなければ、国が目標とする13年度中の処理完了は到底無理だ。

がれき処理は、三陸沿岸部自治体に共通する難題だ。だが、毎日新聞の調査では、市町村に処理受け入れを要請しているのは10都府県にとどまる。政府が震災後に示した焼却灰の放射線量の基準について、本当に安全なのか不信感が地元住民に根強いのだという。

まずは、安全性について環境省が丁寧に説明を尽くすのは当然だ。その上で、できる限り手を差し伸べることが被災地の立ち直りには欠かせないことを改めて確認したい。復興庁が2月に発足し体制も一新した。岩手、宮城両県のがれき処理については、復興庁が強く主導する役割を果たしてほしい。

大震災後このおよそ1年の間、ボランティアや義援金など国民一人一人が「できること」を積み上げてきた。そして、被災地の現状を見るとき、これまで以上のかかわり合いが必要だと痛感する。

岩手、宮城、福島の3県では、10万人以上の被災者が仮設住宅や借り上げ住宅に移った。高齢者も多い。阪神大震災の例を振り返るまでもなく、孤独死が心配だ。ボランティアの活動の場は少なくないはずだ。

一方、政府の復旧、復興に向けた動きはどうだろう。これまでは決して迅速でなかった。

要因はさまざまだが、衆参ねじれや民主党の内輪もめ、与野党の党利党略が復興の足を引っ張った。震災からわずか3カ月後、国会は内閣不信任決議案をめぐる政局攻防を繰り広げた。政治の汚点として歴史の責めを負うべきであろう。

これからの1年が、被災者の生活再建への長い道のりの中でとりわけ重要だ。津波の惨禍を繰り返さない防災、安全対策と雇用を中心とする生活再建が両立できる地域づくりを軌道に乗せられるか、正念場である。

政府は「市町村主体の復興」という原則を掲げている。中央からビジョンを押し付けず、地域の主体性を尊重する姿勢は賛成だ。

だが、それが政府の責任逃れの口実となってはならない。自治体の努力を人的にも、財政面でも支える国の責務を改めて強調したい。

毎日新聞の集計によると、津波浸水地の住民の高台・内陸への移転を被災3県で2万2000戸が予定し、上積みが予想される。高台移転は、復興事業の重要な柱の一つだ。

宮城県気仙沼市唐桑町舞根(もうね)地区は、31世帯が高台に移転することで合意し、今月から市による開発地の調査も始まる。

昨年の震災直後から地区民で移転の構想を練り上げ、市当局を動かしてきた。期成同盟会の畠山孝則会長は「自分たちのふるさとを守りたい。コミュニティーを継続させたいとの一念でした」と振り返る。

もちろん、地元住民の合意形成が順調に運ぶ例ばかりではない。国は専門知識を持つ人材の支援も含め、粘り強く作業を支えるべきだ。

とりわけ、移転する人が新たに住宅を取得するのに必要な資金の確保が今後の課題となる。浸水地の買い上げなどで得られる資金には限界があるだけに、民間金融も活用した方策などを政府はさらに工夫すべきだ。公営住宅の建設、漁業地域では浸水地に建築制限がかからない制度の活用など、地域にふさわしい解決策を探ってほしい。

政府は震災から5年間の集中復興期間の財政支出を19兆円規模と見積もる。12年度当初予算案分も含めすでに18兆円を計上しており、住民の集団移転、原発事故に伴う放射性物質の除染などの費用はさらにふくらむ可能性がある。

復興事業や特区の認定のハードルが高く、使い道が自由な交付金が配分されにくい、との不満も被災自治体から出ている。しゃくし定規な対応をし続けると、地元のやる気そのものがそがれてしまう。

限りある予算を効率的に使い、国の施策が現地のニーズに合っていない場合は柔軟に使い道を転換するなどの対応は当然だ。それでも必要欠くべからざる費用があるのなら、さらなる財政措置を避けるべきでない。厳しい財政状況の下でこの問題にどう取り組み、国民に説明していくかが政府の重い責任となる。

読売新聞 2011年02月23日

NZ大地震 「直下型」の怖さ見せつけた

英国風の古いレンガ造りの教会、ビルなどが無残に崩れ落ちている。

ニュージーランド南島最大の都市クライストチャーチの被災状況は、都市直下型地震の脅威をまざまざと見せつけた。

倒壊したビルの下敷きになるなどして多数の死傷者が出ている。200人が勤務するオフィスビルも崩れ落ちたという。

日本人も、在住者に加え、観光客や留学生など計3000人以上が市内にいたとみられる。

富山市の富山外国語専門学校からは、教員と学生計23人が語学研修のため現地を訪れていた。

地震が起きた時、昼食のためカフェテリアにいたという。崩壊した建物の下に閉じこめられるなどして、負傷者が出た。連絡がつかなくなっている学生らもいる。

外務省や旅行会社などは、被災者たちの一刻も早い安否確認に努めてもらいたい。

現地では道路や通信網が混乱している。多くの住民が、被害の大きかった街の中心部から避難している。負傷者が多く、医療機関での治療が追いつかない。市内には非常事態が宣言された。

日本政府は、救出・救援活動に備えて先遣隊を送った。早急かつ十分な支援が求められる。

ニュージーランドは、日本と同じ「地震国」だ。地球の表面を覆う巨大なプレート(岩板)同士がぶつかり合う場所にあり、内陸部には、直下型地震を引き起こす活断層がいくつもある。

クライストチャーチでは昨年9月にも大きな地震があり、100人以上が負傷している。今回は前回ほどの規模ではなかったが、震源が5キロ・メートルと浅かったため、被害が大きくなった。

ただ、ニュージーランドは、有感地震や大きな地震の発生頻度では日本の10分の1程度だ。欧州からの移民が本格化して200年余りのため、過去に起きた大地震の記録は少なく、活断層などの調査も進んでいるとは言えない。

一部の建造物には先進的な耐震技術が使われているが、被害状況を見ると、歴史的建物ばかりでなく新しいビルも崩壊している。耐震性が十分でなかったようだ。

日本も、1995年の阪神大震災で、建造物の耐震性の弱さが露呈した。その後、耐震補強が進められてはきたが、小中学校の校舎などの補強は遅れている。

いつ起きてもおかしくない首都直下地震や、東海、東南海、南海地震など巨大地震への備えを改めて点検することが大切だ。

毎日新聞 2012年03月04日

震災1年/2 放射能との闘い 福島の再興を支えたい

東京電力福島第1原発事故で住民の大半が避難生活を余儀なくされた自治体で、再生、復興の歩みが始まった。役場機能を町外に移していた福島県広野町が1日、町役場を本来の庁舎に戻した。避難自治体で最初に「帰村宣言」をした川内村も来月役場に戻り、学校も再開させる。

2月に訪れた川内村役場は、庁舎全体が緑色のシートで覆われていた。昨年3月11日の大地震で傷み、仮復旧の工事が急ピッチで進んでいる。福島の地を襲ったのは原発事故だけではないことを改めて思い知らされる。

「避難した村民をサポートしながら無我夢中だった。記憶が飛んでいるところもあるし、今はこれからのことで頭がいっぱい」と、遠藤雄幸村長は激動の1年を振り返る。

原発事故で全域が警戒区域と緊急時避難準備区域に指定され約3000人の村民全員が避難した。昨年9月に緊急時避難準備区域が解除されたが戻った村民は約200人。大半は県内外で避難生活を続けている。

遠藤村長は1月31日に「帰村宣言」をしたが、「戻れる人は戻る。心配な人は様子を見てから」と、自主判断を尊重する。全村民を対象にしたアンケートでも、約6割が「帰村しない」「分からない」との回答だった。依然、先行きが見通せる状況ではない。

全国各地に避難している人々のふるさとへの帰還をどう進めていけばいいか。政府は4月にも警戒区域と計画的避難区域を再編し、年間の放射線量が20ミリシーベルト未満の地域は帰還を前提とした生活環境の整備を進めていく方針だ。

今後、多くの自治体がさまざまな課題に直面するだろう。除染はもちろん、子供をはじめとした住民の健康や食の安全、雇用確保、コミュニティー維持など山積している。

とりわけ除染の問題はハードルが高い。政府は現在、モデル事業を展開しているが、効果的な除染の方法を含め手探り状態が続く。

放射線量が年間50ミリシーベルト以下の地域については14年3月までに除染の完了を目指すとの工程表も公表したが、どこまで下げるのか目標値などは明らかにされていない。

農地や森林の除染費用を巡っては、現場の実情にあっていないとの不満も強い。

食の安全を確保し、健康への不安を払拭(ふっしょく)することも欠かせない。川内村では学校や集会所などに食品の放射線測定器を11台置いて、住民がいつでも無料で測れる体制を整える。18歳以下の村民についてはすでに内部被ばくの測定を終え、今後も測定を続けていく。甲状腺の検査体制も整備した。

こうした試みは、これから帰還をめざす自治体にも参考になるだろう。自ら対策を進めてきた遠藤村長は、「政府の支援や情報提供は時間がかかりすぎた」と苦言を呈する。今後は地元の意向をしっかりと受け止め、さまざまな政策課題について、明確な指針を迅速に示すことが政府に求められる。

一方で、地元と意思疎通を図り、慎重に進めなければならないのが汚染土壌の中間貯蔵施設建設問題だ。政府は福島県双葉郡内への設置を求めているが、郡内8町村長との意見交換会が先日急きょ中止になった。政府への不信感を指摘する声もある。真摯(しんし)に受け止めるべきだ。

放射性物質による汚染土の保管問題は、首都圏にも波及している。政府は「処理の責任は市町村だ」と、知らぬ顔でいいのか。国有地の提供も含め、対策を検討してほしい。

住民に「帰ろう」と言えない自治体もある。放射線量が年間50ミリシーベルト以上の「帰還困難区域」が指定される時、大熊、双葉両町は相当な割合の住民が帰れなくなると想定される。

ある70代の双葉町民は、法律相談の弁護士に対し「お墓にも行けない。自分の埋まる場所がなくなった」と、故郷をなくした喪失感を訴えたという。胸が詰まる思いだ。

全村避難を強いられている飯舘村が実施したアンケートでは、4割近くの人が「イライラすることが増えた」と回答した。家族と別々の避難生活を余儀なくされている人も多く、「心のケア」の必要性が喫緊の課題になっている。

憲法では、幸福追求権(13条)や生存権(25条)、財産権(29条)が認められているが、この1年、福島県民の権利は、十分に尊重され、保護されてきただろうか。

日本弁護士連合会は、国際的な人権原則に照らしてみても、避難を余儀なくされている福島の人たちの人権保障の責任は国にあると主張。その点を明確に規定した立法の必要性を訴え、意見書を先月、政府や国会議員らに提出した。民主党内でも、原発被害の人たちを対象にした保護法が検討されている。

原子力損害賠償紛争審査会などを通じた東電と被害者の賠償を仲介する仕組みなどは整ったが、金銭に換算された補償だけで済む話ではないだろう。

避難先でのいわれない差別やいじめも報告されている。国民一人一人がしっかり受け止めたいと思う。

読売新聞 2011年01月18日

阪神大震災16年 地域の絆で防災力を高めたい

阪神・淡路大震災から16年の17日、被災地では「鎮魂」の(あか)りがともされた。大震災の様々な教訓を生かし、地域の防災力を高めることが、何より急務である。

地震や風水害への備えは十分だろうか。地域や住民の取り組みを国や自治体が支えるとともに、広域に及ぶ応援体制を強化する視点が欠かせない。

この16年間で、防災の主体となる自治体に訪れた最も大きな変化は、「平成の大合併」だ。

防災設備の整備は進んだが、防災力には懸念も生じている。そんな実態が、合併を経験した588自治体を対象に昨年11月実施した本社の全国調査でわかった。

防災担当職員を本庁に集約した結果、旧市町村庁舎に置いた支所には担当者不在という自治体が4割にのぼった。担当者の数が減った自治体も4割あった。

たとえば、2004年の新潟県中越地震後に柏崎市と合併した旧西山町の場合、3年後の中越沖地震発生時に旧西山町の担当者が本庁におり、結果として避難所への食料配達が滞った。

4町が合併した兵庫県佐用町でも一昨年、豪雨被害の際、町役場から遠い被災地域の状況把握に手間取り、避難勧告が遅れた。

自治体の面積は広がる一方で、防災体制が手薄になるというのでは困る。合併した自治体は、改めて緊急時の防災体制をチェックしてもらいたい。

とくに、初動に遅れが生じてはならない。阪神大震災の発生直後に、災害対策本部を設置して情報収集や被害対応に当たった神戸市の経験は、他の自治体の訓練や研修の機会に参考となろう。

大震災後、知事の要請がなくても、自衛隊は自主的に出動できるようになった。自治体や消防、警察が、防災会議などで自衛隊と意思疎通を図っておくことが、救援活動の効率化につながる。

東海・東南海・南海地震は今世紀半ばまでの発生が確実とされている。被災地域が広範囲に及ぶ大規模な災害に対応するため、医療やライフラインの広域応援体制も確実にしておかねばならない。

大震災への対応は、個人や行政の力だけでは限界がある。企業の貢献にも期待は大きい。

孤独死や行方不明高齢者が相次ぐ「無縁社会」が問題になっている。万一に備えて地域の絆を深めておかねばならない。行政による「公助」と住民の「自助」、そして双方が支え合う「共助」の意識を高めることが、大切だろう。

毎日新聞 2011年05月13日

震災遺児 社会全体で見守ろう

地震や津波で両親を亡くした子は141人(11日現在)に上る。県外の親族に引き取られて確認できない子もまだ相当数いるとみられ、さらに増える見込みだ。

ほとんどの子は現在、親族の家に身を寄せるか、避難所で親族と一緒に生活している。当初は校舎を改築して寄宿舎にする案や、被災地の自治体に登録されている約400人の里親、児童養護施設、ファミリーホームでの受け入れが検討された。しかし、幼少期はできるだけ家族的な環境の中で養育することが望ましいとの意見は強く、厚生労働省は児童相談所を通じて親族による養育を続けられるよう調整している。阪神大震災でも親を失った68人の子どものうち60人が親族に引き取られた。

背景には里親制度が拡充されたことが挙げられる。児童虐待などで親による養育が難しい子どもは増えているが、諸外国に比べてわが国では里親になる人が極めて少ない。特に3親等以内の親族には民法上の養育義務があるため、里親になっても公的支援はなかった。02年の児童福祉法改正で、初めて親族里親に対して月額4万7680円の養育費が国から支給されるようになった。それ以外の里親にはさらに月額7万2000円を加えて支給される。

ただ、血縁関係のある親族の元で暮らせばそれで安心というわけではない。阪神大震災でも県外の親族に引き取られた子が慣れない環境や人間関係の中で体調不良を訴えたことがあった。被災体験や親を失ったことに加え、故郷や友だちとの離別という二重の喪失感に襲われる子どものケアはきめ細かく長期的に行わなければならない。

愛情や熱意だけでは里子の養育を続けていくのは難しい、とも言われる。里親になる際には基礎知識やスキルを身につける研修が義務づけられ、家庭状況や養育環境、経済状態なども審査されるのはそのためだ。心的外傷を負った子には特別な配慮も必要だ。混乱や不安から「赤ちゃん返り」や一人になるのを恐れる「分離不安」などの症状を見せることがある。怒りを周囲の大人にぶつけたり、自分だけが生き残っていることに強い罪悪感をおぼえたり、中には幻聴を訴える子もいるという。

親族里親には研修を受ける義務はないが、その分手厚い支援を用意することが望まれる。里親同士が集まって悩みを語り合い情報交換する機会、疲れた里親が休息を取れるように一時的に里子を預かってもらう制度などを充実させるべきだ。

「社会全体で子どもを育てる」は民主党が子ども手当で掲げた理念である。震災で親を亡くした子こそ社会全体で見守っていく必要がある。

毎日新聞 2011年03月12日

東北沖大地震 救出、復旧に総力挙げよ

甚大な被害が時間を追うごとに明らかになってくる。宮城県の三陸沖を震源地とする巨大地震が11日、日本列島を襲った。「東北沖大地震」である。

気象庁によると、地震の規模(マグニチュード)は8・8を記録した。関東大震災や東南海地震、阪神大震災の規模を超える。国内観測史上、最大規模の地震だ。

大きな余震も続く。気象庁によると、マグニチュード7クラスの地震が、今後1カ月程度、余震として何回か起きる可能性があるという。最大限の警戒が必要だ。気象庁は岩手、宮城、福島各県の太平洋岸などに大津波警報を発令した。

場所によっては、高さ10メートルの大津波が到来した。

津波と土砂が海岸や河川、畑などに押し寄せ、車両やコンテナ、家屋をのみ込んで陸地に押し寄せる映像には息をのむしかない。

倒壊したり、土砂崩れに巻き込まれた民家もあり、生き埋めになった人も出ているとみられる。

東京都心でも、ビルなどで天井が落ちたり、火災が発生するなどの被害が多く出ている。

警察庁などによると、同日中に、東北や関東地方などで死者数が数百人規模にのぼり、行方不明者も多数出ている。

被災者の皆さんには、心からお見舞いを申し上げたい。また、関係機関には、人的被害が予想されるケースについては、一刻も早い救助をお願いしたい。

政府は地震発生直後に、菅直人首相を本部長とする緊急災害対策本部を設置した。

菅首相は「国民は助け合いの精神で、被害が最小限にとどまるよう行動してほしい」と呼びかけ、「政府としてできる限り全力で、全身全霊で対応する」と述べた。

自民党など野党幹部も、民主党に全面協力を約束した。国会として、地震対策に最優先で当たるのは当然である。

防衛省は、海上自衛隊横須賀基地に停泊中の海自の全艦隊を宮城県沖に向かわせた。

政府各機関の連携を密にし、対応に万全を期してもらいたい。

東北電力によると、地震の影響で、東北各県の全域、またはほぼ全域で停電している。電話などが通じにくい状態も続いている。

生活に深く関係する「ライフライン」の復旧には全力で取り組んでほしい。

また、福島県の東京電力福島第1原子力発電所では、地震で停止した3基の原発で、原子炉を安全に冷やすための「非常用のディーゼル発電機」の全てが使えなくなった。

東京電力は、原子力災害対策特別措置法に基づいて原子力安全・保安院に「緊急事態」を通報した。

これを受け、政府は「原子力緊急事態」を宣言し、半径3キロ以内の住民に避難を指示した。

また、宮城県の女川原発では、火災が発生したという。原子力の安全は、何よりも優先される。関係機関は、安全第一のため、しっかりと対応してもらいたい。

宮城県三陸沖周辺には、太平洋プレート(岩板)の境界となる日本海溝がある。

ここを震源とした大地震は「宮城県沖地震」と呼ばれ、過去に数十年周期で繰り返し発生してきた。

最近では78年に多数の死傷者を出したマグニチュード7・4の大地震が起きている。

宮城県沖地震は、政府の地震調査委員会が「今後10年以内に70%、30年以内に99%の確率で起きる」と想定していた。

今月9日にも、宮城県栗原市などで震度5弱を観測する強い地震があったばかりだ。

専門家は「プレート境界という点では共通しているが、宮城県沖地震で想定されている震源よりも100キロ離れている」などと述べながらも警戒の必要性を強調していた。

だが、専門家らによると、今回発生した巨大地震のエネルギーは、従来想定していた宮城県沖地震よりもはるかに大きいという。

気象庁や専門家のしっかりとした分析を待ちたい。

近い将来の発生が想定されていたのが、駿河湾から四国沖にかけての海底を震源地とする東海地震や東南海地震、南海地震だ。今回、東京など首都圏にも大きな揺れが襲い、多数の人が避難し、帰宅困難者が出るなど大きな影響が出た。

いわゆる首都直下型の地震への対応はどうとられたのだろうか。

企業や学校を含めて、今回の地震への対応を検証することが、今後の地震対策を深めることにつながる。

日本は、環太平洋地震帯に位置し、地殻変動が激しく地震活動が活発だ。94~03年に世界で発生したマグニチュード6・0以上の地震の2割は日本周辺で発生している。

日本は世界でも有数の地震大国であることを改めて認識したい。

住宅の耐震化などを含め、一人一人の防災対策が必要なのは言うまでもないが、ともかく救援や生活基盤の回復に全力を挙げたい。

毎日新聞 2011年02月25日

NZ地震 直下型の脅威改めて

ニュージーランド南島のクライストチャーチを襲ったマグニチュード(M)6・3の地震は、時間とともに被害の大きさが明らかになり、直下型地震の脅威を見せつけた。まだ連絡が取れない日本人も多い。日本の国際緊急援助隊も現地で活動を開始した。政府は安否確認と情報収集に全力を挙げ、ニュージーランド政府にできる限りの支援をすべきだ。負傷者や家族のケアにも万全を尽くさなければならない。

地震国のニュージーランドでは過去にも度々地震が発生している。クライストチャーチは歴史的な街並みや治安の良さなどで観光地や語学研修先として人気が高く、3000人近い邦人が滞在しているが、昨年9月にもM7・0の地震が起きた。

被害が大きいのは、市中心部にある語学学校「キングス・エデュケーション」が入居したCTVビルだ。6階建ての建物が全壊し、日本人学生らを含む多数の被災者が取り残されているとみられ、一部の遺体も搬出されている。

日本の援助隊もここで活動している。余震が続く厳しい状況ではあるが、日本隊は豊富な経験とノウハウを持つ。ニュージーランドをはじめ現地入りした各国の救助隊とも連携し、一人でも多くの被災者を救い出してほしい。食糧や医療品などが不足しているのであれば、日本からも援助したい。

経済のグローバル化に伴い、海外在住の日本人は増え、09年は約113万人に上る。自然災害はいつ、どこで起きるか分からず、海外で邦人が巻き込まれるケースも目立つ。在留邦人は自分の安全を守るため、できる範囲での備えが求められるとともに、こうした事態を想定した政府の対策もより重要性を増す。

一方、日本で地震が起きた場合は居住する外国人の被害把握が課題となる。普段から外国人とコミュニケーションを密にし、連絡を取れるようにしておくことが望まれる。

今回、富山市の富山外国語専門学校の学生らの被災の一報は、教員から送られた携帯電話のメールによってもたらされた。男子学生の一人はがれきの下から日本の兄に電話し、救出につながった。被災地は通信状況が悪く、連絡を取るのが困難になりがちだが、海外での万が一の時の連絡方法として、携帯やメールの有効活用法を検討していくことも必要だろう。

同じ地震国として教訓も多い。CTVビルの周囲の建物は倒壊を免れているのに、このビルの被害が際立つ。近い将来、東海、東南海、南海地震の発生が予測される日本でも、住宅や学校などの耐震化工事が十分に進んでいない現実がある。改めて巨大地震への備えを見直したい。

毎日新聞 2011年01月17日

阪神大震災16年 確かな備えで「減災」を

時の経過は人を癒やしもするが、記憶を薄れさせもする。阪神大震災から16年がたった。だが近い将来、東海、東南海、南海地震の発生が予測される。巨大地震が連動する脅威が身近にあることを忘れてはならない。震災の教訓を生かし、日ごろの備えを心がけ、できる限り被害を少なくする「減災」に取り組みたい。

国は昨年の防災の日に初めて、東海など3地震が連動して発生するという想定で訓練を実施した。中央防災会議は最大で約2万5000人の死者が出ると試算している。沿岸部を巨大津波が襲う恐れや東京、大阪など3大都市圏で超高層ビルが「長周期地震動」という長く大きな揺れに見舞われる危険が指摘される。

従来は東海地震対策を最も重視する中で、それぞれの地震対策を策定してきた。しかし、専門家は3地震連動の危険性も高いとみる。被災地域が広範に及び、救援活動も拡散する恐れがある。民主党が公約に掲げた危機管理庁の創設論議は進んでいないが、3地震連動を見据えた対策はもはや待ったなしだ。

住民の生命を第一線で守る自治体と国の役割分担も課題だ。昨年末、府県の枠組みを超えた全国初の特別地方公共団体「関西広域連合」が発足した。消防や救急・医療体制など広域防災で自治体連携や効率的な運用指針作りの先駆けとなりたい。

巨大地震の場合、「公助」が追いつかないこともある。生命や財産を自ら守る「自助」の意識を高め、地域で助け合う「共助」の仕組みを着実に構築しておくことが重要だ。

減災の要の第一は建物の耐震化である。阪神大震災で犠牲になった人の死因の約8割は住宅倒壊などによる圧死だった。震災後に進んだ住宅の耐震化も最近は伸び悩んでいるという。公立小中学校施設のうち、依然、約7500棟が震度6強以上で倒壊する恐れがある。耐震化予算の優先順位を上げねばならない。

また「地域は地域で守る」自主防災組織の充実には地元企業の力も活用したい。高齢者や子どもなど「災害弱者」への特段の目配りや公的支援が必要なのは言うまでもない。被災者生活再建支援法の適用では災害の規模にかかわらず、より多くの被災者に対象を広げることを検討すべきだ。

兵庫県などが初めて、「震災障害者」を調べたところ、身体の後遺症に加え、住まいや仕事も同時に失うなど深刻な現実が浮かび上がった。国もようやく実態の把握に乗り出すが、災害障害見舞金支給の要件緩和や継続的な支援体制が不可欠だ。

復興に途方もない時間と費用がかかるのは震災の教訓である。最悪の事態を想定し住民、地域、行政が一体となって防災力を高めたい。

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