公安情報流出 あまりに遅すぎた謝罪

朝日新聞 2010年12月26日

公安情報流出 あまりに遅すぎた謝罪

テロ捜査資料とみられる文書がネット上に流出した事件で、警視庁、警察庁は「警察職員が取り扱った蓋然(がいぜん)性が高い情報が含まれる」との見解を発表した。個人情報をさらされた人への謝罪も、初めて公に表した。

あまりに遅い。

辞書で「蓋然」という語を引くと、「たぶんそうであろうと考えられること」の意だ。はっきり内部文書が漏れたと言い切ったのではない。個別の文書についての確認もしないという。この程度の見解なら、発覚のすぐ後に出せたはずである。

他国の機関との信義から慎重になった、などというのは組織の論理だろう。文書をそっくり転載した本が出版され、批判に抗しきれずに方針を変えたのではないか。認識が甘すぎたと言わざるを得ない。

あれこれ理由をつけ、不祥事をうやむやにしようとする。不安に陥れられた人を守ってもくれない――。市民は警察にそんな疑いを強めている。文書流出で損なわれたのと同じくらい、この2カ月間の損失は大きい。

国と東京都には公安委員会がある。市民を代表して「警察を管理する」のが仕事だ。報告を求め、指導する役割をどれだけ果たしたのだろうか。

114点の文書の中心は、国際テロ対策を担う警視庁外事3課に関連するものだ。同課は2001年の米同時多発テロの後、新設された。

イスラム教徒を幅広く監視し、プライバシーを調べ上げる。協力者として接近しつつ、テロリストと疑いの目で見る。報告のための報告でしかないような文書もある。表に出ないはずの公安警察の手法の一端が、明らかにされてしまった。

国内外のイスラム社会の間で、日本の警察や、日本そのものへの不信感が強まらないか。逆に、日本人の間でイスラム教徒への偏見が生まれないか。とても心配だ。

二度とあってほしくないが、万が一に、警察のような公的機関から個人情報が漏れた場合、被害防止策や救済措置を迅速にとれる仕組みはないか。検討する必要があろう。

流出をめぐる捜査は難航している。あきれるのは、外事3課が機密性の高い情報を扱っていたにもかかわらず、その管理がずさんだったことだ。

警察内のネットワークに連なるパソコンには、保全策は施されていた。ところがネットワークから独立したパソコンでは、情報持ち出しを防ぐ措置は十分でなかった。海上保安庁を含め、日本の行政機関の情報管理のちぐはぐさは、危機的ではないか。

捜査の徹底と関係者の処分、再発防止、被害者への対応、そしてテロ対策立て直し。警察は、信頼回復への道のスタートラインに立ったばかりだ。

読売新聞 2010年12月27日

警察資料流出 対応の遅れが被害拡大招いた

発覚から2か月近くもたって、警視庁が、ネット上に流出した国際テロ捜査に関する資料を内部文書と認めた。

この間、必要な対応を怠ってきたため、「捜査協力者」らの実名や住所などの個人情報がネット上で拡散を続けた。警視庁幹部は「極めて遺憾で申し訳ない」と謝罪したが、被害拡大を招いた責任は極めて重大である。

警察当局は個人情報をさらされている被害者の安全確保に万全を期すとともに、徹底捜査で流出元を突き止めねばならない。

流出資料には外国捜査機関からの情報が含まれていた。資料の帰属や真偽を語ると、国際的な信用を失うとの理由から、警視庁はこれまで内部文書と認めることをかたくなに拒んできた。

このため、個人情報を含む流出資料をそのまま掲載した本が出版されても、抗議すらできなかった。組織としてのメンツにこだわる警察の姿勢に批判が高まったことを受けて、流出を認め、謝罪せざるを得なくなったのだろう。

ただ、流出資料の中に警視庁公安部の情報が含まれている可能性がある、と認めながら、個別にどの資料が内部文書にあたるかの特定は避けている。この程度の説明であれば、流出直後でも十分可能だったはずだ。

公安部の情報管理のずさんさも明らかになってきた。

流出した捜査資料は、国際テロ捜査を担当する公安部外事3課で作成されたとみられている。課内にある共用パソコンには、私用の外部記憶媒体で容易に情報を取り出せるものがあったという。

警視庁は外事3課に在籍した職員ら400人から事情を聞いている。身内への甘さを排した厳正な捜査が必要だ。

これまでは、資料流出が警察の警備業務に支障を生じさせたという偽計業務妨害容疑で捜査してきたが、流出行為そのものを問う地方公務員法の守秘義務違反に容疑を切り替えるべきである。

公安部では捜査協力者から集めた情報を基に容疑者を絞り込むことが多いだけに、情報の機密性は格段に高い。その取り扱いには細心の注意が求められる。

ネット上で国境を越えたサイバーテロが頻発する時代である。捜査情報が流出する状態を改善しない限り、海外の捜査機関の信頼を回復することは難しいだろう。

情報管理態勢を早急に見直す中で、電子情報の機密保持を徹底するとともに、ネット犯罪への捜査能力を高める必要がある。

産経新聞 2010年12月27日

公安情報流出 謝罪は出発点でしかない

インターネットに国際テロ関連の捜査資料が流出してから約2カ月、警視庁はようやく「内部資料」であることを認め、謝罪した。これまで、かたくなに「調査中」と判断を避けてきたが、当初から流出資料の多くが警視庁公安部が作成したものであることは、誰の目にも明らかだった。

事件の全容解明に向け一歩進んだことになるが、まだスタートラインに立ったにすぎない。流出元の特定、拡散経路の究明、関与した職員の有無など、明らかにすべきことが山積している。内部の犯行なら、地方公務員法(守秘義務)違反などで被疑者を検挙し、刑事責任、管理責任も問わなくてはならない。公安部長の更迭を含め、幹部の処分も必要となる。

流出した捜査情報にはイスラム系外国人ら捜査協力者や、テロ捜査に従事する警視庁職員の個人情報も含まれており、生命の危機さえ懸念された。

事態は極めて深刻だったが、警視庁が内部資料であることを認めないため、プロバイダーへの削除要請など拡散を防ぐ対応をとれなかった。流出情報をそのまま掲載した本まで出版され、対応の遅さばかりが強く印象づけられる結果となった。

警視庁が流出資料を内部からのものと認めなかった背景には、情報活動(インテリジェンス)独特のルールがあった。特に海外の捜査機関との間で交わされた情報などは、流出時点で信用を失い、これを認めることで、さらに信頼を失墜させる。実際に流出した中には、米連邦捜査局(FBI)からの捜査要請に関する資料も含まれていた。

警視庁は依然、個別の資料について警察情報であるか否かの明言を避け、その理由として(1)個人の権利侵害の恐れ(2)関係国との信頼関係を損なう恐れ(3)情報収集活動に支障を及ぼす恐れ−の3つを挙げている。だがそうした「インテリジェンスの常識」は、社会に受け入れられるものだろうか。

流出情報を内部資料であると認めて失った海外の情報機関からの信用は、時間をかけて回復していくしかない。それ以上に、対応の遅れで失った国民の信頼の方が損失として大きい。国際テロの捜査や情報収集は、国民の理解や協力なしには成り立たない。警察がその信用をなくせば、協力など得られるはずもない。

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