オスロで開かれたノーベル平和賞の授賞式は、主役が不在だった。受賞者である中国の民主活動家、劉暁波氏は投獄されたままだ。妻の劉霞さんも軟禁状態で参加できなかった。
関係者が誰も出席しないのは、1930年代にナチス・ドイツに出席を阻まれた平和活動家、オシエツキー氏の受賞以来という。
劉氏は共産党独裁の廃止などを求める「08憲章」を起草した。「国家の転覆を扇動した」として11年間の実刑判決を受けている。中国では民主活動家や人権派弁護士の軟禁や監視が続いている。劉氏に関するものをはじめ、政府を批判する放送やネットは遮断されている。
思想・信条を理由に投獄している良心の囚人を、一日も早く釈放するよう中国政府に求める。報道規制も、長い目で見れば、中国の発展への力をそいでいることを考えるべきだ。
中国はノーベル賞委員会を非難し、ホスト国のノルウェー政府にも抗議して貿易交渉も一方的に中断した。
授賞式に招待を受けた国のうち少なからぬ国が欠席した。中国に同調したとみられる。その顔ぶれをみると、ロシア、キューバ、サウジアラビア、イランなど、「言論の自由」という点で合格点にほど遠い国が集まった印象を受ける。アジアでも、パキスタンやベトナムなどが中国と同じような見解を示して欠席したのは残念である。
ノーベル平和賞が、その時々の国際事情を反映し、政治色を帯びてきたのは事実だ。昨年のオバマ米大統領の受賞も、是非をめぐって議論があった。
だが、様々な論議を通じて、平和の意味について共通の認識を深めていくことに平和賞の意義もあろう。
南アフリカで人種隔離と闘ったネルソン・マンデラ氏や、米国の公民権運動指導者キング牧師らも、歴代の受賞者に含まれている。21世紀の大国である中国に求められるのは、こうした伝統に前向きに参加していくことだ。
ノーベル平和賞は国際人権法の体系とともに、国際社会が長年かけて築き上げてきたものとして、各国が大切にしていかなければならない。
その努力が求められるのは、授賞式に出席する国も同じである。
来年、胡錦濤国家主席を招く米国のオバマ大統領は、人権問題で中国に注文をつけるべきである。日本も、首脳会談などで率直に意見を交換していこう。尖閣沖の衝突事件の時のようなあつれきや経済への影響を恐れて、菅直人首相は遠慮してはいないか。
ノーベル平和賞に対抗するかのように、中国は「孔子平和賞」を作ったそうだ。孔子が教えた尊敬される君子の道を、中国は外交で実践してもらいたい。そして、日本や米国も君子の交わりで応じたいものである。
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