好むと好まざるとにかかわらず、企業・団体献金には頼れなくなる。
総務省が公表した2009年の政治資金収支報告(中央分)は、いずれそんな時が来ると予感させる内容だ。
都道府県選管に提出される地方分をあわせてみないと、全体像はわからない。だが、中央分の企業・団体献金は28億円弱にとどまり、ピークの1990年の約16分の1。各党の政治資金団体に対する企業・団体献金も90年代に激減し、09年はそれ以来最低だった。
この間、度重なるスキャンダルを受けて規制が強化された。冷戦終結で「自由主義体制の維持」のため自民党に献金するという大義名分は消えた。細川「非自民」政権や民主党政権の登場で、企業がなぜ特定政党を支援するのか理由を見いだしにくくもなった。
細る企業・団体献金にいつまでもしがみついてはいられない。各党はそう認識すべきだ。禁止を公約した民主党は先頭に立つ責務がある。
ただ、企業・団体献金が細っても、政界の金銭疑惑は尽きない。献金がゼロになれば、すべて良くなるわけではない。カギを握るのは透明性だ。
たとえば、民主党の小沢一郎元代表に関連する収支報告には、複雑な資金のやりとりが記されている。
政治団体「改革フォーラム21」から、小沢氏が代表を務める党支部へ3億7千万円。同額を党支部から小沢氏の資金管理団体「陸山会」へ。これらを原資に、昨年の総選挙の立候補予定者91人に約4億5千万円が配られた。
「フォーラム」には、解党した旧新生党の資金がプールされていた。それが小沢氏の資金管理団体のカネとして配られ、小沢グループは伸長し、党代表選の国会議員票に結びつく。複雑なやりとりを経て、政党の資金が個人の政治力の源泉に変身したことになる。
党支部を経由したことには、別の疑念も向けられている。政治資金規正法の規定で、政党などを除く政治団体同士は年に5千万円までしか寄付できない。その規定を免れる抜け道に使ったのではないか、という点である。
政治家が多くの「財布」を持ち、財布同士で出し入れするから、こんなことが起こる。財布は一つと決めてしまえば、ずっと見えやすくなるだろう。
カネで手勢を養う政治から、もう卒業したい。党が資金を管理し、公正に分配する仕組みを検討してはどうか。
ほかにも多くの論点がある。一つは個人献金を伸ばす方策だ。私的な見返りを求めない小口の献金が増えれば、政治家のふるまいも変わるだろう。
政治とカネと言えば「疑惑追及」となりがちではある。しかし、政治資金の流れは時の政権の成り立ちを表し、ひいては民主主義のかたちを決める。
だれがコストを負担し、どう政治を育てるか。根本から論ずる時である。
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