年内に決められる「防衛計画の大綱」に向けて、政府と民主党がそれぞれ武器輸出政策の基本方針「武器輸出三原則」の見直し作業を急いでいる。
民主党の外交・安全保障調査会は、三原則を緩め、他国と武器の共同開発・生産もできるようにすることを考えているようだ。
菅政権が現段階で原則を変える結論を出すというのなら、賛成しがたい。
三原則は日本の平和外交や軍縮政策を支えるソフトパワーとして役立ってきた。その歴史的な重みを考えれば、より慎重に議論を尽くす必要がある。
三原則は国際紛争を助長する武器の供給国とならないよう、冷戦さなかの1967年にできた。76年には禁輸対象を広げて事実上の全面禁輸とした。
いまこれを見直そうという動きが起こることには、確かに理由がある。
近年、IT技術の進歩や開発コストの急増により、軍事技術をとりまく環境は一変した。巨額の開発費が要る戦闘機などは、米国といえども単独開発は難しく、多数の国々が参加する共同開発・生産が主流になりつつある。
その一方で、軍用品と民生品の境界があいまいになり、武器とみなされない日本の半導体やソフトウエアなどの製品や技術が、他国の武器に堂々と組み込まれる現実も日常化している。
見直し論が浮上する背景としてとりわけ大きいのは、武器の調達コストを何とか引き下げたいという動機だ。
三原則の下で装備品の価格が高騰し、それでなくとも減っている防衛費を圧迫する。防衛産業の受注が減り、生産・技術基盤の存続も危ぶまれる。
しかし、これで十分な説得力があるとは認めがたい。疑問は数多い。
最先端の軍事技術では米国が他国を圧倒しているのに、米国以外の国々にも広げた共同開発にどれだけ利点があるのか。開発した武器が、紛争当事国の手に渡るのを有効に防げるのか。
政府は従来、禁輸解除が必要と判断したものについては、一つずつ「例外化」という形で慎重に吟味し、閣議決定で適用除外としてきた。なぜ個別に判断するやり方ではいけないのか。
三原則見直しでどれだけ調達コストが削減できるのか、それを具体的な数字やデータで比較衡量したのか、国民は何も知らされていない。情報なしに納得せよと言われても無理な話だ。
コストが問題なら、冷戦思考が抜けない自衛隊の重厚長大な装備体系や、政府が手厚く保護する防衛産業のあり方に大ナタをふるうべきだ。
何より武器輸出政策の原則を変えれば、それはいや応なく国際社会への強いメッセージとなる。日本は世界の中でどんな国家であろうとするのか。平和国家であり続けるのか、それとも?
性急な見直し論議の前に、菅政権が答えを出すべき問いはそこにある。
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