初の死刑判決 裁判員に精神的ケアを

朝日新聞 2010年11月17日

裁判員と死刑 仲間が下した重い決断

裁判員裁判で初めての死刑判決が言い渡された。

男性2人を残忍な方法で殺害し、遺体を捨てたという事件だ。横浜地裁の法廷で被告は犯行を認め、どんな罰でも受けると述べていた。それでも審理にあたった裁判員と裁判官にとって、極めて重い選択だっただろう。

この事件に先立って検察側が死刑を求刑した東京地裁の殺人事件の裁判員裁判は、無期懲役刑が確定している。

判決を分けたものは何か。

死刑が許される基準として最高裁が示したいわゆる永山基準があり、東京地裁も横浜地裁もそれをよりどころとした。しかし二つの事件は、被害者の人数こそ同じだが、犯行の状況も、動機も、被告の情状もすべて異なる。

証拠を検討したうえで、裁判員と裁判官が全人格をかけて結論を導き出したとしか言いようがない。裁判という営みは、結局はそこに行き着く。

これまでは、その営みを職業裁判官に委ねていれば済んだ。「ひどい犯行だ」と眉をひそめたり、「判決は甘い」と批判したりして、そこで事件を忘れ、日々を過ごしていた。

だが裁判員制度が始まり、状況は一変した。私たちは、いや応なく究極の刑罰に向き合わねばならなくなった。「自らの意思でそうした仕事を選んだのならともかく、なぜ普通の市民が」と疑問を抱く人も多いかもしれない。

しかし、自分たちの社会の根っこにかかわる大切なことを、一握りの専門家に任せるだけではいけないという思想が、この制度を進める力となった。長年続いてきた「お任せ民主主義」との決別をめざしたと言っていい。

きのうの判決はそのひとつの帰結であり、これからも続く司法参加の通過点でもある。熟議を重ねて到達した結論は、表面をなでただけの感想やしたり顔の論評と違って、圧倒的な存在感をもって迫ってくる。

判決言い渡しの後、記者会見に臨んだ裁判員の男性は、背負ってきた重圧を語り、あわせて「日本がいまどんな状態にあるかを考えると、一般国民が裁判に参加する意味はあると思う」という趣旨の話をした。

こうした経験の積み重ねは長い目でみたとき、この国の姿をきっと変えていくに違いない。死刑の存廃をめぐる論議も、国会を巻き込みながら、従来とは違う深度と広がりをもって交わされていくことになるだろう。

折しも来年の裁判員候補者31万人に通知が発送され、それぞれの手元に届いているころだ。家族を含めればより多くの人が、これを機に、犯罪とは何か、人を裁くとはどういうことかに思いをいたしているのではないか。

私たちの仲間が重い判断をした。いまはそれを静かに受け止め、自らの問題として考えを深めていきたい。

毎日新聞 2010年11月17日

初の死刑判決 裁判員に精神的ケアを

被告の生死を分ける判断である。苦悩の深さは察するに余りある。

男性2人を殺害したとされる強盗殺人罪などに問われた被告に対し、横浜地裁で裁判員裁判初の死刑判決が言い渡された。

判決後、会見に応じた50代男性裁判員の「本当に重い。すごく悩みました。今でも思い出すと涙が出る」との言葉が胸に刺さる。

判決は、犯行の残虐性や動機の身勝手さを強調した。従来の死刑選択基準に照らし、プロだけで判断しても死刑判決が予想されるケースだ。それでも、国家が人の命を奪う究極の刑罰の選択にかかわり、裁判員の心が揺れたのは当然だろう。

欧米など主要国に一般市民が刑事裁判に参加する制度がある。だが、欧州は死刑が廃止されており、市民が死刑に対峙(たいじ)するのは、米国や日本などに限られる。それだけに、裁判員の精神的負担を軽減するための対策が欠かせない。

米国の死刑陪審経験者の調査結果によると、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を患い、不眠やフラッシュバック、うつなどに悩む人がいるという。今回の裁判で裁判員らは、無残な遺体写真を見るなど、相当なストレスを負った可能性がある。

裁判所は、「メンタルヘルスサポート窓口」を設け、面接相談も5回まで無料で応じている。だが、心のケアに回数制限をもうけるのはおかしい。継続して取り組むべきである。相談や診断の結果は蓄積し、検証の対象にしなければならない。

また、日本の場合、評議の経過や自らの意見表明も含め、重い守秘義務を負う。違反には罰則が規定される。死刑という重い判断に直面した経験を話したくても秘密を抱え込まねばならないのだ。ストレスに結びつくのは想像に難くない。

静岡県で66年、一家4人が殺害された「袴田事件」で、1審の死刑判決にかかわった元裁判官が07年、「無罪の心証だった」と告白したのは記憶に新しい。守秘義務の範囲を狭めるよう見直すことも必要だ。

かつて、死刑判決の基準について「いかなる裁判所も死刑を選択する場合に限るべきだ」との基準を示した高裁判決があった。現在、裁判員裁判での死刑判決は、全員一致を原則とすべきだとの主張がある。今後も死刑求刑が予想される裁判員裁判が続く。改めて死刑の適用について議論を深めなければならない。

そして、その延長線上には、死刑制度自体の問題もあるはずだ。千葉景子前法相が、死刑制度の存廃も含めた勉強会を法務省に設置した。市民が涙を流しながら、死刑に向き合っているのである。検討を加速させるべきなのは言うまでもない。

読売新聞 2010年11月17日

初の死刑判決 裁判員の熟慮と苦悩がにじむ

「被告人を死刑に処する」。裁判長が判決を言い渡した瞬間、被告を見つめ、涙を浮かべる女性裁判員がいた。

「すごく悩んだ。思い出すと涙が出そうになる。それで察して下さい」。判決後、50歳代の男性裁判員は、こう語った。いずれも熟慮の末の重い判断であったことがうかがえる。

男性2人を殺害した男に対し、横浜地裁が死刑を言い渡した。昨年夏から始まった裁判員裁判における、初の死刑判決である。

被告は、マージャン店経営を巡るトラブルを抱えた知人(国際手配中)の依頼を受け、面識のない2人を殺害した。

2人のうち1人を電動ノコギリで切断した犯行を、判決は「想像し得る殺害方法の中で、最も残虐な部類に属する」と指弾した。

裁判官と裁判員は、被告が事件の全容を供述したことや、反省の姿勢を示していることなど、酌むべき情状も検討した。

しかし、それでも、死刑を適用するしかないほど被告の犯行は残虐で悪質だ、と結論付けた。

一般市民が、究極の刑罰である死刑の選択に直接かかわる時代になったことを実感させられる。同時に、裁判官だけで審理する場合と違った難しさも見えてきた。

法廷で残虐な証拠写真や凶器などを見せられた。評議で死刑の適用を巡り苦悩した。そうした精神的ダメージを受けた裁判員には今後、継続的ケアが不可欠だ。

検察は、論告求刑公判の際、「もし死刑にできないのなら、今後死刑になる者はこの国にいるだろうか」と述べた。極刑を望む被害者遺族の感情を踏まえたものだ。

しかし、裁判員にとっては、そうした言葉が心理的重圧にもなりかねない。ある刑事裁判官は、「裁判員へのいわば脅迫であり、不適切だ」と語っている。

裁判長が、判決を言い渡した後、「重大な結論なので、裁判所としては控訴することを勧めます」と被告に語りかけたことも、論議を呼ぶだろう。

それが仮に、裁判員の意向を受けた発言だったにせよ、裁判長が被告に控訴を「勧める」ことが妥当なのかどうか。

判決に自信がないことの表れだ、と受け止められれば、裁判官と裁判員が熟議の末に出した死刑判決の重みを否定することにつながりかねない。遺族感情を逆なですることにもなろう。

浮かび上がった課題を検証し、今後の裁判員裁判に生かしていかねばならない。

産経新聞 2010年11月17日

裁判員死刑判決 制度定着へ意味は大きい

裁判員裁判で、初の死刑判決が横浜地裁で言い渡された。犯行の残虐性や悪質性などを考慮すると妥当で適切な判断だったといえよう。

死刑制度が存続する限り、死刑求刑事件を担当する裁判員はだれもが究極の判断を迫られる。制度スタート時点で懸念されたのも、一般から選ばれた裁判員が、そうした重責に耐えられるのかということだった。その意味で今回の判決は、裁判員がプロの裁判官と伍(ご)して、厳しい判断ができることを示した点で大きな意味がある。

今月1日に東京地裁で判決が言い渡された耳かき店員ら2人殺害の裁判員裁判でも、検察側は死刑を求刑した。そこで裁判員らが下した結論は無期懲役だった。

どちらの事件も被害者が2人と同じでありながら、死刑と無期懲役に分かれたのは、判決で指摘の通り、横浜の事件には殺害方法などで同情する余地が全くなく、極刑を回避する理由も見当たらないということである。

被告の犯行は命ごいをする被害者の首を電動のこぎりで切断するという想像を絶する残忍さで、検察側は「被告が死刑でなければ、死刑になる人はいるのか」と訴えたほどだ。犯行の態様や計画性、被害者の人数など、最高裁が示した死刑適用の「永山基準」に照らしても極刑を選択せざるをえない事件であった。

とはいえ、極刑も視野に判断を迫られる裁判員の心理的負担は大きいのも事実だ。裁判終了後、記者会見に応じた男性裁判員は「毎日が大変で気が重かった」と語っている。裁判員経験者について最高裁は、24時間利用できる電話相談窓口を設けてはいるが、心理面の万全な事後ケア制度を構築する必要があろう。

裁判長は判決言い渡し後、被告に「重大な結論なので控訴を勧めたい」と異例の説諭をした。その是非には議論があろうが、控訴審の可能性を示すことで裁判員の精神的負担を和らげる配慮だったとすれば理解もできる。

裁判員には厳しい守秘義務が課せられているが、死刑判決については、評議で反対意見や少数意見があったのかなど、基準の緩和も必要だ。それが裁判員としての判断基準を国民全体で共有する手助けにもなるからだ。2年後の制度見直しにあたっては、そうした検討が欠かせない。

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