死刑でなく無期 裁判員の重たい決断

朝日新聞 2010年11月02日

裁判員と死刑 自分のこととして考える

初公判の日以来、生と死に向き合った重苦しい2週間だったと思う。

裁判員裁判として初めて検察側が死刑を求刑した殺人事件で、東京地裁は無期懲役を言い渡した。法廷で被告本人や遺族の話を直接聞き、生の証拠に触れた裁判員6人と裁判官3人が、議論を尽くしたうえでの結論だ。厳粛に受け止め、尊重したい。

裁判員の心労は容易に想像できる。米国で重大事件の評決をした陪審員への聞き取り結果などを見ると、程度の差はあれ多くが心に傷を負っている。国内でも裁判員に対するメンタルケアの仕組みが用意されているが、なお十分とは言い難い。運用実態を踏まえ、施策の充実を求めたい。

裁判員制度の導入が決まったときから、市民が死刑か否かの判断に直面する日が来ることは分かっていた。だが公判が開かれて初めて、実感をもって自分ならどうするか、考えを巡らせた人も少なくないのではないか。

一部に、裁判員裁判から死刑相当事件は除いたらどうかとの声もある。国民にこのような過酷な使命を押しつけるべきではないという意見だ。

だが、それでいいのだろうか。

これまで私たちは、死刑を含む刑罰の運用を裁判所や拘置所・刑務所の中に閉じこめ、専門家にすべてを委ねてきた。それが当局の秘密主義を生み、国民の間に中途半端な情報に基づいた賛否と、それ以上の無関心を生み出してしまった面はないか。

裁判員制度を含む司法制度改革の根底には、大事なことを「お上」に任せてしまう民主主義でいいのかという問題意識があった。裁判への参加は、社会を構成する一員として犯罪や刑罰の実態を知り、地域の安全について考える機会を持つことでもある。

死刑を廃止するにせよ存続するにせよ、国民的議論が欠かせない。裁判員の責任は重たいが、この過程をくぐり抜けることによって、議論が奥深いものになると期待したい。

死刑に関しては、判決は全員一致を条件にするべきだという主張もある。皆がそれ以外の選択がないと判断する場合に限るという考えに異論はない。一方で、本来秘密である個々の裁判官や裁判員の意見を明らかにするのと同じことになり、評議にも影響を及ぼしかねない。問題点を整理しながら検討を進めなければならない。

この夏、当時の千葉景子法相が刑場を公開した。極刑の求刑が予想される裁判員裁判はこれからも続く。死刑をめぐる論議は新たな段階に入った。

拘置所での生活や執行に至る情報の開示を進め、市民が意見を形づくる環境を整える必要がある。それは、裁判員として個々の事件に臨むにあたっても、制度の存廃を考えるうえでも、欠くことのできない条件である。

毎日新聞 2010年11月02日

死刑でなく無期 裁判員の重たい決断

「死刑は、それ自体が人の生命を奪う究極の刑罰である」

東京都港区の耳かきエステ店の女性店員とその祖母が自宅で殺害された事件で、裁判員らは、そう意味づけたうえで決断を下した。検察に死刑を求刑された被告に対し言い渡した判決は、無期懲役だった。

最高裁が83年に示した「永山基準」に基づき判断したものだ。事件の性質▽動機▽殺害手段の残虐性▽結果の重大性▽被害感情▽事件後の情状--などを具体的に検討し、極刑がやむを得ない場合に当たるか、評議で議論し結論を出したという。

店員に恋愛に近い感情を抱いた被告が、来店を拒まれて抑うつ状態に陥り店員への殺意を抱いたと、裁判員たちは犯行までの経緯を描いた。

「誠に身勝手で短絡的な動機に基づく犯行」と指弾しつつも、祖母の殺害は、偶然出会って激しく動揺した結果だとして計画性を否定した。反省の態度を示していることや、前科がないことなども考慮した。

一方で、被害者2人の苦しみや恐怖、母と娘を同時に殺害されたショックでいまだ家の外に出られず、出廷もできなかった店員の母親の心情にも言及し「遺族らが極刑を望むのは当然だ」とも指摘した。

判決後、会見に応じた裁判員らが「正直、しんどかった」「法廷でご遺族の話を聞いて胸が詰まった」「初めて死刑の重さを知った」などと述べたのは、率直な思いだろう。

そもそも、「永山基準」といっても、個々の基準を数量化し、足し算で死刑か否かを線引きできるものではない。もしプロの裁判官が今回の裁判に臨んでも、死刑か無期懲役かで意見が割れると言われていた。それほど難しい裁判だったのだ。

もちろん、遺族の不満は理解できるが、証拠と格闘し、結論に至った裁判員らの判断を受け止めたい。

また、裁判員裁判では、判決に保護観察をつけるケースが増えるなど、被告の社会復帰や更生に配慮する傾向がみられる。

今回の判決でも、被告について「なぜ事件を起こしてしまったのか、苦しみながら考え抜いて、内省を深めてほしい」と述べている。死刑制度の賛否とは別に、裁く立場で真剣に死刑と向き合った人たちの声として、耳を傾けるべきだろう。

死刑判決にかかわってきた裁判官らは、死刑の判断の難しさ、苦しさをそろって口にする。それを一般市民が担うのである。改めて裁判員の任務の重さと過酷さを痛感する。

会見では、遺族の思いとのはざまで悩む裁判員の本音もうかがえた。裁判員の精神的負担を考慮し、継続的な「心のケア」に目配りすべきなのは言うまでもない。

読売新聞 2010年11月03日

死刑か無期か 裁判員が共有した裁く難しさ

死刑を選択すべきか。それとも無期懲役か。裁判員はぎりぎりまで悩んだに違いない。

検察が裁判員裁判で初めて死刑を求刑した事件で、東京地裁は被告の42歳の男に無期懲役の判決を言い渡した。

昨年8月、耳かきサービス店の女性従業員とその祖母が殺害された事件だ。被告に前科はなく、更生の余地も否定できないことから、死刑と無期懲役の境界線上にある事件とされた。

「徹底的に議論したが、極刑がやむを得ないと認められる場合には当たらない」。これが男性2人、女性4人の裁判員と3人の裁判官で評議した末の結論だった。

女性が勤める店に通い詰めていた被告は、来店を断られたことに絶望し、殺害に及んだ。こう認定した判決は、「残虐な人格ゆえの犯行ではなく、思い悩んだ末に起こした事件」と指摘した。

反省の態度を示していることなども考慮した。2人殺害の重大性を指弾しつつも、被告に有利な情状を酌み取り、生きて罪を償わせようという裁判員の意思が反映されたといえよう。

この判決は、今後の裁判員裁判の一つの指標となるだろう。

判決後、記者会見した男性の裁判員は「自分の意見、気持ちを大事にして判断した」と語った。

公判は2週間に及び、判決内容を決める評議に4日間を割いた。これだけでも異例のことだが、当初は1日午前に予定されていた判決の言い渡しを午後に延ばし、詰めの評議も行った。

裁判員がいかに苦悩したかがうかがえる。女性の裁判員は「2週間、事件を忘れることはなく、ふとした時に遺族や被告の顔が浮かんで、心が安らぐことはなかった」と振り返った。

死刑を適用すべきかどうかを決める際の精神的重圧は、どれほどのものであろうか。

裁判員には守秘義務が課せられているため、評議の内容を将来にわたって口外することは許されない。これも大きな心理的負担になるだろう。

今後も、死刑の適用を巡り、裁判員が難しい判断を迫られる裁判が各地で予定されている。

最高裁は、裁判員経験者らを対象に、臨床心理士などが応対する相談窓口を設けている。これを有効に機能させ、精神的ケアを充実させていくことが肝要だ。

とことんまで議論する一方で、裁判員の負担が軽減するよう配慮する。制度を運用する裁判所が負う責任は極めて重い。

産経新聞 2010年11月02日

耳かき殺人判決 極刑回避は妥当だったか

裁判員裁判で初めて死刑が求刑された耳かき店員殺害事件の判決公判が東京地裁であった。女性2人が殺された事件で判断が注目されたが、判決は極刑を回避し、無期懲役を選択した。

裁判員らの結論は悩んだ末の苦渋の判断といえる。今後も死刑求刑の裁判員裁判が全国で控えており、裁判員の精神的負担をどう克服していくかが課題となる。一方で被害者遺族らの感情がどこまで反映されたかも問われよう。

事件の被告は昨年8月、耳かき店員の女性と祖母の2人を刺殺したとして殺人罪などに問われた。被告は起訴事実を大筋で認めており、争点は量刑をどうするかに絞られていた。

「極刑にしてほしい」という遺族の強い願いを反映させて死刑とするか、「事件後、被告は反省している」と極刑回避を求める弁護側に理解を示すか。女性4人と男性2人の裁判員計6人が審理に加わり、5日間の公判と評議を重ねて結論を出した。

評議では、死刑選択の参考基準とされてきた「永山基準」(昭和58年7月の最高裁判決)を詳しく検討したという。罪質、動機、犯行態様、前科の有無など9項目について「やむを得ないと認められる場合に死刑が許される」というのが主な内容だ。

判決は、死刑回避の理由について「前科もなく偶発的な犯行で、事件後深く後悔、反省している」とし、「人生の最後の瞬間まで内省を深めていくことを期待する」としている。

証拠調べや被告人への直接質問などを通じ、一般人である裁判員が事件と真摯(しんし)に向き合い、遺族らの声にも耳を傾けて下した最終判断である。裁判員が体験する精神的負担や重圧は、経験してみなければ理解はできまい。

だが、今回の結果は、今後の同様な裁判にも影響を与えるとみられる。判決を軽々には批判できないにせよ、一方で「やはり死刑判決を避けたのでは」という意見もあり得るのではないか。

裁判員は判決後、記者会見したが、「無期か死刑かでどこに判断の重点を置いたか」の質問には、地裁職員が「評議内容に触れる」と制止した。だが、国民参加の制度だからこそ、国民により多くの情報が開示されてしかるべきだ。守秘義務の範囲の緩和を含めて議論を深めていく必要がある。

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