あれが日本政治の分岐点だったと、のちに振り返るような国会にできないものだろうか。
7月の参院選で、衆参両院の多数派が異なる「ねじれ」状態となった。与党には衆院で法案を再可決する議席数もない。あす召集される臨時国会は、以来初めて長丁場の論戦となる。
試されるのは、難しい状況を乗り越える知恵と努力である。
ねじれていても、衆院の議決が優越する予算は成立する。だが、赤字国債の発行を認める公債特例法案などが成立しなければ予算の執行が暗礁に乗り上げる。菅直人政権は行き詰まる。
それは単に菅政権の問題ではない。仮に衆院解散・総選挙となり、自民党中心の勢力に政権交代したとしても、衆参のねじれを解消するのは容易なことではない。相手を追い込んだはいいが後で仕返しを受け、今度は自分が追い込まれる。そんな悪循環に陥れば、政治の漂流はいつまでも続く。
だからこそ、この国会のうちに、与野党を超えた合意形成の作法に習熟しなければならない。
まずは補正予算である。民主党は、編成段階から野党と意見交換したい考えだ。当然の努力だろう。事前には応じない党とも審議を通じて接点を探り、修正を試みればいい。
法案も同様だ。透明な形で合意形成の努力を重ねることが、幅広い民意を政治に反映させることにつながる。
その際に大切なのは、何が譲れない一線なのか、民主党内で議論を重ねることである。野党への譲歩は避けられないが、すべて丸のみしたのでは政権を獲得した意味が失われる。それは、自分たちは何をめざす政党なのか、立ち位置を定め直す作業になる。
野党側は、発想を転換してもらいたい。審議を通じ修正させる力を手に入れたのだから、旧来型の「日程闘争」とはきっぱりと決別すべきである。
寝る。つるす。そんな国会用語は、法案審議を拒否したり引き延ばしたりする戦術を指す。
自民党長期支配の下、数で劣る当時の野党が法案の成立を阻止するには、時間切れに追い込むしかなかった。その戦術をてこに譲歩を引き出し、主張を反映させた。その結果、国会本来の役割である審議が空洞化し、与野党の交渉は水面下に潜り、政治のプロセスが有権者の目に見えにくくなった。
右肩上がりの経済成長が続いたころなら、そんな政治でも何とかなった。いま成長は鈍り、財政破綻(はたん)の足音が聞こえ、日本外交のかじ取りもいよいよ難しい。足の引っ張り合いや不透明な取引をする余裕は、もうない。
政権交代の時代である。そして、日本は危機に直面している。歴史の要請に応えられる国会審議のありようを、一刻も早く構築すべきである。
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