国立追悼施設 今度は議論途切らすな

朝日新聞 2009年08月19日

09総選挙・追悼施設 今度こそ実現させよ

総選挙が公示され、30日の投票日に向けて選挙戦がスタートした。とはいえ衆院解散から約1カ月。すでに与野党の論戦は中盤を過ぎた様相だ。

そんななか、新たに論点に浮上した課題がある。だれもがわだかまりなく戦没者を悼み、平和を祈る。そんな国立の追悼施設をつくるかどうかだ。

口火を切ったのは民主党だ。鳩山代表が党として取り組む考えを表明し、候補地として、靖国神社にほど近い国立の千鳥ケ淵戦没者墓苑(ぼえん)をあげた。

共産党や社民党も前向きだ。与党の公明党も、かねて新たな追悼施設の建設を主張している。

これに対し、麻生首相は「その施設をつくったら、靖国の話がなくなるのか」と否定的である。

靖国神社に参る人々が、戦争で命を落とした兵士たちを追悼し、敬意を払いたいと思うのは自然な感情だ。だが、首相のような国を代表する立場の人が参るとなると話は違ってくる。

靖国神社には、東京裁判で日本の侵略戦争の責任を問われたA級戦犯が合祀(ごうし)されている。だからこそ、昭和天皇も現天皇も、その後は参拝していない。国民の中にも、同じ点に疑問を抱く人は少なくないのではないか。外国からの賓客の多くが靖国を訪問できないのもそのためだろう。

どんな人でも自然な気持ちで戦争で亡くなった人々を追悼できる。そんな施設が日本にないのは残念なことである。民主党などが問題を打開しようと声をあげたことを歓迎したい。

東アジア共同体づくりやアジア諸国との連携強化を視野に置いて、和解への環境を整える目的もあるようだ。

首相は外相だった3年前、宗教法人としての靖国神社に解散してもらい、特殊法人化して国立の追悼施設とする案を公表した。自民党内にはA級戦犯の分祀をめざす動きもある。靖国こそが唯一の追悼の場であるべきだ、ということなのだろう。

だが、どちらも長年議論されながら実を結ばなかった案だ。宗教法人の解散にせよ、分祀にせよ、靖国神社が応じる見通しはない。結局、政治が自らの決断で打開できる策は、新たな施設の建設しかないのではないか。

参考になるのは、小泉内閣時代の02年に、当時の福田康夫官房長官の私的懇談会が出した報告書と、山崎拓・自民党元幹事長ら超党派の有志議員が06年にまとめた提言である。

ともに、特定の宗教にとらわれず、訪れた人がそれぞれに思い描く戦没者を自由な形式で追悼する場をつくるべきだと提案した。

この問題は、戦後の歴代自民党政権が積み残してきたテーマだ。いつまでも放置はできない。政権選択選挙という絶好の機会に議論を深め、今度こそ実現させてもらいたい。

毎日新聞 2009年08月16日

国立追悼施設 今度は議論途切らすな

64回目の終戦記念日を迎えた15日、麻生太郎首相は事前に表明していた通り、靖国神社を参拝しなかった。毎日新聞は一貫して首相の靖国参拝には反対してきた。麻生首相の対応は当然のものと考える。

これで小泉純一郎元首相以降、安倍晋三元首相、福田康夫前首相、麻生首相と3人の首相が在任中の参拝を見送り、その流れは定着してきたように見える。ただし、内外の人々がわだかまりなく戦死者をどう追悼するのかという長年の課題が解決したわけではない。

こうした中、注目されるのは民主党の鳩山由紀夫代表が仮に今度の衆院選で同党が政権を獲得し、首相になった場合には自身だけでなく閣僚にも参拝自粛を求める一方、靖国神社に代わる国立の追悼施設建設を検討する考えを示したことだ。

これは決して新しい考え方ではない。01年8月13日、靖国に参拝した当時の小泉首相は直後の談話で自ら問題提起し、官房長官の私的懇談会を作って追悼施設建設を検討したことがある。

報告書は結論として「日本が平和を積極的に求め行動する主体であることを世界に示すため、国を挙げて追悼・平和祈念を行う国立の無宗教の恒久的施設が必要」と提言するものだった。ところが当の小泉氏が、たとえ新施設を建設しても靖国神社に代わるものではないと言い出して靖国参拝を継続した結果、構想は急速にしぼみ、一時検討された予算への調査費計上も見送られた。小泉時代、中国や韓国との関係が険悪になったことは指摘するまでもない。

私たちが首相の靖国参拝に反対してきたのはアジア諸国への配慮だけでない。靖国問題の本質は極東軍事裁判でA級戦犯となった人々が合祀(ごうし)されている点だ。昭和天皇がA級戦犯合祀に強い不快感を示していたことも近年判明した。国民の間にも先の大戦の正当化につながりかねない靖国神社のあり方に疑問を持っている人は多いだろう。

靖国神社側はいったん合祀されたA級戦犯の分祀は神道の教義上、困難だという。一方、麻生首相はかつて靖国神社を今の宗教法人から特殊法人に変える案を示したが、政界で支持が広がっているわけではない。自民、民主両党の議員の中にはさまざまな意見があるのも事実だ。

しかし、国民や外国の人々がわだかまりなく訪れ、追悼できる場をどう作るかは、いずれ結論を出さなくてはならない問題だ。衆院選の結果がどうあろうと、今の千鳥ケ淵戦没者墓苑の拡充案も含め、やはり新たな追悼施設の検討を政界全体で再び始める時期ではないか。今度は議論を途切らせないことだ。

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