朝日新聞 2010年09月19日
押尾被告判決 市民の力が発揮された
ふつうに地域に住み、ふつうの暮らしをしている市民。そんな私たちの仲間が持つ力を、ニュースを通して感じ取った人も多いのではないか。
元俳優の押尾学被告に対する裁判員裁判で、判決が言い渡された。
一緒に薬物を服用し、具合が悪くなった女性を放置して死なせた。それが起訴内容だったが、判決は「直ちに通報しても確実に助かったとまでは証明されていない」と述べ、「死なせた」という部分を除いて有罪を認定した。「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則が働いたことが、判決理由から読み取れる。
被告が芸能人とあって、事件発生直後からおびただしい量の報道があった。裁判員の心証形成や量刑の判断に影響が出るのではないか。そうした観点からも法廷は注目された。
だが、判決後に会見した裁判員らの話は、懸念を吹き飛ばすものだった。
「審理に入って情報はリセットされた」「法廷に提出された証拠だけで判断できた」「押尾という人物でなく、彼の行為に対する刑罰を考えた」
事件報道のあり方は裁判員法の制定のころから論点の一つになっていた。日本新聞協会などは、法律で規制することに反対する一方、取材・報道ルールを見直した。法曹界も、あくまでも証拠に基づいて結論を出すよう裁判員を導くことが自分たちの重大な使命であると確認し、審理の進め方や立証活動の改善に取り組んだ。
いまの報道に反省すべき点がないとは言わない。だがこうした議論と実践、そして何より、責任感をもって事件に向き合った裁判員が、この日の判決を導き出したといえよう。
市民の力を信じる――。
ごく当たり前の話なのに、それを軽んずる姿勢が、社会的立場の高い人の言動に垣間見えることがある。
裁判員と同じく一般の市民がかかわる検察審査会制度について、小沢一郎氏が「素人がいいとか悪いとかいう仕組みがいいのか」と述べたのは記憶に新しい。ジャーナリストの鳥越俊太郎氏は新聞のコラムで「“市民目線”と持ち上げられてはいるが、しょせん素人の集団」と書いた。
もちろん市民の判断がいつも正しいとは限らない。個々の疑問や批判はあっていい。だが市民への信頼を抜きにして、私たちの社会も制度も、そして民主主義も成り立たない。
素人と専門家が役割の違いを自覚しつつ、互いに尊重し協働することによって新しい司法を築く。裁判員制度はそうした理念に基づいて始まった。
今後も曲折はあるだろうが、めざす方向に間違いはない。騒がしい空気のなかで始まり、裁判員らの冷静な発言で締めくくられた元俳優の公判は、そのことを確認させるものとなった。
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毎日新聞 2010年09月19日
押尾被告判決 冷静に判断した裁判員
有名人が被告で、事件や裁判の内容について、新聞やテレビで連日のように報道されても、裁判員は予断を持たずに裁判に臨めるか。
そのような課題も問われた元俳優、押尾学被告の裁判員裁判で、東京地裁は、懲役2年6月の実刑を言い渡した。
判決後に会見した裁判員たちは、こう述べている。「証拠や証言を検討するうちに(有名人であることは)意識しなくなった」「審理が進むにつれ先入観は消え、押尾被告という人物でなく、罪に対してどういう刑罰が適当かを考えるようになった」「情報が出回る中で裁判員になったが、リセットして法廷に出た情報で判断した」
法廷に出された証拠だけに基づいて、冷静に裁判と向き合ったことがうかがえる。
かつて裁判員法を作る段階で、政府は「偏見報道の禁止」規定を法案に盛り込もうとした。報道が一般人である裁判員に与える影響を懸念したからだった。
だが、「偏見報道」の定義があいまいで、事件報道を規制するおそれがあるとして、報道機関は反対した。そもそも、被告の運命を左右する現実の裁判に直面すれば、安易に先入観で判断することはないはずだと、市民の良識を信じたのである。
今回、裁判長は「我々以上にマスコミが知っていることはない」「外は無関係。自分で判断を」と繰り返し述べたようだ。このように丁寧な「説示」があれば、報道先行型の裁判員裁判も適切に審理できることを示した意味は大きい。
今回の裁判は、いわゆる「密室」での犯行が問われ、判断が極めて難しいケースでもあった。最大の争点は、被告が早く119番すれば、合成麻薬を使用して容体が急変した女性を救えたかどうかだった。
この点について、証言台に立った医師の証言は「9割以上の可能性で救命できた」「救命可能性は30~40%程度」と分かれた。判決は、救命可能性について「一定程度あったが、救命が確実だと立証されたとは言えない」と判断した。結果的に、保護責任者遺棄致死罪の成立は認めず、保護責任者遺棄罪の適用にとどめた。
「疑わしきは被告の利益に」との刑事裁判の原則にのっとった結論だと言える。
その点以外は、検察側の立証に沿って判断し、「自己保身の犯行で、反省の情は皆無」として実刑を選択した。一方、押尾被告は「納得できない」として控訴した。
プロでも判断が難しい裁判だ。結論はともかく、法廷の証拠に真摯(しんし)に向き合った裁判員の姿勢は、大いに今後の参考になるだろう。
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読売新聞 2010年09月19日
押尾学被告実刑 裁判員にかかった大きな負担
裁判員制度が抱える問題点が凝縮された裁判だったといえるだろう。
保護責任者遺棄致死罪などに問われた元俳優の押尾学被告(32)に対し、東京地裁は実刑判決を言い渡した。
押尾被告は、合成麻薬を飲んで苦しむ女性に対し、適切な救護措置を行わずに死亡させたなどとして起訴された。人気俳優の事件だけに、テレビのワイドショーなどで繰り返し報じられた。
このため、注目されたのは、裁判員が予断を持たずに判断できたかという点だった。法廷に示された証拠だけに基づいて判断するのが、刑事裁判の鉄則だからだ。
押尾被告の弁護人も公判の冒頭で、「人物像に予断と偏見を持っているかもしれないが、虚心坦懐に見てほしい」と、6人の裁判員に呼びかけた。
裁判員を務めた男性会社員は、判決後の記者会見で、「先入観がなかったといえばうそになる。公判が進むうちに、有名人という意識は薄れた」と語った。予断を排除する難しさがうかがえる。
押尾被告がすぐに119番通報をしていれば、被害者は助かったかどうかが最大の争点だった。
救命の可能性を巡り、専門医の見解が大きく分かれていた点については、判決は「119番通報すれば、被害者が確実に助かっていたことが十分に立証されていない」と指摘した。
その結果、判決は保護責任者遺棄致死罪ではなく、保護責任者遺棄罪を適用し、懲役6年の求刑に対して、2年6月と結論付けた。119番通報の遅れが、被害者が死亡した原因とは断じられないというわけだ。
法律家ではない裁判員にとっては、難しい法解釈であったろう。判決内容を決める際、裁判員はどのような点で悩んだのか、裁判官から適切な説明はなされたか。
非公開の評議の内容について、最高裁などが可能な限り検証することが必要である。
改めて感じるのは、難事件を担当する裁判員には、極めて大きな負担がかかるということだ。
今回の公判で、男性4人、女性2人の裁判員は計9日間、裁判所に通った。家族や職場などの協力なしに、責務を果たすことは困難だったに違いない。
審理のスピードアップは必要だが、拙速な審理は禁物だ。その難しいバランスの中で、どのような公判スケジュールを組むのか。今回の問題点を洗い出し、今後の裁判員裁判に生かしてほしい。
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産経新聞 2010年09月19日
押尾被告実刑 一つの関門越えた裁判員
元俳優の押尾学被告に対する裁判員裁判で、東京地裁は懲役6年の求刑に対し、同2年6月の実刑判決を言い渡した。
裁判は、芸能人の犯罪を初めて裁判員が審理して注目された一方、事件自体も厳しい判断を迫られるものだった。裁判員は「難題」に真剣に向き合ったと評価したい。
押尾被告は昨年8月、東京・六本木のマンションで合成麻薬MDMAを一緒に使用した女性を死亡させたとして保護責任者遺棄致死など4つの罪で起訴され、審理は計7日間にわたり行われた。
裁判は、被告が救急車を呼ばずに女性を放置して現場を離れた行為が、保護責任者遺棄致死罪にあたるかどうかが最大の争点となった。119番通報して適切な処置を講じていれば、被害者は助かっていたのかという、「救命の可能性」について、検察・弁護側双方が真っ向から対立した。
判決は結局、「確実に命を救えたとは立証されていない」と、致死罪の成立を認めなかった。被告の行為について、「虚偽や証拠の隠蔽(いんぺい)工作など悪質」と厳しく断じたものの、法的に「致死罪」までは適用できないとの結論である。量刑に関する評価には難しい面もあるが、判決は芸能界の薬物汚染への大きな警鐘にはなった。
6人の裁判員は期間中、極めて真摯(しんし)に証言や証拠を吟味したことが判決文や記者会見からうかがえる。被告が有名芸能人のため公判前から大きく報道され、それが心証形成に大きく影響する点を心配する声もあったが、杞憂(きゆう)だった。その意味も小さくない。
裁判員裁判は、一般の市民感覚を刑事裁判に反映することを目的として昨年8月にスタートし、1年が過ぎたばかりである。
今回のように「密室での犯罪」で、検察・被告双方の主張が対立する裁判員裁判はなかった。しかし、今後、死刑が求刑される事件など、より難解な裁判も待ち受けている。期間をできるだけ短くするなど、裁判員の負担を軽くするための配慮も大切だろう。
裁判員法が成立した際、3年をめどに手直しすると定められた。制度上、見逃せない課題や問題点が出てくれば、迅速に改善する必要がある。裁判員制度を定着させるには、裁判所、検察庁、弁護士会の法曹三者が互いに協力し合って、常に裁判員が理解しやすい審理を心がけることである。
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