民意をおおむね反映した選択が示された。まっとうな結果といえる。
民主党代表選で、菅直人首相が再選を決めた。小沢一郎前幹事長は党員・サポーター票で水をあけられ、頼みの国会議員票も菅首相を下回った。
仮に小沢氏が勝ち首相になったら、民主党政権は衆参のねじれに加えて、民意との大きなずれに苦しむことになったに違いない。
就任わずか3カ月の現職の首相を、総選挙も経ずに党の事情だけで交代させることには、やはり大義はなかったというほかない。
歴史的な政権交代から、あすでちょうど1年。鳩山政権の挫折、参院選での手痛い敗北を経て、民主党政権は実質ここからが再スタートとなる。
「政権を交代させたのは間違いではなかった」と国民が実感できるよう、菅首相をはじめ全国会議員が、1年の反省を踏まえ、政権交代の初心にかえり、もう一度やり直すくらいの気構えで政権運営に臨まなければならない。
今回の代表選に向けられた海外の視線には、極めて厳しいものがあった。ここ数年の異様なまでの短命政権の連続には、日本の政党政治の機能不全、民主主義の未成熟を指摘されてもやむをえない面がある。
20年来の政治改革の営みがやっと実を結び、政権交代は実現したものの、民主党政権のやっていることは自民党政権とたいして違わないではないか。
そんな政治への幻滅や冷笑が国民の間に広がり、取り返しのつかないところまで深刻化しかねない。代表選前の日本を覆う空気だったといっていい。
菅氏の再選を、国民の政治離れに歯止めをかけ、民主主義のさらなる深化に向けた一歩としなければならない。菅氏の責任は重大である。
敗れたとはいえ、小沢氏は国会議員の半数近い支持を集めた。「剛腕」とも評される小沢氏の実行力への期待もあろう。今後も一定の影響力を維持することになるかもしれない。
しかし、一般国民の意識に近いとみられる、党員・サポーターの間では支持が広がらなかった。小沢氏には、この事実をかみしめてもらいたい。
その要因は、政治とカネの問題だけではない。
数の論理を追い求め、説明責任には後ろ向きで、ばらまき的手法をいとわない選挙至上主義といった小沢氏の「古い政治文化」への拒否感が、根底にあるに違いない。
これからは「一兵卒として頑張る」と小沢氏は明言した。ここは、その言葉通りに身を処すべきだろう。検察審査会による2度目の判断を待つ身でもある。
今後の人事では、小沢氏が舞台裏から党や政権に大きな影響力を及ぼし、実権を振るう「二重権力」構造は、くれぐれも避けなければならない。
むろん菅氏が小沢氏を支持した議員を排除していいということではない。党を二分した熾烈(しれつ)な選挙戦のしこりを最小限に抑え、文字通りノーサイドで、党が一丸となれる体制を菅首相はつくらなければいけない。
「壊し屋」の異名をとる小沢氏には、選挙で負ければ仲間を引き連れ、いずれ党を割るのではないかという見方がつきまとう。
小沢氏は自民党離党以来、一貫して政権交代可能な二大政党制の確立を掲げてきた。政権交代を実現させた今、党を分裂させ政界再編をしかけることが、その目標に沿うとは思えない。
小沢氏自身、選挙結果がどうあれ、党を割ることはしないと繰り返し言明してきた。もはや永田町的な「政局」に血道をあげる時代ではない。
今回の代表選には、徹底した政策論争を通じて、党内の異なる政策路線に黒白をつける意味合いがあった。
総選挙マニフェストは国民との約束だが、財源との兼ね合いで実現が難しければ、柔軟に修正し、国民には丁寧に説明して理解を求める。
消費増税を含む税制抜本改革の議論からも逃げるわけにはいかない。
そうした菅首相の主張は、極めて妥当な内容だろう。
代表選で軍配があがった以上、民主党は菅首相が掲げた方針と政策路線のもとに一致結束しなければならない。
菅首相に注文がある。
新成長戦略の策定など、日本経済と国民生活を立て直すメニューは、それなりに示されたが、問われるのは今後の実行いかんである。安心できる社会保障の将来像や、経済成長と財政再建を両立させる具体的道筋についても、できるだけ早く示してほしい。
国民世論の菅首相に対する評価は、消極的な支持というべきものである。
国のトップリーダーが短期間で代わるのは好ましくないという思いや、「小沢首相」に対する拒否感が強く作用していることは否めない。
それを積極的支持に変え、政権の推進力とするには結果を出すしかない。
代表選で訴えた「オープンでクリーンな政治」「新しい政治文化」を早く目に見える形にすることも必須だ。
頻繁な首相交代による「政治の不在」はもう許されない。今度こそ、内外の政策課題に腰を据えて取り組む。民主党全体が、国民に対する重い責任を自覚しなければいけない。
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