米戦闘部隊撤退 イラクの団結が必要だ

朝日新聞 2010年08月23日

米軍のイラク撤兵 重い教訓に向き合うとき

米国のオバマ大統領は2011年末までに、イラク駐留米軍の完全撤退をめざす。中間目標は、今月末までの戦闘任務終了だ。この方針に沿い、戦闘部隊が隣国クウェートに撤兵した。

米軍は今月末、ピーク時の約3分の1の5万人に減り、後を引き継ぐイラク治安部隊の訓練が主な任務となる。

すでに、イラクでの米軍の死者は4400人を超え、イラクの民間人の死者は10万人以上とも言われる。

イラクを離れた兵士が外国の従軍記者に答えた。「何がいいかって? 第一に、もう誰も傷つかないこと」。この戦争は正しかったのか。任務とはいえ、兵士たちにも複雑な思いが去来したのではないだろうか。

同時多発テロが起きた時、多くの国々、人々がテロに立ち向かう米国を後押しした。だが、強引にサダム・フセイン政権打倒に突き進む米国のやり方は世界を分裂させ、イスラム世界の反発も強めることになり、むしろテロはイラク内外に拡散した。

この戦争は何だったのか。開戦した米国も、戦争を支持した日本も、深く自問自答すべきときだ。

少し振り返ってみよう。

イラクが大量破壊兵器を隠し持っている疑いがある。テロ組織に渡ると大きな脅威になる。それが、時のブッシュ米大統領が戦端を開く「大義」だったが、決定的な証拠を欠いていた。それでも、独仏などの反対を押し切り、英伊などとの有志連合で攻撃を始めた。武力行使を明確に容認する国連安保理決議はないままだった。

脅威の芽を独断的に先に摘みとる「予防戦争」は、差し迫った脅威への自衛と国連安保理決議に基づく武力行使しか認めない国連憲章に反する。

「予防戦争」へと進む米国にどう自制を促すか。国際社会は腐心した。仏外交官は開戦前に語っていた。「これはイラク問題ではなく米国問題だ」

米国務長官だったパウエル氏は大統領に、イラク侵攻は米国にも世界にも「高くつく」と直言したという。占領すればイラク国民の希望も問題も、すべて引き受けなければならない、と。それでも大統領は開戦に動いた。「あらゆる手段でテロを根絶する」というブッシュ流を持ち込んだ戦争、それがイラク戦争であった。

同時多発テロの衝撃に突き動かされたのだろう。だが、いくら米国の意に沿わない国でも、あいまいな根拠に基づいて武力行使で政権転覆するやり方では、イラクの人心も国際世論も「対テロ」での結束は困難だ。そんな自明のことにさえ理解が及ばなかった。

侵攻後に調べてみると大量破壊兵器などなく、戦争への疑問はさらに拡大した。米国が政権打倒を「対テロ戦争」と同一視し、旧政権の残党や支持勢力の根絶作戦を続けたことはイラク内で強い反米意識とテロを誘発した。アルカイダなど過激派にイラクでの聖戦実施という「大義」を与え、暴力の連鎖をまねく事態ともなった。

イラクは今も混乱の中にある。3月の国民議会選挙後も宗派対立などで新政権ができず、政治空白が続く。

ブッシュ路線を批判してきたオバマ氏が大統領となった米国は大きく方針を転換した。今は、国連や国際社会を説得してイラク再建を目指している。それは、「予防戦争」でイラクを壊し乱した米国の、国家としての重い責任でもある。

そのオバマ大統領が、アフガニスタンについては「必要な戦争」と呼び、就任後、駐留米軍を3倍に増やした。だが、アルカイダとつながった政権を打倒しても人心をつかめず、国の復興・再建やテロ対策が難航している現状は、イラクでの苦悩を想起させる。

英国のミリバンド前外相は、「対テロ戦争」の過ちのひとつに軍事力への過信をあげる。戦火と犠牲者の拡大は、テロを防ぐ味方を必ずしも増やせない。この教訓を米国はアフガニスタンでも強く認識しておいて欲しい。

日本はイラク戦争を支持し、イラクの「非戦闘地域」に自衛隊を派遣した。同盟国・米国に寄り添う動きだった。不確かな情報に基づく戦争を支持したことをどう総括するのか。「どこが戦闘地域で、どこが非戦闘地域か、いまこの私に聞かれたって、わかるわけない」(小泉純一郎首相の国会答弁)といった状態での自衛隊派遣は、誤った選択ではなかったのか。

与党・政府内では、イラク問題の背後で北朝鮮問題が見え隠れした。「北朝鮮問題があるのに、(イラクから)いち抜けたと言って日米同盟が悪くなっていいのか」(自民党幹部)との声も聞こえた。実際のところ、政権の中でイラクと北朝鮮の問題をどのように関連づけていたのか。

菅直人首相は、民主党代表として、大半が戦闘地域のイラクへの自衛隊派遣は違憲状態だと指摘していた。民主党政権はこの歴史から何を学びとるのか、今こそ明確に示す必要がある。

戦争に関する国家の意思、判断は、厳しい検証を受けなければならない。さもなくば、今後の国家運営、とりわけ外交と安全保障政策に何の教訓も残さないことになる。

参議院の調査会で集中的に審議するなど、国会でイラク戦争をめぐる意思決定の検証作業をすべきである。

毎日新聞 2010年08月20日

米戦闘部隊撤退 イラクの団結が必要だ

節目には違いないが、明るい展望が開けたわけではない。最後の米軍戦闘部隊がイラクから撤退した。オバマ政権は今月末の予定だった撤退完了を10日以上前倒しした格好だ。03年3月から7年5カ月に及んだイラク戦争の戦闘作戦は一応、終わったとも言える。その意味では確かに重要な一里塚である。

だが、イラクでは3月の総選挙後の連立交渉が難航し、まだ新内閣発足のめどが立たない。16日にはアラウィ元首相率いる政治会派「イラク国民運動(イラキヤ)」が、マリキ首相の会派「法治国家連合(SLC)」との連立協議を中断したことを明らかにするありさまだ。

テロも続いている。バグダッド中心部にある国軍の新兵募集施設前で17日、自爆テロが発生し、死者は60人以上に達した。米軍撤退に備えたイラク軍の増員を妨害するのが狙いとの見方もあり、情勢は不穏だ。

こうした不安定要因の解消に、イラク政府はより真剣に取り組まねばなるまい。まずは一日も早く新しい内閣を発足させて「力の空白」を埋めるべきだ。険悪な治安状況を尻目にイラクの諸政党が党利党略の駆け引きを続けるようでは、日本をはじめイラク再建を支援する国々も重大な疑問を覚えるに違いない。

オバマ政権はブッシュ前政権からアフガニスタンとイラクの両戦線を引き継いだ。昨年2月発表した新戦略に沿ってオバマ政権が戦闘部隊を撤退させたことは評価したい。米軍はもっと長く駐留すべきだという声もあるし、オバマ政権は11月の米中間選挙をにらんで見切り発車の撤退を断行したという批判もあろう。

だが、イスラム世界への米軍駐留自体が反米勢力の反発を買い、不安定要因になっているのも確かだ。一時17万人を超えた駐留米軍は戦闘部隊撤退に伴って5万人規模になるが、来年末の全面撤退を実現すべく米軍はイラク治安部隊の養成を急ぐべきだ。日本も経済支援を通じてイラクの自立に貢献したい。

ブッシュ政権は「大量破壊兵器」をイラク戦争の大義名分とし、同種の兵器が発見できないと見るや「中東民主化」を目標に含めた。これもうまくいかなかった。ブッシュ大統領は退任演説で「チャンスが与えられるなら、前とは違った形で行う事柄もある」と弱気に語り、フセイン政権の打倒を成果としつつ、誤情報に踊らされて戦争を始めたことを示唆した。

だが、イラク戦争開始以来の民間人の死者は9万~10万人、米兵の死者は4400人以上とされることを考えれば、この戦争の動機や背景はなお厳しく検証されるべきだ。戦争をいち早く支持した日本も徹底的な検証をすべきである。

読売新聞 2010年08月22日

米軍イラク撤退 新政権の樹立を急がねば

新生イラクが試練の時を迎えている。

イラク駐留米軍は今月末、開戦以来7年5か月に及んだ戦闘任務を終える。すでに現地時間の19日未明には、最後の主力戦闘部隊が撤収した。

だが、今後の治安維持を担うイラク政府は、国民議会選挙から5か月半たつというのに、事実上不在のままだ。その政治空白をついてテロが再び急増している。

新政権を速やかに樹立しない限り、この不安定な状況から抜け出すことはできないだろう。

イラクでは今年3月、新憲法下で2度目の国民議会(定数325)選挙が行われた。宗派色の薄い政治勢力がスンニ派イスラム教徒の支持を得て91議席を獲得、マリキ首相率いるシーア派勢力を2議席上回り、最大会派となった。

この両者が新政権の主導権を争い、連立交渉が難航している。

フセイン政権崩壊後のイラクではこれまで、多数派のシーア派がクルド人と共に政権を運営してきた。旧政権時代の支配層だったスンニ派は排除され、それが激しい宗派抗争の一因となった。

今回、スンニ派が政権入りすれば、宗派間和解の機運が生まれると期待されるが、時間の浪費が許される状況ではない。

最大時17万人を数えた駐イラク米軍は今月末で5万人に減る。残留部隊の主任務は、軍や警察などイラク治安部隊の養成で、治安維持はイラク人の肩にかかる。

イラクの新政権が未発足のままで米軍戦闘部隊が退くことには、不安の声もあった。

オバマ米大統領は、イラク戦争からの「責任ある撤退」を公約、「必要な戦争」と見るアフガニスタンへの兵力移転を進めてきた。11月には中間選挙も控えており、戦闘部隊の撤退を遅らせるという選択肢はなかったのだろう。

米・イラク間の協定では、残る米軍5万人も来年末に撤収する。「責任ある撤退」を完遂できるかどうかは、今後1年4か月の間にイラク治安部隊をどこまで育成できるかにかかっている。

「我々の独り立ちにはあと10年かかる」と、治安部隊幹部には米軍の駐留延長を望む声もある。

米政府には、イラク政府との協議を通じて、来年末以降の支援策についても示してもらいたい。

日本では、陸上自衛隊のサマワ撤収、空自の輸送任務終了とともに、イラクへの関心が薄れたように見える。

国際社会は今後も、イラクの動向を注視していく必要がある。

産経新聞 2010年08月24日

イラク米軍撤退 民主国家の成長支えたい

イラク駐留米軍の戦闘部隊の撤退が前倒しで完了した。米軍残留部隊は5万人に縮小され、イラク治安部隊の訓練や対テロ戦支援などの任務に就く。来年末までに完全撤退する予定だ。

イラクが民主的な主権国家の実体を備えつつあることを歓迎する。同時に真の自立へ、イラク国民の覚悟を改めて求めたい。

2003年3月のイラク戦争開戦後、投入された米軍兵士は最大時17万人にのぼり、戦死者は4400人を超えた。民間人の死者は15万人以上との推計もある。

多大な犠牲を払い、イラクの治安は大幅に改善された。米国務省のテロ年次報告書によれば、09年のテロは多発した06年の4割のレベルにまで減少している。

日本は03年、外交官2人が北部で武装勢力に銃撃され、尊い犠牲となった。それでも、04年1月から2年半、陸上自衛隊延べ約5500人を南部サマワに派遣し、医療や給水など人道復興支援を続けた。現在も国際協力機構(JICA)が石油プラント新設など多岐にわたる支援事業を展開中だ。

もちろん復興の前途は厳しく、多難である。イラク側が抱える課題も決して少なくはない。

今年3月、新憲法下で2度目の国民議会選挙(定数325)が行われた。その結果、世俗派連合の「イラキーヤ」、イスラム教シーア派中心の「法治国家連合」、同じシーア派の「イラク国民同盟」と、主要勢力が3分裂した。

連立協議の行方は依然不透明である。この政治空白がテロ勢力に付け入るすきを与え、7月以降はテロが多発している。

イラク戦争では、当時のブッシュ米大統領が開戦の主な大義とした「サダム・フセイン政権による大量破壊兵器の保有」の根拠が崩れたこともあって、戦争自体の正当性を問う意見もある。

だが、米軍など多国籍軍によってイラク国民に虐殺と恐怖の圧政を敷いたフセイン独裁政権は崩壊した。完全とはいえないにせよ、国民が自由意思で選ぶ議会制民主政治が育ちつつある。日本が石油の大半を依存する中東で、価値観を共有できる民主国家が誕生した意義は大きい。

米国はイラクに続き、アフガニスタンでもテロ掃討をめざす。その成功につなげるためにも、イラクの自立を後押しする日本の貢献と役割がますます重要だ。

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