実在しないまま、書類の上では年齢を重ねていく“長寿者”が、なぜ、これほどいるのか。
東京都足立区で111歳とされる男性のミイラ化した遺体が見つかった事件に端を発した、所在不明高齢者の問題は、日を追うごとに拡大し続けている。
全国の自治体が100歳以上の人について調べているが、存否が分からない高齢者は、読売新聞の集計で240人を超えた。さらに増えることは確実だ。
神戸市で「125歳の女性」がいるはずの場所は、30年近く前に市の公園になっていた。公園用地を買収した部署は、住民登録の部署と情報を共有しなかった。
大阪市では「127歳の男性」は44年前に、「123歳の女性」は30年前に、住所地とは別の区で死亡届が出ていたのに住民登録に反映されていなかった。
行政の怠慢というしかない。
一方で、発端となった足立区のケースのように、家族が確信的に死亡を隠し続ける場合もある。
今回の問題をきっかけに、三重県で56歳の男が2年前に当時80歳の母親に食事を与えず死なせ、遺体を白骨化するまま自宅に放置していた事件が発覚した。
同様のことがほかにもないか、よく調べなければならない。
行方不明ではあるが「生きている」と家族が信じているケースもあろう。しかしその場合でも、不明者の年金を受け取り続けることは、正当な行為とは言えまい。
こうした事件や不適切な年金受給が生じるのは、住民登録と確認作業を、いいかげんなままで済ませてきたからだ。
今のところ、調査は100歳以上に絞られているが、100歳未満の高齢者も当然、実態を把握しなければならない。
その場合、対象者は90歳以上で約130万人、75歳以上だと国民の1割を超えて約1370万人になる。全員の所在や安否を面接して確認するには、膨大な労力と時間がかかる。
医療や介護の利用記録を積極的に安否確認に活用すべきだ。
たとえば、75歳以上の人が一定期間、診療も介護も受けていなければ、行政が権限をもって確認に動けるような仕組みが要るのではないか。
政府が導入を目指している「社会保障と税の共通番号」ができれば、そうした方策も講じやすくなる。個人情報保護とのバランスをとりながら、超高齢社会に役立つ番号制度を整えるべきだ。
この記事へのコメントはありません。