今年も8月15日を迎えた。戦没者を追悼し平和への誓いを新たにする日である。
第2次世界大戦が終わってから65年。国連を中心に核軍縮や紛争調停の努力が続けられているが、戦争や地域紛争は絶えることがなく、平和への道筋はなかなか見えてこない。
1945年の終戦の夏を顧みることは、国際協調の道を歩むことを誓った戦後日本の原点を問い直してみることでもあろう。
終戦と言えば、8月15日を区切りに平和な日々が始まったというイメージが定着している。
しかし、8月9日に日ソ中立条約を破って満州(現中国東北部)に侵攻を始めたソ連軍は、15日以降も進撃を続けた。
18日には千島列島最北の占守島にソ連軍が上陸、日本軍守備隊との間で激しい戦闘が行われた。最近、これを素材にした浅田次郎氏の小説「終わらざる夏」が刊行されて、一般にも広く知られるようになった。
樺太(サハリン)の真岡町では、最後まで通信業務に携わっていた女性交換手9人が自決した。この悲劇を伝える映画「氷雪の門」も今夏、36年ぶりに劇場公開されている。
国際法上は、日本が降伏文書に調印した9月2日に降伏は成立した。しかし、日本政府が8月14日にポツダム宣言の受諾を表明したのを受けて、アメリカ軍などはすみやかに攻撃を停止している。
ソ連軍は侵攻を続け、日本固有の領土である国後島など北方4島を占拠した。
日本軍将兵ら約60万人が捕虜としてシベリアなどの収容所に送られ、過酷な強制労働を強いられた。約6万人が飢えや寒さにより死亡した。
シベリア抑留については、旧ソ連崩壊後の93年、ロシアのエリツィン大統領が「非人間的」な行為だったとして謝罪している。
しかし、ロシアは先月、日本が降伏文書に調印した9月2日を第2次世界大戦終結の記念日に定めた。事実上の「対日戦勝記念日」で、日本の北方領土返還要求をけん制したものでもあろう。
政府は、北方4島の返還を今後とも粘り強く要求していかなければならない。
終戦の夏のもう一つの悲劇は、広島、長崎への原爆投下だ。
日本がポツダム宣言を拒否したために、やむなく原爆を投下したとトルーマン米大統領は主張していた。しかし、7月25日に原爆投下命令が出された後、翌26日にポツダム宣言は発表されている。
それでも、日本政府がポツダム宣言の受け入れを、間を置かず表明していれば、原爆投下を回避できたかもしれない。当時の日本の指導者は、ソ連仲介による和平工作に期待し、時間を空費した。
今月6日、ルース駐日米大使は広島市の平和記念式典に米政府を代表して初めて参列した。それでも米国内からは「無言の謝罪と受け止められかねない」と批判の声が上がっている。
核を使用した米国の道義的責任を認めたオバマ政権として、ぎりぎりの決断だったのだろう。
米国では、「原爆投下で本土上陸作戦が回避されたことにより、多数の米国人の生命が救われた」とする主張が根強い。
しかし、原爆という残虐な兵器の使用によって、20万人を超える広島、長崎の市民の生命が奪われた事実の重みは消えない。
一方で、日本も過去の誤りを率直に認め反省しなければ国際社会からの信頼は得られない。
日本は世界の情勢を見誤り、国際社会からの孤立を深めていく中で無謀な戦争を始めた。中国はじめ東アジアの人々にも多大の惨害をもたらした。
読売新聞では戦後60年を機に、昭和戦争の戦争責任の検証を行った。その結果、東条英機元首相ら極東国際軍事裁判(東京裁判)の「A級戦犯」の多くが、昭和戦争の責任者と重なった。
今年は民主党政権になって初めての「終戦の日」でもある。菅内閣の閣僚全員が、靖国神社への参拝はしないという。
菅首相は、靖国神社に「A級戦犯」が合祀されているため、「首相在任中に参拝するつもりはない」と語っている。
民主党は昨年の政策集で、新たな国立追悼施設の設置に取り組む考えを表明していた。誰もが、わだかまりなく戦没者を追悼できる恒久的施設の建立に向けて、本格的な議論を進めていくべきだ。
今年も東京・九段の日本武道館で、政府主催の全国戦没者追悼式が行われる。歳月は流れたが、戦争の記憶は日本人の胸に深く刻まれ、語り継がれている。
「終戦の日」は、過去の歴史を踏まえつつ、国際協調の下、世界平和のため積極的に行動する決意を新たにする日にしたい。
そのことが先の大戦で亡くなった人々の遺志を生かすことにもなるはずである。
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