朝日新聞 2010年08月12日
御巣鷹25年 大事故から教訓得るには
桑田、清原両選手を擁したPL学園高校が、甲子園を制した夏だった。1985年8月12日夕、大阪行き日航ジャンボ機が群馬県の山中に墜落。犠牲者520人の大惨事となった。
4カ月後、連絡を取り合った遺族らが「8・12連絡会」を結成する。
「下を向いて生きることに終止符を打とう」と、会の名からは「遺族」の2文字が削られた。悲嘆に閉じこもらず、原因の徹底究明を求め、空の安全に役立ててゆこうという姿勢の表れだった。だが、やがて遺族たちはこんな疑問を抱くようになる。
日本での大事故への対応は、刑事責任の追及に傾きすぎて、再発防止に十分役だっていないのではないか――。
連絡会は、日航やボーイング社幹部らの告訴・告発に踏み切ったが、捜査の結果は、全員不起訴だった。
航空機のような巨大なシステムの事故は、様々な遠因を持つミスが連鎖して起きる。罪に問うべき過失の特定は難しく、たとえ個人を追及できても事故の全容解明につながりにくい。不起訴なら捜査情報も開示されない。
一方、運輸省(現国土交通省)の航空事故調査委員会は、しりもち事故の修理ミスがもとで圧力隔壁破壊が起きた、と結論づけた。だが、その報告書は、修理ミスの背景などには深く突っ込んではいない。
事故調は、態勢も権限もあまりに弱かった。警察との取り決めで事情聴取や機体押収では捜査が優先された。捜査を恐れる関係者は、事故調にありのままを話すことをためらいがちだ。
「調査」と「捜査」を明確に分け、原因究明を後回しにせず、ミスの背後にある構造的問題を解き明かし、有効な安全策に結びつける。それが、遺族の悲しみを繰り返さぬ道ではないか。
91年の信楽高原鉄道衝突、94年中華航空機墜落、05年JR宝塚線(福知山線)脱線と、交通機関の大惨事は相次いだ。思いを共にする遺族たちは、強い権限を持つ調査機関を求め続けた。
事故調は08年、運輸安全委員会に改組され、形の上は独立性が強まった。だが職員の大半は国交省出向組で警察との取り決めもそのままだ。昨年はJR脱線事故を巡り、改組前の委員の情報漏洩(ろうえい)が発覚。信頼はまた揺らいだ。
この問題で、国交省の検証チームは、事故調査のあり方を見直す議論を続けている。連絡会の願いは、ようやく尾根口にたどりついたとは言える。
メディアを含め社会の側にも、省みるべき課題がある。大事故が起きると、責任者を特定し裁きの場に連れ出すことに、焦点を合わせすぎていないか。それは必ずしも事故の教訓を社会で共有することにはつながらない。
あの夏から25年。多くの人が記憶にとどめ続けるには長く、安全な文化を築きあげるには、まだ短い。
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毎日新聞 2010年08月13日
日航機墜落25年 遺族の声は今なお重い
520人の尊い命が失われたあの夏から四半世紀が過ぎた。85年の日航ジャンボ機墜落事故は、単独機の事故としては、今も世界最悪の惨事である。山肌に散る無残な機体の映像を目にした衝撃と記憶は、25年たっても色あせることはない。
前原誠司国土交通相は12日、担当大臣として初めて墜落現場である群馬県上野村の御巣鷹の尾根を訪れた。犠牲者の冥福を祈り「520人の死を無駄にしないよう、安全な運輸交通行政に取り組みたい」と語った。子供を亡くした遺族は「無念の気持ちは今も変わらない」と述べ、慰霊登山に向かっていた。
公共交通の安全は、国民生活の基盤なのだと改めて思う。
25年前の事故以後、日本の大手航空会社で、乗客に死者が出る事故は起きていない。だが、107人の死者を出したJR福知山線の脱線事故など、その後も大事故は絶えない。
ジャンボ機墜落事故の被害者遺族らで作る「8・12連絡会」は先日、前原国交相に要望書を提出した。そこでは、今も変わらぬ大事故対応の問題点を指摘する。その一つが、「調査」よりも、刑事責任追及の「捜査」が優先されていることだ。
ジャンボ機墜落事故は、米ボーイング社の事故修理が不適切で、機体後部の圧力隔壁が破壊されたのが原因とされた。国の航空事故調査委員会(当時)が87年に結論づけた。
一方、群馬県警は、日航関係者ら20人を業務上過失致死傷容疑で書類送検したが89年、全員不起訴で終結した。この間、遺族からは、事故調査が不十分だとの声が上がった。
欧米では、大事故の際、捜査より事故調査を優先するのが主流だ。刑事責任の追及が優先されれば、処罰をおそれて関係者が口をつぐみ、事故の真相に迫れない。そもそも事故は、特定の個人の過失よりも複合的な要因で起きることが多い。原則として調査優先の方が、再発防止につながると考えるのが合理的である。
JR福知山線脱線事故の報告書漏えい問題で、運輸安全委員会に作られた第三者の検証委員会が、調査と捜査の現状の見直しに踏み込み、年内に提言をまとめる方向だ。政府は、再発防止につながる仕組み作りを急ぐべきだ。
事故後の被害者支援体制が必要とする遺族の指摘も当然である。心のケアや補償問題への息の長い援助は欠かせない。日航機事故の補償問題解決が、長い年月を要したことを心に留めねばならない。
日航は事故後、波乱の道を歩んだ。完全民営化、日本エアシステムとの経営統合を経て、経営破綻(はたん)したのは今年1月のことだ。今は再建途上だが、安全運航が第一であることを改めて確認してもらいたい。
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読売新聞 2010年08月12日
御巣鷹25年 墜落の悲劇を風化させるな
日本航空のジャンボ機が群馬県上野村の御巣鷹の尾根に墜落し、乗員乗客520人が犠牲となった惨事から、きょう12日で25年になる。
羽田空港を夕方に離陸し、大阪に向かう便だった。出張帰りのビジネスマンや夏休み中の家族がいた。お盆で帰省する人もいた。そうした人たちの人生が一瞬のうちに断ち切られた。
遺族や日航関係者らは毎年、8月12日に御巣鷹の尾根への慰霊登山を行ってきた。その慰霊碑の周辺を荒らす行為が続いているという。許し難いことだ。
日航社員を含め、一線で働く航空関係者の多くは事故以降の世代になったが、この悲劇を風化させることなく、起きたことの深刻さを語り継がなければならない。
「御巣鷹は安全の原点」と、日航は繰り返してきた。日々、安全の徹底に努める。それは航空業界全体の基本でもある。
単独機の犠牲者数では最大の事故として、今も世界の航空史に記録をとどめる。その後は、日本の大手航空会社は内外で乗客が死亡する事故を起こしていない。
しかし、惨事につながりかねないミスやトラブルは絶えないのが現状だ。そのたびに利用客を不安にさせてきた。
2001年には静岡県焼津市上空で、あわや空中衝突という日航機同士の異常接近があったが、これは管制官の誤った指示が原因だった。逆に、管制官の許可なく離陸滑走を始めるなど、運航乗務員の人為的ミスも少なくない。
御巣鷹事故では、捜査当局や事故調査委員会が、米ボーイング社の修理ミスによる、後部圧力隔壁の破断が原因と認定した。
このような修理ミスや、整備不良、設計ミスなど、機体に欠陥があっては、いくら機長らが最善を尽くしても事故は防げない。
国内の航空旅客数は、この25年で約4400万人から約9500万人に膨らんだ。航空交通の重要性は格段に増している。
運航や整備部門、管制、航空機メーカーなどが、それぞれ安全を徹底させることで、二度と悲劇を起こさない万全の体制を築いていかなければならない。
かつては国際線の輸送実績で世界一になった日航も、御巣鷹事故を境に業績が悪化し始める。ついに経営に行き詰まり、現在は会社更生法に基づき再建中だ。
社員の賃金カットや大規模な人員削減などのリストラも進めているが、安全最優先の大前提だけは崩さないでもらいたい。
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産経新聞 2010年08月12日
日航機事故25年 「空の安全」改めて誓う時
日本航空のジャンボ機墜落事故から、きょうで25年になる。幸いにして御巣鷹(おすたか)の事故以来、日本の航空会社は大惨事を起こしていない。死者520人を出した世界最悪の事故を教訓として学び取り、安全運航に努めてきた成果だろう。
とはいえ、四半世紀が過ぎたなかで遺族は高齢化し、御巣鷹の尾根への慰霊登山ができなくなった話も聞く。日本航空も、事故そのものを話でしか聞いたことがない社員が大多数になった。
大切な肉親を突然奪われた悲しみを、次の世代に語り継いでゆくことが重要だ。日航をはじめとする航空会社は、社員研修に遺族らを招いて講演してもらうなど、さらなる安全意識の向上が求められる。すべては事故の悲惨さを知ることから始まるからだ。
国土交通省は、新たに航空事業への参入を認めた企業の経営者に御巣鷹山へ登山するよう求めている。安全運航に対して厳しく自覚を促すためだというが、大切なことである。
日航は今年1月に経営破綻(はたん)し、経営陣を大幅に入れ替えた。路線縮小や人員削減などを含む更生計画が、8月末にも東京地裁に提出される予定だ。
しかし、独り立ちへのハードルは低くない。政官とのなれ合いなど「親方日の丸」的な甘い体質や、経営の足かせとなってきた労働組合問題などが改善できない限り、再生はおぼつかないだろう。さらに何より、安全を最優先する企業であらねばならない。
日航はかつて、遺族ら「8・12連絡会」が求め続けてきた事故機の残骸(ざんがい)の保存と展示を拒んだ経緯もある。運航トラブルが多発して平成18年4月、羽田空港近くに「安全啓発センター」を設立して公開に踏み切ったが、惨事を繰り返さない決意こそ再生の原点にしなければならない。
日本の航空需要は増え続けている。事故の起きた昭和60年、国内線・国際線合わせて約5030万人だった輸送人数は昨年、約9930万人と倍近くになった。「空の安全」は、ますます重要になっているのである。
前原誠司国交相はきょう、御巣鷹山に慰霊の登山をするという。航空関係者は25年を節目として、あの事故を風化させることなく恒久的な安全運航への決意を新たにしてほしい。
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