終戦記念日に際して 「打たれ強い日本」に 低エネルギー化急げ

毎日新聞 2009年08月15日

終戦記念日に際して 「打たれ強い日本」に 低エネルギー化急げ

終戦記念日の主張として、日本を低エネルギー消費の国にしようというのは、やや奇異に映るかもしれない。しかし、日本の平和と安全にとってぜひ必要なことだ。

気候変動の脅威とエネルギー需給の不確実性、さらには食料問題。こうしたグローバルな脅威を完全に遮断することはできないが、少なくとも低エネルギー社会化で「打たれ強い国」にすることはできる。それはまた、グローバルな危機に脅かされている途上国に対する、何よりの支援ともなるだろう。

実のところ、エネルギー消費が効率的で少ない「グリーンな軍隊」ほど「強い」のだ。英国防省が昨年12月公表した「気候変動戦略」は、その思想を強く打ち出している。気候変動の脅威に即応するには兵器の省エネが不可欠という主張だ。石油がぶ飲みの軍隊は継戦能力に欠ける。米軍は「ハイブリッド戦車」さえ研究している。

先の大戦で日本軍は終始、資源・エネルギー不足に苦しんだ。苦肉の策として「人造石油」と「松根油」の製造に取り組んだが失敗した。満州(中国東北部)の撫順炭鉱の油頁(ゆけつ)岩(オイルシェール)から石油を抽出しようとしたり、日本中の松の根を掘り返し航空機用燃料を取り出そうと試みたのである。

1944年12月21日付毎日新聞埼玉版によれば、松根油の採取のため同県内だけで「学徒を延べ6万9000人動員」したという。

戦後、米政府は戦略爆撃調査団を送り込み、爆撃の効果など広範な調査を行った。その報告書はこうした日本側の努力について、日本は貴重な労働力と設備をムダに使い、かえって戦争遂行を妨げる結果に終わった、と酷評している。

その米国がいま、大量のトウモロコシを自動車用燃料のバイオエタノールに転換し、食料危機の一因を作り出している。歴史の皮肉である。松根油を作ろうとした日本の技術は幼稚だった。それに比べ米国のバイオ技術は高度かもしれないが、結局のところいずれも「労働力と設備のムダ遣い」ではないか。

世界の人口は現状の65億人から90億人に向かいつつあり、食料危機を想定する国が増えている。昨年、農産物の輸出禁止をする国が相次いだが、現在もインドなど多くの国が輸出を禁止している。

今春、マダガスカルでクーデターが発生したのは、ひとつには外国企業が農地を囲い込んだことへの反発だった。途上国の農地を買い占め、自分だけ食料を確保しようとする国が後を絶たない。石油、水、食料をめぐる一触即発の危機が世界各地でふくらんでいる。

日本をふくめ各国がいま、グリーン・ニューディール政策を競い、化石燃料への依存を減らし温室効果ガスの排出を抑え込もうとしている。つまりは、技術進歩によって環境と成長の両立を図ろうとする試みである。私たちは日本が率先して取り組むよう求めた。

ただ、温暖化の緊急性や資源の有限性を強く意識するなら、ここからさらに一歩踏み出す必要がある。

早晩、私たちは環境と資源の制約によって、暮らし方を大きく変えねばならなくなる。それが何年後かは議論が分かれるが、英国防省が示唆するように、エネルギーの使用量が少なければ少ないほど、危機への抵抗力は強まる。

東京財団が「化石燃料を使わない社会」をシミュレーションした。原子力、水力などは現状維持で、自然エネルギーを最大限利用したとして、1960年代の1次エネルギーの消費量になるという。ひどく貧しい時代だった気がする一方で、いま失われたある種の豊かさがあったような気もする。

実のところ、世界のモデルになるような「豊かな低エネルギー社会」をどうすれば実現できるか、道筋は見えていない。低エネルギー化は常識では貧しい暮らしを意味する。それではだれも賛成しないだろう。エネルギー消費が少なくても、そこに何らかの豊かさが生まれていなければ意味がない。

ひとつはっきりしているのは、これが「地方の自立」に深くかかわる問題だということだ。なぜなら、低エネルギー社会は食料のみならずエネルギーも地産地消でなければ成立しないからだ。地方が「浪費と無縁の豊かさ」を競い合う分散型社会に日本は変わっていくだろう。

あと半月で衆院選の投票日だ。鎮魂の月、8月の衆院選は初めてである。すでに事実上の選挙戦が始まっており、各党が政策論争を戦わせている。間遠に思えるかもしれないが、日本の安全保障の基礎を準備する問題として、低エネルギー社会をめざす是非や方策を論じてほしい。

産経新聞 2009年08月15日

終戦記念日 国家の心棒、立て直す時 鎮魂の日に思う難局の打開

64回目の終戦の日を迎えた。物心がついた、当時10歳前後の少年少女は今や、70代半ばにさしかかっている。あの戦争を知る人の多くは鬼籍に入った。いや応なく忘却が進む。だが、総力戦に敗れ、国の行く末を国民が深く憂え、同時に日本再建へ心を一つに立ち向かったことに思いを馳(は)せたい。

日本はいま、多くの難題を抱えている。少子高齢化の進行、不況下での負担と給付、北朝鮮の核や中国の台頭…。これらの問題に正面からどの程度、立ち向かってきただろう。複雑化し、解を見いだすのは容易でないがゆえに放置されてきた。その拱手(きょうしゅ)傍観が危機をさらに深めてはいないか。

≪同じ「日本丸」にいる≫

しかも問題の根本解決には党派を超えた枠組み作りが不可欠なのに、目前の利害と対決感情に身を置いてしまう。混乱と混迷からなかなか抜け出せない。激論、競争は民主主義を活性化させるが、行き過ぎては国益を損ねる。

気付くべきは、同じ日本丸に乗り、運命を共にしているということだ。国家と国民の一体感を取り戻すことが、この国を救う。

あの戦争の教訓も道標(みちしるべ)だ。世界の情勢を見極められず、自らの実力を客観的に把握しなかったことなどが、無残な破局を招いた。70年前の1939年、独ソ不可侵条約締結に対し、平沼内閣は「欧州情勢は複雑怪奇」と声明して総辞職した。国際情勢への無頓着さは昔の話ではない。

日本の周辺環境は大きく変貌(へんぼう)している。21年連続で2けたの伸び率を示した中国の国防費に対し、米国防総省が今年3月、発表した「中国の軍事力」は「アジアの軍事バランスを変化させ、大きな不安定要因」と分析した。「中国は2020年までに複数の空母を建造する」との予測も加えた。

そう遠くない将来、空母3隻を擁する一大海軍国が姿を現し、日本近海で空母機動部隊が遊弋(ゆうよく)する。中国海軍高官が米中で太平洋を東西に分割管理しようと提案したことが空想とはいえなくなる。日本の存立は危うさを増す。

国連安全保障理事会の警告を無視して核実験を続行し、弾道ミサイルを発射する北朝鮮はこれからも、国際規範を踏みにじっていくだろう。北が核爆弾の小型化技術獲得に成功した可能性について、米国防情報局幹部は今年3月、上院委で言及した。いずれ保持する核搭載ミサイルは日本に向けられる。日本はその備えを常時検証し、万全を期さねばならない。

冷戦終結から20年、この地域はいまだに冷戦状況が色濃い。日本の平和と安全が直接脅かされているのに、あまり注意が向けられていない。防衛費の7年連続削減は、その証左である。

戦後日本は経済中心主義を取ってきた。自衛隊は保持しているものの、国の安全保障を米国に依存してきた。その習いが甘えとなり、今もなお一国平和主義が消えない。厳しさから目をそむけ、安逸をむさぼるゆえんでもある。

≪戦後体制をどうする≫

しかし、忘れてならないのは、北朝鮮による拉致事件が、国家の最大の使命である国民の生命と安全の確保をないがしろにしてきたことを明確にした点だ。国家の抑止力が機能していれば、工作員はあれほどやすやすと領土・領海を侵犯できなかったはずである。

絶対的な無防備平和主義がまかり通ったのは、国家主権の行使を縛る憲法第9条によるといえる。「国のかたち」が不備だったことが悔やまれる。国家の機能を回復することが、戦後日本の大きな宿題であり続けている。

総選挙の公示は18日だ。政権交代が声高に叫ばれている。自民党をこらしめるため、一度民主党に政権を任せようといった鬱憤(うっぷん)晴らしでは問題は片付かない。

21世紀を生き抜いていける国家像、いわば戦後体制をどうするかを自民、民主両党は政権の選択肢として提示しなくてはなるまい。変えるものと変えるべきでないものを整理して示す必要がある。

戦禍の廃虚から立ち上がった先人たちは豊かな国を見事に築き上げた。だが、肝心の国のかたちは抜け落ちてしまった。

心を一つに力を合わせ国家の心棒を立て直すことが現在と将来の危機を乗り切る原動力となる。

日本をよりよい国にすることが、あの空襲で犠牲になった多くの国民、戦陣に斃(たお)れた幾多の英霊への鎮魂につながっていく。300万を超える戦没者を深く追悼し、死者の思いを考える8月15日でありたい。

この記事へのコメントはありません。

この社説へのコメントをどうぞ。
お名前
URL
コメント

この記事へのトラックバックはありません。

トラックバックはこちら
http://shasetsu.ps.land.to/trackback.cgi/event/4/