朝鮮戦争60年 変わらない北朝鮮の脅威

毎日新聞 2010年06月25日

朝鮮戦争60年 「北」の根本的転換が必要

60年前の6月25日、ひそかにソ連の支援を受けた北朝鮮軍が韓国になだれ込み、朝鮮戦争が始まった。米国が国連軍を率いて韓国を助け、中国は北朝鮮に加勢した激戦である。3年余りで休戦したが、正式には今も終戦に至っていない。

この休戦状態の危うさを象徴するのが韓国海軍哨戒艦「天安」の沈没事件だ。多国籍調査団が「北朝鮮の魚雷攻撃」と結論付けたものの、北朝鮮は「でっち上げ」と主張し、激越な反応を示している。韓国軍が拡声機を使う対北心理作戦を準備しただけで、朝鮮人民軍総参謀部はソウルを「火の海」にすることも辞さない「無慈悲な軍事的攻撃」の開始を宣言した。

この沈没事件はカナダで25、26日に開かれる主要8カ国首脳会議(G8サミット)の重要議題だ。韓国を支援する立場の米国と日本は、北朝鮮が暴挙を繰り返さないよう、きちんと責任を問う方向に議論を導かねばならない。北朝鮮への名指し非難に慎重な中露のうち、中国はG8のメンバーでないため、ここではロシアへの説得が焦点となる。

事件は日本にとって対岸の火事ではない。60年前の朝鮮戦争は日米安保体制の構築につながり、今も休戦状態でしかない事実は沖縄米軍基地存続の大きな理由になっている。

北朝鮮の核兵器やミサイルは米国より日本にとって脅威だ。韓国への武力挑発は日本への敵対行動に発展しうる。日本人や韓国人を次々に拉致した冷酷さは、戦闘行為と同根であろう。だからこそ、日本は北朝鮮という火種の危険性を国際社会に訴える必要がある。

朝鮮戦争休戦後、韓国は高度経済成長に続く民主化など目覚ましい発展を遂げた。冷戦終結と中国の改革・開放政策で半島を取り巻く環境も大きく変わった。だが北朝鮮は韓国大統領の暗殺を狙った数回のテロ事件や大韓航空機爆破事件の後も、旧態依然の武力挑発を繰り返した。

韓国が北朝鮮に融和的政策を展開し、巨額支援で核開発を助けたとの批判もある金大中(キムデジュン)政権の時代にさえ、北朝鮮は黄海で2度も南北交戦を起こしたのである。

朝鮮半島に平和と安定をもたらすには、休戦協定を平和協定に切り替えねばならないと北朝鮮は主張してきた。しかし本当に必要なのは北朝鮮自らの思い切った路線転換だ。

国際社会に脅威を振りまきつつ、世襲の最高指導者を神格化する時代錯誤や、国民全体の幸福より独裁体制の固守を優先する理不尽が、いつまでも続いてよいはずがない。根本的な転換だけが平和と安定への道だという真実を、北朝鮮指導部は受け入れるべきである。

読売新聞 2010年06月24日

朝鮮戦争60年 変わらない北朝鮮の脅威

北朝鮮軍が北緯38度線を越えて突如、韓国に全面侵攻した1950年6月25日の朝鮮戦争勃発(ぼっぱつ)から、明日でちょうど60年を迎える。

世界を震撼(しんかん)させた戦争は、韓国に米軍指揮下の国連軍が、北朝鮮に中国義勇軍がそれぞれついて、冷戦のただ中、約3年続いた。

休戦協定の締結で、数百万の死傷者と焦土を残し、戦火はやんだが、それで平和が保証されたわけではなかった。南北が軍事的に対峙(たいじ)する状況に変化はなく、火種は残ったままだ。

朝鮮戦争は、日本にも影響を与えた。当時日本は連合国軍の占領下にあり、自衛隊の前身となる警察予備隊の発足や、西側諸国との講和、日米安全保障条約締結はこの時期のことだ。

この60年の間、朝鮮戦争に色濃く反映された東西イデオロギーの対立は冷戦終了とともに消滅し、世界は大きく変わった。

中国は、米国、日本に次ぐ経済大国に変貌(へんぼう)した。韓国の成長はめざましい。世界の景気回復の原動力として、繁栄する東アジアに大きな期待がかかっている。

だが、北朝鮮は改革・開放をかたくなに拒み、核開発に躍起となっている。朝鮮半島の平和と安定はほど遠い状況だ。

その冷厳な事実を突きつけたのが、3月の韓国海軍哨戒艦の沈没事件だ。韓国は「北朝鮮の魚雷攻撃」によると断定し、北朝鮮との交易中断に踏み切った。北朝鮮は関与を否定し、ソウルを「火の海」にすると恫喝(どうかつ)している。

日米韓3か国は北朝鮮を非難しているが、中露両国は慎重な姿勢だ。国連安全保障理事会は、速やかに北朝鮮の責任を問う決定を下すべきだ。

北朝鮮は2度の核実験を強行するなど、軍事的な緊張を高める政策を続行している。核搭載ミサイルの開発に成功すれば、日本の安全保障はかつてなく深刻な状況におかれる。

日本は日米同盟を基軸に、そうした脅威に対処していかなければならない。

日米中韓露の5か国にとって、東アジアの平和と繁栄を維持することは共通の利益だ。北朝鮮の暴発を阻止するためにも、6か国協議を再開し、北朝鮮に核廃棄させなければいけない。

北朝鮮は、金正日総書記の健康不安や経済破綻(はたん)で体制崩壊の可能性も出てきた。5か国の間で、予想される様々な混乱や危機への対策をあらかじめ詰めておくことも必要だろう。

産経新聞 2010年06月25日

朝鮮戦争60年 北は今も「好戦国家」だ 脅威に対し日韓提携が重要

北朝鮮がソ連(当時)や中国の支持、支援を得て韓国を奇襲攻撃した朝鮮戦争(1950~53年)が始まって、25日で60年になる。戦争は南北双方および国際社会に甚大な被害をもたらし、朝鮮半島の南北分断と対立を固定化させた。戦争の結果、東アジア情勢はいつも緊張し、不安定なものとなった。それは今も続いている。

この60年間、北朝鮮の好戦性に変化はなかった。各種のテロや軍事挑発が繰り返されてきた。日本人拉致事件もそうだ。国際社会の声を無視し、長距離ミサイルや核の開発も進めてきた。

朝鮮戦争以来、北朝鮮は国際的な「悪の枢軸」の一角である。最近も“闇討ち”で韓国哨戒艦撃沈事件を引き起こしている。

◆日本に助けられた韓国

朝鮮戦争は北朝鮮の創業者とされる金日成(1994年死亡)が、韓国併合を狙って引き起こした武力統一戦争だった。背後には当時のソ連や中国など国際共産主義勢力が控え、朝鮮半島全体の共産化はもちろん「その次は日本」を目標にしていた。

そのため朝鮮戦争は日本にとっても重大な脅威だった。米国が国連軍として直ちに韓国防衛に馳(は)せ参じたのも日本の安全保障を重視したからだ。

朝鮮戦争を機に自衛隊の母体となった警察予備隊が創設された。日米安保条約が調印され、破壊活動防止法も公布された。いずれも日米の危機感からだった。在日米軍は今も国連軍を兼ねている。

同時に、日本は韓国防衛の後方基地として決定的な役割を果たした。戦時物資の供給をはじめ、後方に日本があったからこそ、米国や韓国など自由陣営は共産勢力の韓国侵略を押し戻すことができたのだ。「朝鮮戦争のおかげで戦後日本の経済は復興した」とよくいわれるが、韓国も「日本のおかげで助かった」のである。この歴史的事実はしっかり記憶されなければならない。

北朝鮮の好戦性、侵略性を前にした日米韓提携の必要性は、今も変わらない。

北朝鮮に核放棄を迫る6カ国協議の協力はもちろん、拉致問題でもそうである。最近の哨戒艦撃沈事件でも北朝鮮追及のため国連など国際舞台で日韓は、今も北擁護に回りがちな中国やロシアに対して積極的に協力し合っている。

北の脅威の下では、自由と民主主義という国家・体制の理念を共にする日韓の国益は、基本のところで一致する。そしていつでも協力し合える。

韓国では、国民に食べ物さえ十分に与えられない北の軍事独裁政権を、「同じ民族」を理由に擁護したり、支援したりする動きがある。民族主義的な左翼・親北勢力だが、「民族」や「民衆」の名でそうした政権を否定することこそが、同胞を愛する本当の民族主義ではないだろうか。

◆北の指導者は交代せよ

北朝鮮の金日成・金正日政権は同族殺戮(さつりく)の戦争だった朝鮮戦争について、いまだ「反省」も「謝罪」もしていない。

60年前、南北武力統一を狙って韓国に侵攻した北朝鮮は、今も軍事優先の「先軍政治」を叫んでいる。最高指導者を「将軍さま」と呼ばせ、「国防委員会」を国家最高機関にするなど、極端な軍事独裁体制を続けている。

金日成は、1948年の建国以来、国の目標は「国民にコメのご飯と肉のスープを食べさせること」と言い続けた。しかし半世紀近くかかっても、それができないまま世を去った。後継者の息子・金正日総書記もまた飢餓を生みだし、国民を十分食べさせられずにいる。

親子2代、60年以上にわたる独裁体制の国家経営で、国民はいまなお飢えているのだ。こんな国はこの地域では北朝鮮だけである。明らかに何かが間違っている。

いや、「ウリシク(われわれ式)社会主義」という独善的な政策と、それにこだわる指導者が間違っていたのだ。軍事優先の「先軍政治」ではなく、国民生活優先の「先民政治」にするには、指導者の交代あるいは路線の転換しかない。その変化がない限り、国民はいつまでも救われない。

それにしても、互いに戦争の廃虚から60年を経て、今や南北の格差ははなはだしい。韓国は発展したのに北朝鮮はなぜ沈滞、疲弊したのだろう。

この格差には日本との協力関係も大いにかかわっている。日本を敵視し受け入れなかった北朝鮮は落後するしかなかったのだ。

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