憲法記念日に考える 「安保」の将来含め論憲を

朝日新聞 2010年05月03日

憲法記念日に 失われた民意を求めて

日本国憲法の前文を読んでみる。

「ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」

昨夏、国民は主権者として歴史的な決定を下した。自民党長期政権が終わり、民主党が政権に就いた。日本を変えたいという明らかな民意を示し、その通りになった、と思った。

それから8カ月。しかし、鳩山政権の支持率はつるべ落とし。政治は期待通りに動いていないという気分が広がる。多くの国民は、本当に主人公かどうか、自問し始めているだろう。

確かに難しい時代だ。

経済のグローバル化が進み、人々の暮らしはしばしば巨大な市場に翻弄(ほんろう)される。少子高齢化という大きな時代の流れも簡単には止められない。政治にのしかかっているのが難問であることはわかる。

しかし、鳩山政権の繰り広げる光景は既視感に満ち、激変する時代の挑戦を受けて立つ構えが見えない。政治とカネの問題に揺さぶられ、利益誘導体質や財源の裏付けのないマニフェストは、カネで民意を買えると思い込んでいるかのようだ。集票に躍起になればなるほど、政治家たちは民意を見失っていく。

しかしだからといって、政治そのものに背を向けるわけにはいかない。私たちは主権者であることをやめるわけにはいかない。どうすれは再び政治とのつながりを見いだせるのか。

小さな「憲法」で、そんな危機を乗り切ろうとしている自治体がある。

北海道福島町は津軽海峡に面した5千人余りの町だ。推計では、2035年には2千人余りに減る。

その町議会に、全国から視察が絶えない。積み重ねた議会改革と、その末にまとめた「憲法」、議会基本条例を学びにくるのだ。

とりわけ、意を用いているのは、議会への広範な町民参加だ。財政は厳しい。何を我慢し、どこに集中投資するか。町民とともに議論しないと納得が得られないからだ。

12人の全議員が加わる委員会を設け、「子育て支援」などテーマごとに町民の声を聞く。陳情が来れば、政策提言として議会で説明してもらう。議会の傍聴者にも討議への参加を認める。選挙での「支持者」とは違う声がそこに集まる。

これは議員同士の議論を徐々に変えていった。町が温めていた町営温泉ホテル構想は中止。下水道計画は浄化槽に切り替え。支持者の利益ではなく無駄をなくすために議会が動いた。

東京都三鷹市の「憲法」、自治基本条例も市政の基本は参加と協働だとうたう。それに基づいて始めたのが市民討議会だ。市民を無作為抽出し、参加を求める。応じてくれた人が現状説明などを聞いた上で議論し、合意点を探る。市民の縮図に近い人たちから熟慮のうえでの判断を聞ける。

11年度からの市の4次基本計画も、この市民討議会や地域ごとの懇談会など様々な市民参加の場で練る。市長のマニフェストに沿った資料を基に市民がよりよい形を探っていく。マニフェストは、細部まで有権者が承認したわけではないと考えるからだ。

討議会の原型はドイツにある。ナチスは選挙を経て独裁に至った。その反省も踏まえ、どう民主主義を再生するか。立案した学者はそんな思いを抱いていたという。

民意が見えにくい時代でもある。

経済成長が続いたころなら予算も増え、支持者への利益誘導による政治にもあまり抵抗はなかったかもしれない。だがいまは、その裏で必ずだれかが割を食う。「総中流」と言われたのは遠い昔。格差は広がり価値観も多様化した。求められる施策は地域や世代によって時に正反対になる。

もちろん民意を問う基本は選挙だ。1票の格差は早急に是正しなければならない。ただ、公平な選挙のためにはさらに工夫も必要だろう。たとえば、地域間以上に世代間の利害が対立する時代にどんな選挙制度が望ましいか。世代ごとに選挙区を分ける案を提唱する識者もいる。二院制のあり方についての議論もいずれは避けられまい。

だが、公平な選挙制度が実現しても問題は残る。

そもそも民意とは手を伸ばせばそこにあるものではない。確固とした意見や情報を持たない人々が、問題に突き当たってお互いの考えをぶつけ合いながら次第に形成されていく。であれば選挙だけでは足りない。政治と有権者の間に多様な回路を開くしかない。

福島町や三鷹市の「憲法」が試みているのも、そんな回路を増やすことにほかならない。三鷹市にならった市民討議会はすでに全国各地で100回近く開かれている。政府も一部で動き始めている。文部科学省はインターネット上で、政務三役と、教師や学生、保護者らが政策について議論する場を設けた。それから約2週間、書き込まれた意見は1700を超えた。

国民が主権者であり続けるには、民意を育む新しい公共空間を広げ、「数」に還元されない民意を政治の力にしていく知恵と努力が必要だろう。そして、そのプロセス自体が政治への信頼を回復し、ポピュリズムに引きずられない民主主義の基盤にもなる。

毎日新聞 2010年05月03日

憲法記念日に考える 「安保」の将来含め論憲を

今、鳩山由紀夫首相は「普天間問題」で窮地に立っている。直接のきっかけは、いうまでもなく政権の稚拙な対応である。沖縄県民の失望と怒りは増し、首相が約束した5月末決着は難しい。日米間の信頼関係も大きく損ねかねない状況だ。

だが一方で考えるべきことは多い。沖縄は太平洋戦争末期、米軍との激戦で多くの犠牲者を出した。米軍は戦後、「銃剣とブルドーザー」で基地を拡大した。本土復帰後38年になるが、在日米軍基地の4分の3が集中したままだ。怒りのマグマはきっかけさえあればいつでも噴出する状態だった。沖縄の過剰な基地負担の軽減が緊急課題であることを改めて示したのも今回の事態だ。

憲法記念日に憲法と日米安保について考えてみたい。憲法の英語に当たるconstitutionはいわゆる憲法とともに「国のかたち」を示す。

まず戦後日本の枠組みを作った米国との関係を振り返ってみよう。

1945年9月2日、日本が太平洋戦争の降伏文書に調印した米戦艦ミズーリにはペリーが黒船で使用した米国旗が掲げられていた。州を示す星の数から31星旗と呼ばれる。幕末に日本開国をもたらしたペリーの砲艦外交は米国の成功体験であり、その旗を持ち出したのはいかにもマッカーサー(連合国軍最高司令官)らしい演出だった。

日本を占領した米軍はこのあと絶大な権力を振るって大改革を行ったが、日本側には「第二の開国」という肯定的な言葉が生まれた。戦争で疲弊した日本人の多くが新憲法を含む占領改革を歓迎したのである。

日本の講和は米ソ冷戦の激化、特に朝鮮戦争に大きく影響された。51年に日本は憲法9条の非武装条項を維持しつつ講和条約と安保条約を一体のものとして受け入れ、翌年独立を回復した。米軍の駐留継続は日本側の要望でもあった。交渉を担ったジョン・F・ダレスは講和直後の論文で「日本を太平洋地域の集団安全保障体制の一員として積極的に関与させる必要が生じた」と説明した。朝鮮戦争に出撃する米軍の後方基地との位置付けだったが、国際情勢を考えれば不可避だったろう。これに対し革新勢力を中心に「対米従属」との批判が強まり、戦後政治の最大の対立軸となった。

結果的に国民の支持を得たのは吉田茂首相を起点とする軽武装経済重視のいわゆる保守本流路線だった。憲法と日米安保を車の両輪として「国のかたち」を形成してきた。両者は理念として矛盾するようだが、「軍事」の部分を安保条約が補完することで憲法9条が維持されたともいえる。

だが、歴代政権が日米安保の現実を率直に語ってきたとはいえない。例えば在日米軍基地の存在理由について、特に沖縄への基地集中について、日本の防衛以外の要素をていねいに説明してきただろうか。核の傘と非核三原則の関係についても真剣に説明してきたとはいえない。

岡田克也外相が進めた日米密約の検証作業では、米艦船による核持ち込みにからむ「広義の密約」の存在を指摘した。世論の反発を避けるためだったというが、これも安保の現実を語ってこなかった一例だ。

憲法と日米安保について、事実に即した率直な議論をしてこなかったことのツケは大きい。今こそ隠し立てのない誠実な議論を積み上げるときであろう。最近の各種世論調査では日米安保の継続を支持する人は多数となっており議論の素地はできている。アジア太平洋地域の安全保障の仕組みを日米同盟を軸として構想することも必要になるだろう。憲法の平和主義を堅持しつつ、具体的にどのような条文や解釈が最適かも真剣に考えなければならない。

私たちは日米同盟と、世界の平和と繁栄のための日米共同作業を支持している。しかし、冷戦後の国際・国内情勢の変化は激しい。1996年の日米安保共同宣言が「アジア太平洋地域安定のための公共財」とする「再定義」などで当面しのいできたが、今秋予定されるオバマ米大統領来日を機に、まさに「再々定義」が必要になっている。

「普天間」が示すように、沖縄の過剰な負担を放置していては日米同盟が維持できなくなる可能性がある。「再々定義」の機会に、在日米軍基地の配置や負担についても、日本側の意向を米国側に率直に示し、将来に向けた負担軽減のビジョンを作る作業を始めるべきだろう。

私たちはかねて「論憲」を主張してきた。現憲法の掲げる基本価値を支持しつつ、現状に合わせたよりよい憲法を求めて議論を深めようとする立場である。

今月18日に憲法改正の手続きを定めた国民投票法が施行される。本社世論調査によれば、憲法改正の動きが進むことを「期待する」50%、「期待しない」48%という拮抗(きっこう)する結果だった。改憲を急ぐというより、どのような改憲が必要になるかを慎重に論議しようという世論と見ていいのではないか。21世紀の日本の「国のかたち」を練る「論憲」を進めるときである。

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