朝日新聞 2010年03月26日
日韓歴史研究 「国民の物語」を超えよう
歴史の見方の違いを互いに理解し合い、認識を近づけることの難しさと苦労を改めて思う。ましてそれが支配と被支配の関係にあった隣国同士なら、なおさらのことだろう。
日本と韓国の学者による第2期歴史共同研究の報告書が発表された。約3年をかけてまとめた。今回は新たに教科書に関する小グループもでき、作り方や記述が初めて検討された。
様々な対立や相互批判が率直に記されている。
今年で署名100年になる韓国併合条約について、韓国側が「『不法』だったと明記した(日本の)教科書はない」と指摘すると、日本側は「併合が非合法という韓国学界の主張は、欧米など国際法学者の多くが支持するには至っていない」と主張した。
韓国の教科書は戦後日本の憲法や村山首相談話などを記述していない、という日本側の指摘に対しては、韓国側が「特定のテーマが扱われていないという批判は皮相的な分析でしかない」と反論する、といった具合だ。
この共同研究はもともと、2001年の教科書問題や小泉純一郎首相の靖国参拝をきっかけに悪化した両国関係の改善策の意味を込めて両政府の肝いりで始まった。
第2期となる今回の研究は安倍政権と盧武鉉政権の時に始まった。両政権のナショナリズムへの傾斜が研究の場に影響した面もあるだろう。双方の学者たちに「日の丸」や「太極旗」を背負わせることにもなった。
しかし一見、不毛な言い合いにも見える研究にも大きな意味はある。互いの認識の違いを受け止め、克服していく必要性を教えてくれるからだ。
共同研究は今後もぜひ継続させたい。ただし、それをより意義のあるものにするために、もっと大胆な工夫をしてみてはどうか。
「日本側」「韓国側」の枠を超え、理性的に研究を深めるには、米国や中国など他国の学者に参加してもらうのも一つの手だ。この分野を研究するのは日韓の学者だけではない。テーマを決め、国籍にこだわらず、優れた専門家に研究を委ねることも考えていい。
また、グローバル時代に、それぞれの国の歴史、ナショナルヒストリーを比較し、溝を埋めようとする発想にも限界がある。経済も情報も人も国境を越えて縦横に行き交う新しい時代を生きていく手がかりとして必要なのは「国民の物語」とは別の歴史だろう。本来、歴史学者の使命も国籍にとらわれないで歴史の事実と意味づけを追求することだ。
まだ日韓の間柄はそこまで成熟していないのかもしれない。だが、これからのアジアで両国関係はますます重要になる。歴史をともに考えることをやめるわけにはいかない。
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毎日新聞 2010年03月24日
日韓歴史研究 対立乗り越える努力を
23日公表された第2期日韓歴史共同研究の報告書は、歴史認識で相互理解を深めることの困難さを改めて認識させる。
共同研究は両国首脳の合意を受けたもので、07年6月から2年半かけ双方の有識者34人が67回の会議を重ね、その成果を論文などの形式でまとめた。古代史、中近世史、近現代史の3分野と、今回新たに加えられた歴史教科書を研究対象にした。
目的は「歴史認識について共通点を明らかにし、相違点を把握して相互理解を深める」ことだった。古代史などではいくつかの合意点を見いだすことができたが、近現代史や教科書の分野ではむしろ見解の相違が際だつ結果となった。
一つの例として教科書小グループの報告書の中から対立ぶりの一端を紹介する。日本側のある委員は両国教科書の現代史の記述ぶりを分析し、韓国の教科書の問題点として「『日本人はすべて悪』とするナショナリズムを克服できない状況がある」「日本国民が戦争を反省し平和憲法を制定した事実に触れていない」「過去に対する反省と謝罪に関する天皇陛下の『お言葉』と『村山首相談話』を記述していない」などと指摘した。
一方、韓国側委員は「韓国社会は日本の歴史教科書問題に対日過去清算の側面から接近するが、日本の歴史教科書にはこうした観点が非常に弱いか、初めから抜け落ちている場合が多い。侵略責任と戦争責任をまったく自覚できないでいるためだ」などと主張した。
また、「複数の歴史認識の共存を認め合う社会の方がはるかに自由で魅力的だ」との日本側委員の意見に対しては、韓国側委員が「日本が過去の侵略と戦争、植民地支配をいかに認識しているかが核心だ」と反発するといった具合である。
今回は竹島(韓国名・独島)や日韓併合の問題などについては本格的な議論は行われなかったという。それでもこれほど対立すること自体が歴史認識問題の難しさを物語っているといえる。
同グループでは一時、合同会議を開催できない事態にも直面したという。そうした経緯もあり、関係者からは「共同研究はもう限界だ」との声も聞かれる。
しかし、ここは冷静に考える必要がある。確かに、一向にかみ合わない論争には歯がゆさを感じざるをえないが、双方が率直に意見をぶつけ合うことの意義を否定することはできない。特に、教科書をめぐる問題を議論し報告書にまとめたのは初めてだ。共同研究を継続するなら議論が前向きに進む仕組みを工夫すべきだろう。
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読売新聞 2010年03月24日
日韓歴史研究 相互理解を深める礎となるか
歴史観の違いを互いに認め合った上で、いかに相互理解を深めていくかが問われていると言えるだろう。
日本と韓国の研究者らによる第2期日韓歴史共同研究委員会の報告書が発表された。
第1期研究の報告書は、2005年に発表されている。1910年の日韓併合条約の有効性や、古代の朝鮮半島での日本の軍事行動などをめぐって、日韓双方の異なる見解が併記されていた。
第2期研究では、第1期に設けられた時代別の分科会に加え、教科書問題を専門に扱う小グループが新設された。教科書制度の違いや、教科書の記述内容について分析し、日韓双方の学者がテーマ別にそれぞれ論文をまとめた。
ここでも、日韓の間で激しい応酬が見られた。
例えば、近年の日本の歴史教科書から慰安婦に関する記述が減っていることについて韓国側研究者は「政治・社会的状況の保守化」が要因であると論じている。
だが、慰安婦問題は女子挺身隊の戦時勤労動員を「慰安婦狩り」だったとする誤った情報が日本国内で流布して、国際社会の誤解を招いたという経緯がある。
日本側研究者は、韓国側研究者の論文に対する批評の中で、挺身隊と慰安婦の混同という「重大な欠陥を有したままの立論」であると批判した。
こうした事実誤認が解消されなければ、建設的な議論はなかなか進まないだろう。
これまでは日本の教科書ばかりが俎上に載せられてきたが、今回は韓国側の教科書についても議論が交わされた。
例えば、日本側からは、韓国の教科書に「日帝」という用語が多用されているが、誰を指すのか、「日本帝国主義者」なのかといった疑問が示された。天皇の称号が韓国の教科書では「国王」とされていることも問題とされた。
韓国側からも、韓国の教科書は先の大戦の記述が不十分といった率直な意見が提示された。
今年8月には、日韓併合条約締結から100年を迎える。日本の植民地統治などをめぐって、改めて両国間で活発に議論が行われる可能性もある。
歴史をめぐり日韓で共通の認識を持つことは容易ではない。日韓歴史共同研究が、さらに継続されるかどうかも未定だ。
しかし、立場の違いがあることを認めた上で歴史の問題を掘り下げていく場は、今後も引き続き設けていくべきだろう。
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産経新聞 2010年03月26日
日韓歴史研究 認識の共有はやはり幻想
第2期日韓歴史共同研究の報告書が公表された。両国の学者の歴史に対する考え方の違いが一段と鮮明になった。
今回は第1期(平成14~17年)で研究対象となった「古代史」「中近世史」「近現代史」の3分野に加え、「教科書小グループ」が新設された。特に、この新しいグループで激論が展開された。
韓国側には、いわゆる「従軍慰安婦」と軍需工場に女子が勤労動員された「女子勤労挺身(ていしん)隊」との混同や、「侵略→進出」をめぐる昭和57年の教科書騒動が日本のマスコミの誤報に端を発していたことへ理解不足が見られた。平成14年から登場した扶桑社の「新しい歴史教科書」を「右翼教科書」とレッテルを張って非難した。
これに対し、日本側は韓国側の誤解を指摘し、相応な反論を行っている。日本側の学者が韓国側の主張に引きずられず、それぞれの研究成果をきちんと発表したことも評価したい。
今夏、100年目を迎える「日韓併合」についても、「明治政府の強制はあったが、第2次日韓協約(1905年)や日韓併合条約(1910年)は有効だった」とする日本側の見方と、「大韓帝国の皇帝(高宗)の署名がなく、無効だ」とする韓国側の主張は、ほとんどかみ合わなかった。
全体として、日本側の学者が実証的な研究を重視する傾向が強いのに対し、韓国側は政治的な主張が強すぎるようだ。
日本ではいまだに、政治家や閣僚が日韓の歴史問題について自由にものを言えない雰囲気がある。これまでも、韓国の意に沿わない発言をした閣僚がしばしば、謝罪や辞任を強いられた。2期にわたる共同研究で、これだけ違いがはっきりした以上、韓国の要求を一方的に受け入れるだけの姑息(こそく)な対応を繰り返してはいけない。
日韓歴史共同研究は、1月に報告書が公表された日中歴史共同研究よりは、意義があるといえる。中国が言論・学問の自由を認めない独裁国家であるのに対し、韓国にはそれらの自由がある。だが、歴史問題では金完燮(キム・ワンソプ)氏の著書「親日派のための弁明」が過去に有害図書に指定されるなど、自由はかなり制限されたものだ。
今後、共同研究を続けるとしても、日中間と同様、日韓間においても、「歴史認識の共有」などの幻想は持たず、違いを明らかにすることにとどめるべきだ。
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