慰霊の日 沖縄戦の記憶、共有を

朝日新聞 2016年06月24日

慰霊の日 沖縄戦の記憶、共有を

沖縄はきのう、沖縄戦の犠牲者らを悼む慰霊の日を迎えた。

太平洋戦争末期の沖縄戦から71年。これほど長い時が過ぎてなお、沖縄では戦禍の傷口を見せつけられる。

例えば、県土の10%を覆う米軍基地。県内各地で頻繁に見つかる不発弾の処理。そして、道路工事現場などから見つかる戦没者の遺骨だ。

収骨された遺骨は昨年度が103柱、一昨年度は194柱、その前年度が263柱と、その数は毎年100柱を超す。

沖縄戦では、20万人余が死亡した。県によると、そのうち日本人の遺骨は今年3月までに18万5224柱が収骨され、糸満市摩文仁(まぶに)の国立沖縄戦没者墓苑で眠っている。それでもまだ3千柱近くが見つかっていないという。

当時の軍人・軍属の死者は、県外出身者が6万6千人、沖縄県出身者は2万8千人。一般県民の死者は9万4千人と推定される。実に県民の4分の1が犠牲になった。

おびただしい遺骨があることはわかっているのに、収骨作業は民間ボランティア頼みで、なかなか進まなかった。

ようやく今年4月、国に収骨を義務づける戦没者遺骨収集推進法が施行され、9年後までに集中的に収集することになった。これまでの遅れを取り戻してもらいたい。

慰霊の日、摩文仁で開かれた県主催の全戦没者追悼式とは別に、名護市辺野古にある米軍キャンプ・シュワブのゲート前でも、慰霊祭が開かれた。

沖縄戦直後、米軍がここに民間人の収容所を設置し、2万人とも4万人とも言われる住民が数カ月間、暮らした。その間、マラリアや栄養失調で亡くなる人が相次いだという。

キャンプ・シュワブの建設は1956年ごろから始まったが、「遺骨はまだ残っているはずだ」と、米軍普天間飛行場の辺野古移設に反対する市民団体が昨年から慰霊祭を始めた。

遺骨収集推進法の施行を受けて、政府は米軍基地内の遺骨収集にも取り組むという。米軍もぜひ協力し、一刻も早く収骨を実現してほしい。

普天間飛行場の県内移設に向けた政府の強硬姿勢、米軍属による女性殺害・強姦(ごうかん)容疑事件の発生など、沖縄県民はいまも過重な基地負担にあえいでいる。その苦悩は、沖縄戦の記憶と切り離すことはできない。

政府や本土の国民は「慰霊の日」の意味を共有し、沖縄が経験した苦難の歴史に、改めて思いを巡らす契機としたい。

産経新聞 2016年06月24日

沖縄慰霊の日 鎮魂と島の未来のために

沖縄は、大戦末期の戦闘で亡くなった犠牲者を追悼する、「慰霊の日」を迎えた。

最後の激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園では「沖縄全戦没者追悼式」が営まれた。

71年前、沖縄本島に上陸する米軍を迎え撃つ地上戦は、凄惨(せいさん)を極めた。公園内の「平和の礎(いしじ)」には、24万1414人の名が刻まれている。

ここには、女子師範や高等女学校の女子生徒による「ひめゆり部隊」を含む沖縄出身の軍人や多くの民間人、沖縄を守るために県外から赴いた部隊の犠牲者の名もある。沖縄戦の悲劇を忘れることなく、すべての戦没者に謹んで哀悼の意をささげたい。

今年の参院選は、公示を1日前倒しとした。静謐(せいひつ)であるべき沖縄の「慰霊の日」と重なることを避けたためだ。

式典には、安倍晋三首相とともに、ケネディ駐日米大使も出席した。「平和の礎」には、米軍の戦死者の名も刻まれている。

5月には、オバマ米大統領が広島を訪問し、原爆の慰霊碑に献花した。オバマ氏は「核兵器なき世界」を追求する決意を改めて表明し、被爆者の代表と抱擁した。それは戦禍を超えた日米同盟の「信頼と友情」を象徴した。

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