舛添都知事 もはや辞任しかあるまい

朝日新聞 2016年06月15日

舛添都知事 速やかに辞任すべきだ

東京都の舛添要一知事は、速やかに知事の座を辞するべきである。政治家として自らを律する倫理観に欠け、首長としての責任感も乏しいことが、一連の金銭疑惑で明らかになった。

ここまで説明責任から逃れようとする姿勢が招いた都政の停滞は深刻だ。もはやこれ以上、混乱を深めてはならない。

東京都議会は、知事への不信任決議案を可決する見通しだ。都政史上、前代未聞の事態だ。

都議会、都職員、そして有権者からの舛添氏への信頼は失われている。本人が身を引かない以上、議会が不信任決議で背中を押すことはやむを得まい。

都議会総務委員会で、舛添氏は給与を全額返上したうえで、「全身全霊で都政のために働きたい」と続投の意向を示した。

だが、舛添氏は事態の重さを今も認識しているようには見えない。公金を含む政治資金を私的に使った疑惑などについて、審議に20時間近くをかけても詳細を説明していない。

都内の市区議会からも辞職を求める意見書が出されている。知事として都民の多様な願いを調整・実行する力は、残っていないと言わざるを得ない。

猪瀬直樹前知事に続いて、都政のトップが「政治とカネ」の問題にけじめをつけられず、1期目の途中で辞任を迫られるのは、実に残念である。

不信任案が可決されれば、知事は10日以内に、失職か都議会の解散かを選ばねばならない。問題はひとえに知事の行動にあった以上、議会解散という選択に道理がないのは明らかだ。

舛添氏は、不信任案が出されればリオデジャネイロ五輪と選挙が重なり、「公益を損ねる」と提出の先送りを求めた。

確かに、この時期に知事が辞めれば、4年後の東京五輪のさなかに都知事選となる可能性がある。世界の祭典と、そのホスト都市の選挙が重なってしまう事態はできれば避けたい。

しかしそれでも、信を失った知事をこのまま2カ月以上も置いておけば、どこまで都政の混乱が広がるか、予測はむずかしい。都議会が与野党超えて、今議会の会期中に不信任決議案を出すことにしたのも、圧倒的な都民の声に押されたからだ。

東京五輪は、東日本大震災からの「復興五輪」という位置づけもある。被災地の視察を都議に何度も促された舛添氏は「時間がない」と答えながら、ほぼ毎週末、湯河原の別荘へ公用車で行っていた。

「知事に五輪を語る資格はない」。そんな都議の糾弾は多くの都民の思いでもあろう。

読売新聞 2016年06月16日

舛添都知事辞職 見限られた末の遅過ぎた決断

都民の信頼を完全に失い、都議会からも辞職を迫られた。追い詰められた末に、ようやく覚悟を決めた退場劇だ。

東京都の舛添要一知事が、政治資金の私的流用問題で、都議会議長に辞職願を提出した。21日付で辞職する。

知事与党の自民、公明両党までもが不信任決議案に同調した。それが辞職を決めた直接の理由だろう。全会派が一致して不信任案を提出したことから、辞意を表明しない限り、可決は必至だった。

政治資金から、家族旅行の宿泊費を繰り返し支払う。趣味の品々を大量に購入する。どう言い繕ったところで、公私混同以外の何物でもないのは明らかだ。

都民から見限られた舛添氏には、首都のかじ取りを担う余力は既になかった。一連の疑惑が浮上してから1か月余りにわたり、都政の混乱が続いた。むしろ遅きに失した辞意表明と言えよう。

舛添氏は都議会の閉会に際し、「都政の停滞を長引かせるのは耐え難い」と語ったが、その原因を作ったのは、本人である。

公費に対する意識の甘さは、公用車による週末の別荘通いや豪華な海外出張などにも通底する。

違法性の有無というより、公人としての資質が問われた。それにもかかわらず、舛添氏は、一連の疑惑の是非に関する判断を弁護士に委ねた。違法性はないとのお墨付きを得ることで、問題の幕を引こうという意図がうかがえた。

舛添氏は、納得のいく説明をしないまま、都知事のポストを離れる。参院議員時代から長らく公人の立場にあった政治家として、辞職後も説明責任が残ることを忘れてはなるまい。

美術館に偏った視察など、舛添氏に思いのままの行動を許してきた都庁の管理体制に落ち度はなかったのか。問題が深刻化する前に、監視機能を果たせなかった都議会の対応にも疑問が残る。

東京五輪・パラリンピックの準備や首都直下地震対策など、都政の課題は多い。都庁、都議会とも、たがを締め直してもらいたい。

医療グループ徳洲会側からの5000万円受領事件の責任を問われた前知事の猪瀬直樹氏に続き、またしても、政治とカネの問題による都知事の辞職だ。異常な事態と言うほかない。

今後は都知事選の候補者選びに焦点が移る。安定した都政運営のためには今度こそ、資質に優れた知事を選出せねばならない。擁立・支援する各党にも、徹底した「身体検査」が求められる。

産経新聞 2016年06月16日

舛添氏の辞職 五輪の顔に清新な選択を 傷ついた都政の信頼取り戻せ

東京都の舛添要一知事が、政治資金をめぐる公私混同問題の責任をとる形で辞職願を提出した。決断は遅きに失したが、都政はこの問題をめぐって停滞していた。辞職は当然だろう。

前任知事の猪瀬直樹氏も医療法人側から受け取った多額の現金についてあいまいな説明に終始し、任期途中で辞職した。2代続けてのお粗末な退任劇で、都政は深く傷ついている。再生の道程は極めて厳しい。

2020年には東京五輪・パラリンピックを開催する首都の新しい顔を、今度こそ冷静に、厳格に選択しなくてはならない。

新知事にまず求められるのは、清新さである。3代続けて政治とカネの問題で都政をかき回すわけにはいかない。その上で、山積する課題を一つ一つ解決していく真の実務能力が問われる。

舛添氏は抜群の知名度の高さが買われ、自民、公明の都政与党が「勝てる候補」として担ぎ、知事に就任した。そうした安易なやり方は、もう許されない。単なる人気投票の弊害は、十分に思い知ったはずだ。

産経新聞 2016年06月16日

舛添氏の辞職 人気投票の後任選び許されない お粗末な退任劇、厳しい信頼回復

東京都の舛添要一知事が、政治資金をめぐる公私混同問題の責任をとる形で辞職願を提出した。決断は遅きに失したが、都政はこの問題をめぐって停滞していた。辞職は当然だろう。

前任知事の猪瀬直樹氏も医療法人側から受け取った多額の現金についてあいまいな説明に終始し、任期途中で辞職した。2代続けてのお粗末な退任劇で、都政は深く傷ついている。再生の道程は極めて厳しい。

2020年には東京五輪・パラリンピックを開催する首都の新しい顔を、今度こそ冷静に、厳格に選択しなくてはならない。

新知事にまず求められるのは、清新さである。3代続けて政治とカネの問題で都政をかき回すわけにはいかない。その上で、山積する課題を一つ一つ解決していく真の実務能力が問われる。

舛添氏は抜群の知名度の高さが買われ、自民、公明の都政与党が「勝てる候補」として担ぎ、知事に就任した。そうした安易なやり方は、もう許されない。単なる人気投票の弊害は、十分に思い知ったはずだ。

産経新聞 2016年06月15日

舛添都知事 もはや辞任しかあるまい

舛添要一都知事は、もうお辞めになってはいかがか。首都の顔としてこれ以上、その座に居続けることは見苦しく、不適切である。

最大の理由は、すでに自身が繰り返し述べている。「私自身が非常に信頼を失っている」という事実に尽きる。信を失った政治家には、何を求めてもむなしいばかりだ。

孔子の説いた「民無信不立(信なくば立たず)」は、為政者の心構えを示したものだ。中国通の舛添氏が知らぬわけはあるまい。都民の信頼を失っていることを自覚するなら、地位にしがみつくべきではない。

舛添氏は都議会総務委員会の集中審議でも、自らに向けられた数々の疑惑について、明確な説明を拒否した。

平成25、26年の正月に千葉県内のホテルに家族とともに宿泊し、会議名目で政治資金から支出した問題に質疑は集中した。

会議の相手とする「元新聞記者の出版社社長」の名については「政治家としての信義、機微にかかわるところは答弁をご容赦願いたい」と答弁を拒み、「これから政治家として続けていくには基本的な信義則を守らないといけないという認識だ」とも述べた。

他の疑惑についても同様の答えを繰り返した。信頼を失った政治家が多用する「守るべき信義」とは何であるのか、理解に苦しむ。それ以上に、これからも政治家を続けていくとの認識は、あまりに甘くないか。

産経新聞 2016年06月15日

舛添知事、首都の顔としてその座に居続けるのは見苦しくないか 辞任しかない

舛添要一都知事は、もうお辞めになってはいかがか。首都の顔としてこれ以上、その座に居続けることは見苦しく、不適切である。

最大の理由は、すでに自身が繰り返し述べている。「私自身が非常に信頼を失っている」という事実に尽きる。信を失った政治家には、何を求めてもむなしいばかりだ。

孔子の説いた「民無信不立(信なくば立たず)」は、為政者の心構えを示したものだ。中国通の舛添氏が知らぬわけはあるまい。都民の信頼を失っていることを自覚するなら、地位にしがみつくべきではない。

舛添氏は都議会総務委員会の集中審議でも、自らに向けられた数々の疑惑について、明確な説明を拒否した。

平成25、26年の正月に千葉県内のホテルに家族とともに宿泊し、会議名目で政治資金から支出した問題に質疑は集中した。

会議の相手とする「元新聞記者の出版社社長」の名については「政治家としての信義、機微にかかわるところは答弁をご容赦願いたい」と答弁を拒み、「これから政治家として続けていくには基本的な信義則を守らないといけないという認識だ」とも述べた。

他の疑惑についても同様の答えを繰り返した。信頼を失った政治家が多用する「守るべき信義」とは何であるのか、理解に苦しむ。それ以上に、これからも政治家を続けていくとの認識は、あまりに甘くないか。

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