日米密約検証 ウソのない外交で信頼を

朝日新聞 2010年03月10日

日米密約報告 国民不在の外交にさらば

民主主義国の政府が、国家の根幹にかかわる外交・安全保障政策をめぐり、何十年にもわたって国民を欺き続ける。あってはならない歴史に、ようやく大きな区切りがついた。

1960年の日米安保条約改定と72年の沖縄返還をめぐる四つの日米密約について、岡田克也外相が設けた有識者委員会の調査報告書が公表された。

今回、検証された密約は、いずれも米国側の情報公開や関係者の証言で、かなり以前から「公然の秘密」となっていた。にもかかわらず、歴代の自民党政権はその存在を否定し、国会でウソの説明を繰り返してきた。

壮大な虚構と、それを崩さないために演じられた悲喜劇に幕をおろすのを可能にしたのは、政権交代である。

国民の生活や国益に直結する重大な政治判断は、長い時間が経過したり、局面が変わったりしたら、歴史の審判に付されなければならない。民主主義の大原則だ。検証の成果を評価し、外交への信頼の強化と民主主義の一層の成熟につなげていきたい。

四つの密約に対する報告書の認定には、濃淡がある。

第一に安保改定時の核持ち込み密約である。核兵器を積んだ米艦船の日本への寄港や領海通過については、事前協議が必要な核持ち込みには当たらないとする「暗黙の合意」があったとして、「広義の密約」と認定した。

外務省の事前の内部調査では、単に日米間の「認識の不一致」とされた。しかし、歴代首相も外交当局から説明を受け、米側の解釈に異を唱えなかった。密約との認定は当然だろう。

一方、沖縄返還後の核再持ち込みについて、当時の佐藤栄作首相とニクソン大統領が署名した文書の現存を確認しながら、「必ずしも密約とはいえない」とした。これには首をかしげざるをえない。

有識者委は3カ月余りの短期間で報告書をまとめなければいけなかった。米国側の当事者からのヒアリングも十分とは言い難い。

今回、政府は報告書作成の資料とした膨大な外交文書を、秘密指定を解除して公開した。政府の調査は一段落だが、学界などで米側資料との照合も含め、多角的な検証を期待したい。

何より大事なのは国会の役割だ。衆院外務委員会は密約調査のための参考人招致を決めている。さらに真相に肉薄する使命がある。

密約問題は、自民党長期政権が残した巨大な負の遺産である。自らの責任に正面から向き合ってもらいたい。

密約の背景には、当時の政府が直面した深いジレンマがあった。

国民の反核感情を考えれば、正面切って核搭載艦の寄港を認めることは政治的にできない。一方、米国は核兵器の有無を否定も肯定もしない政策を採っている。核搭載の可能性のある船の入港をすべて拒否していたら、米軍の作戦行動に支障をきたし、核抑止力が低下する懸念もある。そんな悩みだ。

ただ、日本の安全保障上、寄港を認めざるを得ないと信じるなら、どんなに困難だろうと、国民に理解を求める努力を試みるべきではなかったか。

かつて核搭載艦が横須賀や佐世保などに寄港していたことは間違いあるまい。「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」という非核三原則との矛盾は覆いようがない。

そうした見て見ぬふりが、結果的に日本の安全を守ることにつながったという密約擁護論もある。しかし、米国は冷戦終結後の90年代初め、水上艦艇からすべての戦術核兵器を撤去した。核持ち込みの可能性が事実上なくなった後も20年近くも国民にウソを繰り返してきたことは言い訳できまい。

鳩山由紀夫首相は今後も、非核三原則を堅持する方針を表明した。

日本の安全保障にかかわる危機の発生に備え、このさい核搭載艦の寄港は認める「2・5原則」に転換すべきだとの主張も出ている。

しかし、現実に米国による日本への核持ち込みは考えられない。最悪事態の想定に引きずられて、三原則を見直すのは本末転倒でしかない。

オバマ大統領が「核なき世界」を唱え、国際社会は核軍縮・不拡散への取り組みを強めている。三原則の堅持を足場に、できるだけ核への依存を低くした安全保障や北東アジアの平和構築に指導力を発揮することこそ、今の日本にふさわしい役割といえる。

外交文書公開のあり方についても、根本から考え直したい。30年経過した文書は原則公開するというルールは日本にもあるが、例外扱いが多い。原則に従った積極的な情報開示を求めたい。政策決定過程をきちんと記録し保存することの重要性も銘記したい。

有識者委は今回、あるべき文書がみつからなかったとして「遺憾」を表明した。01年4月の情報公開法施行を前に、密約関連文書が破棄されたとの外務省幹部の証言もある。事実なら、歴史の改ざんに上塗りをする行為であり、到底許されることではない。

本来、民主主義国の外交に密約はあってはならない。万やむを得ず秘するなら、後世からの厳しい批判を覚悟しなければならない。政治家や外交官が常におのれに問うべきなのは、歴史に対する緊張感と謙虚さである。

毎日新聞 2010年03月13日

沖縄財政密約 引き継ぎすらないとは

1972年の沖縄返還に伴う財政負担をめぐり日本政府が同年末から99年末まで、米ニューヨーク連銀に無利子で1億300万ドルを預金していたことが財務省の調査で確認され、菅直人副総理兼財務相は密約があったことを認めた。しかし同時に、日本側には関連文書が一切保管されておらず省内での引き継ぎも行われていないこともわかった。あまりにもずさんな文書管理の実態と国民の財産に対する責任感の欠如にはあきれるばかりだ。

沖縄返還に伴う日本側の財政負担をめぐる交渉で、日米双方が対外的に明らかにしてこなかった合意があったことは米側の公開資料ですでにわかっている。69年12月に当時の大蔵省財務官と米財務長官特別補佐官が交わした文書だ。日本政府が返還に伴う通貨交換で得たドルを米連銀の無利子口座に最低25年間預けるという内容が含まれ、預金額は6000万ドルか実際に交換した額の大きい方の金額にすると記されている。

これについては、無利子預金の運用で米側に利益を供与するものではないかとの指摘がされてきた。財務省は「経済的な利益の提供との見方もできるが、この件は通貨交換に伴い日本側が得る『棚ぼた的利益』を相殺するもので一般的な利益提供とは性格を異にする」と否定的見解を明らかにしている。だが、合意が日本側の公式負担額を3億2000万ドルとした沖縄返還協定の枠外の取り決めであることと考え合わせれば、米側への利益提供の側面があった疑いは払しょくできまい。

驚くのは、69年の財務官らによる秘密合意について引き継ぎが行われていなかったことだ。このため今回の調査で沖縄返還後25年をすぎた時点でも担当者は無利子預金の意味を理解していなかったことがわかった。さらに、我部政明・琉球大教授が98年に疑惑を指摘した論文を発表した際も担当者は反応できなかった。巨額な公金の管理としてあまりにもいいかげんと言うしかない。99年に日銀が米側に照会することがなければ巨額の無利子預金がさらに続いていた可能性すらあるのだ。

菅財務相が「密約は存在したと言える。別の言い方をすれば、『広義の密約』があった」と述べたのは当然の認識である。加えて無利子預金の存在がこれまでさまざまな形で指摘されてきたにもかかわらず、歴代政権と官僚が「密約は一切存在しない」として真相解明の努力を怠ってきたことには強く反省を求めたい。

今回、日本政府として密約の存在を確認できたのは米側で資料が保存されていたからだ。政府はこれを機に、米国を見習い文書の保存・管理の徹底に取り組むべきである。

読売新聞 2010年03月14日

沖縄無利子預金 行き過ぎた日本の秘密主義

1972年の沖縄返還をめぐる日米間の新たな密約が、今度は財務省で確認された。

72~99年の27年間にわたり、当時の大蔵省と日本銀行が計1億ドル以上の預金をニューヨーク連邦準備銀行に無利子で預けていた。

米軍統治下の沖縄で流通していたドルを日本政府が円に交換、回収したものが原資とされる。無利子でなければ、本来は27年間で7000万ドル超の運用益が出ていたはず、との試算がある。

沖縄返還をめぐっては、外務省の有識者委員会が、米側が負担すべき米軍用地の原状回復補償費400万ドルを日本側が肩代わりするとの密約を認定したばかりだ。

無利子預金は、これとは別に、正式な返還協定には含まれない「裏負担」として、日本側がより多額の財政負担をしていたことをうかがわせるものである。

財務省は、日本側が回収した1億ドルを運用すると「棚ぼた的利得」が生じるため、無利子にすることで相殺した、と説明している。

しかし、沖縄返還という国家的目標の実現のためとはいえ、国民に一切の説明をしないまま、これだけ巨額の財政措置を行ったことには、疑問が残る。

政府が当時、国民に率直に説明しておけば、最終的に理解が得られたのではないか。

無利子預金に関する合意は、日米の財政当局が69年に署名した文書に盛り込まれており、米側は既にこの文書を公開している。

ところが、日本側では、文書が見つからなかったうえ、旧大蔵省内でも合意がきちんと組織的に引き継がれていなかった。このため、合意がどういう経緯で結ばれたのか、などの詳細は解明されないままになっている。

こうした重要な文書が政府内できちんと保管されていなかったのは、大きな問題である。

財務省は、歴史資料の長期保存や保存期間終了後の国立公文書館への移管の徹底など、文書管理の改善策を公表した。ずさんな文書管理が繰り返されないよう、職員を教育することが求められる。

1960年の日米安全保障条約改定時の核搭載艦船の日本寄港などに関する密約問題でも、一部の重要文書が見つからず、外務省幹部によって意図的に廃棄された可能性が指摘されている。

外務省は、岡田外相を本部長とする外交記録公開・文書管理対策本部で、外交文書の管理・公開のあり方を見直す方針だ。早期に具体策を示してもらいたい。

産経新聞 2010年03月10日

「密約」報告書 非核三原則の見直し図れ 検証を同盟の未来に生かそう

日米間の核持ち込みなど外務省のいわゆる「密約」問題に関する有識者委員会(座長・北岡伸一東大教授)の調査結果がまとまり、岡田克也外相が公表した。

日米安保条約に基づく日米同盟が日本の安全の生命線であることはいうまでもない。調査対象とされた4件はどれも同盟の生命線を維持する節目にあたり、時々の政権がどんな判断で行動したかは必ずしも明らかでなかった。政府が第三者の手で経緯を解明しようとした意義は評価できる。

だが、過去の検証よりもずっと大切なことは鳩山由紀夫政権がこれを今後にどう生かすかにある。その意味で、首相や外相が「非核三原則を見直す考えはない」と明言したのは極めて遺憾だ。

北朝鮮の核や中国の軍拡で日本にとっての脅威は高まっている。日本の平和と安全を守るために核抑止力をいかに機能させるかが問われている。そのための核政策見直しこそ求められている。それができないなら、何のための調査だったのかとの疑問が強く残る。

密約論議の発端は、1960年の日米安保条約改定時に核を積んだ米艦船の寄港や領海通過を「事前協議の対象外」とする密約があった、とする外務省OBらの証言が相次いだことだ。岡田外相は昨年11月、この問題を含む4件の調査を有識者委員会に委ねた。

≪政治の知恵だった≫

報告書は核搭載米艦船の寄港、朝鮮半島有事の事前協議、沖縄返還時の補償費肩代わり問題の3件は広い意味も含めて「密約があった」とした。また佐藤栄作首相とニクソン大統領による有事の沖縄核再持ち込み合意は「密約といえない」と判断された。

一方で、報告書が「密約があった、なかったとレッテルをはるのではなく、当時の政治状況や国民感情を考慮して論じるべきだ」と指摘したことも重要であり、見落とすべきではない。

例えば「広い意味の密約」とされた米艦船寄港問題で、日本政府が「米側から事前協議の申し出がない以上、核は積んでいない」としてきたことは「不正直な説明」としながら、それぞれの外交が適切だったかは「当時の国際環境や国民全体の利益(国益)に照らして判断すべきだ」としている。

外交交渉には一定の秘密がつきものだ。とりわけ非核三原則にこだわる日本政府に対し、米政府は「個別艦船の核の存否を一切明かさない(NCND)政策」を国策とし、事実上妥協点はない。

日本の究極の安全がかかっている核の問題で、当時の為政者らがとった対応は、国民の反核感情の強さと核抑止の必要のつじつまを合わせる「政治の知恵」だったともいえよう。沖縄返還など他の事例も、結果として日米同盟の維持・強化が担保されたのは事実であり、国民の利益と安全も守られたとみるべきではないか。

≪国益が守られた意味≫

現在の視点で過去を一方的に裁くのは不公正な判断に陥りかねない。国民の視線で客観的判断を下すために、報告が「外交資料の公開ルールを整備すべきだ」と勧告しているのも是認できる。

何よりも、報告を受けて鳩山政権が精査すべきは日米同盟の今後の課題にどう取り組むかだ。

岡田外相は今回の解明作業によって「日米安保体制の運用に影響はない」と語った。だが、現実には非核三原則の下で核の一時寄港や領海通過に関する「明確な日米間の取り決めは今も存在しない」と報告は指摘しており、これをどうするか。昨年末、ゲーツ米国防長官は「核抑止や同盟関係に悪影響がないよう注意してほしい」と懸念を示した。

米国の核政策は91年に変更されたが、北朝鮮の核・ミサイル開発や中国軍の核戦力の増強次第では政策が再修正されかねない。

そのようなときに、非核三原則にこだわっていては日本の安全は保てなくなる恐れもある。産経新聞はかねて非核三原則の「持ち込ませず」について、少なくとも緊急時などに核の寄港・通過を認める「2・5原則」のような形に修正するよう問題提起してきた。

岡田外相はこれまで米国に核先制不使用宣言を求め、「核の傘から半分踏み出す」などとしてきたが、鳩山首相は報告について「日米安保やアジア太平洋地域に核抑止力は必要だ」と述べた。

そうであればなおのこと、鳩山政権は核政策の包括的見直しに着手すべきだ。それが日米安保改定50年を機に同盟を深化させる協議にも役立つはずである。

毎日新聞 2010年03月10日

日米密約検証 ウソのない外交で信頼を

戦後の歴代政権が否定し続けてきた日米間の密約について、岡田克也外相が初めてその存在を認めた。検証を進めてきた有識者委員会(座長、北岡伸一東京大教授)の報告書を受けての発言である。併せて公開された関連外交文書は日米安保関係についての第一級の資料であり、こちらも大きな歴史的意味を持つ。

核兵器を搭載した米軍艦船の一時寄港などについて、国民への説明でウソに頼った説明をし続けてきた歴代政権の責任は大きい。外交・安全保障政策は国の根幹にかかわる。今後は、民主国家にふさわしく、事実に即した説明によって国民の信頼を得ていかなければならない。密約検証は政権交代の効果であり、岡田外相の指導力を高く評価したい。

岡田外相は会見で、過去に米艦船による核持ち込みがあった可能性を認めるとともに、非核三原則を堅持する考えを強調した。妥当な結論だろう。外相は米国の核政策の変更で戦術核の艦船搭載がなくなり、「持ち込ませず」に反する事態はもはや起こらないとの認識だ。

「核の傘」への依存にとどまらず日本にとって米国との関係は極めて重要だ。鳩山政権は「日米同盟の深化」を掲げている。岡田外相が「本件調査によって日米安保体制の運用に影響を与えるものではない」と説明している。しかし核持ち込みについての日米間の解釈の違いが明らかになった以上、放置せずに解決を図ることが鳩山政権の重要な責務だ。

今回の検証対象は(1)1960年の安保条約改定時の「核持ち込み」(2)同じく安保条約改定時の「朝鮮半島有事の際の在日米軍基地使用」(3)72年の沖縄返還時の「核再持ち込み」(4)同じく沖縄返還時の「原状回復費の肩代わり」の4点だった。報告書は(1)(2)(4)については「密約」と認定した。だが(3)の佐藤栄作首相とニクソン大統領という日米両首脳の署名入り文書については、密約の定義とした追加的な責任、負担性が薄いとして「必ずしも密約とは言えない」とした。この認定については強い違和感がある。両国政府最高責任者の署名入りの極秘扱いとされた文書だけに常識的にはわかりにくい。しかも、米国側で文書がどう扱われているかが不明だ。

特に重要と思われるのは(1)の問題である。

核搭載の米艦船が一時寄港する場合、安保条約が定める事前協議の対象にならないというのが米側の立場だった。ところが日本政府は国会答弁などで「事前協議の対象になる」と説明し続けた。実際に米艦船が寄港した際には、米側から事前協議の提起がないから核搭載はないはずという説明がなされてきた。これについて報告書は、日米間で「暗黙の合意」という「広義の密約」が存在したと指摘。「日本政府の説明は嘘(うそ)をふくむ不正直な説明に終始した。民主主義の原則、国民外交の推進という観点から見て、本来あってはならない」と強く批判した。

安保改定後に駐日大使に赴任したライシャワー氏は63年に大平正芳外相に対し米側の解釈を伝えた。その後、日本側は米側の解釈を認識していたにもかかわらず、国民にウソの説明をし続けた。ライシャワー氏は大使退任後の81年に本紙の取材に応じて、一時寄港について米側の考えを証言したが、日本政府はこの指摘も否定し続けた。核搭載艦船の寄港に関する日米の解釈の違いを日本政府が認めるのも今回が初めてだ。

広島、長崎の被爆を経て敗戦を迎えた日本では核兵器に対する強い拒絶感があった。国民感情と日米安保体制の現実との間には大きな落差があった。報告書はそうした時代背景に一定の理解を示しつつも、特に冷戦終結など状況が変わった後も不誠実な説明を続けていたことを厳しく批判している。外相も会見で米国が核の艦船搭載をやめた91年以降も漫然と同じ国会答弁を続けてきた自民党政権に対し「極めて遺憾だ」と述べた。まさに同感である。

(4)の沖縄返還に伴う原状回復補償費400万ドルの肩代わりについて報告書は「広義の密約」に当たるとし、「沖縄返還に伴う財政経済交渉には不透明な部分が多々ある」と指摘した。だが、米側で公開された当時の吉野文六アメリカ局長らがサインした文書が発見されなかったのは問題だ。この密約をめぐっては関連文書を入手した西山太吉元毎日新聞記者が72年に国家公務員法違反で逮捕、起訴された。有罪を確定させた78年の最高裁は「国会における政府の政治責任として討議批判されるべきもの」と述べたが、政府や国会のさらなる解明を期待したい。

報告書はまた、「重要文書の管理に対する深刻な反省が必要」と強く批判した。当然あるべき文書が見つからず、見つかった文書に不自然な欠落が見られたという。岡田外相が省内に「外交記録公開・文書管理対策本部」を設置し、すみやかに改善を図ることを明らかにしたのも当然の措置だろう。これまで外交文書は30年で公開するというルールがあったが、有名無実化していた。来年4月に施行される公文書管理法が定めるように公文書は「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」である。今回の検証を機に、公文書の管理、公開の抜本的な改革をしなければならない。

読売新聞 2010年03月10日

密約報告書 日米同盟強化へ検証を生かせ

日本外交に対する国民の信頼回復に不可欠な、「過去」の検証とけじめと言えよう。

米軍の核持ち込みなどをめぐる日米の密約問題に関して、外務省の有識者委員会の報告書が公表された。

報告書は、検討対象の4項目のうち、1960年の日米安保条約改定時に、朝鮮半島有事の際、在日米軍の作戦行動を事前協議なしで認める密約があったと認定した。合意文書が発見されたためだ。

◆外交への信頼回復図れ◆

核搭載の米軍艦船の日本寄港などを事前協議の対象外とすることと、72年の沖縄返還時における米軍用地の原状回復補償費の日本肩代わりについては、「広義の密約」が存在していた、とした。

正式な文書にはされていないものの、日米の「暗黙の合意」などがあった、というのが理由だ。

沖縄への核の再持ち込みについては、佐藤首相とニクソン大統領が署名した「合意議事録」が最近明らかになったが、「必ずしも密約とは言えない」と判断した。

重要な権利・義務の拘束を伴うことが前提とする有識者委の「密約」の定義に該当しないためだ。合意議事録は、佐藤首相自身が保管して政府内で引き継がれず、後継内閣を拘束する長期的な効力がなかった、としている。

両国首脳が署名した重要文書の効力をどう評価するかについては議論が分かれるところだろう。

しかし、報告書の内容は、全体としてバランスがとれており、妥当と言える。

核搭載艦船の寄港について、安保条約改定時には日米の認識の一致がなかったが、あえて双方が是正しようとしなかった。

外務省は、少なくとも80年代末まで、歴代の首相や外相に密約内容を引き継いでいた。一方で、国民には「核の持ち込みはない」などと、誰もが疑問を抱くような虚偽の説明を平然と続けてきた。

外交交渉に秘密が付き物としても、報告書の指摘通り、この対応には問題がある。もっと早く検証を実施し、政府見解を見直すべきだった。今回、ようやく実現したのは、政権交代の効用だろう。

ただ、密約が結ばれた時代背景にも着目する必要がある。

東西冷戦の下、日本への核持ち込みを容認することには、米国の核抑止力を維持するという安全保障上の要請があった。同時に、国民の反核感情は強く、その整合性を取るのは困難だった。

◆非核三原則の見直しを◆

安保条約改定も沖縄返還も、日米の国益をかけた外交交渉で、ぎりぎりの妥協が不可欠であり、密約は苦渋の選択だったはずだ。

「過去」の検証は、日本外交を見直すプロセスだが、より重要なのは、日本の「将来」の安全保障である。日米同盟の強化に検証を生かす発想が大切だ。

鳩山首相や岡田外相は、「核を持たず、作らず、持ち込ませず」という非核三原則を今後も堅持する方針を改めて表明した。

政府は、核搭載艦船の日本寄港などを事前協議の対象とするとの立場も変更しないという。

だが、米国は、全世界にある米軍の核兵器の所在について肯定も否定もしない原則を持っている。日米どちらかが例外規定を設けない限り、両者は矛盾する。

外務省は、91年の米軍艦船からの戦術核の撤去宣言により、当面、不都合は生じない、とするが、問題の先送りにすぎない。

米軍の核抑止力を機能させるため、「持ち込ませず」のうち、核兵器の日本国内配備の禁止は継続するとしても、寄港・通過などは除外することを、政府は真剣に検討すべき時である。

オバマ米大統領が提唱する「核なき世界」は、あくまで遠い将来の理想にすぎない。北朝鮮の核の脅威や中国の軍事大国化など日本周辺の現状を踏まえれば、米国の「核の傘」は不可欠だ。

非核三原則を掲げた佐藤首相でさえ、69年10月に「『持ち込ませず』は誤りだった」と外務省幹部に語っていたことが、公表された外交文書で明らかになった。

鳩山政権が、非核三原則の見直しはタブーだと思い込んでいるのだとすれば、健全な安全保障論議ができなかった半世紀前の密約締結時と変わらない。

◆文書公開を促進したい◆

報告書は、外交記録の公開制度について、30年経過した文書を公開する原則の徹底と、記録審査体制の拡充を提案した。外務省はその方向で改革を進めるべきだ。

日本は従来、他国と比べて、公開に慎重すぎた。相手国が公開している内容さえ公開しないのは、外交関係への悪影響よりも、とにかく面倒は避けたいという安易な理由からではないか。

30年先には文書が公開される。そんな緊張感を外務官僚が持つのは、決して悪いことではない。

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