謎の多い「ビキニ被曝」の被害の解明につながるだろうか。
中部太平洋・マーシャル諸島のビキニ環礁で1954年、米国が水爆実験を実施した。その際、周辺で操業していた漁船の元乗組員や遺族ら45人が、高知地裁に国家賠償請求訴訟を起こした。
54年3~5月に計6回行われた水爆実験の際、付近の海域で操業中だった高知県の漁船だけで延べ270隻以上が被曝した。国は、被災状況を調査しながら、結果を開示しなかった。
これにより、補償を請求する機会が失われた、と原告側は主張し、1人当たり200万円の慰謝料を求めている。
問題の水爆実験では、静岡県のマグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員23人が被曝し、半年後に1人が死亡した事件が広く知られる。だが、それ以外の日本漁船の被災実態は判然としていない。
第五福竜丸事件を巡っては、55年1月、米国が法的責任とは無関係に慰謝料200万ドルを日本側に支払うことで政治決着した。
原告側は、日本政府が米国の法的責任を免除したと批判する。ただ、日本が独立を回復して間もない時期であり、高度な政治的判断が背景にあったのは、間違いあるまい。政治決着の是非は軽々に判断できない側面があろう。
問題なのは、日本政府が長年、調査資料を明らかにしてこなかったことだ。原告側の支援団体などの情報公開請求に応じ、一昨年9月にようやく開示された。遅すぎたと言わざるを得ない。
今回、原告側が被災の根拠とした国の資料には、延べ556隻の船体や船員の被曝状況に関する調査結果が記載されている。
こうした資料の存在を、政府が86年の国会答弁などで「見つからない」と否定してきたことも看過できない。一転して見つかった経緯については、「徹底的に捜索し、倉庫で見つけた」と釈明した。
意図的に隠していたと疑われても仕方あるまい。自らの被災の有無さえ知り得なかった元乗組員や遺族の心情は理解できる。
原告の元乗組員の多くは80歳を超えている。体調の悪化を訴える人も多い。実態が明らかになるにつれ、被害を訴える人がさらに増えることも予想される。
国の資料によると、元乗組員らの被曝線量は、国際放射線防護委員会が、事故時に許容されるとしているレベルを大幅に下回るという。そうであっても、国は納得のいく説明を尽くす責任がある。
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