チェルノ事故30年 先例から多くを学び取れ

朝日新聞 2016年04月27日

チェルノブイリ 原発事故の過酷な教訓

旧ソ連(現ウクライナ)のチェルノブイリ原発で、史上最悪の事故が起きて30年がたった。

人間には1世代にあたる長い歳月だが、放射性物質は今も現場周辺を汚染したままだ。

爆発した4号機は核燃料を取り出すこともできず、コンクリートの「石棺」で覆われた。だが、それも老朽化し、かまぼこ形の巨大な新シェルターで石棺ごと覆う工事が進んでいる。

子どもの甲状腺がんを始め、避難民や周辺住民の健康被害は今も続く。事故は継続中だ。

原発の過酷事故をめぐり、チェルノブイリはさまざまな教訓を世界に示した。にもかかわらず、5年前には福島第一原発事故が起きた。人類はどこまで教訓をくみ取ったのだろうか。

隣国ベラルーシの作家スベトラーナ・アレクシエービッチさんは、昨年のノーベル文学賞を受けた。著書「チェルノブイリの祈り」の邦訳が出て03年に初来日した際、「だらしないロシア人だからあのような事故が起きた。日本では学者たちがすべて緻密(ちみつ)に計算している。ありえない」と言われたと、朝日新聞との会見で語った。

日本の社会は、産業界や行政、学者、メディアも含め、チェルノブイリの事故をどこか「ひとごと」のようにしてしまっていた責任を免れない。

謙虚に教訓を学び、原発は恐ろしい事故を起こすものとの前提で安全対策を一から点検していれば、福島第一の事故は避けられたかもしれない。

生かされた教訓もあった。原発の近隣地域で放射能に汚染された飲食物の摂取と出荷を早期に禁じたことは、住民の内部被曝(ひばく)を防げなかったチェルノブイリの反省があってのことだ。

だが、放射線と放射能の違いや原発事故の特徴など、基本的な知識が、周辺住民にさえ行き渡っていなかった点は同じだ。

福島の事故から5年。日本は森林の大半を除き、周辺を除染する選択をした。とはいえ、実際には放射能を別の場所に移す「移染」でしかない。

地球環境意識の高まりとともに、世代も国境も超えて影響を及ぼす環境汚染が原発事故の特徴と認識されるようになった。

遠隔地に長期避難すると、住民の帰還への思いは年齢や職業などによって分断されていく。たとえ帰れるようになったとしても、元通りのコミュニティーの復活はありえない。

事実上半永久的に人間と地球に取り返しのつかない被害をもたらす放射能汚染の理不尽さ。

原発のそんなリスクを、チェルノブイリは語り続けている。

産経新聞 2016年04月25日

チェルノ事故30年 先例から多くを学び取れ

旧ソ連のチェルノブイリ原発事故から26日で30年を迎える。人間の1世代に相当する長い歳月だが、噴出した放射性セシウム137には、最初の半減期にすぎない。

原子力発電はエネルギーを安定供給する半面、大事故を起こすと終わりは容易に訪れないという困難さを併せ持つ。5年前の福島事故とともに、現実を如実に物語る重い教訓としたい。

チェルノブイリ4号炉の事故は1986年4月26日午前1時23分(現地時間)に、ソ連邦構成国のウクライナで起きた。

原因は故障ではなく、技術改良のために行われた、非常用電源以外の別電源による原子炉冷却という実験での失敗だった。

日本の発電所の加圧水型や沸騰水型とは大きく異なる別設計の原子炉であったこともあり、日本では起こり得ない事故と受け止められがちだった。そのため、国や電力会社が他山の石として学び取った事例は少なかった。

3・11を踏まえて振り返ると、そこに油断の大きな落とし穴があったと言える。

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