福島第一原発事故の被害の重大さ、もたらした現実の深刻さをどれほど考慮したのか。大きな疑問を残す判断だ。
全国の原発で唯一稼働している九州電力川内(せんだい)原発1、2号機(鹿児島県)の運転差し止めを住民らが求めた仮処分申し立ての即時抗告審で、福岡高裁宮崎支部はきのう、住民側の抗告を棄却した。
新規制基準は福島の事故の教訓も採り入れ、不合理とはいえない。耐震設計についても「過小評価とは言えない」。そんな理由を高裁は述べた。
関西電力高浜3、4号機(福井県)の停止を命じた3月の大津地裁の決定とは対照的だ。
福島の事故後、国民は原発の安全性に強い不安を抱いた。それを考慮すれば、どちらが国民の不安を十分に踏まえた判断といえるかは明らかだ。
避難計画に対する考え方がその典型だ。
新規制基準に避難計画は入っていない。大津地裁はそれを問題視し、「避難計画も視野に入れた幅広い規制基準をつくる義務が国にある」と投げかけた。
一方、今回の福岡高裁宮崎支部は「一度に避難する事態に対応できない」「バスが足りない」など住民側が主張する問題点を指摘できるとしても、「避難計画がないわけではない」と、住民の人格権の侵害には当たらないとした。
福島の事故では、多くの住民がスムーズに避難できずに混乱に陥った。その現実を十分に考慮した結論とは思えない。
川内原発の周辺には桜島などの火山がある。火山噴火の影響について、規制委は「火山ガイド」をもうけている。高裁はガイドが噴火の時期や規模を的確に予測可能としていることを「不合理だ」と認定した。それなのに、原発を襲う破局的噴火のリスクの頻度は低いなどとして、「可能性の根拠を示さない限り無視できる」とした。
不備を認めながら、リスクは「発生の頻度が低いから無視し得るのが社会通念だ」と結論づける。それは、想定外が起きた福島の事故をふまえた態度といえるのか。
福島の事故の原因は定かでなく、いまなお約10万人が避難生活を送る。だからこそ各種世論調査で再稼働に慎重な声が過半数を占めるのではないか。
規制委の基準を尊重する判断が出たからといって、再稼働が社会に受け入れられているわけではない。司法判断が割れるのは、安全性をどう確保するのか、その重い課題が残されているととらえるべきだ。
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