政治主導法案 重要なのは組織でなく中身だ

朝日新聞 2010年02月20日

政治主導 「官」を使う力量を磨け

鳩山内閣の金看板「政治主導」の実があがるよう、人事の権限や組織を整備する。そんな狙いを込めた二つの法案が国会に提出された。

一つは国家公務員法改正案だ。

各閣僚が、優れた人材を省庁間の垣根を超え、民間人も含め、これまでの地位にこだわらず選びやすくしようという内容だ。審査を通った官民の適格者を候補者名簿に並べ、その中からふさわしい人物を閣僚が選ぶ。

首相と官房長官が、内閣全体の視点から、目玉人事を直接指示することもできる。事務次官が局長や部長に「格下げ」になることもある。

人事権者は閣僚だが、普通は次官が決め、閣僚が指図するのは例外的。そんなこれまでの「常識」が覆る。

もう一つの政治主導確立法案にも、首相や閣僚を支える政治任用の民間人スタッフの配置を盛っている。

政治主導も適材適所も、当然の原則であり、両法案は一歩前進といえる。

なぜ政治主導が日本の民主主義にとって大切なのか。

自民党政権下では、族議員と官僚が手を結び、首相や閣僚の思うようにならないことがしばしばあった。官僚が事実上の政策決定から根回しまで、政治家が果たすべき役割をこなす。政策より根回しが得意な官僚が出世するといったいびつな構造も生まれた。

民主党は違った姿を描いてきた。官僚は政策づくりの能力を蓄え、選択肢を示すことに専念する。その決定や合意形成は、首相や閣僚が担う。そんな役割分担と協力のあり方である。

政権交代後、閣僚ら政務三役は官僚任せにせず、政策立案や調整にあたっている。族議員が消え、後ろ盾を失ったせいか「官僚の抵抗」という言葉も聞かない。その点は評価できる。

しかし、問題点も見えてきた。

政治主導を意識するあまり、政務三役が電卓をたたいたり、官僚の領分にまで手を出す現実が散見される。官僚が意欲をそがれ、「指示待ち」に陥る弊害が指摘される。宮内庁長官に対する小沢一郎幹事長の言動のような、いたずらに威圧的なふるまいが官僚を萎縮(いしゅく)させてしまう光景も見られる。

不慣れな面もあろうが、現状を見ると、政治家は官僚を使いこなしているのか、政治家の資質はどうなのかといった疑問がぬぐえない。

政治主導の仕組みができたとしても、それが実効をあげるかどうかは首相以下の「運用」にかかる。問われるのは制度を使う政治家の力量である。

異論封じや情実人事は論外だ。適格性審査や任免の基準を明確に定めておく。格下げする時には理由を明示する。公正を保つ工夫が不可欠だ。

「官治」を脱するのはいいが、ルールなき「人治」はいけない。必要なのは、民意を踏まえた「法治」である。

読売新聞 2010年02月17日

政治主導法案 重要なのは組織でなく中身だ

重要なのは行政組織を作ることではない。組織にどんな役割を担わせ、いかに機能させるか。鳩山政権はまず、その点を明確にすべきだ。

政府が政治主導確立法案を国会に提出した。内閣官房の国家戦略室を局に格上げし、行政刷新会議や税制調査会の法的根拠を明確化することが柱である。

副大臣と政務官を計15人増員する関連法案も近く提出される。いずれも4月1日施行を目指す。

首相の指導力を高め、縦割り行政を排除するとともに、官僚依存から脱却するのが目的だという。だが、今回の法案でそれが実現できるのか、疑問である。

国家戦略室は、鳩山内閣の目玉組織として発足した。ところが、事務局体制が不十分なまま開店休業が続いた。昨年末、名目成長率3%という高い目標を掲げた成長戦略をようやく発表したが、肝心の具体策が物足りなかった。

今後は当面、成長戦略の肉付けなどを行う予定だが、それにとどまるべきではない。

財政と社会保障、産業振興と環境政策など、府省の枠を超えた重要テーマの将来構想を示してほしい。縦割り行政を総合調整する司令塔の役割も果たすべきだ。

国家戦略を名乗るのに、外交・安全保障問題を扱わない方針も、看板倒れと言わざるを得ない。

行政刷新会議も、事業仕分けで注目されたが、生産的で深みのある議論を行ったとは言えない。

結局、各行政組織の職務分担をきちんと定めないまま、その場しのぎで試行錯誤を続けてきたのが原因だろう。政権発足から既に5か月が経過した。いつまでも「仮免許」では済まされない。

政府は、国家戦略局や行政刷新会議の役割をきちんと整理し、取り組むべき課題の優先順位を示すことが求められる。

政治主導という方向性は誤っていない。役所の既得権益や無駄遣いにメスを入れ、前例踏襲型の非効率な仕事を見直す。それには、政治家が官僚の抵抗を排し、改革を断行せねばならない。

一方で、本来は各府省の課長や課長補佐が担当すべき事務作業にまで口を挟むのでは、かえって行政が停滞、混乱する。多くの官僚は、政治との距離感を測りかねて「指示待ち」に陥っている。

政治家が、官僚の能力や専門性を最大限に活用してこそ、行政面の成果が上がるはずだ。

政治主導は、それ自体が目的ではなく、あくまで手段であることを忘れてはなるまい。

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