エンブレム白紙 東京五輪の運営は大丈夫か

朝日新聞 2015年09月02日

五輪エンブレム 失敗繰り返さぬために

デザイナーの佐野研二郎氏が作った2020年の東京五輪のエンブレムが使われないことになった。佐野氏から取り下げの申し出を受けて大会組織委員会が決めた。新国立競技場の白紙見直しに続き、五輪準備が、またつまずいたことになる。

エンブレムは7月24日の発表直後から、様々に取りざたされてきた。

ベルギーのデザイナーが自分が制作した劇場ロゴに似ていると主張し、使用差し止めを求める裁判を起こした。これに対して佐野氏は「盗用」を強く否定し、組織委も応募時の「原案」と修正の過程を公表し、それを裏付けようとした。

しかし、その際に示したイメージ画像に写真の無断転用があったことなどが新たに指摘された。佐野氏がデザイン監修をした景品トートバッグの図柄に、第三者の作品を写したものがあったことなども重なり、騒ぎは大きくなる一方だった。

写真や図柄の転用は明らかに佐野氏のミスだ。こうした脇の甘さがエンブレムへの不信を募らせてしまった。多くの人に愛されるのは難しいだろうという使用中止の判断はうなずける。

組織委はまた公募で、新たなエンブレムを選ぶという。再びの失敗は許されない。

エンブレムは、東京五輪の理念を明確に視覚化したものでなければならない。開催が決まった直後の熱気がさめ、負担の重さなど課題も見えてきたこの時期に、五輪で何を実現するのか。改めてそれを広く深く議論したうえで、新しいエンブレムを募集してもらいたい。

エンブレムのようなデザインの場合、多様なメディアや広告での使い勝手などをよくしながらも、すでに商標登録されている似たデザインを避けるために原案を練り直す過程もある。

この日の会見で組織委は、商標登録されているものはチェックしたものの、登録外のもの全てを確認するのは困難であることを認めている。

強く訴えるデザインは、シンプルな円や直線の組み合わせで構成されることが多い。見た目が似た作品が生まれることもあるだろう。だからこそ組織委は、その形や色に込められた理念や考え方の独創性を丁寧に説明して、デザインに対する理解を社会に求める必要がある。

新たなエンブレムの選考に向けては、類似作品のチェックを十分にしながら、応募作や選考の過程も可能な限り公開してほしい。今度こそ、世界の人々に、広く愛されるエンブレムを選ぶ責任がある。

読売新聞 2015年09月02日

エンブレム白紙 東京五輪の運営は大丈夫か

2020年東京五輪はつつがなく開催できるのだろうか――。そんな不安を禁じ得ない。

大会組織委員会が、東京五輪・パラリンピックの大会エンブレムの使用をとりやめることを決めた。

アートディレクターの佐野研二郎氏のデザインによる大会エンブレムには、盗用疑惑が持ち上がっていた。使い続ければ、東京五輪の大きなイメージダウンにつながる恐れがあった。

白紙撤回は、お粗末だが、やむを得ない措置だろう。

騒動の発端は、7月下旬にエンブレムが発表されて間もなく、ベルギーの劇場のロゴマークに似ていると指摘されたことだ。マークのデザイナーは、国際オリンピック委員会(IOC)に使用差し止めを求める訴訟を起こした。

佐野氏は「オリジナルの作品だ」などと、盗用を全面否定した。組織委も8月28日、エンブレムのデザインが、原案から2度の修正を経たことを明らかにした上で、「原案は全く似ていなかった」と反論したばかりだった。

この間、佐野氏が手がけたビール会社のキャンペーン賞品のデザインが、他人の作品と酷似していることなどが判明した。

佐野氏がエンブレムの活用イメージとして提出した風景画像は、無断流用だった。エンブレムの原案にさえも、新たに盗用の疑義が生じた。これらが、白紙撤回の決定打となった。

一連の騒動により、佐野氏の信用は失墜している。佐野氏の作品であることが理由で、東京五輪のシンボルに不信の目が向けられるのは、不幸な事態だ。

佐野氏がエンブレムの取り下げを申し出たのは、当然である。組織委としても、事態収拾のためには、エンブレムを差し替えるしか選択肢はなかったと言えよう。

佐野氏の作品を選んだ組織委の責任は重い。デザインの権利に対する認識とチェックが甘かったと言わざるを得ない。選考過程についての徹底検証が必要だ。

大会のスポンサー企業は、テレビCMなどで既にエンブレムを使い始めている。撤回による混乱は避けられまい。

五輪ムードを盛り上げるために、エンブレムの役割は重要だ。組織委は、新たなデザインを迅速かつ慎重に選ばねばならない。

東京五輪を巡っては、新国立競技場の建設計画のやり直しに続く大きな失態である。政府や組織委は、気を引き締めて準備の遅れを挽回してもらいたい。

産経新聞 2015年09月02日

五輪準備の停滞 選手第一の大原則に返れ

2020年五輪・パラリンピックの東京開催が決定した2年前の沸き立つような興奮は、どこに消えてしまったのか。

白紙撤回された新国立競技場の建設計画に続いて、大会公式エンブレムも取り下げられた。新国立もエンブレムも、いわば大会の顔である。前代未聞のごたごた続きにはさすがに嫌気がさす。

五輪招致が成功したとき、多くの関係者は口々に、「大会まであと7年しかない」と準備期間の短さを訴えた。その貴重な2年間を浪費し、スタートラインを自ら下げてしまったようなものだ。

新国立の建設計画を白紙撤回した際、安倍晋三首相は「五輪の主役は国民一人一人であり、アスリートの皆さんだ」と述べた。

政府も新たな建設計画について「選手第一」を大前提とする基本方針を決定した。だが問題は、選手とは遠いところでばかり発生している。すべての関係者は猛省し、「選手第一」の大原則に立ち返ってほしい。

新国立建設の事業主体となる日本スポーツ振興センター(JSC)は1日、設計と施工の両方を担う業者の公募を開始した。

選定の際の審査基準ではコスト軽減と工期短縮を重視することが明記された。政府は先に、総工費の上限を1550億円とし、常設の観客席を6万8千席とする新計画を決めている。

総工費が青天井に膨らんだ旧計画を反省し、コストの削減を図るのは当然だ。だがそのあまり、スタンドを縮小し、博物館の設置を不要とし、五輪後はトラック上に常設席を設置してサッカーのワールドカップ招致に必要な8万席とする方針という。

1964年東京五輪のマラソンで円谷幸吉が日の丸を揚げた「国立」は陸上競技場ではなくなる。これが本当に、「選手第一」の計画といえるのか。

盗用、転用の指摘が相次ぎ、ついに取り下げられたエンブレムについては、これまで五輪組織委員会が正当性を擁護してきた。旧案に固執して問題をこじらせた新国立の迷走と同じ構図である。

白紙撤回の責任の所在も明らかにされないまま、新国立の整備計画は、引き続きJSCが進める。新エンブレムの問題も同様の経緯をたどりそうだ。これではなかなか、五輪を心待ちにする気分を取り戻せないではないか。

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