戦後70年談話 歴史の教訓胸に未来を拓こう

朝日新聞 2015年08月16日

戦後70年に問う 個人を尊重する国の約束

終戦の年の秋、連合国軍総司令部(GHQ)が、日本政府の敷いていた言論統制を解いた。

作家の高見順は、日記にこう残している。

「自国の政府により当然国民に与えられるべきであった自由が与えられずに、自国を占領した他国の軍隊によって初めて自由が与えられるとは」

明治憲法下の国民は主権者の天皇に仕える「臣民」で、その権利は法律で狭められた。

日本の降伏を求めたポツダム宣言やその後のGHQの人権指令を経て、人びとは人権という価値と正面から向き合った。

「お国のために」とのかけ声の下、戦時体制は人々の生命を奪い、生活を破壊した。その惨禍をくぐった戦後、国家と個人は根本から関係を改めた。

国の意思を決めるのは国民とし、その人権を尊重する平和国家としての再出発だった。

それは「国家のための個人」から「個人のための国家」への転換であり、戦後の民主社会の基礎となってきた。

しかし、この結び直した関係を無効化するかのような政治権力の姿勢が、強まっている。

憲法違反の疑いが強い安保関連法案が衆院で可決され、参院で審議中だ。憲法の下での約束では、国の原則をここまで変えるには、権力側は憲法改正手続きをとり、国民投票によって国民一人ひとりの意見を聞くのが筋だ。今起きているのは、重大な約束違反である。

安全保障にはさまざまな考えがあろう。だが、各種の世論調査で「政府の説明は不十分だ」「今国会での成立は必要ない」との意見が多数であることは、国民に相談することなく一方向へ突き進む政府、与党への不信の広がりからではないか。

今年は、いまの英国でうまれ、各国の立憲主義の礎となったマグナ・カルタ(大憲章)から800年の節目でもある。

強大な権力を誇る王であれ、法に縛られる。貴族が王に約束させ50年後に議会も開かれた。

その後、権力者間の闘争や戦争を経て、多くの国が立憲制を選び取ってきたのは、権力とはそもそも暴走するものであり、防御の装置は不可欠だという歴史の教訓からだ。

戦後日本に人権感覚をもたらしたGHQも例外ではなく、自らの占領への批判は封じる権力の姿をあらわにした。

第2次世界大戦に至る過程でドイツ、イタリアでは、選挙で選ばれた指導者が全体主義、軍国主義を進めた。多数決が間違えることもある。

英国下院のジョン・バーコウ議長は今月、東京で講演した。「世界最長の歴史をもつ議会といわれているが、改善の余地が常にある」。議会の役割は権力の精査であり、国民が関心をもつことを同じ時間軸で議論することが大事だ、と話した。

国民の代表のはずの議会が、ともすれば権力側に立ち、国民感覚と離れてしまう。そんなリスクへの自覚、自戒だろう。

日本国憲法前文は「国政は国民の厳粛な信託により、その権威は国民に由来する」とする。

その国民の意思が反映されるのは、たまにある選挙のときに限られていいはずがない。たえず国民が意思を示し、それを国政が尊び、くみ取る相互作用があってこその国のかたちだ。

安保法案や原発問題などからは、国民を権威とした価値観をいまもわきまえない政治の時代錯誤が透けてみえる。

止められなかった戦争について、歴史学者の加藤陽子東大教授は「軍部が秘密を集中管理し、憲兵などで社会を抑えたことが致命的だった」と語る。

全体主義が進むなか、治安維持法や言論、出版、結社を取り締まる法が、情報を統制し、反戦、反権力的な言論を弾圧した。体制にものをいう大学教授が職を追われた。国民の目と耳は覆われ、口はふさがれた。

社会の生命線は、情報が開かれ、だれもが自分で考え、意見や批判をしあえることである。

いま、人々が街に出て、デモをし、異議を唱える。インターネットで幅広い意見交換がある。専門を超え、研究者たちが外に向けて発言をする。

重ねられた知に基づく議論の深まりを感じさせる動きだ。

一方で、政府の秘密情報の管理を強め、情報に近づくことを犯罪にする特定秘密保護法が昨年施行された。自分と違う意見や、報道への制裁、封殺を求める物言いが政党の一部にある。

精神的自由に干渉しようとするいかなる動きにも敏感でいたい。社会問題で声を上げることの結果は必ずしも保証されない。だが、表現の権利や自由を使わず、あきらめた先に待っている闇を忘れてはなるまい。

国のために国民がいるのではなく、国民のために国がある。自由な社会は、一人ひとりの意思と勇気なしには成り立たないことも、歴史は教えている。

読売新聞 2015年08月22日

70年談話質疑 歴史認識の共有進める土台に

過去の総括を踏まえ、平和国家として世界にどう貢献するのか。与野党は、未来志向の議論を深めてもらいたい。

参院特別委員会で、安倍首相が先に発表した戦後70年談話を巡る質疑が行われた。

次世代の党の和田政宗氏は「不戦の誓いや歴史的事実を丁寧に述べている」と談話を評価した。談話にある「民族の自決の権利」に関連し、中国の少数民族弾圧について首相の見解を尋ねた。

首相は、「普遍的価値である人権の保障が重要だ。人権状況を注視している」と応じた。

新党改革の荒井広幸氏も談話に賛意を示した。先の大戦での軍部の暴走を踏まえ、自衛隊に対する国会のチェック機能を強化する重要性も指摘した。

過去の誤りを教訓とし、現在の政治に生かす視点は大切だ。

一方、社民党の又市征治氏は安全保障関連法案を「戦争法案」として、談話に逆行すると批判した。首相は、法案は「国民の命と平和な暮らしを守る」と反論した。

法案は、談話が重視する「積極的平和主義」を具体化するものである。批判は当たらない。

同様に疑問なのは、談話の発表直後、民主党の岡田代表が、談話の「植民地支配」や「侵略」が日本の行為か、一般論か、定かでない、と主張したことだ。

談話は、「侵略」「植民地支配」の主体として「日本」「我が国」「私たち」と記している。

共産党は、首相が自らの言葉で「反省」や「おび」を述べていない、と非難している。

だが、談話は、国内外で犠牲になった人々に対し「深くこうべを垂れ、痛惜の念を表す」と明記している。戦後50年の村山談話の「お詫び」に相当する表現である。

野党は、首相の揚げ足を取っているのに過ぎない。

世論調査では、談話への支持が不支持を大きく上回っている。先の大戦をどう考えるか。保守からリベラルまで、歴史認識を巡って対立してきた国民が一定の合意に向かううえで、安倍談話は重要な土台になり得よう。

日本の針路に関する建設的な論議には、歴史認識を大筋で共有することが前提となる。

談話は、戦争と関わりのない世代に「謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」と強調した。正確な史実を将来世代に引き継ぐため、歴史教育の充実が急務だ。

平和の構築、途上国支援、核軍縮など、日本が担う役割についても多角的な議論を進めたい。

産経新聞 2015年08月16日

終戦70年の靖国 国守る大切さを伝えたい

戦後70年の終戦の日、東京・九段の靖国の杜(もり)には酷暑の中、早朝から多くの人々が参拝に訪れた。国に命をささげた人々の御霊(みたま)に、改めて哀悼の意を表したい。

靖国神社には幕末以降、国に殉じた246万余柱の御霊がまつられている。このうち213万余柱は先の大戦の戦没者である。

安倍晋三首相は自民党総裁として玉串料を奉納した。名代の萩生田光一総裁特別補佐に「ご英霊に対する感謝の気持ち、靖国への思いは変わらない」と言葉を託したという。

閣僚では、有村治子少子化対策担当相、高市早苗総務相、山谷えり子拉致問題担当相の3人が参拝した。

安倍首相は第1次政権時代に靖国神社に参拝できなかったことを「痛恨の極みだ」と繰り返し語っていた。現政権では一昨年暮れに参拝を実現させたが、その後は参拝していない。

靖国神社はわが国の戦没者慰霊の中心施設である。伝統文化に従って戦没者を追悼することは、どの国の指導者も行っている。平和を誓い国を守る観点からも、欠かせぬ責務である。

朝日新聞 2015年08月15日

戦後70年の安倍談話 何のために出したのか

いったい何のための、誰のための談話なのか。

安倍首相の談話は、戦後70年の歴史総括として、極めて不十分な内容だった。

侵略や植民地支配。反省とおわび。安倍談話には確かに、国際的にも注目されたいくつかのキーワードは盛り込まれた。

しかし、日本が侵略し、植民地支配をしたという主語はぼかされた。反省やおわびは歴代内閣が表明したとして間接的に触れられた。

この談話は出す必要がなかった。いや、出すべきではなかった。改めて強くそう思う。

談話全体を通じて感じられるのは、自らや支持者の歴史観と、事実の重みとの折り合いに苦心した妥協の産物であるということだ。

日本政府の歴史認識として定着してきた戦後50年の村山談話の最大の特徴は、かつての日本の行為を侵略だと認め、その反省とアジアの諸国民へのおわびを、率直に語ったことだ。

一方、安倍談話で侵略に言及したのは次のくだりだ。

「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない」

それ自体、もちろん間違いではない。しかし、首相自身が引き継ぐという村山談話の内容から明らかに後退している。

日本の大陸への侵略については、首相の私的懇談会も報告書に明記していた。侵略とは言わなくても「侵略的事実を否定できない」などと認めてきた村山談話以前の自民党首相の表現からも後退している。

おわびについても同様だ。

首相は「私たちの子や孫に、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と述べた。

確かに、国民の中にはいつまでわび続ければよいのかという感情がある。他方、中国や韓国が謝罪を求め続けることにもわけがある。

政府として反省や謝罪を示しても、閣僚らがそれを疑わせる発言を繰り返す。靖国神社に首相らが参拝する。信頼を損ねる原因を日本から作ってきた。

謝罪を続けたくないなら、国際社会から偏った歴史認識をもっていると疑われている安倍氏がここで潔く謝罪し、国民とアジア諸国民との間に横たわる負の連鎖を断ち切る――。こんな決断はできなかったのか。

それにしても、談話発表に至る過程で見せつけられたのは、目を疑うような政権の二転三転ぶりだった。

安倍氏は首相に再登板した直後から「21世紀にふさわしい未来志向の談話を発表したい」と表明。村山談話の歴史認識を塗り替える狙いを示唆してきた。

そんな首相の姿勢に中国や韓国だけでなく、米国も懸念を深め、首相はいったんは閣議決定せずに個人的談話の色彩を強めることに傾く。

それでは公式な政府見解にならないと反発した首相側近や、公明党からも異論が出て、再び閣議決定する方針に。節目の談話の扱いに全くふさわしくない悲惨な迷走ぶりである。

この間、国内のみならず欧米の学者も過ちの「偏見なき清算」を呼びかけた。世論調査でも過半数が「侵略」などを盛り込むべきだとの民意を示した。

そもそも閣議決定をしようがしまいが、首相の談話が「個人的な談話」で済むはずがない。日本国民の総意を踏まえた歴史認識だと国際社会で受け取られることは避けられない。

それを私物化しようとした迷走の果てに、侵略の責任も、おわびの意思もあいまいな談話を出す体たらくである。

国会での数の力を背景に強引に押し通そうとしても、多くの国民と国際社会が共有している当たり前の歴史認識を覆す無理が通るはずがない。

首相は未来志向を強調してきたが、現在と未来をより良く生きるためには過去のけじめは欠かせない。その意味で、解決が迫られているのに、いまだ残された問題はまだまだある。

最たるものは靖国神社と戦没者追悼の問題である。安倍首相が13年末以来参拝していないため外交的な摩擦は落ち着いているが、首相が再び参拝すれば、たちまち再燃する。それなのに、この問題に何らかの解決策を見いだそうという政治の動きは極めて乏しい。

慰安婦問題は解決に向けた政治的合意が得られず、国交がない北朝鮮による拉致問題も進展しない。ロシアとの北方領土問題も暗礁に乗り上げている。

出す必要のない談話に労力を費やしたあげく、戦争の惨禍を体験した日本国民や近隣諸国民が高齢化するなかで解決が急がれる問題は足踏みが続く。

いったい何のための、誰のための政治なのか。本末転倒も極まれりである。

その責めは、首相自身が負わねばならない。

読売新聞 2015年08月16日

70年談話反応 中韓の批判は抑制気味だが

安倍首相が発表した戦後70年談話について、韓国と中国は表立った批判を控えている。日本との本格的な関係改善には、両国が歴史問題の政治利用を自制することが肝要だ。

韓国の朴槿恵大統領は、日本の植民地支配からの解放を記念する「光復節」式典で演説した。安倍談話について、「残念な部分が少なくない」と不満を表明したが、露骨な非難は避けた。

朴氏は、安倍談話発表に先立ち、「植民地支配と侵略」をおびした村山談話など「歴代内閣の歴史認識の再確認」を求めていた。安倍談話がこうした要求を満たしたと受け止めたのだろうか。

ただ、日韓関係の修復は、楽観を許さない。最大の障害は、慰安婦問題で朴氏が日本に一方的な譲歩を求め、安倍首相との会談を拒んでいることである。

演説でも、「特に慰安婦問題を早期に適切に解決することを願っている」と述べただけで、具体策には言及しなかった。

朴氏は「困難が多く残っているが、新しい未来に共に進むべき時だ」と語った。そうならば、かたくなな姿勢から改めるべきだろう。

中国外務省の報道官も安倍談話に関して、「日本は当然、被害国の国民に真摯しんしに謝罪し、軍国主義の侵略の歴史を断ち切るべきだ。いかなるごまかしもしてはならない」と注文を付けた。

安倍談話には、内外の犠牲者の前に、「深くこうべを垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫えいごうの、哀悼の誠をささげる」とある。これでもさらに謝罪を求めるのだろうか。

談話は、中国の人々が寛容な心で日本との和解に力を尽くしたとして、「心からの感謝の気持ち」を表明した。習近平政権は、安倍首相が発したメッセージをきちんと受け止めなければならない。

一方、米国家安全保障会議(NSC)の報道官は「日本がもたらした被害への深い反省と、歴史に関する過去の政権の談話を継承するとの約束を表明した」との声明を出し、安倍談話を歓迎した。

声明は「国際社会の平和と繁栄に向けた貢献を拡大するとの日本の決意を首相が保証したことも評価する」とも強調した。日本は米国と緊密に連携し、「積極的平和主義」を具体化したい。

安倍談話が米国や豪州など海外から高い評価を得たのは、歴代内閣の歴史認識を継承したことが大きい。日本は、これを踏まえ、今秋のアジア太平洋経済協力会議(APEC)などで、積極的な首脳外交を展開すべきだ。

産経新聞 2015年08月15日

戦後70年談話 世界貢献こそ日本の道だ 謝罪外交の連鎖を断ち切れ

70回目の終戦の日を前に、安倍晋三首相が戦後談話(安倍談話)を発表した。

先の大戦の歴史をめぐり、日本が進むべき針路を誤ったとの見方と、おわびや深い悔悟の念を示した。そのうえで、戦後生まれの世代に「謝罪を続ける宿命」を背負わせてはならないと述べた。

戦後生まれの国民は人口の8割を超える。過去の歴史を忘れてはならないとしても、謝罪を強いられ続けるべきではないとの考えを示したのは妥当である。

首相は平和国家として歩んだ戦後に誇りを持ち、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献していく決意を披瀝(ひれき)した。

《積極的平和主義を貫け》

未来志向に基調を置く談話を目指したのは当然である。首相は会見で「歴史の教訓をくみとり、目指すべき道を展望したい」と語った。平和を実現する責任をいかに実践していくかが、これからの日本の大きな課題となった。

「繁栄こそ平和の礎」であると談話は強調し、自由、公正で開かれた国際経済システムの発展と途上国支援の強化を挙げた。自由と民主主義、人権といった基本的価値を共有する国々と力を合わせ、「積極的平和主義」の旗を掲げるという。

読売新聞 2015年08月15日

戦後70年談話 歴史の教訓胸に未来を拓こう

◆反省とお詫びの気持ち示した◆

先の大戦への反省を踏まえつつ、新たな日本の針路を明確に示したと前向きに評価できよう。

戦後70年の安倍首相談話が閣議決定された。

談話は、日本の行動を世界に発信する重要な意味を持つ。未来を語るうえで、歴史認識をきちんと提示することが、日本への国際社会の信頼と期待を高める。

首相談話には、キーワードである「侵略」が明記された。

◆「侵略」明確化は妥当だ

「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない」との表現である。「先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓った」とも記している。

首相が「侵略」を明確に認めたのは重要である。戦後50年の村山談話、戦後60年の小泉談話の見解を引き継いだものだ。

1931年の満州事変以後の旧日本軍の行動は侵略そのものである。自衛以外の戦争を禁じた28年の不戦条約にも違反する。

特に、31年10月の関東軍による中国東北部・錦州攻撃は、民間人に対する無差別・無警告の空爆であり、ハーグ陸戦規則に反する。空爆は、上海、南京、重慶へと対象を拡大し、非戦闘員の死者を飛躍的に増大させた。

一部の軍人の独走を許し、悲惨な戦争の発端を日本が作ったことを忘れてはなるまい。

首相は記者会見で、「政治は歴史に謙虚でなければならない。政治的、外交的意図によって歴史がゆがめられるようなことは決してあってはならない」と語った。

的を射た発言である。

「侵略」の客観的事実を認めることは、自虐史観ではないし、日本をおとしめることにもならない。むしろ国際社会の信頼を高め、「歴史修正主義」といった一部の疑念を晴らすことにもなろう。

談話では、「植民地支配」について、「永遠に訣別けつべつし、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない」という表現で触れた。

談話は、国内外で犠牲になった人々に対し、「深くこうべを垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫えいごうの、哀悼の誠をささげる」と記した。

ドイツ首脳の言葉を一部踏襲したもので、村山談話などの「おび」に相当する表現だ。首相の真剣な気持ちが十分に伝わる。

談話は、日本が先の大戦について「痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきた」として、村山談話などの見解に改めて言及した。さらに、「こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないもの」と明記している。

◆女性の人権を尊重せよ

今回の表現では納得しない一部の近隣諸国もあろう。それでも、反省やお詫びに触れなくていい、ということにはなるまい。

欧米諸国を含む国際社会全体に向けて、現在の日本の考え方を発信し、理解を広げることこそが大切な作業である。

その意味で、安倍談話が、戦後の日本に手を差し伸べた欧米や中国などに対する感謝の念を表明したことは妥当だろう。

「戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続ける」との表現は、慰安婦を念頭に置いたもので、韓国への配慮だ。

談話が表明したように、「21世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードする」ことが、今、日本に求められている。

談話は、戦争とは何の関わりのない世代に「謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」とも強調している。

この問題に一定の区切りをつけて、子々孫々にまで謝罪行為を強いられないようにすることが大切である。中国や韓国にも、理解と自制を求めたい。

◆次世代の謝罪避けたい

首相は記者会見で、談話について「できるだけ多くの国民と共有できることを心掛けた」と語った。歴史認識を巡る様々な考えは、今回の談話で国内的にはかなり整理、集約できたと言えよう。

談話は、日本が今後進む方向性に関して、「国際秩序への挑戦者となってしまった過去」を胸に刻みつつ、自由、民主主義、人権といった価値を揺るぎないものとして堅持する、と誓った。

「積極的平和主義」を掲げ、世界の平和と繁栄に貢献することが欠かせない。こうした日本の姿勢は、欧米や東南アジアの諸国から幅広く支持されている。

「歴史の声」に耳を傾けつつ、日本の将来を切りひらきたい。

読売新聞 2015年08月14日

終戦70年 平和の堅持へ国際協調貫こう

◆安保法案成立で抑止力の向上を◆

15日は、70回目の「終戦の日」である。

先の大戦で心ならずも犠牲になった300万人以上の冥福を静かに祈るとともに、平和への誓いを新たにしたい。

長崎市の田上富久市長は9日の平和宣言で、安全保障関連法案に言及し、「憲法の平和の理念が、今揺らいでいるのではないかという不安と懸念が広がっている」と述べた。政府と国会がこの不安と懸念に耳を傾け、「慎重で真摯しんしな審議」を行うことも注文した。

◆日米同盟は公共財だ

集団的自衛権の行使容認を柱とする安保法案は、自衛隊と米軍などの防衛協力を強化し、日本の平和と安全を確保することを目指すものだ。正反対の受け止めをされているのは残念である。

日本はこの70年間、東西冷戦時代もポスト冷戦期も戦争に巻き込まれなかった。これは、憲法の平和主義のお陰だけではない。

むしろ1954年に自衛隊を創設して、時代に即した防衛力を整備しつつ、60年に日米安保条約を改定し、同盟関係を着実に強化してきたことが大きい。

日米同盟は今、アジア全体を安定させるための国際公共財として広く認知されている。

朝鮮戦争や、旧ソ連によるアフガニスタンへの侵攻、イラクのクウェート侵略、ロシアのグルジア侵攻――。領土や国民を守る軍事力と抑止力の重要性を示す実例は枚挙にいとまがない。

憲法前文にある「恒久の平和を念願」し、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」するだけで平和が確保されるというのは、国際政治の冷徹なリアリズムを無視した理想論だろう。

日本は戦前、集団安全保障を模索した国際連盟を脱退し、世界秩序を破壊する側に立った。

戦後は、その反省から、自衛隊の活動を過度に抑制してきた。米国主導の国際秩序による平和と繁栄を享受する中、安全保障政策を米国に依存し、思考停止に陥りがちだったことは否めない。

◆世界秩序を支える側に

転機は91年の湾岸戦争だ。戦後の機雷掃海や国連平和維持活動に自衛隊を派遣して実績を積み、関係国の信頼を着実に得てきた。

自衛隊の国際活動を拡充する安保法案は、この延長線上にある。慎重過ぎた憲法解釈を適正化するとともに、新たな国際秩序を支える有志国の一翼を担い、応分の責任を果たさねばなるまい。

今年10月に創設70年を迎える国際連合は、安全保障理事会の5常任理事国の拒否権などで機能不全に陥りやすい。紛争解決に役割を十分果たしているとは言い難い。

今、中国は東・南シナ海で、ロシアはウクライナでそれぞれ独善的な論理を振りかざし、力による現状変更を試みている。いずれも強大な軍事力を背景にし、国際社会の批判にも耳を貸さない。

日本にとって、中国の軍備増強と海洋進出は深刻な問題だ。中国が現在のペースで国防費を伸ばせば、5年後には日本の4倍超、10年後には7倍近くに膨らむ。

北朝鮮は、日本を射程に収める弾道ミサイル数百発を保有する。過激派組織「イスラム国」などテロの脅威も拡散している。

日本の安全を確保するには、安保法案を確実に成立させ、米国や豪州、さらに東南アジア・欧州諸国との重層的な連携を強化することが欠かせない。

外交と軍事は車の両輪として、相互補完関係にある。自衛隊による切れ目のない事態対処を可能にしておくことが、紛争を回避し、地域を安定させる平和外交を推進するための後ろ盾になろう。

安保法案には、「日本を再び戦争できる国にする」「戦前に回帰するものだ」といった批判が一部にある。曲解と言うほかない。

◆「戦争できる国」は曲論

今の日本が戦前と決定的に異なるのは、憲法の平和主義を堅持し、侵略や国土拡張を否定して、国際協調を重視していることだ。文民統制(シビリアンコントロール)もしっかり確保されている。

法案が定める集団的自衛権の行使容認や、海外における自衛隊の人道復興支援や他国軍への後方支援活動の拡充は、いずれも国際的な連帯を強固にする。

だからこそ、歴史認識を巡って日本と溝がある中国、韓国を除く圧倒的多数の国々が、法案内容を高く評価、支持しているのである。安倍政権の「国際協調主義に基づく積極的平和主義」に対する各国の期待は極めて高い。

安倍首相は、安保法案の意義と必要性を国民に説明し、理解を広げる努力を倍加させるべきだ。

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