連隊長訓示問題 政治発言の風潮危ぶむ

毎日新聞 2010年02月13日

連隊長訓示問題 政治発言の風潮危ぶむ

10日に始まった陸上自衛隊と米陸軍の共同訓練の開始式で、陸自側を代表して訓示した陸自第6師団第44普通科連隊の中沢剛連隊長(1等陸佐)が、「同盟というものは、外交や政治的な美辞麗句で維持されるものではなく、ましてや『信頼してくれ』などという言葉だけで維持されるものではない」と発言した。

鳩山由紀夫首相は昨年11月の日米首脳会談で、米軍普天間飛行場の移設問題を巡りオバマ大統領に「トラスト・ミー(私を信じてほしい)」と伝えている。連隊長は訓示後、「首相の発言を引用したり批判したりしたわけではない」とコメントしたが、首相発言をやゆし、批判したものと受け取られても仕方がない。

北沢俊美防衛相は「現場の指揮官が政治や外交という高度な国家意思について言及している部分もある」と問題視。防衛省は12日、文書による注意処分とした。

連隊長発言を聞いて、政府見解に反する論文発表で更迭された田母神(たもがみ)俊雄前航空幕僚長の問題を想起した国民も多いに違いない。戦前日本の植民地支配・侵略を正当化した田母神氏の論文と連隊長発言では問題のレベルに差がある。が、実力部隊を指揮する幹部による、政権や首相の政治方針・意思への批判的発言という点は同じである。しかも、連隊長の発言は、訓練参加部隊に対する公式の訓示の中で飛び出した。

これは、自衛隊の最高指揮官である首相に対する批判という規律上の問題にとどまらず、文民統制(シビリアンコントロール)の観点から問題であると言わざるを得ない。

また、連隊長発言には、外交を軽視していると受け取られかねない部分もある。共同訓練を前に軍事的連携の重要性を参加隊員に強調するのが本意だったのかもしれない。が、対外関係で、軍事を外交の上に置く考えがあるとすれば看過できない。

防衛省は、田母神氏の問題を受けて、1佐、2佐クラスを対象とした統合幕僚学校の講座「歴史観・国家観」の見直しなどのほか、隊内教育改善に向けた統一方針の策定を打ち出した。しかし、連隊長の発言を聞く限り、対策が十分な効果を上げているとは思えない。

何より問題なのは、今回の事態が、「政」と「軍」の関係をわきまえず、政治を公然と批判する風潮が実力組織の内部、特に幹部クラスにまん延しているのではないか、という疑念を生みかねないことだ。「連隊長発言は氷山の一角」との認識が広がれば、長年にわたって築き上げてきた自衛隊に対する国民の信頼を突き崩すことになろう。

防衛省・自衛隊には、文民統制を含め隊内教育を改めて見直し、再発防止を徹底してもらいたい。

産経新聞 2010年02月14日

陸自幹部処分 本質的な議論を封じるな

政治の軍事に対する統制は確保されなければならないが、今回の陸上自衛隊幹部の発言は、文民統制の問題にはあてはまらない。本質的な議論を制限することはあってはならない。

きっかけは、宮城県で行われた日米共同訓練の開会式の訓示で、陸自第44普通科連隊長の中沢剛1等陸佐が「同盟は『信頼してくれ』という言葉だけで維持されるものではない」と述べたことだ。防衛省はこの発言を不適切として文書による注意処分を下した。

「信頼してくれ」というくだりが、昨年11月の日米首脳会談で鳩山由紀夫首相がオバマ大統領に伝えた「トラスト・ミー(私を信じてほしい)」という言葉とオーバーラップし、首相発言を引用して批判したものと断定された。

日米共同訓練は自衛隊、米軍双方の幹部、兵士らが信頼関係を築く重要な場だ。文字通り「言葉だけでは守れない」ことを身をもって体験する機会だ。第一線の責任者が当然持つべき認識である。

鳩山首相の「信じてほしい」という発言は、米軍普天間飛行場の移設先を見直すことについて米側の理解を得るために大統領に語ったものだ。首相は翌日、これを覆した。

首脳会談から3カ月を経ても移設先は決まらず、同盟の空洞化を招いているのが現実だ。国防の最前線にいる自衛官が危機感を持つのは当たり前といってよい。

文民統制とは政治が軍事をいかにコントロールするかであり、国の防衛政策の最終決定権を政治が支配することでもある。

自衛隊法61条は「政党または政令で定める政治的目的のために政治的行為をしてはならない」と規定する。陸自幹部の発言はこれに抵触しておらず、政治的中立性をいささかも損なっていない。処分は不当である。

政策決定過程で幹部自衛官がもっと議論し、政策に生かすことの方が重要だ。米国では軍の責任者による議会証言が定着しており、軍事政策の決定過程でも一定の発言権を有しているといえる。

平成20年10月、「村山談話」を批判する論文を発表して更迭された田母神俊雄前航空幕僚長の問題についても、政府や国会は異なる意見を封じようとした。

安保政策や憲法論のひずみは、こうした本質を避けようとする政治の対応から生まれていることを忘れてはなるまい。

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