安保法審議入り 国民守り抜く論戦深めよ

朝日新聞 2015年05月29日

安保法制国会 「専守防衛」が変質する

これまでと何も変わらない。専守防衛も、平和主義も、自衛隊のリスクも――。

新たな安全保障法制をめぐる安倍首相ら政府側の答弁はそういう主張に聞こえる。

そんなはずはあるまい。

たとえば専守防衛。きのうの衆院特別委員会で安倍首相は、その定義について「いささかの変更もない」と断言したが、極めて乱暴な答弁だ。

防衛白書によると、専守防衛は「相手から武力攻撃を受けたときにはじめて防衛力を行使するなど憲法の精神にのっとった受動的な防衛戦略の姿勢」である。普通の人がこれを素直に読めば、武力行使ができるのは日本が直接攻撃を受けたとき、という意味になるはずだ。

安倍政権は昨年7月の閣議決定で、憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認に踏み切った。国の存立が脅かされるなど新3要件にあてはまれば、他国への攻撃でも武力行使ができるようになる。日本の安全保障政策の大転換である。

たとえ今回の集団的自衛権の目的が「他国の防衛」でなく、「日本の防衛」だとしても、そのきっかけは、やはり他国への攻撃ではないか。それを踏まえれば、少なくとも専守防衛は変質すると言うべきだ。

政府が「不変」を強弁するのは、憲法改正を避けながら、集団的自衛権の行使容認をめざしているためだろう。憲法解釈の変更で済ませるには、安全保障政策の根幹は変わっていないと言わざるをえない。

積極的平和主義のスローガンを掲げ、あくまで平和主義の継続を言い募るのも、同じような事情が見え隠れする。

しかし、これほどの政策転換をこうした粗雑な理屈で通すのは無理がある。このままでは、国会答弁や政治家の言葉の重みが失われてしまう。

集団的自衛権の範囲や内容をめぐっても、安倍首相は限定的であることを強調しながら、「一般に」「例外として」「現在は」などを乱発し、将来の変化に含みを持たせている。結果として「例外」は拡大し、政府の裁量に委ねるしかない状況に陥りかねない。

国会がこんな政府の無理押しを問題にするのは当然だろう。

きのうの審議では誰もがあぜんとするような場面があった。自衛隊のリスクについて問いただそうとした民主党の辻元清美氏に、安倍首相が「早く質問しろよ」とヤジを飛ばしたのだ。

その後、首相は謝罪したが、真摯(しんし)な議論を妨げるような行為にあきれるばかりである。

毎日新聞 2015年05月29日

安保転換を問う 集団的自衛権

専守防衛は、憲法の平和主義の精神にのっとり、戦後日本が維持してきた防衛政策の基本姿勢だ。日本が直接攻撃されていないのに他国への攻撃に反撃する集団的自衛権の行使は、そもそも専守防衛に反する。

しかし安倍政権は、安全保障関連法案の国会審議で、集団的自衛権の行使によっても「専守防衛の考え方は全く変わりがない」(安倍晋三首相)と繰り返した。

政府は、専守防衛について「相手から武力攻撃を受けたときに初めて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限にとどめ、また、保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限るなど、憲法の精神にのっとった受動的な防衛戦略の姿勢」と定義している。

専守防衛のもと自衛隊は、大陸間弾道ミサイル、長距離戦略爆撃機、攻撃型空母などの攻撃的兵器を保有することは認められていない。

審議では、専守防衛は「相手から武力攻撃を受けたときに初めて」防衛力を行使すると明確に定義されているのに、集団的自衛権は日本が武力攻撃を受けていない状態で武力を行使するのだから、専守防衛ではないのではないか、定義を変えるべきではないかとの趣旨の質問が出た。

この疑問に政府は「武力攻撃を受けた」国というのは、日本に限らず、日本と密接な関係にある他国も含まれるという新解釈を打ち出した。

しかも、集団的自衛権を巡る憲法解釈変更の基本論理となった1972年の政府見解にさかのぼって、もともとそう解釈されるのだという。

72年見解は「外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態」に対処するための自衛の措置を認めている。

政府の説明では「外国の武力攻撃」とは、日本への攻撃に限らず、日本と密接な関係にある他国への攻撃も含まれるという。横畠裕介内閣法制局長官が答弁し、安倍首相も追認した。明らかなこじつけである。

政府内でも、専守防衛の定義を変えるべきか悩みはあったようだ。だが、変更しないという政治判断をした。集団的自衛権が専守防衛を逸脱していると認めれば、憲法解釈の変更ではすまなくなるからだろう。だから新3要件を満たした集団的自衛権の行使も、専守防衛の範囲内だという無理な理屈を作り上げた。

民主党の長妻昭代表代行は「定義を変えたとはっきり言うべきだ」と批判し、維新の党の松野頼久代表も「専守防衛からずれてきている」と指摘した。政府は正直な議論に立ち返るべきだ。

産経新聞 2015年05月27日

安保法審議入り 国民守り抜く論戦深めよ

日本や日本国民を守り抜くために何が必要か。そこに重きを置いた論戦こそ聞きたい。

集団的自衛権の限定行使の容認を柱とする安保関連法案の審議が衆院で始まり、安倍晋三首相は「分かりやすく丁寧な説明を心掛け、今国会における確実な成立を期す」と語った。

激変する日本の安全保障環境を考えれば、抑止力の強化を図る関連法案の成立は急務である。

野党側は安保法制見直しへの国民の理解が深まっていないとみて、「戦争に巻き込まれる」といったレッテル貼りをする。

だが、安全保障の議論を矮小(わいしょう)化する姿勢では、国民の安全と平穏な生活を守る政治の責任を果たすことにならない。

国会審議で、政府はとくに2つの点を国民に伝えてほしい。

1つは、政策の転換を迫る安保環境の激変だ。首相が本会議で「中国の台頭と東シナ海、南シナ海における活動」に言及したことに注目したい。

軍事力を背景に、尖閣諸島の奪取をねらい、南シナ海で岩礁の軍事基地化を強行する中国の動きに目をそむけてはならない。

次いで、関連法案の成立がもたらす効果をより丁寧に説明する必要がある。

自衛隊の活動範囲が広がれば、リスクが増すという点を野党側は強調するが、実際には日米同盟の抑止力が強化されることにより、かえって平和が保たれる。

首相は「日本が攻撃されるリスクはいっそう下がる」という言葉で説明した。「備えあれば憂いなし」の側面が大きいことを分かりやすく国民に語るべきだ。

首相はまた、「日本有事はいうに及ばず、海外派遣など従来の任務も、命がけで自衛隊員は限界に近いリスクを負っている。新たな任務も命がけだ」と明言した。

リスクはあるが、誰かがやらなければならない任務があるからこそ、高度に訓練された自衛隊が出動する。

当たり前のことであり、一部野党がその是非ばかりに焦点をあてるのはおかしい。今後は政府側も批判を恐れ、ことさらリスクがないと強調すべきでない。

野党側には、日米同盟の抑止力向上の問題意識が希薄だ。米軍艦船が日本を守る警戒監視の活動中に攻撃されても助けないのか。明確な態度を示してほしい。

毎日新聞 2015年05月28日

安保転換を問う 集団的自衛権

専守防衛は、憲法の平和主義の精神にのっとり、戦後日本が維持してきた防衛政策の基本姿勢だ。日本が直接攻撃されていないのに他国への攻撃に反撃する集団的自衛権の行使は、そもそも専守防衛に反する。

しかし安倍政権は、安全保障関連法案の国会審議で、集団的自衛権の行使によっても「専守防衛の考え方は全く変わりがない」(安倍晋三首相)と繰り返した。

政府は、専守防衛について「相手から武力攻撃を受けたときに初めて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限にとどめ、また、保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限るなど、憲法の精神にのっとった受動的な防衛戦略の姿勢」と定義している。

専守防衛のもと自衛隊は、大陸間弾道ミサイル、長距離戦略爆撃機、攻撃型空母などの攻撃的兵器を保有することは認められていない。

審議では、専守防衛は「相手から武力攻撃を受けたときに初めて」防衛力を行使すると明確に定義されているのに、集団的自衛権は日本が武力攻撃を受けていない状態で武力を行使するのだから、専守防衛ではないのではないか、定義を変えるべきではないかとの趣旨の質問が出た。

この疑問に政府は「武力攻撃を受けた」国というのは、日本に限らず、日本と密接な関係にある他国も含まれるという新解釈を打ち出した。

しかも、集団的自衛権を巡る憲法解釈変更の基本論理となった1972年の政府見解にさかのぼって、もともとそう解釈されるのだという。

72年見解は「外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態」に対処するための自衛の措置を認めている。

政府の説明では「外国の武力攻撃」とは、日本への攻撃に限らず、日本と密接な関係にある他国への攻撃も含まれるという。横畠裕介内閣法制局長官が答弁し、安倍首相も追認した。明らかなこじつけである。

政府内でも、専守防衛の定義を変えるべきか悩みはあったようだ。だが、変更しないという政治判断をした。集団的自衛権が専守防衛を逸脱していると認めれば、憲法解釈の変更ではすまなくなるからだろう。だから新3要件を満たした集団的自衛権の行使も、専守防衛の範囲内だという無理な理屈を作り上げた。

民主党の長妻昭代表代行は「定義を変えたとはっきり言うべきだ」と批判し、維新の党の松野頼久代表も「専守防衛からずれてきている」と指摘した。政府は正直な議論に立ち返るべきだ。

毎日新聞 2015年05月28日

安保転換を問う 集団的自衛権

専守防衛は、憲法の平和主義の精神にのっとり、戦後日本が維持してきた防衛政策の基本姿勢だ。日本が直接攻撃されていないのに他国への攻撃に反撃する集団的自衛権の行使は、そもそも専守防衛に反する。

しかし安倍政権は、安全保障関連法案の国会審議で、集団的自衛権の行使によっても「専守防衛の考え方は全く変わりがない」(安倍晋三首相)と繰り返した。

政府は、専守防衛について「相手から武力攻撃を受けたときに初めて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限にとどめ、また、保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限るなど、憲法の精神にのっとった受動的な防衛戦略の姿勢」と定義している。

専守防衛のもと自衛隊は、大陸間弾道ミサイル、長距離戦略爆撃機、攻撃型空母などの攻撃的兵器を保有することは認められていない。

審議では、専守防衛は「相手から武力攻撃を受けたときに初めて」防衛力を行使すると明確に定義されているのに、集団的自衛権は日本が武力攻撃を受けていない状態で武力を行使するのだから、専守防衛ではないのではないか、定義を変えるべきではないかとの趣旨の質問が出た。

この疑問に政府は「武力攻撃を受けた」国というのは、日本に限らず、日本と密接な関係にある他国も含まれるという新解釈を打ち出した。

しかも、集団的自衛権を巡る憲法解釈変更の基本論理となった1972年の政府見解にさかのぼって、もともとそう解釈されるのだという。

72年見解は「外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態」に対処するための自衛の措置を認めている。

政府の説明では「外国の武力攻撃」とは、日本への攻撃に限らず、日本と密接な関係にある他国への攻撃も含まれるという。横畠裕介内閣法制局長官が答弁し、安倍首相も追認した。明らかなこじつけである。

政府内でも、専守防衛の定義を変えるべきか悩みはあったようだ。だが、変更しないという政治判断をした。集団的自衛権が専守防衛を逸脱していると認めれば、憲法解釈の変更ではすまなくなるからだろう。だから新3要件を満たした集団的自衛権の行使も、専守防衛の範囲内だという無理な理屈を作り上げた。

民主党の長妻昭代表代行は「定義を変えたとはっきり言うべきだ」と批判し、維新の党の松野頼久代表も「専守防衛からずれてきている」と指摘した。政府は正直な議論に立ち返るべきだ。

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