安保協議再開 対米合意優先は疑問だ

朝日新聞 2015年07月14日

生煮えの安保法制 衆院採決は容認できない

安全保障関連法案を審議する衆院特別委員会は中央公聴会を終え、いつ採決するか、与野党の攻防が激しくなっている。

しかし、法案への国民の理解はいっこうに広がっていない。

朝日新聞社の最新の世論調査によると、今国会で法案を成立させる「必要がある」という人は19%で、「必要はない」は66%。安倍首相による法案の説明が「丁寧ではない」という人は67%で、「丁寧」の15%を大きく上回った。

「決めるべき時は決める」と首相はいう。だが、多くの憲法学者や内閣法制局長官OB、幅広い分野の有識者や市民団体が「憲法違反」の法案に対し、反対の声をあげ続けている。

国民の理解が深まらない中での採決に同意することはできない。憲法論だけでなく、日本の安全をどう守っていくかの観点からも、国会での議論は多くの根本的な論点を積み残していると考えるからだ。

一連の法案の、安全保障上の最大の目的は何か。

米国のパワーが相対的に低下しつつある分を、自衛隊の支援によって補う。それにより、台頭する中国との軍事バランスを保つという考え方だろう。

日中関係は確かに一筋縄ではいかない。

だが冷戦期のソ連と異なり、中国は明確な「敵」ではない。米中は、そして日本も、経済を中心に相互依存関係にある。

これからの日本は、中国といかに向き合うのか。この根源的な問いに答える議論が、十分になされたとは言い難い。

何より懸念されるのは、日中の偶発的な軍事衝突がエスカレートし、拡大する事態だ。

日米を軸とした防衛協力の信頼性を高めること。外交的に無用の摩擦を避けること。軍事的に具体的な危機管理策を整えること。それぞれに重要だ。

そのうえで、さらに大事なことは、日中の両国民が一定の信頼感を保つことである。首脳同士がなかなか会えない現状を改めることこそ、互いの国民が安心感をもつ第一歩だ。

戦後70年の節目の年である。韓国との関係も含め、日本の政治指導者の歴史認識をめぐる疑念が、周辺国との安全保障に影響を及ぼす負のサイクルは終わらせる必要がある。

だからこそ、日本国憲法を日本の外交戦略の重要なツールとしたい。侵略と植民地支配の反省を踏まえ、専守防衛に徹する国際約束の意味を持つからだ。

安全保障上、日本ができることには限りがある。

米国が期待する南シナ海での自衛隊の活動拡大に踏み込むとなれば、日本は財政的、人的負担に耐えられるのか。肝心の日本自身の安全は守れるのか。

人口減少、少子高齢化、巨額の財政赤字という日本の国力の現状とどう折り合えるか、ここでも国会の議論は足りない。

南シナ海を「対立の海」にしてはならない。シーレーン防衛は本来、国際社会として取り組む課題だ。長期的には、日米豪、東南アジア諸国連合(ASEAN)、さらに中国も加える形で協力しなければ安定した地域秩序は築けない。

そのために日本がどんな役割を果たすべきなのか。聞きたいのはそんな本質的な議論だ。

11本もの法案を一度に通そうとする手法が、大事な論点を見えにくくしている面もある。

中東ホルムズ海峡の機雷掃海が焦点になる一方で、尖閣を想定したグレーゾーン事態の議論は、民主党と維新の党の対案提出で緒に就いたばかり。

海上保安庁では対応できない場合、どうするのか。自衛隊の行動を広げることが、中国との軍事的衝突へと発展する危険はないのか。日本を守るという意味で重要な論点なのに、議論はまったく生煮えのままだ。

国際貢献のあり方も議論が乏しい。国連平和維持活動(PKO)については、武器使用基準を実情に応じて見直すなど検討していい点もあろう。

一方で、近年はPKOの活動が危険度を増しているうえに、法案は他国軍や民間人を助ける「駆けつけ警護」や巡回、検問など危険な任務を可能とする内容だ。現場の実情を踏まえた議論がここでも欠けている。

戦後70年の歩みの延長線に、「平和国家日本」のブランドをどのように発展させるか。それが、日本がいま大事にすべき大きなテーマである。

難民支援や感染症対策、きめ細かな貧困対策、紛争調停などに注力してこそ、国際社会での日本の信頼につながる。

中東で武力行使をしないできた日本に対し、「平和国家」として一定の評価があることは、米国とは違う貢献をなしうる可能性を示している。

違憲の疑いが濃いだけではない。安全保障の観点からも、数々の重要な論点を置き去りにした採決は決して容認できない。

毎日新聞 2015年06月02日

安保転換を問う 首相の姿勢

安全保障関連法案の国会審議がきょうから始まる。自衛隊の海外での活動が飛躍的に拡大し、戦後日本の安保政策の大転換となる法案である。徹底した議論が必要だ。

そこで注文したい。異論や慎重論に耳を傾けようとしない安倍晋三首相の姿勢をまず改めよ、ということだ。異論を口にするのは「敵」だとばかりに切り捨て、自分の発言は「言論の自由だ」といったような独善的な姿勢のままでは論議が深まるはずがないからだ。

首相はよく「レッテル貼り」との言葉を使う。今回の法案を社民党の福島瑞穂氏が「戦争法案」と批判した途端に首相が「レッテルを貼って議論を矮小(わいしょう)化していくことは甘受できない」と反論したのは記憶に新しい。結局、取り下げたが、自民党は一時、福島氏の発言に対し、議事録修正を求める行動にまで出た。

私たちも「戦争法案」と決めつけるつもりはない。だが、それでは政府が今回、新法を「国際平和支援法案」と命名し、既存10法の改正案を一括して「平和安全法制整備法案」と名付けたのはどうか。これも一方的なイメージを国民に植え付けようとしているだけではないか。

これは今回の本質的な問題でもある。先の党首討論では民主党の岡田克也代表が自衛隊の危険はこれで増すのかどうか、再三ただしたが、首相は明確に答えようとせず、後に中谷元防衛相は「自衛隊員のリスクが増大することはない」と語った。

首相は従来「日本が外国から攻撃を受けた際、米国の若い兵士が命を懸けて日本を守るのが今の日米関係だ」と語ってきた。自衛隊も命を懸ける、あるいはその姿勢を示すことが日米同盟を強固にし、ひいてはそれが戦争の抑止になると首相は考えているのだろう。

だから「今度の法整備で確かに危険は増すが、それを上回る国益がある」と言うのならまだ分かる。都合よくプラス面ばかりを語るのではなく、リスクもきちんと説明し理解を求めるのが首相の責務のはずだ。にもかかわらず「抑止力が高まるから安全だ」と言うだけではあまりにも説得力に欠ける。その一方で「夏までに成立させる」と結論のみを急ぐ。これでは到底賛成できない。

首相は従来とあまり変わらないとも強調しているようだ。ならばなぜ憲法解釈の変更にまで踏み切り、大幅に法制を作り直すのか。同時に首相や自民党は憲法9条を改正し国防軍を設ける目標は変えていない。そんな中で今回の法制をどう位置づけているのか。疑問点は数多くある。

こんな一節を紹介したい。

読売新聞 2015年08月20日

安保法案審議 成立後に向けた検討は当然だ

国会で審議中の法案が成立した場合に備えて、各府省が法案を円滑に施行できるよう検討しておくのは当然のことだ。

参院特別委員会が安全保障関連法案の審議を8日ぶりに再開した。法案成立後の「主要検討事項」などを記した防衛省統合幕僚監部の内部資料を巡る政府答弁に共産党が「納得できない」と反発し、審議が中断していた。

中谷防衛相は、資料が5月下旬に作成されたことを認め、「私の指示の範囲内のものであり、シビリアンコントロール(文民統制)上、問題はない」と強調した。

資料は、自衛隊幹部ら約350人のテレビ会議で使用された。主要検討事項として、南シナ海での警戒監視活動や、南スーダンでの国連平和維持活動(PKO)での「駆けつけ警護」任務の追加などを列挙している。

法案成立後、自衛隊がどんな課題に直面するか、いかに準備すべきか。これらを様々な観点から事前に検討・協議しておくことは必要な手続きだ。むしろ、検討しないことは職務怠慢になろう。

特に、安保法案は、多様な危機が発生した際、日本が迅速かつ切れ目のない対処ができるようにすることを目指している。切れ目を作らないためには、多角的で入念な準備が欠かせない。

共産党などは、「法案内容の先取りであり、国会軽視だ。国民への説明もなく、独走だ」と批判した。自衛隊が暴走しているかのような構図を作りたいようだ。

だが、中谷氏は「法案成立後に行うべき運用要領の策定や訓練の実施は含まれていない」と説明している。資料内容に基本的に問題はないと言える。

社民党は、暴動などに巻き込まれた他国軍や民間人らをPKO参加中の自衛隊が救援する「駆けつけ警護」を安保法案が解禁すること自体が憲法上、問題だと追及した。PKOの現場の実情から乖離かいりした、筋違いの主張である。

政府は従来、憲法が禁じる武力行使になりかねないとして、正当防衛以外の武器使用を禁止してきた。この憲法解釈は、過度に抑制的なうえ、PKOの国際標準からも外れており、自衛隊の効果的な活動を妨げてきた。

実際、民間人からの救援要請を断ることは、人道上も難しいし、自衛隊の信頼も失墜しよう。

無論、新たな任務には自衛官のリスクが伴う。リスクを極小化するため、現時点で可能な検討を着実に進め、法案成立後の訓練などにつなげることが大切である。

産経新聞 2015年08月04日

参院と安保法案 建設的な論戦をとめるな

安全保障関連法案をめぐる参院の審議が今、岐路に立っている。

第1は、日本を取り巻く厳しい安全保障環境を直視し、国と国民を守り抜くにはどのような安保法制が必要かを論じ切る道である。

第2は、数十年前の情勢下でとられた憲法解釈を固守する野党が「戦争法案」とレッテル貼りを重ね、政府が防戦に追われる、衆院で続けられた審議の繰り返しだ。

眼前の危機に対処し、国の守りを全うする措置を論じあうのは、党派を超えて政治が果たすべき役割である。抑止力強化に資する充実した前者の審議を望みたい。

異なる道に入り込みそうなきっかけをつくったのは、礒崎陽輔首相補佐官が関連法案の「法的安定性」を軽視したと受け取られる発言をしたことだ。

礒崎氏は3日の参院特別委員会に参考人招致され、発言が不適切だったとして撤回、陳謝した。野党側は納得せず、補佐官辞任を要求し、安倍晋三首相の任命責任も追及する構えだ。格好の攻撃材料と踏んでいるのだろう。

朝日新聞 2015年06月02日

安保法制国会 縛りを解く法案の危険

新たな安全保障関連法案は、自衛隊の縛りを解くことに主な目的がある。

武力行使ができる唯一の組織である自衛隊には、憲法上、法律上の厳しい縛りがかけられてきた。それらを出来る限り外すのがこの法案の狙いだ。賛否は別としても、そうした認識が議論の土台となるべきだ。

ところが、これまでの衆院特別委員会の審議で目立つのは、「厳しい制約」を強調するあまり、この前提を認めようとしない政府の姿勢だ。前提が確認できなければ、与野党のかみ合った議論は期待できない。

それどころか、政府と与党の間ですら、認識のずれが浮かんでしまう。そんな不毛な現状を示すやりとりが、きのうの委員会であった。

「自衛隊の活動の範囲、内容は確かに増えていく。従ってリスクが増える可能性があるということは事実だ」

自民党の岩屋毅・安全保障調査会副会長はそう述べ、政府側の見解をただした。岩屋氏は与党協議にも参加していた安全保障の論客である。

これに対し中谷防衛相は「隊員のリスクを高めるとは考えていない」と、従来の答弁を繰り返すだけだった。

政府側はこれまでの答弁を撤回し、修正すべきだ。

政府側が自衛隊の安全を強調する背景には、与党協議で公明党が安全確保を求めてきた事情がある。

しかし、十分な対策を講じたと強調しようとするために、かえって自衛隊の縛りを解くという法案の本質を見えにくくしている。

また、他国の戦争に深く関与することで、日本を対象とするテロの可能性も高まる。米軍への後方支援などで日米安保の抑止力が高まり、国民のリスクが下がるという政府側の主張は妥当なのか。

きのうの特別委員会で中谷防衛相は、過激派組織「イスラム国」(IS)に対する国際社会の軍事行動に後方支援することも法律的に可能になるとの見方を示した。

抑止力や軍事バランスだけで平和が保てるほど、現代の世界は単純ではあるまい。ISなどのテロに対して何が有効なのか、それこそ国民の安全を守るという観点からも議論されてしかるべきだ。

政府の答弁は自衛隊のリスクの高まりを認めず、抑止力の効果を説くことに偏っているのではないか。

自衛隊の縛りを解く法案が、平和を築く万能薬ではない。

毎日新聞 2015年06月01日

安保転換を問う 首相の姿勢

安全保障関連法案の国会審議がきょうから始まる。自衛隊の海外での活動が飛躍的に拡大し、戦後日本の安保政策の大転換となる法案である。徹底した議論が必要だ。

そこで注文したい。異論や慎重論に耳を傾けようとしない安倍晋三首相の姿勢をまず改めよ、ということだ。異論を口にするのは「敵」だとばかりに切り捨て、自分の発言は「言論の自由だ」といったような独善的な姿勢のままでは論議が深まるはずがないからだ。

首相はよく「レッテル貼り」との言葉を使う。今回の法案を社民党の福島瑞穂氏が「戦争法案」と批判した途端に首相が「レッテルを貼って議論を矮小(わいしょう)化していくことは甘受できない」と反論したのは記憶に新しい。結局、取り下げたが、自民党は一時、福島氏の発言に対し、議事録修正を求める行動にまで出た。

私たちも「戦争法案」と決めつけるつもりはない。だが、それでは政府が今回、新法を「国際平和支援法案」と命名し、既存10法の改正案を一括して「平和安全法制整備法案」と名付けたのはどうか。これも一方的なイメージを国民に植え付けようとしているだけではないか。

これは今回の本質的な問題でもある。先の党首討論では民主党の岡田克也代表が自衛隊の危険はこれで増すのかどうか、再三ただしたが、首相は明確に答えようとせず、後に中谷元防衛相は「自衛隊員のリスクが増大することはない」と語った。

首相は従来「日本が外国から攻撃を受けた際、米国の若い兵士が命を懸けて日本を守るのが今の日米関係だ」と語ってきた。自衛隊も命を懸ける、あるいはその姿勢を示すことが日米同盟を強固にし、ひいてはそれが戦争の抑止になると首相は考えているのだろう。

だから「今度の法整備で確かに危険は増すが、それを上回る国益がある」と言うのならまだ分かる。都合よくプラス面ばかりを語るのではなく、リスクもきちんと説明し理解を求めるのが首相の責務のはずだ。にもかかわらず「抑止力が高まるから安全だ」と言うだけではあまりにも説得力に欠ける。その一方で「夏までに成立させる」と結論のみを急ぐ。これでは到底賛成できない。

首相は従来とあまり変わらないとも強調しているようだ。ならばなぜ憲法解釈の変更にまで踏み切り、大幅に法制を作り直すのか。同時に首相や自民党は憲法9条を改正し国防軍を設ける目標は変えていない。そんな中で今回の法制をどう位置づけているのか。疑問点は数多くある。

こんな一節を紹介したい。

読売新聞 2015年08月04日

安保法案審議 徴兵制導入は飛躍した議論だ

安全保障関連法案の法的安定性については、冷静かつ理性的に議論することが肝要である。

参院特別委員会で、安保法案について「法的安定性は関係ない」と発言した礒崎陽輔首相補佐官の参考人招致が行われた。礒崎氏は、「審議に多大な迷惑をかけた」と陳謝し、自らの発言を取り消した。

「法的安定性が重要だと認識している。合憲性と法的安定性を前提に、安保環境の変化を十分踏まえる必要がある」とも語った。

民主党の福山哲郎幹事長代理は納得せず、礒崎氏の辞任を求めたが、礒崎氏は辞任を否定した。

安倍政権は、集団的自衛権の憲法解釈の変更において、全面的な行使を認めず、限定容認にとどめるなど、法的安定性の確保を極めて重視してきた。

「存立危機事態」という厳しい要件を設定したのも、最高裁判決などとの整合性を保つためだ。

「礒崎氏の発言は安倍政権の本音」と決めつける民主党の枝野幹事長らの主張は、批判のための批判で、的外れと言うほかない。

従来の政府見解が集団的自衛権の行使を禁じていたのは、過剰に抑制的な憲法解釈を前提とし、全面的行使を想定していたためだ。限定容認や、大量破壊兵器の拡散など安保環境の劇的な変化は考慮されていなかった。

憲法が、日本の存立が脅かされる危機においてさえ、武力行使を禁じているとは考えられない。論理的整合性を維持した憲法解釈変更は、何の問題もあるまい。

一部の野党が主張する将来の徴兵制導入の恐れについて、安倍首相は「憲法18条が禁止する『意に反する苦役』に該当する。首相や政権が代わっても、導入はあり得ない」と明確に否定している。

「集団的自衛権に関する憲法解釈の変更が可能なら、徴兵制の導入もあり得る」とする民主党などの主張は、あまりに論理が飛躍しており、時代錯誤である。

首相は「短期間で隊員が入れ替わる徴兵制では精強な自衛隊が作れない」と指摘し、「集団的自衛権と徴兵制を結びつけることは国際的に非常識だ」と強調した。

集団的自衛権については長年、日米同盟の強化のため行使を可能にすべきだという与野党の議論の積み重ねがあった。対照的に、徴兵制には、禁止を継続すべきだとの共通認識が存在する。両者の違いは歴然としている。

民主党は、いたずらに国民の不安をあおり、法案への反対論を広げようとする狙いが明らかだ。

産経新聞 2015年05月30日

安保法制の審議 抑止力そぐ議論に陥るな

衆院平和安全法制特別委員会で始まった安全保障法制論議が、かえって抑止力を損なう方向に陥る懸念を指摘したい。

とくに、防衛政策の手足を縛ってきた「専守防衛」の概念に拘泥し、自衛権行使にどれだけ多くの制約を設けるかに終始するような議論は排すべきだ。

日米同盟の信頼性を高め、抑止力を強めるのは、厳しい安全保障環境の中で平和を守り抜くためにそれが不可欠だからだ。必要な法制を整え、自衛隊の活動範囲をどのように広げていくかを、もっと具体的に論じてもらいたい。

野党の多くは、集団的自衛権に基づき自衛隊が他国の領域で武力を行使することを「専守防衛に反する」などと指摘し、法制の整備を阻止しようとしている。

これまで個別的自衛権の行使しか認めてこなかった現行法制の下でも、他に選択肢がなければ、自衛隊が外国領域内の弾道ミサイル発射基地を攻撃することは合憲と解釈されてきた。「座して死を待つ」ことを望む法制などあり得ないからだ。集団的自衛権の行使でも、他国領域での武力行使を直ちに排除する理由はなかろう。

関連法案が成立すれば、日本の防衛に命をかけてあたる米軍将兵を、自衛隊が助けられる。それは、日米同盟の結束を強める。

平和と安定を脅かそうとする国に、手ごわい相手だと思わせることが、挑発的な行動を控えさせる。衝突を未然に防ぐ効果を持つ抑止力だ。

集団的自衛権を行使する範囲を法制上、極めて小さなものに狭めるより、相手の目に日米同盟がより大きなものに映るようにしておく観点からの議論も必要だ。

安倍晋三首相は「軍事力を増強している国がある。南シナ海や東シナ海で起きていることの中で軍事バランスを保ち、平和と安定を維持し抑止力を利かせていく」と強調した。軍事的な挑発を重ねる中国を念頭に、同盟の抑止力強化を図るのは当然のことである。

野党側は自衛隊員が負うリスクをことさら強調し、「戦争に巻き込まれる」と危険を説く。安保政策を大きく転換する議論の中で、平和のために自衛隊をどう活用するかをもっと語るべきだ。

国を守る意志の乏しい論戦では、他国の挑発行動をさらに誘発するリスクを生じかねないことも考えなければならない。

朝日新聞 2015年05月29日

安保法制国会 「専守防衛」が変質する

これまでと何も変わらない。専守防衛も、平和主義も、自衛隊のリスクも――。

新たな安全保障法制をめぐる安倍首相ら政府側の答弁はそういう主張に聞こえる。

そんなはずはあるまい。

たとえば専守防衛。きのうの衆院特別委員会で安倍首相は、その定義について「いささかの変更もない」と断言したが、極めて乱暴な答弁だ。

防衛白書によると、専守防衛は「相手から武力攻撃を受けたときにはじめて防衛力を行使するなど憲法の精神にのっとった受動的な防衛戦略の姿勢」である。普通の人がこれを素直に読めば、武力行使ができるのは日本が直接攻撃を受けたとき、という意味になるはずだ。

安倍政権は昨年7月の閣議決定で、憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認に踏み切った。国の存立が脅かされるなど新3要件にあてはまれば、他国への攻撃でも武力行使ができるようになる。日本の安全保障政策の大転換である。

たとえ今回の集団的自衛権の目的が「他国の防衛」でなく、「日本の防衛」だとしても、そのきっかけは、やはり他国への攻撃ではないか。それを踏まえれば、少なくとも専守防衛は変質すると言うべきだ。

政府が「不変」を強弁するのは、憲法改正を避けながら、集団的自衛権の行使容認をめざしているためだろう。憲法解釈の変更で済ませるには、安全保障政策の根幹は変わっていないと言わざるをえない。

積極的平和主義のスローガンを掲げ、あくまで平和主義の継続を言い募るのも、同じような事情が見え隠れする。

しかし、これほどの政策転換をこうした粗雑な理屈で通すのは無理がある。このままでは、国会答弁や政治家の言葉の重みが失われてしまう。

集団的自衛権の範囲や内容をめぐっても、安倍首相は限定的であることを強調しながら、「一般に」「例外として」「現在は」などを乱発し、将来の変化に含みを持たせている。結果として「例外」は拡大し、政府の裁量に委ねるしかない状況に陥りかねない。

国会がこんな政府の無理押しを問題にするのは当然だろう。

きのうの審議では誰もがあぜんとするような場面があった。自衛隊のリスクについて問いただそうとした民主党の辻元清美氏に、安倍首相が「早く質問しろよ」とヤジを飛ばしたのだ。

その後、首相は謝罪したが、真摯(しんし)な議論を妨げるような行為にあきれるばかりである。

毎日新聞 2015年05月31日

安保転換を問う 首相の姿勢

安全保障関連法案の国会審議がきょうから始まる。自衛隊の海外での活動が飛躍的に拡大し、戦後日本の安保政策の大転換となる法案である。徹底した議論が必要だ。

そこで注文したい。異論や慎重論に耳を傾けようとしない安倍晋三首相の姿勢をまず改めよ、ということだ。異論を口にするのは「敵」だとばかりに切り捨て、自分の発言は「言論の自由だ」といったような独善的な姿勢のままでは論議が深まるはずがないからだ。

首相はよく「レッテル貼り」との言葉を使う。今回の法案を社民党の福島瑞穂氏が「戦争法案」と批判した途端に首相が「レッテルを貼って議論を矮小(わいしょう)化していくことは甘受できない」と反論したのは記憶に新しい。結局、取り下げたが、自民党は一時、福島氏の発言に対し、議事録修正を求める行動にまで出た。

私たちも「戦争法案」と決めつけるつもりはない。だが、それでは政府が今回、新法を「国際平和支援法案」と命名し、既存10法の改正案を一括して「平和安全法制整備法案」と名付けたのはどうか。これも一方的なイメージを国民に植え付けようとしているだけではないか。

これは今回の本質的な問題でもある。先の党首討論では民主党の岡田克也代表が自衛隊の危険はこれで増すのかどうか、再三ただしたが、首相は明確に答えようとせず、後に中谷元防衛相は「自衛隊員のリスクが増大することはない」と語った。

首相は従来「日本が外国から攻撃を受けた際、米国の若い兵士が命を懸けて日本を守るのが今の日米関係だ」と語ってきた。自衛隊も命を懸ける、あるいはその姿勢を示すことが日米同盟を強固にし、ひいてはそれが戦争の抑止になると首相は考えているのだろう。

だから「今度の法整備で確かに危険は増すが、それを上回る国益がある」と言うのならまだ分かる。都合よくプラス面ばかりを語るのではなく、リスクもきちんと説明し理解を求めるのが首相の責務のはずだ。にもかかわらず「抑止力が高まるから安全だ」と言うだけではあまりにも説得力に欠ける。その一方で「夏までに成立させる」と結論のみを急ぐ。これでは到底賛成できない。

首相は従来とあまり変わらないとも強調しているようだ。ならばなぜ憲法解釈の変更にまで踏み切り、大幅に法制を作り直すのか。同時に首相や自民党は憲法9条を改正し国防軍を設ける目標は変えていない。そんな中で今回の法制をどう位置づけているのか。疑問点は数多くある。

こんな一節を紹介したい。

読売新聞 2015年06月11日

集団的自衛権 脅威を直視した議論が大切だ

日本の平和を確保するには、憲法との整合性を前提として、現実の脅威や安全保障環境を直視した議論が大切である。

政府は、集団的自衛権の限定行使を容認する安保関連法案について、「従前の憲法解釈との論理的整合性が十分に保たれている」とする見解を発表した。

1959年の最高裁の砂川事件判決は、日本の存立を全うするための自衛措置を可能とした。72年の政府見解は、国民の権利を守るための武力行使を認めた。今回の政府見解は、一連の「基本的な論理」が維持されると指摘した。

一方で、日本の安保環境の根本的な変容を理由に、他国に対する第三国の攻撃でも「我が国の存立を脅かすことも起こり得る」とし、自衛の措置としての集団的自衛権の限定行使を容認している。

妥当な内容である。日本を取り巻く関係国のパワーバランスの変化や、軍事技術の革新的な進展、大量破壊兵器の拡散などによって他国への攻撃が日本の安全を脅かすシナリオは十分あり得る。

朝鮮半島有事が日本に波及する場合、弾道ミサイルや大量破壊兵器がなかった時代と比べて、今はその脅威が格段に増している。

そもそも国民の権利が根底から覆される明白な危険がある「存立危機事態」に日本が陥った場合、自衛隊を動かさず、傍観しているだけで良いはずがあるまい。

事態がより危機的な状況に発展する前に、早期収拾を図ることは合理的な対応でもある。

疑問なのは、法案を憲法違反と明言する憲法学者の尻馬に乗るように、解釈変更による集団的自衛権の行使容認を「違憲」とする声が民主党内に出てきたことだ。

民主党は4月にまとめた党見解で、「安倍政権が進める集団的自衛権の行使は容認しない」として、将来の行使容認に含みを残していたのではなかったのか。

自民党の高村正彦副総裁が「憲法学者の言うことを無批判にうのみにする政治家」を批判しているのは、理解できる。

憲法学界では、自衛隊についても、伝統的な解釈に沿って「憲法が保持を禁じる『戦力』に該当する」などと主張する向きが少なくない。現実の政治との乖離かいりが指摘されるゆえんである。

中国の軍備増強や海洋進出、北朝鮮の核・ミサイル開発などを踏まえれば、憲法の範囲内で自衛隊の役割を拡大し、日米同盟と国際連携を強化して抑止力を高めるのは当然だ。国会でも、そうした観点の論議を展開してほしい。

産経新聞 2015年05月27日

安保法審議入り 国民守り抜く論戦深めよ

日本や日本国民を守り抜くために何が必要か。そこに重きを置いた論戦こそ聞きたい。

集団的自衛権の限定行使の容認を柱とする安保関連法案の審議が衆院で始まり、安倍晋三首相は「分かりやすく丁寧な説明を心掛け、今国会における確実な成立を期す」と語った。

激変する日本の安全保障環境を考えれば、抑止力の強化を図る関連法案の成立は急務である。

野党側は安保法制見直しへの国民の理解が深まっていないとみて、「戦争に巻き込まれる」といったレッテル貼りをする。

だが、安全保障の議論を矮小(わいしょう)化する姿勢では、国民の安全と平穏な生活を守る政治の責任を果たすことにならない。

国会審議で、政府はとくに2つの点を国民に伝えてほしい。

1つは、政策の転換を迫る安保環境の激変だ。首相が本会議で「中国の台頭と東シナ海、南シナ海における活動」に言及したことに注目したい。

軍事力を背景に、尖閣諸島の奪取をねらい、南シナ海で岩礁の軍事基地化を強行する中国の動きに目をそむけてはならない。

次いで、関連法案の成立がもたらす効果をより丁寧に説明する必要がある。

自衛隊の活動範囲が広がれば、リスクが増すという点を野党側は強調するが、実際には日米同盟の抑止力が強化されることにより、かえって平和が保たれる。

首相は「日本が攻撃されるリスクはいっそう下がる」という言葉で説明した。「備えあれば憂いなし」の側面が大きいことを分かりやすく国民に語るべきだ。

首相はまた、「日本有事はいうに及ばず、海外派遣など従来の任務も、命がけで自衛隊員は限界に近いリスクを負っている。新たな任務も命がけだ」と明言した。

リスクはあるが、誰かがやらなければならない任務があるからこそ、高度に訓練された自衛隊が出動する。

当たり前のことであり、一部野党がその是非ばかりに焦点をあてるのはおかしい。今後は政府側も批判を恐れ、ことさらリスクがないと強調すべきでない。

野党側には、日米同盟の抑止力向上の問題意識が希薄だ。米軍艦船が日本を守る警戒監視の活動中に攻撃されても助けないのか。明確な態度を示してほしい。

朝日新聞 2015年05月28日

安保法制国会 リスクを語らぬ不誠実

新たな安全保障法制の整備によって、海外に派遣された自衛隊員の危険が増すのではないか――。野党側の追及に対して、政府側は「リスクの増大」を明言しようとしない。

安保法制を審議する衆院の特別委員会がきのう始まったが、論議がかみ合わない。原因はもっぱら、安倍首相や中谷防衛相らの不明確な答弁にある。

法案がめざすところでは、自衛隊員の派遣先は世界規模となり、任務の幅も広がる。自衛隊の他国軍への後方支援はこれまで「非戦闘地域」に限られていたが、法案では「現に戦闘の行われていない地域」に広げている。派遣地域の治安を守るための巡回、検問など新たな任務も加わる。

自衛隊員のリスクが高まるのは明らかであり、そのことを前提としなければ、およそ現実味に欠ける。このままでは論戦自体が成り立たない。

賛否いずれの立場をとるにせよ、特別委員会はそれを判断するために議論を尽くす場である。政府はその材料をきちんと提供しなければならない。

リスク論争で焦点となっているのが、他国軍への弾薬の補給などの後方支援である。中谷氏は「安全が確保された所に補給基地があって支援するので、前線から離れている」と説明するが、具体的にどの程度の距離を想定しているのか。政府は一定の目安を示すべきだ。

補給基地やそこに至るルートは、攻撃の対象となりえる。中谷氏は「戦闘現場は動く」とも説明しており、当然リスクはある。戦闘現場になりそうな場合は休止、中断し、武器を使って反撃しながらの支援継続はしないと説明するが、休止の判断は的確になされるか、それで本当に安全が確保されるのか。

安倍首相はまた、法整備によって「日本の抑止力が高まり、国民のリスクが下がる」とも主張している。だが、抑止力が万能であるかのような説明は大いに疑問だ。

たしかに日米安保の強化は全体的な抑止力につながるかもしれないが、それで国民のリスクが下がるかどうかは別問題だ。たとえば、テロリストに対して抑止力は意味をなさない。踏み込んだ後方支援で日本の立場が鮮明になればかえってテロの危険性が高まる恐れもある。

その意味で、問題は自衛隊員にとどまらず、国民全体にかかわる。政権はその説明を避けたまま、海外の紛争への関与を強める大転換を図ろうとしている。リスクを語らぬ姿勢は不誠実と言わざるをえない。

毎日新聞 2015年05月30日

安保転換を問う 集団的自衛権

専守防衛は、憲法の平和主義の精神にのっとり、戦後日本が維持してきた防衛政策の基本姿勢だ。日本が直接攻撃されていないのに他国への攻撃に反撃する集団的自衛権の行使は、そもそも専守防衛に反する。

しかし安倍政権は、安全保障関連法案の国会審議で、集団的自衛権の行使によっても「専守防衛の考え方は全く変わりがない」(安倍晋三首相)と繰り返した。

政府は、専守防衛について「相手から武力攻撃を受けたときに初めて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限にとどめ、また、保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限るなど、憲法の精神にのっとった受動的な防衛戦略の姿勢」と定義している。

専守防衛のもと自衛隊は、大陸間弾道ミサイル、長距離戦略爆撃機、攻撃型空母などの攻撃的兵器を保有することは認められていない。

審議では、専守防衛は「相手から武力攻撃を受けたときに初めて」防衛力を行使すると明確に定義されているのに、集団的自衛権は日本が武力攻撃を受けていない状態で武力を行使するのだから、専守防衛ではないのではないか、定義を変えるべきではないかとの趣旨の質問が出た。

この疑問に政府は「武力攻撃を受けた」国というのは、日本に限らず、日本と密接な関係にある他国も含まれるという新解釈を打ち出した。

しかも、集団的自衛権を巡る憲法解釈変更の基本論理となった1972年の政府見解にさかのぼって、もともとそう解釈されるのだという。

72年見解は「外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態」に対処するための自衛の措置を認めている。

政府の説明では「外国の武力攻撃」とは、日本への攻撃に限らず、日本と密接な関係にある他国への攻撃も含まれるという。横畠裕介内閣法制局長官が答弁し、安倍首相も追認した。明らかなこじつけである。

政府内でも、専守防衛の定義を変えるべきか悩みはあったようだ。だが、変更しないという政治判断をした。集団的自衛権が専守防衛を逸脱していると認めれば、憲法解釈の変更ではすまなくなるからだろう。だから新3要件を満たした集団的自衛権の行使も、専守防衛の範囲内だという無理な理屈を作り上げた。

民主党の長妻昭代表代行は「定義を変えたとはっきり言うべきだ」と批判し、維新の党の松野頼久代表も「専守防衛からずれてきている」と指摘した。政府は正直な議論に立ち返るべきだ。

読売新聞 2015年06月03日

安保法案審議 過剰な制約で「切れ目」作るな

法律では、できるだけ幅広い選択肢を確保しておく。実際の部隊運用は、安全性の確保や国際情勢を考慮し、慎重かつ抑制的に実施する――。これが安全保障の要諦である。

与野党は、そのことを念頭に置き、安保関連法案の審議で現実的な議論を深めてもらいたい。

安倍首相は、自衛隊による他国軍への後方支援が可能になる「重要影響事態」の地理的範囲として中東やインド洋を例示した。

政府は本来、現行の「周辺事態」も「地理的概念ではない」として、日本周辺以外の有事も該当する可能性があるとの立場だった。

だが、当時の小渕首相が「中東やインド洋では想定されない」と答弁したため、地理的制約があるとの解釈が広がってしまった。

資源が乏しい日本にとって、海上交通路(シーレーン)の安全が確保できない場合、経済だけでなく安全保障上の影響も受ける。

今回、中東などでの危機発生時における後方支援が可能なことを明確化したのは適切である。

一方で、気がかりなのは、他国領域での集団的自衛権の行使に関して、「ホルムズ海峡(での機雷掃海)以外は想定されない」とする安倍首相答弁だ。首相の国会答弁は重いだけに、自衛隊の活動への過度な足かせにならないか。

集団的自衛権は、日本周辺での米艦防護や、米国を狙った弾道ミサイルの防衛も対象とする。

首相は、他国領域での米艦防護について「相当慎重に考えないといけない」と語った。敵のミサイル基地攻撃についても、「法理上はあり得る」としつつ、「(必要な)装備体系を保有していない」と否定的な考えを示している。

どちらの選択肢も完全には排除していないが、「ホルムズ海峡以外は想定されない」との答弁だけが独り歩きする恐れがある。

例えば、韓国領海で米軍艦船が攻撃された際、近くの公海に海上自衛隊艦船がいる。韓国から領海内での活動に同意され、海自が米軍を支援する。そんな事例が将来もない、とは言い切れまい。

自衛隊への過剰な縛りは、事態対処の切れ目をなくすはずの法制に新たな「切れ目」を作り、実効性や抑止力を損ないかねない。

憲法・法律上は可能な自衛隊の活動でも、政策判断で実施しないことは当然、あり得よう。

だが、自衛隊は、他国の軍隊と違って、法律の定める行動しかできない抑制的な組織だ。今回の法案以上の歯止めをかけることには極力、慎重であるべきだろう。

産経新聞 2015年05月15日

安全保障法制 国守れぬ欠陥正すときだ 日米同盟の抑止力強化を急げ

安全保障関連法案の閣議決定後の会見で、安倍晋三首相は「時代の変化から目を背け、立ち止まるのはもうやめよう」と語った。

日本は国民の命と平和な暮らしを守りきれるかどうかの岐路に立っている。現状では日本国民を救う活動を行う米軍が攻撃を受けても、助けることができない。

法制上の欠陥を、これ以上放置しておくことはできないという首相の認識は極めて妥当である。

日本を取り巻く安全保障環境は著しく悪化している。首相は北朝鮮の弾道ミサイルや核兵器の搭載への懸念をはじめ、多数の国籍不明機の接近も率直に指摘した。

≪時代の変化に向き合え≫

抑止力を高めるため、集団的自衛権の限定行使容認をはじめ、自衛隊の役割を拡大する根拠となる法制の整備が不可欠である。

政府与党は国会審議を通じてその必要性を丁寧に説明し、国民の理解を深めながら、関連法案の成立を図ってもらいたい。

首相は会見で、平和のための外交努力を続ける一方で、「万が一への備え」の必要性を訴えた。

日本周辺での警戒すべき動きに加え、国際社会で日本人が相次いでテロの犠牲となってきた「厳しい現実」への対応を国家としてとらなければならないという判断からだろう。

とくに抑止力強化に欠かせないのは、同盟国である米国などとの協力強化であり、集団的自衛権の行使容認の主眼もそこにある。

すでに日米合意した新しい「防衛協力の指針」(ガイドライン)が高い機能を発揮するよう、法整備を急ぐ必要がある。

首相は日本近海で米軍が攻撃を受ける状況について「人ごとではなく、私たち自身の危機だ」と位置付けた。

この状況は、他に適当な手段がなく、必要最小限度にとどめることと併せ、武力行使の3要件と位置付けられている。国は国民の生命を守る責務を果たさなければならない。危機への対処をためらうことは許されない。

首相が強調したのは、反対勢力が安保法制に「戦争法案」などとレッテルを貼り、戦争に巻き込まれるという主張の誤りだ。集団的自衛権の行使容認による同盟の強化は、近隣諸国の挑発的行動にすきを与えないことにつながり、紛争を予防する効果を生む。

関連法案も、集団的自衛権の行使容認について、「わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」が発生した場合で、「わが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態」だけに限っている。

国民を守るための行使であり、それを民主的に選ばれた政府が判断し、国会承認も必要とする。戦争に巻き込まれるといった議論は的はずれだ。

≪制約より活用の議論を≫

国会審議で野党側に注文したいのは、安保法制への政府の取り組みそのものを否定し、放置された問題点がないというような反対論に終始するのはやめてもらいたいということだ。

歯止めをかけることが自己目的化するような議論も避けたい。そのために、自衛隊の行動が妨げられるのは本末転倒である。世界の情勢を論じ、自衛隊をどう活用すれば日本と世界の安全が高まるかを話し合うという視点こそ、求められていよう。

民主党が「安倍政権が進める集団的自衛権の行使」との限定をつけて容認しないというのは理解に苦しむ。将来的な容認の余地を残しているつもりであれば、どのような条件なら行使が可能となるのか、代案を示しながら議論に臨むべきだ。

有事に至る前のグレーゾーン事態をめぐり、領域警備法の制定を唱えているのは一部評価できる。さらに視野を広げ、集団的自衛権を含め日米の絆を強めることが、同盟の抑止力をいかに高めるかを論じあってほしい。

民主党などが「政府は国民の意見を聞かず勝手にやっている」と批判するのは、反対のための反対としか言えない。

昨年7月の閣議決定から同年12月の衆院選の論戦を経て、法案づくりの与党協議は正式なものだけで25回を数えた。国会での質疑も事実上、行われた。

手続きの瑕疵(かし)ばかり言うのは、時代の変化に目を背けることにほかならない。

朝日新聞 2015年05月15日

安保法制、国会へ この一線を越えさせるな

安倍内閣は新たな安全保障政策の関連法案を閣議決定した。きょう国会に提出する。

安倍首相は先月の米議会での演説で、この安全保障法制について「戦後初めての大改革だ。この夏までに成就させる」と約束した。

だが、その通りに成就させるわけにはいかない。

集団的自衛権の行使を認めた昨年7月の閣議決定は、憲法改正手続きを素通りした実質的な9条改正である。

法案の成立は行政府の恣意(しい)的な解釈改憲を立法府が正当化し、集団的自衛権の実際の行使へと道を開くことになる。

そうなれば、もう簡単には後戻りできない。この一線を越えてはならない。

一連の法整備を前提とした「日米防衛協力のための指針」の改定を、ケリー米国務長官は「歴史的転換」と評価した。

思い起こしてみよう。首相は昨年5月の記者会見で、母子が描かれたパネルを見せながら邦人輸送中の米艦船を自衛隊が守ることの必要性を訴えた。

ところが、新たな指針はそんな事例をはるかに飛び越え、自衛隊が米軍の活動を世界規模で補完する可能性を示している。自らの軍事負担を軽くしたい米国が歓迎するのは当然だ。

この歴史に残る大転換の是非を、日本の国会も国民もまだ問われてはいない。

法案の内容は多岐にわたるが、その起点となったのは9条の政府解釈を変更した昨年7月の閣議決定だ。

それまで政府は9条のもとでは集団的自衛権の行使は認められず、認めるには憲法改正が必要だとしてきた。

自衛隊が合憲とされてきたのは、「自衛のための必要最小限度の実力」であると解釈されてきたからだ。だが、限定的であろうと集団的自衛権で他国を防衛できるとなれば、必要最小限度の範囲を逸脱してしまう。

集団的自衛権の容認は、米軍からの様々な要請を断ってきた憲法上の根拠を自ら捨て去ることにもなる。

米軍などに弾薬を提供し、航空機に給油する。「後方支援」とはいっても、実態は軍需補給の「兵站(へいたん)」だ。米軍などと戦う相手から見れば、自衛隊は攻撃すべき対象となる。

自衛隊が、世界中で米軍の活動に組み込まれる。そして、米国と一緒になって戦う国と見なされる――。これは、様々な曲折をへながらも築いてきた憲法9条に基づく平和国家としてのありようの根本的な変質だ。幅広い議論と国民合意がなければ、なしえないものである。

周辺の安全保障環境が厳しくなるなかで、本当に日本の平和と国民の安全に必要だというのなら、安倍首相はそのための憲法改正を国会に働きかけ、国民投票で是非を問わねばならなかったはずだ。

安保政策の急転換は、集団的自衛権だけではない。

これまで自衛隊が他国軍の後方支援をする場所は、「非戦闘地域」に限られていた。新たな法案ではその概念はなくなり、自衛隊が活動できる場所は他国軍の戦闘現場にぐっと近づくことになる。しかも、その場所は日本周辺に限らず地球規模で想定されている。危険を背負うのは現場の自衛隊員である。

新たな法制は、集団的自衛権の行使を認める武力攻撃事態法など10の法律の一括改正案と、海外で他国軍を後方支援する国際平和支援法案からなる。

このなかには、米軍の世界戦略とは関係なく、日本の国際貢献という面から審議しなければならないテーマも含まれる。

国連平和維持活動(PKO)や人道支援などでの日本の活動のあり方は積極的に議論されてしかるべきだ。政府案に丸ごと賛成というわけではないが、自衛隊が実績を重ねてきたなかで見直すべき点があるのなら修正し、さらなる貢献につなげればいい。

このほか、警察や海上保安庁では手に負えない武力攻撃一歩手前の「グレーゾーン事態」への対処も、もっと議論が必要だろう。

11法案の一本一本が十分な時間をかけて審議されるべき重い内容を持つ。いっしょくたに審議していまの国会でまとめて成立させようという政府・与党の方針は乱暴すぎる。

安倍政権は一連の法案を成立させてしまえば、民主主義国として正しい手続きを踏んだというだろう。内閣が政策実現のため憲法を実質的に改めてしまう立憲主義の逆立ちに、国会がお墨付きを与えることになる。それは立法府の自殺行為だ。

極めて重要な国会論戦になる。採決に向けてただ時間を費やすだけの審議は許されない。

与野党の議員に求めたい。

政権ではなく国民の声を聞くことを。すべての国民の代表にふさわしい判断を下すことを。

毎日新聞 2015年05月30日

安保転換を問う 首相の姿勢

安全保障関連法案の国会審議がきょうから始まる。自衛隊の海外での活動が飛躍的に拡大し、戦後日本の安保政策の大転換となる法案である。徹底した議論が必要だ。

そこで注文したい。異論や慎重論に耳を傾けようとしない安倍晋三首相の姿勢をまず改めよ、ということだ。異論を口にするのは「敵」だとばかりに切り捨て、自分の発言は「言論の自由だ」といったような独善的な姿勢のままでは論議が深まるはずがないからだ。

首相はよく「レッテル貼り」との言葉を使う。今回の法案を社民党の福島瑞穂氏が「戦争法案」と批判した途端に首相が「レッテルを貼って議論を矮小(わいしょう)化していくことは甘受できない」と反論したのは記憶に新しい。結局、取り下げたが、自民党は一時、福島氏の発言に対し、議事録修正を求める行動にまで出た。

私たちも「戦争法案」と決めつけるつもりはない。だが、それでは政府が今回、新法を「国際平和支援法案」と命名し、既存10法の改正案を一括して「平和安全法制整備法案」と名付けたのはどうか。これも一方的なイメージを国民に植え付けようとしているだけではないか。

これは今回の本質的な問題でもある。先の党首討論では民主党の岡田克也代表が自衛隊の危険はこれで増すのかどうか、再三ただしたが、首相は明確に答えようとせず、後に中谷元防衛相は「自衛隊員のリスクが増大することはない」と語った。

首相は従来「日本が外国から攻撃を受けた際、米国の若い兵士が命を懸けて日本を守るのが今の日米関係だ」と語ってきた。自衛隊も命を懸ける、あるいはその姿勢を示すことが日米同盟を強固にし、ひいてはそれが戦争の抑止になると首相は考えているのだろう。

だから「今度の法整備で確かに危険は増すが、それを上回る国益がある」と言うのならまだ分かる。都合よくプラス面ばかりを語るのではなく、リスクもきちんと説明し理解を求めるのが首相の責務のはずだ。にもかかわらず「抑止力が高まるから安全だ」と言うだけではあまりにも説得力に欠ける。その一方で「夏までに成立させる」と結論のみを急ぐ。これでは到底賛成できない。

首相は従来とあまり変わらないとも強調しているようだ。ならばなぜ憲法解釈の変更にまで踏み切り、大幅に法制を作り直すのか。同時に首相や自民党は憲法9条を改正し国防軍を設ける目標は変えていない。そんな中で今回の法制をどう位置づけているのか。疑問点は数多くある。

こんな一節を紹介したい。

読売新聞 2015年05月30日

安保法案審議 専守防衛の本質は変わらない

安全保障関連法案を巡る衆院特別委員会の審議が本格化している。与野党は、いかに日本と世界の安全を維持するかという観点から、建設的な議論を展開してもらいたい。

安倍首相は、集団的自衛権の行使の限定容認に関して「専守防衛の考え方は全く変わらない。新3要件で許容される武力行使はあくまで自衛の措置だ」と語った。

集団的自衛権の行使が可能なのは、日本の存立が脅かされ、国民の権利が根底から覆される明白な危険があるケースに限られる。

さらに、政府は、「国民の生死にかかわるような深刻、重大な影響」の有無などを総合評価し、行使の可否を判断する方針だ。相当、厳格な歯止めがかかっている。

世界平和のための自衛隊の活動も、後方支援や人道復興支援に限定され、武力行使は含まれない。憲法の精神に基づく専守防衛の原則は堅持される、と言えよう。

民主党の岡田代表などは、自衛隊の活動の拡大に伴い、自衛隊員のリスクが高まると主張した。

首相は、「切れ目のない法制と日米同盟の強化で抑止力が高まれば、日本が攻撃を受けるリスクが下がる」と反論した。

野党は、自衛隊員のリスクばかりを強調するが、安全保障環境の悪化による日本人全体のリスクも冷静に直視する必要がある。

集団的自衛権の行使容認や、有事に至らないグレーゾーン事態での米艦防護は、切れ目のない日米共同対処を可能にする。日本が「守るに値する国」との認識を米国に広めることが、抑止力を高め、日本人全体のリスクを下げる。

自衛隊の海外派遣について、首相は3項目の判断基準を示した。「紛争解決の外交努力を尽くす」「日本が主体的に判断する」「自衛隊の能力、装備、経験にふさわしい役割を果たす」である。

法律上、自衛隊が可能な任務が拡大しても、実際に派遣するかどうかは、政府が、自衛隊の能力などを勘案し、慎重に判断するのは当然である。

首相が、過激派組織「イスラム国」と戦う有志連合に自衛隊を参加させない、と明言しているのも、一つの政治判断だろう。

野党は、基準があいまいで活動が広がりすぎる、などと批判する。だが、どのような国際情勢の下、どんな危機が発生するかを事前に網羅的に想定するのは困難だ。

国会の承認を前提に、政府に一定の裁量範囲を与えなければ、自衛隊が柔軟かつ効果的な活動をすることはできない。

産経新聞 2015年04月22日

与党安保協議 支障来す「歯止め」は排せ

「歯止め」を設けることが目的化し、自衛隊の機能をいかに活用するかという肝心の視点を軽んじている。そうした印象が拭えない。

国際紛争に対処する他国軍を後方支援するための自衛隊の海外派遣について、自民、公明両党が事前の国会承認を「例外なし」で必要とする案で合意したことだ。

例外なき事前承認は、過剰な制約といえる。場合によっては弊害をもたらす。事前承認の原則を置くのは良いが、緊急時には事後承認を認めるべきである。政府・与党には再考を求めたい。

事前承認の規定は、海外派遣を随時可能にする恒久法「国際平和支援法案」に置くものだ。

国際平和支援法案が定める自衛隊の後方支援は、武力行使を伴わないとはいえ、国際的にみれば軍事行動の一種である。安全保障や軍事の分野では、想定外の緊急事態が起きやすい。

だからこそ、自衛隊にその能力の発揮が期待されている。自衛隊に対し、機動的かつ柔軟に動けるような余地を制度的に設けておくのは当然必要といえよう。政府自民党が、緊急時の事後承認を認めるよう主張していたのも、そのためだろう。

今回の与党合意に基づけば、派遣中の自衛隊が、事態の急変などに伴い、基本計画外の支援を求められても対応できない。

初動が遅れ、一緒に活動する他国の部隊や、活動する地域の市民の危険が増すなど、取り返しのつかない事態が生じることはないと、言い切れるだろうか。

公明党は、例外なき事前承認となった理由の一つとして、「政府から事後承認を認めるべき事例の説明がなかった」としている。

与党協議が統一地方選の期間と重なり、平和路線を重視する公明党としては「歯止め」を強調したかった面は大きいだろう。

政府自民党は、日米防衛協力の指針(ガイドライン)改定や日米首脳会談を控え、与党内の大筋合意を急ぐことを迫られていた。

だからといって、安全保障上、欠くことのできない点に目をつむり、政治的妥協を図った末の合意であるなら、極めて問題だ。

安倍晋三首相は、あらゆる事態に「切れ目のない」対応をとるとうたってきた。法の不備で生じる負担を自衛隊に強いるような合意は、やり直しを命じるべきだ。

朝日新聞 2015年05月12日

安保法制の与党合意 戦後日本の危うい岐路

自民、公明両党がきのうの与党協議で、安全保障法制を構成する関連法案について正式に合意した。

新法の「国際平和支援法」と、改正法10本を束ねる「平和安全法制整備法」の二本立て。いずれも名称に「平和」を掲げてはいるが、その内実は、憲法が定める平和主義を踏み外すものだと言わざるをえない。

海外で武力行使をしない原則が、日本の平和主義を支えてきた。自衛隊の海外派遣には厳しい制約をもうけ、海外の紛争から一定の距離を置いてきた。

そのことの意味を改めて、深く考えるべきである。

戦後70年。日本は平和を享受してきたが、この間、世界が平和だったわけではない。

朝鮮戦争があり、ベトナム戦争があり、湾岸戦争やイラク戦争もあった。日本がそこで武力行使をすることはなかった。

いったん武力行使に参画すれば、戦争終結後も長期にわたって地域の安定に責任を負わなければならない。戦ったらそれで終わり、ではない。

ひとつの政権が踏み切った武力行使が、その後、どれだけ重い「負債」を国内外にもたらすのか。イラク戦争後、中東の安定化に苦しむ米国の姿をみれば明らかだ。

安倍政権が日本を導こうとしているのは、そういう世界にほかならない。残念ながら、その重みを日本の為政者が理解しているようには見えない。

政権は昨年7月の閣議決定で憲法解釈の変更に踏み切り、集団的自衛権の行使の容認に転じた。今回の広範な安保法制は、そこが発端となった。

日本の存立が脅かされることなど新3要件の限定をつけたとはいえ、最終的には、自衛隊が海外で武力行使する可能性を認めたのだ。このことによって、日本の安保政策の前提は一変する。法案が成立すれば、自衛隊の活動範囲も、装備も訓練も、それらの裏付けとなる防衛費のあり方も、大きな変貌(へんぼう)を遂げることになろう。

法案の内容は多岐にわたり、複雑でわかりにくい。しかも、戦後の国家像を描き直すような巨大法案である。憲法改正に匹敵するような改変なのに、その手続きを経ずして戦後日本の歩みを踏み外し、世界規模で米軍の肩代わりを担おうとしている。このような法案を一括で審議し、与党の数の力で押し通すのは許されることではない。

安保法制が必要な理由として中国の脅威が挙げられている。たしかに一定の抑止力は必要だが、力による対抗を強めることがどれだけ地域の平和と安定につながるのか、詳細な検討を要する。尖閣諸島などの紛争の回避のための外交努力が尽くされた形跡もない。

「戦後初めての大改革です。この夏までに成就させます」

安倍首相は先月末の米議会での演説で、今国会中の法案成立を誓った。日本で国会審議も始まっていないうちに対米公約をするのは倒錯も甚だしい。

同盟国に負担の共有を求める米国と、それに応じることで中国に対抗したい日本。そんな構図のなかに、この法案はある。

だが一皮めくれば、日米の認識のずれが見えてくる。

新たな日米防衛協力のための指針(ガイドライン)にある離島防衛の記述が典型的だ。

攻撃を排除するための作戦は「自衛隊が主体的に実施」とされ、米軍の関与は「自衛隊の作戦を支援し補完する」と控えめな表現にとどめている。

これは旧ガイドラインの表現から一歩も踏み込んでいない。たとえば尖閣で主体的に戦うのはあくまで自衛隊という位置づけが明確になっている。

一方で米側は世界規模の日本の支援に期待を高めている。

この先、米軍の後方支援や治安維持活動でも、より一層危険な任務が求められるだろう。逆に要請を断って空手形に終われば、かえって日米の信頼を損なう恐れも出てくる。

安倍首相はどんな日本の将来像を思い描いているのか。その一端がうかがえるスピーチが、先月末の訪米中にあった。

「私の外交安保政策はアベノミクスと表裏一体だ」

ワシントンの研究機関の会合で、そう切り出した首相は厳しい財政状況にふれ、「日本は防衛費を劇的に増やすことはできない。それでも日米同盟をもっと機能させることはできる」と説明。アベノミクスによってデフレ経済を脱却し、国内総生産(GDP)を増やせば、社会保障を強化しながら「当然、防衛費をしっかりと増やしていくことになる」と語った。

あたかも「富国強兵」の再来を願うかのような高揚感が見てとれる。安保法制だけの問題ではない。将来の日本の道筋にかかわる問題である。

戦後日本はいま、きわめて重要な岐路に立っている。

毎日新聞 2015年05月29日

安保転換を問う 首相の姿勢

安全保障関連法案の国会審議がきょうから始まる。自衛隊の海外での活動が飛躍的に拡大し、戦後日本の安保政策の大転換となる法案である。徹底した議論が必要だ。

そこで注文したい。異論や慎重論に耳を傾けようとしない安倍晋三首相の姿勢をまず改めよ、ということだ。異論を口にするのは「敵」だとばかりに切り捨て、自分の発言は「言論の自由だ」といったような独善的な姿勢のままでは論議が深まるはずがないからだ。

首相はよく「レッテル貼り」との言葉を使う。今回の法案を社民党の福島瑞穂氏が「戦争法案」と批判した途端に首相が「レッテルを貼って議論を矮小(わいしょう)化していくことは甘受できない」と反論したのは記憶に新しい。結局、取り下げたが、自民党は一時、福島氏の発言に対し、議事録修正を求める行動にまで出た。

私たちも「戦争法案」と決めつけるつもりはない。だが、それでは政府が今回、新法を「国際平和支援法案」と命名し、既存10法の改正案を一括して「平和安全法制整備法案」と名付けたのはどうか。これも一方的なイメージを国民に植え付けようとしているだけではないか。

これは今回の本質的な問題でもある。先の党首討論では民主党の岡田克也代表が自衛隊の危険はこれで増すのかどうか、再三ただしたが、首相は明確に答えようとせず、後に中谷元防衛相は「自衛隊員のリスクが増大することはない」と語った。

首相は従来「日本が外国から攻撃を受けた際、米国の若い兵士が命を懸けて日本を守るのが今の日米関係だ」と語ってきた。自衛隊も命を懸ける、あるいはその姿勢を示すことが日米同盟を強固にし、ひいてはそれが戦争の抑止になると首相は考えているのだろう。

だから「今度の法整備で確かに危険は増すが、それを上回る国益がある」と言うのならまだ分かる。都合よくプラス面ばかりを語るのではなく、リスクもきちんと説明し理解を求めるのが首相の責務のはずだ。にもかかわらず「抑止力が高まるから安全だ」と言うだけではあまりにも説得力に欠ける。その一方で「夏までに成立させる」と結論のみを急ぐ。これでは到底賛成できない。

首相は従来とあまり変わらないとも強調しているようだ。ならばなぜ憲法解釈の変更にまで踏み切り、大幅に法制を作り直すのか。同時に首相や自民党は憲法9条を改正し国防軍を設ける目標は変えていない。そんな中で今回の法制をどう位置づけているのか。疑問点は数多くある。

こんな一節を紹介したい。

読売新聞 2015年05月27日

安保法案審議 自衛官のリスクを克服したい

安全保障関連法案が衆院で審議入りした。

日本と世界の平和と安全を確保するため、自衛隊の役割を拡大する、極めて重要な法案だ。

安倍首相は、集団的自衛権の行使の限定容認について、「従来の憲法解釈との論理的整合性と法的安定性に十分留意した。解釈改憲、立憲主義の逸脱という批判は全く当たらない」と強調した。

政府・与党は、建設的な議論を通じて、法案の意義と必要性を積極的に発信し、国民の理解を広げる努力を尽くすべきだ。専門的な内容だけに、丁寧で分かりやすい説明を心がけてもらいたい。

民主党の枝野幹事長は、他国領域での集団的自衛権の行使に関する統一見解を示すよう求めた。

「一般に、武力行使を目的として海外の領土に入ることは許されない」との過去の首相答弁と、新3要件に合致すれば他国領域での行使も可能とする中谷防衛相らの発言の違いを追及したものだ。

首相は、「海外派兵は一般に憲法上許されない」としつつ、「受動的、限定的な行為」である機雷掃海は他国領域でも新3要件を満たす場合があり得ると答えた。

集団的自衛権の行使は、あくまで正当防衛的な行為だ。他国領域での行使を法的に可能にすることに問題はない。敷設された当事国が日本に期待するような機雷掃海を、他国への侵略的な海外派兵と区別するのも合理的である。

無論、これは法律上の整理だ。実際に掃海を実施するかどうかは機雷の敷設状況などを踏まえ、総合的に判断する必要がある。

自衛隊の他国軍に対する後方支援の活動範囲の拡大に関して、枝野氏は、「自衛官のリスク」が高まるはずだ、と主張した。

維新の党の太田和美氏も、「自衛官の活動地域が戦闘地域に近づくことで、戦闘に巻き込まれる恐れも格段に高まる」と述べた。

中谷防衛相は、「自衛隊はこれまでも任務を拡大し、厳しい訓練を重ね、リスクを極小化してきた。今回の法改正でも、リスクをゼロにはできないが、与えられた任務を着実に果たす」と反論した。

国際平和協力活動に完全に安全な活動はあり得ない。だからこそ、組織的な訓練を受け、武器を使える自衛隊を派遣するのである。危険な任務は一切引き受けないのでは他国の信頼を得られまい。

現地情勢を慎重に調査し、機動的に対策を取るなど、部隊の安全確保に万全を期しながら、国際社会の安定のための一翼を担う。それが日本が取るべき道だろう。

朝日新聞 2015年04月16日

与党安保協議 巨大法案で見失うこと

今国会の焦点となる安全保障法制は、戦後日本の安保政策の歩みを根っこから覆してしまうような巨大な法案である。

第一に、日本防衛の文脈。集団的自衛権の行使を容認し、他国への攻撃でも、新3要件のもとで武力行使を可能にする。

第二に、同盟強化の文脈。米軍艦船などを守れるようにし、周辺事態法の地理的制約もはずして後方支援を拡充する。

第三に、国際貢献の文脈。他国軍への後方支援や国連PKOはもとより、PKO以外の平和協力活動も拡大する。

それぞれの課題が複雑に入り組み、論点も多岐にわたる。それ以外にも、自衛隊による邦人救出など多種多様な規定が盛り込まれる見通しだ。

これまで自衛隊が実績を積み重ねてきた国土防衛やPKOなどと、そのほかの活動拡大を同列には論じられない。それなのに政府与党は、すべて安保法制という大きな袋に入れ、一気に成立をはかろうとしている。

そのなかで見失ってしまうことがないか。「安全保障環境の変化」があるにせよ、安保法制だけが、その対応の「解」なのか。国民の間に、理解が広がっているとは思えない。

統一地方選の前半が終わり、自民、公明両党による与党協議が再開した。3月20日の協議ですでに安保法制の方向性に合意していたが、選挙結果への影響を懸念した公明党の意向でいったん中断していた。

それが今度は、月末に予定される日米防衛協力のための指針(ガイドライン)の改定や安倍首相の訪米に向けて、再び議論が急ピッチで進みそうだ。

こうした運び方ひとつとっても、政府与党の姿勢は容認しがたい。安保法制の本質と日本の将来像を語り、覚悟と理解を求める気があるのだろうか。

国際貢献での後方支援を定める恒久法の名称は「国際平和支援法」となっているが、戦争に参加する現実を表しているとは思えない。本来は後方支援法か他国軍支援法とでも呼ぶところだ。戦争支援という実態を糊塗(こと)する意図があるのではないか、と勘ぐりたくなる。

この恒久法について自民党は国会の事前承認の例外を求め、それを認めない公明党と溝が生じている。だが、国際貢献にそれほど緊急性があるとは思えない。公明党が例外のない事前承認を求めるのは当然だ。

なにより、自衛隊の海外派遣は慎重であるべきだ。議論が拡散し、焦点が見えにくくなっているが、この原則をゆるがせにしてはならない。

毎日新聞 2015年05月29日

安保転換を問う 集団的自衛権

専守防衛は、憲法の平和主義の精神にのっとり、戦後日本が維持してきた防衛政策の基本姿勢だ。日本が直接攻撃されていないのに他国への攻撃に反撃する集団的自衛権の行使は、そもそも専守防衛に反する。

しかし安倍政権は、安全保障関連法案の国会審議で、集団的自衛権の行使によっても「専守防衛の考え方は全く変わりがない」(安倍晋三首相)と繰り返した。

政府は、専守防衛について「相手から武力攻撃を受けたときに初めて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限にとどめ、また、保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限るなど、憲法の精神にのっとった受動的な防衛戦略の姿勢」と定義している。

専守防衛のもと自衛隊は、大陸間弾道ミサイル、長距離戦略爆撃機、攻撃型空母などの攻撃的兵器を保有することは認められていない。

審議では、専守防衛は「相手から武力攻撃を受けたときに初めて」防衛力を行使すると明確に定義されているのに、集団的自衛権は日本が武力攻撃を受けていない状態で武力を行使するのだから、専守防衛ではないのではないか、定義を変えるべきではないかとの趣旨の質問が出た。

この疑問に政府は「武力攻撃を受けた」国というのは、日本に限らず、日本と密接な関係にある他国も含まれるという新解釈を打ち出した。

しかも、集団的自衛権を巡る憲法解釈変更の基本論理となった1972年の政府見解にさかのぼって、もともとそう解釈されるのだという。

72年見解は「外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態」に対処するための自衛の措置を認めている。

政府の説明では「外国の武力攻撃」とは、日本への攻撃に限らず、日本と密接な関係にある他国への攻撃も含まれるという。横畠裕介内閣法制局長官が答弁し、安倍首相も追認した。明らかなこじつけである。

政府内でも、専守防衛の定義を変えるべきか悩みはあったようだ。だが、変更しないという政治判断をした。集団的自衛権が専守防衛を逸脱していると認めれば、憲法解釈の変更ではすまなくなるからだろう。だから新3要件を満たした集団的自衛権の行使も、専守防衛の範囲内だという無理な理屈を作り上げた。

民主党の長妻昭代表代行は「定義を変えたとはっきり言うべきだ」と批判し、維新の党の松野頼久代表も「専守防衛からずれてきている」と指摘した。政府は正直な議論に立ち返るべきだ。

読売新聞 2015年04月25日

与党安保協議 包括的法制で抑止力を高めよ

◆日本と世界の平和守る自衛隊に

日本と世界の平和を維持するため、自衛隊の任務を大幅に拡充する包括的な法制をまとめた意義は大きい。

自民、公明両党が、新たな安全保障関連法案の条文案を了承した。他国軍への後方支援を可能にする恒久法「国際平和支援法案」と、自衛隊法など10本の現行法改正案の「一括法案」だ。

政府は5月中旬に関連法案を閣議決定し、国会に提出する。

法案は、集団的自衛権の行使、国際平和協力活動、平時と有事の中間に当たるグレーゾーン事態の対処の3分野で、切れ目のない対応を相当程度可能にする。

◆切れ目ない対処が重要

日米同盟を強化し、日本の安全を確かにする。積極的平和主義に基づき、アジアと世界の安定を支えるため、日本がより大きな役割を担う。この二つの目的に向けて政府・与党は、法案の今国会中の成立に全力を挙げるべきだ。

与党の安保協議が2月中旬に始まった際、公明党は、自衛隊の海外派遣に関する恒久法の制定に慎重姿勢を示していた。米軍以外の他国軍への後方支援や、国連決議がない場合の自衛隊の海外派遣にも消極的だった。

だが、協議を重ねる中で、政府・自民党に歩み寄り、恒久法の制定に同意した。国際平和支援法案は、自衛隊の迅速な派遣だけでなく、自衛隊が平時に後方支援の訓練や情報収集などの準備活動ができるなど、大きな利点がある。

豪州軍などへの後方支援や、国連決議がなくても国連・地域機関の要請に基づく自衛隊派遣を可能にした点も重要な意味を持つ。

南スーダンで一昨年12月、陸上自衛隊が韓国軍から弾薬の提供を要請されたように、緊急時には、通常は想定されにくいような事態が発生することもある。

机上の議論にとらわれず、様々な危機に柔軟に対応できる余地のある法制にしておくことが、安全保障の要諦である。

◆例外なき「事前」は疑問

一方、国際平和支援法に基づく自衛隊派遣の国会の事前承認について、政府・自民党が公明党に譲歩し、例外的な事後承認を認めなかったことには疑問が残る。公明党は、統一地方選に影響しないよう、「歯止め」の成果を出すことにこだわったとされる。

国会が閉会中などで、承認に時間を要するケースもあろう。衆参各院が7日以内に議決するという努力義務規定の順守が必要だ。

集団的自衛権の行使に関しても公明党に配慮し、関連法案に「他に適当な手段がない」という要件を明記することにした。

危機発生時に、その規定を根拠に、「適当な手段」を巡る非現実的な議論が起きて、自衛隊の行動の遅れを招くとしたら本末転倒である。過剰な歯止めは安保法制の実効性を損なう。

日米両政府は27日の外務・防衛担当閣僚による安保協議委員会(2プラス2)で、安保法制を反映した新しい日米防衛協力の指針(ガイドライン)を決定する。

離島防衛での自衛隊と米軍の共同対処などを明記し、平時から有事まで切れ目のない日米協力を強化することは、様々な有事への抑止力を向上させよう。

特に、長年の課題だった集団的自衛権の行使の限定容認により、日本周辺海域での米軍艦船の防護や、米国向け弾道ミサイルの防衛などを可能にすることは画期的である。

自衛隊と米軍が緊密に情報交換し、共同の警戒・監視活動を増やして、よりスキのない防衛体制の構築につなげたい。

中国は近年、海空軍の装備を質・量両面で拡充し、東・南シナ海で一方的な海洋進出活動を強めている。北朝鮮は、核兵器の小型化や弾道ミサイルの実戦能力向上を着々と進めてきた。過激派組織の国際テロにも警戒を怠れない。

◆米豪との協力強化を

日本にとっては、新たな安保法制に基づき、米国や豪州などとの多角的な防衛協力を深化させることが急務である。日本周辺での軍事的な挑発活動などを封じ込める効果を持つだろう。

国連平和維持活動(PKO)以外の人道復興支援活動などにも、自衛隊を積極的に参加させたい。世界の安全保障環境の改善は、日本自身の安全確保にもつながる。国際社会における日本の存在感と発言力も高めよう。

今回の安保法制は、内容が極めて専門的なうえ、複雑で多岐にわたるため、国民に分かりにくいのは否めない。政府は、法制の意義と内容を丁寧に説明し、理解を広げる努力を続けるべきだ。

毎日新聞 2015年04月15日

安保協議再開 対米合意優先は疑問だ

新たな安全保障法制の整備をめぐる自民、公明両党の与党協議が再開された。政府・自民党は、日米防衛協力の指針(ガイドライン)が再改定される予定の27日までに安保法制の法案要綱を固め、内容をガイドラインに反映させたい考えという。国会への法案提出よりも米国との合意を優先し、これに間に合わせるような議論の進め方は、おかしいのではないか。

読売新聞 2015年04月16日

与党安保協議 過剰な歯止めは実効性損なう

自衛隊の活動に一定の歯止めは必要だが、要件を厳しくし過ぎて、使いづらい法律にすることは避けねばならない。

自民、公明両党が新たな安全保障法制に関する協議を再開した。月内の大筋合意を目指している。政府は5月中旬に関連法案を提出し、会期を大幅延長して今国会での成立を期す方針だ。

法制は、平時と有事の中間に相当するグレーゾーン事態の対応、国際平和協力、集団的自衛権の行使容認の3分野で構成される。

安保環境の悪化を踏まえ、日米同盟と国際連携を強化し、日本の平和を確保する。「積極的平和主義」に基づき、世界の安定に貢献する。こうした目的で政府・与党が足並みをそろえ、法制の内容を詰めてきたことは評価できる。

残る論点はかなり絞られた。その一つが国会の事前承認だ。

恒久法「国際平和支援法」に基づく自衛隊の他国軍への後方支援について、自民党は、国会閉会中や衆院解散時は国会の事後承認を認めることを主張している。公明党は、すべて事前承認とするよう求め、結論が出ていない。

支援相手が早期の支援を要望するなど、自衛隊の迅速な派遣が効果的な活動につながるケースはあり得よう。例外的に事後承認の余地を残しておくことが大切だ。

自衛隊の人道復興支援活動については、国連決議がなくても、国連の専門機関や、欧州連合(EU)など地域機関、派遣先国の要請がある場合は、活動を可能にすることにした。妥当な判断である。

ただ、どの国際機関の要請に限って応じるという厳密な規定を法律に設けるのは適切ではない。

他国の軍隊は原則、禁止された活動以外は実施できるが、自衛隊は法律の定める活動しか行えない組織だ。現時点では自衛隊の派遣要請が想定されない国際機関も、将来はその性格が変わり、派遣を要請することもあり得る。

南スーダンで一昨年12月、自衛隊が韓国軍から弾薬提供を要請されたように、法律の制定時点では想定されない事態が発生する例も少なくない。政府に一定の裁量権を与えることが肝要である。

グレーゾーン事態で、米軍だけでなく、豪州軍などの艦船の警護を可能にした意義は大きい。

自衛隊は近年、米軍以外の他国軍との共同訓練が増えている。新たな安保法制が整備されれば、米軍以外との共同活動の機会が拡大しよう。多角的で重層的な防衛協力を進めることが、抑止力を高め、日本の安全をより確実にする。

お手数ですが - 2015/04/22 18:27
3日前にもコメントしましたが、、、毎日新聞だけきちんと表示されていませんね。無料で読めますよ。
たとえば「安保協議再開 対米合意優先は疑問だ」の続きは以下の通りです。

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 新たな安保法制は、集団的自衛権の行使容認をはじめとして国の形を変えてしまうような大きな変更を含んでいる。その特徴をひと言でいえば、自衛隊が米軍とともに世界規模で活動できるようにすることだ。

 先日、来日したカーター米国防長官は、日本の安保法制を反映した新たなガイドラインによって「米軍と自衛隊が切れ目なく協力する機会が増える。直面する幅広いチャレンジにアジア太平洋、世界中で対応することが可能になる」と述べた。

 すでに安保法制の整備を前提として、自衛隊が世界中で米軍を支援することに期待感を示した発言だ。

 だが、そもそも自衛隊が世界中で米軍とともに活動することに国民の理解はどれだけ得られているのだろうか。

 安保法制の一つ、周辺事態法の抜本改正では、これまで日米安保条約の枠内で日本周辺に限定してきた米軍への後方支援が、日本の平和と安全に重要な影響を与える「重要影響事態」と判断されれば、世界中で可能になる。米軍以外の他国軍への支援もできるようになる。政府が重要影響事態と認めれば、南シナ海などでも自衛隊による他国軍への後方支援に踏み込むことになる。

 重大な変更が、国会での法案審議を経ないまま米国と合意され、既成事実化されることに危惧を覚える。

 しかし、政府・与党は協議のスピードを落とすつもりはなさそうで、早くも細部の詰めに入ろうとしている。歯止め策をどう法案に盛り込むかが当面の焦点だ。

 14日の協議では、自衛隊による他国軍への後方支援を可能にする新たな恒久法「国際平和支援法」の派遣要件として、公明党が例外なく国会の事前承認を必要とするよう求めたのに対し、政府・自民党は国会閉会中や衆院解散時には事後承認も認めるべきだとの立場を崩さなかった。

 歯止めの議論はもちろん重要だ。だが、根本的な議論をもっと深めるべきではないか。しかも今回の安保法制は、本来なら数年かけて議論しなければならないほどメニューが多い。国会議員からも複雑でわからないという声が出ている。国民はなおさらだろう。自公両党は、期限を設けず徹底した議論をすべきだ。
お手数ですが - 2015/06/02 18:07
善処ありがとうございます。毎日新聞がきちんと全文掲載されるようになりました。
この社説へのコメントをどうぞ。
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