両陛下パラオへ 終わりなき平和の祈り

朝日新聞 2015年04月09日

天皇の慰霊 歴史見つめる機会に

あの戦争は何だったのか。身近に考える機会にしたい。

戦前、日本が統治し、太平洋戦争で激戦地となったパラオ共和国を、天皇、皇后両陛下が訪ねている。戦後70年に合わせた「慰霊の旅」である。

多くの戦死者が出たペリリュー島にきょう渡り、日米それぞれの犠牲者の碑に赴く。

「太平洋に浮かぶ美しい島々で、このような悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならないと思います」。天皇陛下は出発にあたり、こう述べた。

天皇の慰霊の旅が印象づけられたのは、戦後50年の95年の夏に、長崎、広島、沖縄、東京都慰霊堂を訪ねたときだ。

戦後60年には、海外での初の慰霊の旅として米自治領サイパンを訪ねた。日本人が海に身を投げ集団自決した「バンザイクリフ」などに赴き、元日本兵が話す当時の様子に耳を傾けた。

その年の誕生日に際した会見で、「61年前の厳しい戦争のことを思い、心の重い旅でした」と語っている。

パラオ訪問は当時も検討されたが、交通状況などで断念した。今回は海上保安庁の巡視船をホテル代わりにする異例の措置で実現した。ペリリュー島へは巡視船からヘリで向かうといい、80歳を超える両陛下にとって、たやすい道行きではない。

風化しがちな戦争の歴史と向き合わねばならないという、強い思いが込められている。

天皇陛下は今年の年頭の感想で「この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくこと」の大切さに触れている。

当時の語り部や、その伝承に取り組む人びとの声に耳を傾け、歴史と謙虚に向き合い、戦禍を二度と繰り返さない。それは、国民一人ひとりが続けねばならない営みだと感じさせる。

今ではダイビングで知られるパラオを約30年間日本が統治し、日米双方が多くの命を失ったことはあまり語られない。

戦後、94年まで国連の米信託統治領だった。ほかの太平洋諸島より独立が遅れたのは、画期的な非核憲法を81年、住民の手でつくったからだった。

米国は、その憲法を長く疎んじ、最終的に非核条項を凍結することで独立を認めた。パラオは防衛権を米国にゆだね、代わりに経済援助を受け続けるという苦しい選択をしたのだ。

終戦後もなお、安全保障などをめぐり大国との関係に翻弄(ほんろう)されてきた、その歴史から考えさせられることもまた多い。

毎日新聞 2015年04月08日

両陛下パラオへ 終わりなき平和の祈り

天皇、皇后両陛下は8、9日の日程で太平洋のパラオ共和国を訪問される。友好親善とともに、戦後70年の節目にあたり、激戦地に倒れた多数の戦没者を慰霊し、平和を祈る旅である。

読売新聞 2015年04月10日

陛下パラオ訪問 戦地に立つ「慰霊」への使命感

青い海を望む戦没者の慰霊碑に、天皇、皇后両陛下は深々と頭を下げられた。戦火に散った肉親に思いをはせた遺族も多かったことだろう。

両陛下が、第2次大戦の激戦地、西太平洋のパラオ共和国を訪問された。戦後70年の「慰霊の旅」である。

パラオは大戦当時、日本の統治下にあった。南洋庁が置かれ、一時は約2万5000人の日本人が生活していたとされる。

1944年9月、フィリピン奪還を目指す米軍が、パラオ南部の要衝、ペリリュー島に進撃した。日本の守備隊は、洞窟に築いた陣地に潜み、ゲリラ戦を展開したが、2か月後に玉砕した。

パラオ全体で日本兵約1万6000人が戦死した。米軍の死者も約2000人に上った。空襲などで命を落とした住民もいる。

「亡くなったすべての人々を追悼し、その遺族の歩んできた苦難の道をしのびたい」。天皇陛下はパラオ政府主催の歓迎晩餐会ばんさんかいで、こう述べられた。

戦没者と遺族に心を寄せ続ける陛下の率直なお気持ちだろう。

両陛下は、日本政府がペリリュー島に建立した「西太平洋戦没者の碑」に、日本から持参した白菊を供花された。米軍の慰霊碑にも花輪を供えられた。

ペリリュー島の激戦の生存者は少なく、その惨状は十分に語り継がれていない。現地には、朽ち果てた戦車や戦闘機が残る。

両陛下のご訪問に合わせ、生還した元兵士や遺族もペリリュー島を訪れた。元兵士は90歳前後になっている。慰霊する両陛下に立ち会ったことで、一つの区切りがついたのではないか。

陛下は、2005年に戦後60年の慰霊の旅として、米自治領のサイパン島を訪問されている。当時、パラオなどへの訪問も検討されたが、交通事情の悪さなどが障害となって見送られた。

今回、海上保安庁の巡視船に宿泊し、ペリリュー島への移動にはヘリコプターを使われた。陛下の強い願いが訪問を実現させた。

晩餐会では、かつて日本の統治下にあったミクロネシア連邦、マーシャル諸島の両大統領夫妻とも懇談された。両陛下のご訪問は、太平洋の親日国とのさらなる友好親善につながるに違いない。

「太平洋に浮かぶ美しい島々で、このような悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならないと思います」。陛下が出発前に述べたお言葉だ。その思いを体現した慰霊の旅だった。

産経新聞 2015年04月09日

パラオご訪問 歴史知り鎮魂へ繋げたい

天皇、皇后両陛下が先の大戦の激戦地である西太平洋のパラオ共和国を訪問された。天皇陛下はこの地への慰霊の旅を強く望まれていた。戦後70年の節目に果たされたご意志を国民は深く受け止め、祖国を守るため戦地に赴いた戦没者に、鎮魂の思いを繋(つな)げたい。

陛下は出発にあたり、パラオなどでの激しい戦闘に触れ、「太平洋に浮かぶ美しい島々で、このような悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならない」と述べられた。

国民の約8割を戦後生まれが占めるなか、両陛下のご訪問を機会に、こうした歴史を初めて知った人も多いのではないか。約3千キロ離れ、赤道に近いパラオは現在では航空機の直行便で4~5時間で行ける。若い人にはリゾート地の印象が強いかもしれない。

第一次大戦後は日本が統治し、多くの日本人が暮らした歴史がある。先の大戦では日本軍守備隊と米軍の間で壮絶な戦闘が行われ、パラオでは日本軍の約1万6千人が戦死した。

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