横浜事件 やっと司法が「清算」した

朝日新聞 2010年02月07日

横浜事件 やっと過去と向き合った

ようやく裁判所が過去の過ちと向き合った。そうであっても、何という長い時がたったのだろうか。

戦時下で最大の言論弾圧事件とされる横浜事件で、横浜地裁は元被告5人について刑事補償を認める決定をした。実質的な「無罪」判断である。5人の名誉は、事件から68年ぶりに回復された。

大島隆明裁判長は決定のなかで事件を「思いこみの捜査から始まり、司法関係者による事件の追認によって完結した」と、総括した。

事件をでっち上げた当時の特高警察については「違法な手法で捜査を進めたことには、故意に匹敵する重大な過失があった」と、厳しく指摘した。

それだけでなく、検察については「拷問等の事実を見過ごして起訴したという点には、少なくとも過失があった」。裁判所についても「総じて拙速、粗雑と言われてもやむを得ないような事件処理がされた」と述べ、司法全体の責任を認めた。

過ちを認めた判断は評価する。だが、元被告が再審を求めてから24年もかかってのことである。

この事件では1942年から45年にかけて、言論・出版関係者約60人が「共産主義を宣伝した」などとして神奈川県警特高課に治安維持法違反容疑で逮捕された。凄惨(せいさん)な拷問によって4人が獄死した。

最初の再審請求は86年。以後、戦前・戦中の行為を省みることをしない裁判所に、4次にわたる再審請求で挑んできた。明らかな冤罪をどう総括するかは、戦後の司法に突きつけられたリトマス紙のような意味合いがあった。

裁判資料が焼却されて存在しないことなどを理由に門前払いが続き、再審が認められたのは2003年だった。元被告らは再審裁判での無罪判決を求めてきたが、法解釈に終始し実体的な審理は行われなかった。

最高裁は08年「治安維持法の廃止」などを理由に、有罪、無罪を示さない「免訴」とした。

振り返ればこの時が、最高裁が国民へのメッセージを出す最大の機会だっただろう。今回の決定のような総括によって、軍国主義の暴走を止めることができず、言論弾圧から国民を守ることを放棄していた責任を明確にしていれば、と残念である。

ただ、最高裁は2裁判官の補足意見として、刑事補償によって実質「無罪」を得る道筋を示した。内心では、横浜地裁の決定と総括に安堵(あんど)していると信じたい。

治安維持法の下での言論弾圧がいかに過酷だったか、この事件は思い起こさせる。一方、戦後になっても冤罪の歴史は続いている。裁判官、検察官ら司法関係者は今回の決定をしっかり受け止め、意味をかみしめてほしい。

毎日新聞 2010年02月06日

横浜事件 やっと司法が「清算」した

特高警察による暴力的な捜査から始まり、司法関係者による事件の追認によって完結したものと評価できる--。

戦時下最大の言論弾圧事件である「横浜事件」について、横浜地裁がその構図を明快に言い切った。事実上の無罪とし、元被告5人の遺族に刑事補償を支払う決定を出した。

決定は「警察、検察及び裁判の各機関の関係者の故意・過失は重大である」として、司法自らの責任も厳しく指摘した。遅すぎたとはいえ、自浄能力を発揮した判断だ。

神奈川県警は1942~45年、共産党再建の謀議を図ったなどとして、雑誌編集者ら約60人を治安維持法違反容疑で逮捕し、拷問で4人が獄死した。横浜地裁は45年8~9月、約30人に一律の執行猶予付き有罪判決を言い渡し、幕引きをした。

元被告と遺族らは86年に再審請求したが、当初は「訴訟記録がない」として棄却された。その後再審が始まったものの、治安維持法の廃止を理由に、有罪・無罪を判断せずに裁判を打ち切る「免訴」判決が確定していた。

だが、それでは元被告側が求めた名誉回復は図られない。

今回の決定は、特高警察の描いた「共産党再建の謀議」の構図に懐疑的な見方を示し、その捜査手法を「拷問を加え、自白させた。旧刑事訴訟法下においても、暴行・脅迫を加えた取り調べは許されない」と批判した。妥当な判断である。

申し立てた元被告側がさらに訴えたのが裁判所の責任だった。終戦の混乱の中、有罪を言い渡した判決書などが焼却されたのだ。再審請求後の司法救済が遅れた一因である。

決定は、まず当時の判決について「拙速、粗雑と言われてもやむを得ない事件処理がなされた」と批判した。判決書の焼却については「裁判所の側が、連合国との関係において不都合な事実を隠ぺいしようとする意図で廃棄した可能性が高い」と、理由にまで踏み込んで判断した。

元被告側も決定の内容を評価しており、横浜事件の司法判断は、これで区切りがつけられる見通しだ。

横浜事件は、戦前から続いた政府の言論統制がピークに達した時に起きた。決定は弾圧の実態を詳細に記し、本来それを救うべき司法が機能しなかった経緯にも触れている。

言論統制を再現させないためにも、なぜ事件が起きたのか検証は不可欠だ。歴史の清算の点からも意味のある決定ではないだろうか。

とはいえ、最初の再審請求が行われてから24年である。元被告は全員が亡くなっている。遅すぎた決定までの道のりを裁判所は改めて反省すべきだ。

読売新聞 2010年02月09日

横浜事件 司法がやっと過ちを正した

裁判所がようやく、自らの過ちに向き合ったということだろう。

戦時下最大の言論弾圧事件とされる「横浜事件」で、横浜地裁は、元被告5人の遺族が求めていた刑事補償を認める決定をした。

横浜事件は、1942年から45年にかけて起きた。雑誌に掲載された学者の論文が共産主義の宣伝にあたるなどとして、神奈川県警特別高等課(特高)が編集者ら約60人を治安維持法違反の容疑で逮捕し、約30人が起訴された。

特高は、激しい拷問によって虚偽の自白を強要した。終戦直後、元被告5人は全員、虚偽自白をもとに有罪とされた。

地裁の決定で注目されるのは、「当時の警察、検察、裁判各機関の故意・過失は重大だ」と述べていることである。特に、「拙速、粗雑と言われてもやむを得ない」と裁判官の過失も認めた点だ。

この事件では、記録がほとんどなく、第3次、4次請求でやっと開始することになった再審公判では、裁判打ち切りを意味する「免訴」となった。

新旧刑事訴訟法では、刑の廃止や大赦が行われた時には免訴とする規定がある。免訴理由があれば実質的な審理はできず、無罪・有罪を判断できないという判例もある。それが理由だった。

不当な言論弾圧に、元被告側が明確な無罪宣告を求めた心情は十分理解できる。だが、法律などの規定で再審判決が免訴としたことは、致し方のない結論だった。

今回の決定は被告側の立場を踏まえ、「再審公判で実質的な判断が可能なら、無罪を受けたであろうことは明らか」とも述べた。

刑事補償は、無罪になった人や無罪に相当する十分な理由がありながら免訴になった人、その遺族が請求できる。通常の裁判と違って相手方はいないため、請求者側が決定に不服なら即時抗告できるが、確定する見通しだ。

戦時中と今日では状況が異なるが、再審公判中の足利事件などのように、今も冤罪(えんざい)は絶えない。捜査官の誘導や威圧的な取り調べ、それに基づく虚偽の自白を裁判所が見抜けないケースもある。

司法も過ちがあれば、謙虚に正していく姿勢こそ、信頼の向上につながるのではないか。

有罪判決から65年がたち、無罪宣告を待ち望んだ元被告本人は、いずれも死亡している。結論に至る長い歳月は、事件の教訓を風化させかねない。迅速な審理も、司法に課せられた重要な役割であることを忘れてはなるまい。

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