東日本大震災4年 復興に関わり続けよう

朝日新聞 2015年03月15日

震災復興財源 事業と予算の点検を

東日本大震災からの復興に、国はどう向き合っていくのか。

15年度まで5年間の「集中復興期間」に続き、16年度からの5年間について、安倍首相は新たな枠組みを設ける考えを表明した。焦点は、その間の事業の財源である。

政府は15年度までの分として26兆円余を確保済みだ。将来世代にツケを回すまいと、25年間に及ぶ所得税の特別増税や2年間実施した法人特別増税、資産の売却などで財源をつくる。

高台での住宅建設をはじめ、計画より遅れ気味の事業は少なくない。状況の変化を受けて見直したり、中止したりする事業がどれほどあるのか、現時点では見通せない。一方、岩手と宮城、福島3県の見積もりでは、さらに8兆円余が必要になるという。

震災復興事業は国が全額を負担してきた。16年度以降は事業によって被災自治体にも拠出を求める考えを竹下復興相は示している。借金が1千兆円超という国の財政難が理由だろう。

確かに、自治体側の負担がないことが過大な事業計画につながった例もある。ただ、被災地の復興は、政府や与野党が「最優先の課題」などと強調してきた問題だ。

国と被災自治体の負担割合の見直しの前に、まずは復興事業を改めて点検し、有効な事業か、無駄遣いはないかを検証することが先ではないか。

復興の名を借りて被災地以外での事業に予算を使う「流用」が広がっていたことは記憶に新しい。厳しい批判と徹底調査を求める大合唱となったが、流用はなくなったのか。

復興事業の中心である公共工事では、業者による談合がしばしばささやかれる。復興を急ごうと事業のスピードを重視する様々な特例措置がとられているだけに、公正取引委員会はしっかりと目を光らせてほしい。

震災直後の11年度から13年度までに計上された復興予算の執行状況を会計検査院が調べたところ、「基金」として積み立てられた予算の6割が使われていなかった。

通常の予算ではその年度のうちに使い切ろうとしがちなのに対し、長期間にわたって支出できるのが基金の利点だ。ただ、その分チェックも甘くなりやすい。当分使うあてのない基金は国に返納を求め、新たな復興財源に充てていくべきだ。

しっかりと監視し、点検して、結果を公開する。状況に合わせて柔軟に見直す。復興予算が突きつける課題は、国や地方の予算全体に通じる。

毎日新聞 2015年03月11日

東日本大震災4年 復興に関わり続けよう

東日本大震災の発生からきょうで4年を迎えた。約23万人がなお避難生活を送り、そのうち8万1730人はプレハブ仮設住宅での暮らしが続く。家族らが犠牲となり、住居を失った多くの人たちにとって、時計の針は止まったままだ。

読売新聞 2015年03月11日

大震災4年 優先度を見極めて復興進めよ

◆住まいの再建へ支援が必要だ

1万8000人を超える死者・行方不明者が出た東日本大震災の発生から4年を迎えた。

犠牲者の冥福を改めて祈りたい。

大津波は、岩手、宮城、福島3県の沿岸部を破壊した。多くの人々が生活の基盤を失った。

現在も約8万人がプレハブの応急仮設住宅で暮らす。手狭なうえに、防音面などでプライバシーを保ちにくい。

被災者の住環境の向上は、今なお最優先の課題である。

今年から来年にかけ、住宅再建が本格化する。新たな生活拠点の創生は、地域再生へ向けた確かな一歩となろう。

◆コミュニティー再生を

仙台空港の南に位置する宮城県岩沼市に、1000人が暮らせる街が生まれた。市が海から3キロの土地を2メートルほどかさ上げし、この1年で約180戸の復興住宅の建設を進めてきた。自ら家を建てる人のための宅地も造成された。

水田だった土地に真新しい家が整然と並ぶ。公園も整備された。夏にはスーパーが開業する。仮設住宅暮らしを余儀なくされていた人たちの入居が始まっている。

3県を合わせると、今月末までに1万戸近い復興住宅の完成が予定される。1年後には約2万戸にまで増える見通しだ。

用地取得のため、各自治体の職員が人海戦術で地権者と交渉を重ねた。3県の自治体の4割余で、2015年度中の事業終了が見込まれる。この流れを減速させないことが大切だ。

住宅整備の遅れが目立つ自治体も少なくない。平地の少ない三陸沿岸部などでは、事業終了までに3年以上かかる地域がある。

丘陵を切り崩すなど、大規模な工事を要する例が多い。建設資材の高騰も、工事の進捗しんちょくを阻む。

政府は、資材の逼迫ひっぱくに対応するため、岩手県内に生コンクリートの製造プラントを建設した。こうした取り組みを充実させ、住宅整備を後押しすることが重要だ。

住まいの復興が進んだ後は、移転先でのコミュニティーの形成が大きな課題になる。

阪神大震災では、仮設住宅から復興住宅に引っ越した高齢者の孤独死が相次いだ。この教訓を踏まえた対策が求められる。

◆自立をいかに助けるか

体操などの交流イベントで住民同士のつながりを強める。自治体などの見守り活動で、高齢者の異変を察知する。仮設住宅で行われてきた取り組みを継続して、住民の孤立を防ぎたい。

家賃負担が生じる復興住宅への転居には、二の足を踏む被災者もいる。仮設住宅に残る人たちへの目配りは当分の間、欠かせまい。経済的な自立をいかに助けるかは、今後の重いテーマである。

3月1日には、東北の太平洋岸と首都圏を結ぶ常磐自動車道が、全線で開通した。物流の活発化が期待される。不通になっていた鉄道の復旧も進む。

病院や学校の復旧率は、被災地全体で90%を超えている。

インフラ整備など、ハード面の復興には一定のメドがついた分野が多い、との声が政府内にある。確かに、被災地の復興は、ソフト面に重点を移す段階に差し掛かっていると言えよう。

病院の再開を控える沿岸部では、医師や看護師を十分に確保できるのかという不安は拭えない。不登校が増加する中、子供の心のケアも急がねばならない。

◆集中期間の終了見据え

15年度は、政府が掲げる5年間の集中復興期間の最終年度だ。事業費は計26・3兆円に上る。

宮城、岩手両県の18市町村の首長らは先月、竹下復興相に期間延長を要望した。ほとんどの自治体で、復興事業は16年度以降も続く。3県の試算では、さらに8兆円超が必要だという。

安倍首相は記者会見で、新たな5年間の復興支援の枠組みを今夏に策定する方針を表明した。

住宅再建など、被災者の生活基盤に関わる事業への国費投入は、引き続き必要である。

ただ、26・3兆円は、所得税の特別増税などで、ようやく確保した財源だ。集中期間終了後に、全体として支援規模が縮小していくのは、やむを得ないだろう。

復興を成し遂げるために何が必要か。それを精査し、優先度の高い事業に、重点的に財源を充てるなど、メリハリをつけた支援が、より重要になってくる。

首相は「被災者に寄り添いながら、復興に全力を挙げていく」と語った。国民全体で被災地を支えることを再確認したい。

産経新聞 2015年03月12日

復興予算 不安招かぬ負担の議論を

東日本大震災の発生から4年が過ぎ、政府が位置づける集中復興期間は残り1年となった。政府は今夏までに、次の5年間の新たな支援の枠組みを策定する。

復興の歩みは遅い。ここで支援を滞らせることは許されず、新たな枠組みで再生に必要な事業を加速させなければならない。国が全力を挙げるのは当然の責務である。

問題は新たな財源の確保だ。政府は、国費で賄う復興予算の一部を自治体に負担してもらうことを検討しており、それが被災地の不安と反発を招いている。

安倍晋三首相は、「地方負担のあり方も含め、被災地の声に耳を傾けつつ丁寧に検討する」と述べた。大切なのは、被災者が将来展望を確実に描けるかどうかだ。それに資するよう、慎重な議論を求めたい。

平成27年度までの集中復興期間の総事業費は26兆円を超える。財源には所得税増税や上場後の日本郵政株の売却益などを充てる。

福島、宮城、岩手の被災3県は28年度以降も計8兆円以上の復興費用が必要だとしている。国の財政が厳しさを増すなか、新たな財源探しは容易ではない。

政府が自治体の一部負担を検討するのは、資金面での「自立」を促す狙いがあるという。応分の負担で住民ニーズに即した効率的な復興を目指す。震災から5年を区切りに、国と自治体の役割分担を見直そうという意図だろう。

ただ、その前にやるべきことは復興予算の精査である。

会計検査院によると、23~25年度の3年間では繰越額を除く3兆円超が使われなかった。執行済みの事業にしても、住民の要望にそぐわない例はなかったか。人口減少も見据えて、必要なところに必要な予算を確実に配分することが大前提である。

その点が不十分なまま、被災地への負担を求めるあまり、復興計画や行政サービスに支障を来すようになっては元も子もない。被災地が不安を抱くのは当然だ。

復興の進捗(しんちょく)状況は被災地によって異なる。水産・食品加工業の多くは業績回復が遅れている。岩手や宮城では、災害公営住宅の完成は集中復興期間を終えても6~7割にとどまる見込みだ。

政府は、そうした実態に即して現実的な枠組み作りに知恵を絞らなくてはならない。

朝日新聞 2015年03月11日

福島の復興 住民の選択いかす政策を

東日本大震災と福島第一原発の事故から丸4年が経った。政府は26兆円に及ぶ復興予算を組み、今月1日には首都圏と被災地を結ぶ常磐自動車道が全線開通した。インフラの復旧は着実に進んでいる。

しかし、原発事故収束のめどはたたず、福島県では今も約12万人が県内外に避難している。約2万4千人が暮らす県内の仮設住宅は、避難の長期化で傷みも目立ち始めた。復興公営住宅は用地の造成などに手間取り、建設が遅れている。5万人近くは県外で暮らす。

原発から20キロ圏内では昨年から、線量の比較的低い地域で避難指定の解除が進む。約7500人の町民ほぼ全員が避難した楢葉町も、近々、解除を決める見通しだ。

だが、住民の帰還は進まない。復興庁が3月に発表した調査でも、原発の立地・周辺4町の住民で「戻りたい」という世帯は、1~2割にとどまる。反対に「戻らない」は半数前後を占める。避難区域外に住宅を買い、移住を決める人も増えた。

戻らないことが故郷との絶縁を意味するわけではない。

全町避難が続く浪江町は今年1月から全国に散った住民に無償でタブレットを配り始めた。町からの情報発信に加え、町民同士で近況をやりとりできる。町内の放射線量が詳しくわかるアプリも載せる予定だ。

3月初めに東京都内で開いたタブレット講習会には、100人を超える人が集まった。千葉、神奈川、埼玉、栃木と現住所は様々。見知った顔を会場で見つけては笑みがこぼれ、おしゃべりがはずんだ。

江東区の仮住まいから夫婦で参加した女性(42)は、津波で家を失ったこともあって「もう浪江には戻らない」と決めている。それでも、タブレットを通じて町の様子や知り合いの近況が知りたいという。

あなたにとって町は? そう問うと、しばらく考えてから、

復興は、町村を元の姿にもどすことではない。

福島県立「ふたば未来学園高校」が4月に浪江や楢葉と同じ双葉郡の広野町に開校する。寮を完備し、県内外に避難する子供たちも通える学校になる。自宅生だけでは存立が難しくても、こういう形なら学びの場を新設できる。これも一つの復興の形だろう。

一方、自治体側には早期帰還への焦りも生まれている。

大熊町は、町内の復興拠点とする大川原地区での居住再開を2018年度中とする方針を固めた。これまで帰還のめどは必ずしも明確にしてこなかったが、具体的な時期を示さないと帰還をあきらめる人が増えるとの危機感からだ。

別の町の幹部は「周辺で避難解除が進むと『うちだけ遅れている』と見られる」とこぼす。

たとえ少なくても「戻りたい」住民のために行政が手を尽くすのは当然だ。除染はもちろん、インフラ整備や商業施設、雇用先の確保など、国の支援も含めて急ぐ必要がある。

一方で、戻らないと決めても元の町とつながっていたいと考える人や、迷っている人もいる。帰還だけを優先させれば、そうした人たちへの支援がおろそかになりかねない。

住民本位の復興は、柔軟でいい。住民が避難先で新生活を築きながら、故郷の町とも関わり続ける。そんな仕組みができないか。

日本学術会議が昨年9月に発表した提言は、一つのヒントになるだろう。

帰還か移住かの選択肢に加えて「避難継続」という第三の道を用意し、「二重の住民登録」制度の導入を検討するよう言及したのだ。

早くから二重住民登録の必要性を提唱してきた福島大学の今井照教授によれば、国土のすべてがどこかの自治体に属し、市町村が土地の線引きによって人を管理するようになったのは明治以降だという。

「もともとは人の集合体が村の原点。飢饉(ききん)などがあると土地を移動した」。土地に縛られない、つながり重視の発想だ。

震災と原発事故があった福島には課題が山積している。第一原発は雨が降れば汚染水が流れ、壊れた核燃料の取り出しもこれからだ。避難元の町は、放射線量が高くて数十年戻れないところもある。復興は、世代にまたがる取り組みになる。

この4年間、賠償や放射線問題を巡って住民の意見が割れることもあった。再生は容易ではない。それでも、政府や自治体は住民ニーズに目をこらし、柔軟に応じてほしい。事故が真に収束するまで、行政全体に課せられた責務である。

読売新聞 2015年03月08日

福島の避難住民 「帰還」見据えた支援の強化を

東京電力福島第一原子力発電所の事故では、多くの福島県民が避難を余儀なくされた。今なお約11万9000人が県内外で避難生活を送る。

住み慣れた我が家への帰還が実現するよう、支援を充実させる必要がある。

原発事故後に避難指示が出された11市町村のうち、昨年4月に田村市の一部地域で、10月には川内村の東部で指示が解除された。

これらの地域では、除染が進み、放射線量が低減している。それでも、不安を訴え、帰還を見合わせる住民は少なくない。

避難先で仕事を得た。子供も学校になじみ、友達ができた。こうした理由からも、生活基盤を再び移すことをちゅうちょするのだろう。

帰還促進のカギを握るのが、人口約7500人の町のほぼ全域が「避難指示解除準備区域」に指定されている楢葉町のケースだ。放射線量が低減したとして、町は昨年5月、今春以降の避難指示解除を目指すと宣言した。

実現すれば、これまでにない規模の解除となるが、町民には「時期尚早」との声が多い。

町内には、雨漏りやカビで荒廃した家屋が目立ち、約1800戸の解体・改築が必要だ。しかし、作業員の不足で思うように進んでいない。県外から業者を呼び寄せたくても、宿泊施設がないことも障害になっている。

今後、解除地域が広がれば、作業員不足はさらに深刻化しよう。解体に伴う大量の廃棄物の処理も大きな課題である。

楢葉町の場合、高齢者に帰還の意向が強い。39歳以下の世代では「すぐ戻る」「条件が整えば戻る」という町民は約25%にとどまる。帰還が実現しても、元々、人口が減少傾向にあった町の高齢化がさらに進む事態が想定される。

医療や介護、福祉サービスのための人材確保が欠かせない。

若い世代の帰還を促すために、最も重要なのは雇用の創出だ。

企業の誘致などに、市町村が自力で取り組むには限界があろう。近隣自治体の連携はもちろん、政府と県が地域再生のために後押しすることが必要だ。

復興庁は、第一原発周辺の12市町村の将来像を協議する有識者検討会を昨年末に設けた。

医療・教育拠点の整備や観光資源の開発、廃炉に必要な関連産業や研究施設の集積を進める構想を踏まえ、今夏をめどに具体的な振興策を提言する考えだ。地域の再生と、福島全体の復興に資する内容とすることが求められる。

産経新聞 2015年03月11日

大震災4年 鎮魂と我が命守るために 被災の記憶を心に刻もう

4年前の3月11日、東北を中心とする東日本は激しく揺れ、広く太平洋岸を襲った大津波は多くの人をのんだ。東日本大震災による死者・行方不明者は1万8千人を超える。肉親や友人、知人を亡くしたその何倍もの人々が、今も悲しみ、苦しんでいる。

改めてこの日を鎮魂の日と心に刻み、犠牲者の冥福を祈りたい。歳月が気持ちを癒やすとはかぎらない。より孤独感、孤立感を強めている被災者もいる。被災地は忘れられている。そう思えてならないのだと多くの被災者が話す。

彼らのためにも、自分のためにも、あの日を忘れてはならない。「3・11」は、記憶を喚起するための日でもある。

≪「韋駄天競走」を全国に≫

震災の直後に足を踏み入れ、津波被害のあまりの悲惨、広大さに足がすくんだ岩手県陸前高田市では、大規模なかさ上げ工事が行われている。頭上には山から市街地に土を運ぶ巨大なベルトコンベヤーが何本も走る。

何台もの工事車両を動物に見立て、地元の女性は「動いているのは、キリンさんだけだ」と自嘲気味に話した。

道路沿いでは、4階までのバルコニーや窓がすべて津波に破壊された集合住宅が無残な姿をさらしている。4年の歳月を経て、これが被災地の現実か。復興の歩みは遅いと実感せざるを得ない。

同県釜石市の高台にある仙寿院には震災当時、700人以上の住民が本堂や境内に避難した。そのまま151日間の長きにわたって避難所として運営された。

多くの遺体や遺骨を預かり、祈りを捧(ささ)げる日々も続いた。住職の芝崎恵應さんは震災の3カ月後に体調を崩し、心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断された。3年半後も倒れて意識を失った。やはり診断はPTSDだった。

被災者のストレスを受け止め続けた結果だろう。それほど過酷な日々だった。

身元が分からず、引き取り手のない遺骨に手を合わす毎朝の祈りは、今も続いている。その度、「時は止まったままだ」と感じるのだという。同時に「時を進めなくてはならない」とも話す。

2月1日、節分行事に合わせ、市街地から高低差30メートルの仙寿院を目指して老若の男女59人が急坂を駆け上がった。男女など分野別の優勝者には西宮神社ゆかりの「えびす像」が贈られ、参加者全員で海に向かって黙祷(もくとう)した。

俊足で知られるバラモン教の神の名を冠した「韋駄天(いだてん)競走」は今年が2回目の実施だった。「揺れたら高台に逃げる」ことを忘れず、後世に伝えるために始めたものだ。時を前に進めるために考えられた行事でもある。

地震が来たら各自で逃げろという「津波てんでんこ」の教えが徹底された釜石では、震災時に小中学校に登校していた約3千人の児童生徒全員が生存した。「釜石の奇跡」として広く国内外に報じられ、語り継ぐべき事実として、本紙でも何度も紹介した。

だが今、釜石では「奇跡」とは呼ばない。市内で千人以上の犠牲者が出ており、学校職員も亡くなっていることがその理由の一つ。もう一つは「奇跡とは、たまたま起きたことで、これが当たり前のことでなくてはならないのです」と芝崎さんは話した。

≪釜石の奇跡とは呼ぶな≫

揺れたら高台に逃げる。意識の徹底のための韋駄天競走は県内に広まりつつあり、全国からの問い合わせも増えているという。

東海、東南海、南海地震の予測もあるなか、地震国日本の沿岸部全域に住む人が自らの命を守るため、心に刻むべき記憶である。それを被災地が発信している。

本来、被災者はつらい記憶を忘れようにも忘れられない。震災時のできごとや被災地への思いを忘れぬよう努力するのは、被災を免れた人々の側であろう。

今もなお、約22万9千人が避難生活を送っている。約8万人が暮らす仮設住宅の東北の冬は寒い。災害公営住宅への入居や自宅再建も順調に進んでいるとはいえない。原発事故の影響を受けた福島県では復興の緒にすらつけない地域がある。被災地で震災は、今も進行形の惨事である。

復興や防災に政府や自治体が全力を挙げるのは当然のこと、国民一人一人が何をできるか、常に考える必要がある。震災の記憶を風化させるわけにはいかない。

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